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コジキジゲン

不可能な作戦

2014-02-12 00:28:27 | 古事記字源

 ・・・一日お天気だったが・・・屋根に積もった雪の塊がドド、どカ~ンと落下してボロ屋敷を振動させる。モモとブブが怯えて身を竦めて部屋の隅っこで縮こまってしまった・・・

 慶應四年=明治元年(1868年1月25日~12月31日=旧暦明治元年十一月十九日~十二月参拾日まで・1869年1月1日~2月10日まで)・・・慶応四年九月八日より明治に改元・・・

 その明治元年に生まれたジィさんの親からの「戸籍謄本」が届いたのでジックリとながめた。「解読」にするには眺めているだけでは理解できないシロモノで、奇怪千萬な「戸籍の系譜」である・・・以前にも母親から送られてきたモノをフ~ゥンって見たコトがあるのだが、その時に気づいたのは「県」の漢字が「懸」であった。今回、取り寄せたモノには「懸(かける・かかる・ケン・ケ)」ではなく、「縣(あがた・ケン・ゲン)」であった・・・

 戸籍謄本は「旧漢字」と「カタカナ」で記載されているのだが、「同年・同村」が「仝年・仝村」で、「同」と「仝」が混用されている。それに「復籍」と同じ意味らしい「復皈(フクキ?・フクケ?)」の「皈(かえる・かえす・キ・ケ)=白+反」の漢字が使用されていた。「離縁復皈ス」である。この類字には「昄(おおきい・ハン・バン・ヘン)=日+反」がある・・・

 それに「母ノ氏名ヲ知ルコト能ハサルニ付其記載省略」とか、「右死亡ノ記載ハ遺漏ニ付キ・・・基本戸籍ニ因リ職権記載」とかの記載・・・「職権記載」・・・イイひびきデハあるナ、ッ・・・「職権乱用」か、「職権萎縮」の極端が「役人根性(今生・懇情・混乗・恨常・混常)」だが・・・「命短しコイセョ乙女」・・・

 「ゴルゴ十三」の作者は「生きる(黒澤明の作品)」が嫌いらしいが・・・トミンは「マスゾエ」にナニを期待してるんだろうかネッ・・・それに、「ユアサ某」・・・昨夜の「ミッション・インポッシブル」は必死でパソコンを叩いて「ゲームオバー」を叫んで核爆発を止めたけれど・・・
 

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稚拙→ふつつか(不束)←太束

2014-02-10 19:33:00 | 古事記字源

 ・・・「言い訳」と「言い逃れる」の意味は異なる?・・・「ニホン語」って、本当に「ニッポン語」であるカナ・・・「コトバの分類・区別」と、その「意味」ではないらしい・・・「一つの言葉」は「誤解・曲解」の「意味内容」の「宿命」を負っているらしい・・・一つの言葉にアレや、コレやと複数の意味をあたえるなッ、一つの意味に限定しろッて、か・・・それに「過失、罪などを詫びること・謝罪」のコトバ?・・・前後の文章の文脈が必要だ・・・「拙(つたな)し=扌(手)+出」ってコトバの漢字に「稚拙(チセツ)」って熟語があるけれど「愚かだ・劣っている・能力が劣っている・ふつつか(不束)・ 不調方・運が悪い・事を行うのに巧みでない・へたくそ」って言う意味・・・「不束(ふつつか)者」は「太束者」が訛ったって?・・・「束ねた稲の太束のように、太くて丈夫だが不恰好という意味」らしい・・・これは、ボクにはとっても「不調方者の説」に思えるのだが、なぜ、「太束」が「不恰好」なんだか・・・苗字には「たつか(太束)」があるらしい。「太安萬侶」は「おほのやすまろ・ダイアンバンリョ」だが・・・「たやすマンリョ」と読んではどうか?・・・「田安」家は三卿の一つで八代将軍徳川吉宗の次男「宗武」を祖とし、1731年(享保十六年)江戸城、田安御門内に屋敷を与えられ、「田安家」と称したのだが・・・
 「拙(つたな)し」の語原は「つた(蔦)」だろうな。這え伸びては巻き髭で、他の木や家の壁に絡まって、また、伸びていく・・・「ブドウ科の落葉性の蔓(つる)植物・吸盤のある巻きひげで木や岩に固着する・葉は卵形で、ふつう三つに裂けており、秋に紅葉する・夏、黄緑色の小花が集まって咲き、実は黒紫色に熟す」・・・「別名、アマヅラ、ナツヅタ、モミジヅタ。 ツタという言葉は、ツタ属(Parthenocissus)の植物を総じて称することもある。英語でのアイヴィー(Ivy)との呼び方はキヅタ類」・・・「Parthenocissus (パルセノキッサス)は、 ギリシャ語の 「parthenos(処女・乙女) + cissos(ツタ)」 が語源であるらしい・・・他の植物や岩に「つたって」のびることから、この名となった。日本では古来から、樹液を「甘味」として利用。「枕草子」の「アマヅラ(甘蔦・削り氷にかける)」とはツタの樹液を煮詰めて作った甘味料のこと・・・別名
ーー↓
 「アイビー(Ivy)」
   ギリシャ・ローマ神話の
   不死の神の「バッカス」が
   かぶっている冠は
   「オリ-ブ(月桂樹)」と
   「アイビー(蔦・葛)」でできている

 「夏蔦(なつづた)」
   うこぎ科で常緑の
   木蔦(きづた)
   別名「冬蔦(ふゆづた)」
   と区別して呼ばれる。

 「地錦(じにしき)」
   古くからの呼び名

 アイビーの花言葉
 「死んでも離れない」
 「永遠の愛」・「友情」・「不滅」

 アイビーは
 古代エジプトから神聖視
 古代ギリシアでは
 キッソス(Kissos)
 踊り狂って死んだ同名のニンフ(精霊)を
 酒神
 「ディオニュソス=バッカス」が
 「アイビー」に変身させた
ー 
 実には毒があるものの、
 外用としての薬効
 酔いを防ぐとされて
 葉の絞り汁を酒に入れて飲む
 イギリスでは、居酒屋の正面に
 アイビーの輪(bush)を飾る
 葉にはフラボノイド、サポニン等が含まれ
 皮膚に対して細胞の充血をやわらげる
 家の壁にアイビーをはわせるのは、
 雷や魔物をよける意味
 アイビーの茂る家は
 裕福の象徴
 葉が急に枯れ落ちたりすれば、
 破産や災難の前兆
 常緑植物のアイビー
 永遠の友情や愛、霊魂の不滅や永遠の生の象徴
 結婚式や葬儀に用いられてきた
 クリスマスに使われるアイビーは
 ウコギ科のヘデラ(Hedera)
 ヘデラとは、欧州キヅタの古代ラテン名
ーーー↓
 「精霊=ニンフ=ニュンペー」
 「ニュンペー・nymphee(νυμφη)」とは
 ギリシア語で「花嫁」・「若く美しい娘・乙女・処女」
 ニュンペー
 ある特定の樹の精霊であった場合、
 その樹の枯死と共に消え去ってしまう
 多くの場合、人間を超える長い寿命の持ち主
 不死のニュンペーも存在
 森林や山野の
 処女のニュンペーは
 アルテミス女神に扈従するのが普通であり、
 パーン神やヘルメースなども、
 ニュンペーに親しい神であった
 古代のギリシアには、
 ニュンペーに対する崇拝・祭儀が存在したことが
 ホメーロスによって言及
 考古学的にも確認
 ニュンペーは
 恋する乙女であり、神々や精霊、
 人間と交わって子を生むと、
 母となり妻ともなった
 多くの英雄がニュンペーを母として誕生
ーーーーー↓
 ニュンペー(nymphee)
  ↓
 イイわけ・・・好いワケ・良いワケ・善いワケ
        酔いワケ
 ツタの「葉っぱ」は、
 「三葉」・・・参用・参考・纂要
  ↓
 三葉虫(Trilobite・トリロバイト)は、
 カンブリア紀に現れて
 古生代の終期(ペルム紀)に絶滅した節足動物
 古生代を代表する無脊椎動物
 化石としても多産し、示準化石
 ↓↑
 三笠市
 桂沢ダムの化石・・・ナゼ「桂」沢なのか?
 三葉虫・アンモナイト(菊石)
 恐竜(エゾミカサリュウ)
 ・・・どおして巨大な蝸牛(巻貝・螺・田螺)や、
 「蜷(にな)=虫(中ム)+卷」みたいな形になったんだろう・・・?
 ↓
 桂沢ダム
 北海道で初めて建設された多目的ダム
ーー↓↑
 いいわけ(言い訳・言い分け)
 筋道を立てて説明すること
 自己の事情を説明して、弁解をすること・弁明
 物事の筋道を説明すること・解説
 いいわけ(言い訳)の類義語や同義語
 都合の悪いことや過失などを取り繕うための説明をすること
 an excuse・an apology
 弁解・弁解無用・言い訳無用
 正当化、取り繕いに関わる意味
 自分の言動を正当化するために事情を説明すること
 過失・失敗などをわびること・謝罪
 筋道を立てて説明すること
 自己の事情を説明して、弁解をすること・弁明
ーー
 いいのがれ(言い逃れ)
 言い逃れること
 言い抜け・言い逃げ
 いひのがる
 うまく言い訳をして、責任などをまぬがれる
 言いぬける
 an evasive answer
 an evasion
 口実
 an excuse
 color
 gloss over=ごまかす
       言い繕う・言い逃れをする・きれいごとを言う
 make [give] an evasive answer
 talk oneself out of 《the difficulty》
 explain away 《the incriminating signature》.
 相手の気持ちを
 別の方向に向けて追及を逃れること
 眩ます・惑わせる・分からなくする
 化かす・屁理屈をこねる
 詭弁を弄する
 言い訳をこねくり回す
 言い逃れをする
ーーーーー
 ・・・ィヤァ~ッ、申し訳もゴザイマセン・・・「孟子」のワケがない・・・「も牛(丑・憂し・愛し)」のワケが御座いません・・・申(さる)しの訳(和気)がゴザイません・・・
  

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ハシのハカ・箸=竹+者・・・筑豊炭田→北海道へ

2014-02-10 00:38:51 | 古事記字源

 ・・・卑弥呼(ひみこ・ヒミコ)のハカ・・・ナゼ、箸(はし)墓(はか)・・・箸=竹+者・・・食(く)う事に使う道具でニホンのタケの棒・・・「比べ視て呼ぶ」・・・氷巫女(ひみこ)・・・「日経」のブログ記事、「夕張の現実は日本の明日・夕張市長(鈴木直道)」をみた・・・単純化すれば、「資本主義経済の枠内」で、市領域で、事業家が儲かって「徴集税収」が上がれば借金返済のスベテが解決する問題である・・・もう一度「石炭」に関連する「産業」を復活再生したらどうか。「餅は餅屋に任せろ」ってコトバがある。「石炭」は燃やすだけのモノではない。昔、砂糖が高級品だったころ低所得の主婦はチョット苦味がある「サッカリン」を重宝した。ベンゼンの化学式発見の恩恵である。
 バターが高級品だった頃には貧乏人が口にしていたのはチョット臭みのある「マーガリン」・・・1869年フランスの「メージュ・ムーリェ」が、「牛脂と牛乳を混合し、冷やし固めたもの」であるらしい・・・バターの脂肪は牛乳の脂肪分だけ。「マーガリン類」は植物性の脂肪、コーン油、大豆油、パーム油、なたね油、綿実油などを使用し、乳や乳製品、ビタミンA、乳化剤、着色料を加える。
 「マーガリン類」は原料の植物性脂肪に「水素」を添加し、液状のものを固体状に硬化させ、これに乳成分やビタミンA、乳化剤などを添加、混合して製造。「水素」はどんな効果があるんだか・・・
 最近は「雪」そのもを商品化(雪ダルマを梱包して冷凍宅配便)して夏に売っているらしいし、「水」そのものが「商品化」されて久しい。「水道料金」は徴集されているが今や「飲み水」としては適さないのだろう。井戸水も汚染・・・古代ローマの高架水道でヒカレた水道水は「商品化」されていたのだろうか、無料だった・・・?
 そして、石炭からの「医薬品」も結構ある・・・今現在の採炭、選炭、液化化学加工、脱硫資料化、発電コンビナート化での温熱配分の技術をもってすれば・・・いや、コレラは「戦前の技術」でもやってきたコトだが・・・安全に関しては進化しているだろう・・・
 スベテは「市場経済」の枠内での「採算の問題」であるから、そう、単純ではないのは百も承知だが・・・
 だが、「政治経済」とは、「一体概念」であるが相対立する。
 「政治」は儲け、採算度外視の「行政消費サービス業」で、「税収の余裕の枠内」での「行政サービス」で、あるハズだが・・・
 「経済」とは「資本的生産業」による「生産品」の商品市場での「商品化」されたモノで、その売買された結果の「採算(儲け=黒字・赤字=損得」である・・・
 その「余裕」は「地域事業家」の「市場での儲け(採算黒字)」に左右されているのは言うまでも無い。その結果の「税収の増減」での自治体の「政治=行政=公的サービス」である。
 ・・・慈善家のサーヴィスは「寄付」である・・・日本での「寄付金」には「税金」がかかるらしい・・・慈善家の目的外にその寄付金の一部は使用されるカモ・・・
 そもそも「借金」してまでする「政治」とは何か?・・・
 余裕があっても「借金するのは事業家のイロハ」とダレかが云っていた・・・要は彼にとっては「黒字」にしないコトが「事業鉄則」らしい・・・
 「メロン産業(農業・耕作業)」は「生・産業」であっても、「観光-産業」は字面どおりの「産業」ではない。「サービス業」である。
 個々人がある程度習得した技術・技能での職業からマッタク異なる「異業種」への転職での「成功例(所得増大?)」は少ない。あるいはホトンド失敗するか、単なる労働力を提供する「日雇い」の「転職」の繰り返しである。これは企業、ある種の組織、団体、地方自治体、国家でも同じであろう・・・
 生活が貧困で体力があれば、手っ取り早く稼ぎのカネが高給日当での重労働、「土方」でも、危険な「沖流し」でも、「炭鉱夫」でもする・・・大陸中国の「高給労働者」は「炭鉱夫」で、人気があるらしいが、洩れてくる情報の落盤、ガス爆発事故で死亡、傷害被害者の数は過っての日本の比ではないらしく、100人単位、1000人単位であるらしい。だが、報酬が高給であれば、労働者は覚悟の上でもあるらしい・・・欲しい物が買えるから・・・
 地方自治体、国家は「重労働」を嫌い、借金をする・・・そして「金貸し」もする・・・・スイスは典型的な「金融国家」ではあるが
、アメリカこそは「世界のドルの金融王国」だろう・・・「金融資本=金貸し」に国境は無い・・・
 兎に角、石炭の採鉱、砕鉱の産業と、その関連産業の再考と再興は「政治」の「政策」である・・・
 

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「グロビウス=Globius」の「改宗・改修・回収・海舟」・・・

2014-02-09 01:27:56 | 古事記字源

 ・・・昨日(2/7)は母の教会での知り合いの女医の「T」先生と、幼稚園の「N」先生、そして従姉が来てくださった。「T」先生からはお肉の煮物、「N」先生からはお花、従姉からはカレーとカボチャと御菓子を頂戴した・・・母が亡くなってから一ヶ月・・・感謝です・・・一昨日はドカ雪、昨日は降ったりやんだり、今日はお天気、だが寒波で冷え込みが激しい。モモとブブはストーブの前の椅子の上でオネムリ・・・2006年~2007年の「日記の製本」が届いたので目を通した・・・「時代」は第一次「アベちゃん」の時代・・・
 現在的な極東の大陸中国、北朝鮮、韓国、そして日本は「壬申の乱(672年7月27日~8月24日)」前夜の「唐(中国)」、「新羅・高麗(北朝鮮)」、「百済(韓国)」、そして「倭国(日本)」の関係に酷似しているようなカンジがする。だが、「壬申の乱」にはアメリカとロシアの存在は無い。
 登場してくるは幕末の
 以下、ウイッキペデア、その他のブログ記事ナドを参照添付。少々改作・・・
ーーー↓
 「ペリー艦隊の嘉永六年(1853・7/8)六月三日、黒船軍艦(旗艦ミシシッピ号)四隻で浦賀沖に出現」
 ・・・「ペルリ(漢字では彼理)」と表記・・・
 「1854年2月13日(嘉永七年一月十六日)に旗艦サスケハナ号など七隻の軍艦で横浜沖に停泊」
 ・・・「サスケハナ」
 ・・・「Susquehanna=サスクェハンナ」は
    「アメリカ原住民」の言葉で「広く深い川」・・・
 「3月31日(三月三日)に神奈川で日米和親条約を調印」
 後、那覇に寄港、
 「7月11日、琉球王国とも琉米修好条約を締結」
 そして
 「ゴローニン事件の文化八年(1811年)、ロシアの軍艦(ディアナ号)艦長のゴローニンが日本に抑留」
 ・・・「ディアナ(ダイアナ)=Diana」は
     ローマの「狩の女神・月の女神」
 ・・・ギリシアの
    「アルテミス
    (ΑΡΤΕΜΙΣ
     Ἄρτεμις・Artemis)」と
     同神で・・・アポロとは双生児の兄妹・・・
 「プチャーチンの乗艦ディアナ号の安政元年(1854年)11月の安政大地震の津波で下田沖で大破、戸田沖で沈没、その後、戸田港で帰国の代船を建造」・・・
ーーー
 である・・・
 アメリカとロシアの存在は無いが西洋では672年・・・キルペリク2世(Chilperic II・672年~721年2月13日)は、「メロヴィング朝」の12代目の国王(在位・715年~720年)が生まれた年である。彼は「キルデリク2世」の息子で、幼名は「ダニエル」である。
 メロヴィング朝(仏: Mérovingiens・英:Merovingian dynasty・ 独:Merowinger)は、ゲルマン人(西ゲルマン)であるフランク族の支族の「サリ族」が築いた「フランク王国」における最初の王朝である。
 「メロヴィング」の名は、
 始祖
 「クロヴィス」の
 祖父
 「メロヴィクス」にちなむ・・・
 四子に分割相続して以後、分裂・内紛を繰り返し衰退
ーー
 フランドルを支配していた
 小国の王
 クロヴィス1世
 (465年~511年、在位481年~511年)が
 領土を拡大し全フランクを統一
 481年、メロヴィング朝を建てる
 496年、クローヴィスはカトリック教徒であった
 妻との約束により、
 ゲルマン人に定着していた
 アリウス派キリスト教(異端宗派)より
 家臣4,000名とともに
 正統派の
 アタナシウス派キリスト教(カトリック)に
 改宗した
 (クロヴィスの改宗)
ーー↓↑
 グロビウス
  ↓
 「高橋景保(かげやす・1785~1825)」は
 字は子昌
 通称は作左衛門
 号は観巣・玉岡・求己堂主人
 オランダ名(キリスト教洗礼名?)は
 グロビウス
 グロビウス=Globius
ーー↓↑
 蘆田文庫特別展・・・・・アシ拿?
 ・・・蘆=芦=葦=あし=足・脚・肢・悪
 明治大学図書館所蔵
 古地図コレクション
 「蘆田文庫」は高名な地理学者
 蘆田伊人(あしだこれと)の
 古地誌、古地図などの旧蔵資料で構成する
 図書館のコレクションです。

 http://www.lib.meiji.ac.jp/ashida/display/exhibit-2004/index.html

 http://www.lib.meiji.ac.jp/perl/exhibit/ex_search_detail?detail_sea_param=4,62,0,a
ーー↓
 新訂萬國全圖 / 高橋景保
 文化七年春三月(凡例)
 -- 銅版 -- 1舗 --
 104.8×184.7cm(49.4×28.5cm)
 日本文化七年春三月
 測量所
 臣
 高橋景保 謹識
ーー↓全文抜粋添付
 幕命によって天文方高橋景保が製作した
 銅版図による東西半球世界図。
 アロースミスの世界図が基本になっている。
 アロースミスの世界図は
 クックの世界探検航海の成果によって、
 架空の
 南極大陸
 「メガラニカ」を消滅させるなど当時最新のもので、
 文化元年(1804)
 ロシア使節
 レザノフが長崎へ将来した。
 本図はアロースミスによりながらも、
 多くの
 西洋の地理地誌関係書を参考にして完成した。
 間宮林蔵の調査成果を取り入れ、
 樺太は島として描く。
 これまでの東西半球図では
 右端に位置していた日本が
 図面の
 中央にくるように、
 左右を入れ替えていることも注目に値する。
 周囲の副図には、
 南北両極を中心にした図、
 京都を中心に描いた図(経度の起点を京都にとる)、
 この図と
 地球の裏側にあたる図を付している。
 地形の細密な表現、
 海岸沿いの地域にはびっしりと
 書き込まれた
 地名など、細密な表現が求められ、
 亜欧堂田善による
 銅版印刷によって刊行された。
 最新の知識を取り入れた、
 当時としては世界的にも最も優れた
 世界図であった。
 この世界図が成立した後も、
 旧来の
 リッチ系世界図が刊行されて流布していた。
ーー↓
 高橋景保=グロビウス
  ↑
 外国の書物を翻訳の
 蛮書和解御用(ばんしょわげごよう)
 書物奉行
 来日したロシアの使節が、
 満州語で書かれた文書を、長崎奉行に提出
 これを翻訳
 『満文強解』
 「和・漢・満・蘭語辞典」の
 『亜欧語鼎(あおうごてい)』を著作
 文政十一年(1828年)
   十月
   十日
  逮捕
  ↓
 元
 肥前平戸藩主
 松浦静山(せいざん)の著書
 『甲子夜話続編』に
  ↓
 「十月十日ノ夜、天文台ノ下、
  高橋氏ノ屋鋪ヲ
  猿屋町ノ方ト
  御蔵前ノ方ヨリ
  大勢取囲ミタリ。
  夜陰ノ事ユエ灯籠夥(おびただ)シク、
  其中ニハ御紋ノ高張モ見エシガ、
  ヤガテ
  高橋ガ
  屋鋪ヨリ青網ヲカケタル
  駕(かご)ヲ
  舁(かつぎ)出タリ」
  ↓↑
 シーボルト事件
 シーボルトが私有の
 ロシアのクルーゼンシュテルノン提督の
 『世界周航記』という本と
 オランダ領
 東インドの
 地図九枚と
 伊能忠敬の測量に基づいて作られた
 「大日本沿海輿地全図」を
 シーボルトと交換 
ーー↓
 高橋景保の
 父親は
 「高橋至時(よしとき)」
 明和元年十一月三十日(1764年12月22日)
  ~
 享和四年一月五日(1804年2月15日)
 天文学者
 字は子春
 号は東岡・梅軒
 通称は作左衛門
 妻は
 永田元左衛門清賢の娘
 志勉(しめ)
 子供に
 高橋景保の弟の
 渋川景佑
 他に三人
ーー↓
 至時らが
 歴学を学ぶ際に参考にしていたのは、
 授時暦や貞享暦などの日本・中国の暦法、
 『暦算全書』、『天経或問』
 重要視されたのが、
 『暦象考成上下編』
 『暦象考成上下編』は、
 何国宗
 梅殻成らによって編纂された、
 西洋天文学をまとめた書
 天体の運動については
 ティコ・ブラーエによる円軌道を基軸
 間重富が
 『暦象考成後編』を入手
 『暦象考成』とは著者も内容も異なる別の書
 『暦象考成後編』では太陽と月の運動を、
 円軌道ではなく、
 ヨハネス・ケプラーの唱えた
 楕円軌道で説明
 寛政七年(1795年)
 幕府から、改暦のため
 四月に江戸へ赴任
 四月二十八日に測量御用手伝
 十月妻の
 志勉(しめの)が二十九歳で死去
 十一月十四日に幕府天文方
 十月妻の志勉が二十九歳で死去
 寛政八年(1796年)
 正式に改暦の命
 十月からは京都にて観測及び改暦作業に当たった
 当時の改暦は京都の
 土御門家が形式的な責任者となっていた
 改暦に当たっての資料としては
 『暦象考成後編』を活用したが、
 同書には太陽系の
 5惑星(水星・金星・火星・木星・土星)の
 運動記述がなかったため、それらについては
 『暦象考成上下編』を参考にした
 麻田剛立によって理論づけられた
 消長法
 (太陽などの運動が年月を経るごとに少しずつ変化してゆく説)
 も採用した
 寛政九年(1797年)十月
 「暦法新書」八巻が提出
 新暦は
 寛政暦と名付けられ、
 寛政十年(1798年)より施行
ーー 
 至時の元に
 伊能忠敬が弟子入り
 至時は
 十九歳年上の忠敬に
 暦学や天文学を教えた
 至時は忠敬を
 「推歩先生」と呼んだ
 享和三年(1803年)
 至時は
 若年寄の
 堀田正敦から、
 ジェローム・ラランドが著した
 天文書ラランデ暦書を渡され、調査を命じられた
 文化元年(1804年)に死去
 享年四十一
 上野の
 源空寺に葬られた
 伊能忠敬は至時の死後も測量を続け、
 日本全国の測量事業を完了
 文政元年(1818年)死亡
 至時の長男である
 景保は至時の死後、後継として
 天文方に任命
 『ラランデ暦書』の翻訳事業や忠敬の測量事業にも関わった
 シーボルト事件により
 文政十二年(1829年)獄死
 次男の
 景佑は天文方として『新巧暦書』の編集にかかわり、
 天保暦の作成で中心的な役割を果たした
ーー↓↑
 クロヴィス1世の
 全フランクを統一の
 メロヴィング王朝
  ↓
 崩壊した西ローマ帝国貴族の支持を得
 領内のローマ系住民との関係も改善
 506年に西ゴートを
 ヴイエの戦いで破り、
 その王を戦死させ、
 イベリア半島へ駆逐
 クローヴィスの死後、
 王国は四子に分割され国力は衰え
 七世紀に入ると王国はさらに分裂し、
 次第に分割された
 分国(地域)の宮宰に権力が移った
 この状況下で
 アウストラシアの
 カロリング家をはじめ
 ネウストリア、
 ブルグンド三分国(地域)の宮宰の権力が増大
 七世紀後半
 王国の行政および財政を取り仕切る
 宮宰(きゅうさい, major domus)に実権が移行
 714年
 宮宰のカロリング家の
 カール・マルテルは
 教会から没収した土地を
 家臣たちへ与えて
 軍を再編
 732年には
 イベリア半島から領内に進攻してきた
 イスラム帝国の
 ウマイヤ朝軍を
 トゥール・ポワティエ間の戦で破り、
 西欧キリスト教世界に対する
 イスラム勢力の進出を食い止めた
 751年
 マルテルの子、
 ピピン3世(小ピピン)が
 ローマ教皇の支持を得て
 カロリング朝を開いた
ーー
 ・・・「国家主権」の形成と、「国家権力者」の主張での軍事的緊張が高まれば、どのような時代でも同じような傾向をたどるのは当然かも・・・

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救缶鳥・・・救「官庁」でナイコトを・・・

2014-02-08 00:16:44 | 古事記字源

 ・・・「救缶鳥」・・・「世界にパンを届けよう。救缶鳥(きゅうかんちょう)プロジェクト。非常食を備えることで、世界の飢餓救済の活動に参加できるプロジェクト」・・・「アキモトパン」・・・昨夜の「カンブリア宮殿」・・・
ーーー抜粋添付
 栃木県・那須塩原市にあるベーカリー「パン・アキモト」
 「パンの缶詰」
 災害時のための非常食
 「パン・アキモト」のパンの缶詰」は製造から3年がたっても、
 焼きたてパンのようにふわふわで柔らかい・・・
 秋元が取り組んでいる食料に困っている地域に
 パンを届ける
 事業は決して「社会貢献ではない」。
 秋元はこの「パンの缶詰」を
 世界各地の人々に届ける事業を、
 持続可能な採算がとれる
 「ビジネス」にまで育て上げた・・・
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 ・・・あらゆる「ビジネス(事業)」は「社会貢献」である「ベキ」である・・・
 資本主義市場経済の中で「持続不可能で採算がとれないビジネス」をする「事業家」はイナイだろう・・・計画倒産屋とか、公共事業屋の一部は別にして・・・「採算とれる」とは何か・・・
 「糒(乾し飯)・オニギリ」は戦国時代の携帯食、「缶詰」、「乾パン」は「軍隊の携帯食糧」から必要性が求められた。「インスタントラーメン」を食っている「某国軍隊の動画」も見た事がある・・・
 故「大須ういろ」の会長は伊勢湾台風の時に「救援食糧」として腹ごたえのある「ういろ」を増産し、被害者を救援した・・・
 国家や、国連、赤十字、諸々の「寄付募金」で動く救援団体組織が、救援事業を「カネ」で請負うとロクなコトがない・・・
 「賞味期限前の缶詰パン」の回収と、その条件としての新たな「値引き缶詰パン」の販売・・・民間の「パン・アキモト」が独自に自前で生産した現物の「救缶鳥」を現地の人々に直に手渡す・・・スバラシイ・・・
 アフガニスタンで「井戸」掘り、「用水路」築造の現地人を指導をしていた「中村哲」氏・・・アフガンに当初、医者として赴任し、医療よりも栄養失調、食糧不足で飢餓に苦しむ人々の食糧確保が第一と井戸を掘り、用水路の灌漑事業を完成させた・・・彼の現地活動を紹介していたTV映像が頭によぎる・・・
 「食料に困っている地域」に食糧を「無償援助(?)」できるシステム・・・
 「社会貢献」ができなくなるのは「事業」そのものが「採算がとれなくなる時」である・・・「採算」とは「不安定な資本の流れの中」にある・・・「値引き」しなくても「採算」が黒字であるならばどんな「事業」でも、その「余裕の枠内」で「社会貢献」ができる。
 生産されるモノの「使用価値」は「社会貢献」が前提であるハズだが、市場で「需要供給」に媒介されるモノが「カネ」である。そして、市場では「売り手のモウケ」が前提であるが「黒字」を保障するワケではない・・・
 ・・・「値引き」だけで「食料に困っている地域」に「キュウカンチョウ」を配れるのは「値引きの缶詰パン」を買ってくれる市場が安定している時だけだろう・・・
 パンの原材料である小麦粉、そして缶の原料であるブリキ、パンを焼く「エネルギー源」は「資本の流れの枠内」にある・・・「食料に困っている地域」に「常に供給」出来る「持続の保障」は無い・・・
 ・・・それでも、「救缶鳥」は画期的な缶詰パンである・・・


 

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