gooブログはじめました!キリヤ

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
コジキジゲン

知別途・・・地別訳・・・

2017-12-29 21:23:35 | 古事記字源

・・・2017/12/31・・・「壬辰日」・・・
ーーーーー
 2018年 丁酉(庚・ ・辛)
 0001月 壬子(壬・ ・癸)
 0001日 癸巳(戊・庚・丙)午未=空亡
 0001時 壬子(壬・ ・癸)
 まだ、二月の節分前まで「酉年」・・・
ーーーーー
 大西蔵区・大蔵区?・・・ナゼ、「西の蔵」なんだか?
ーー↓↑ーー
 西蔵(西藏)犬=いぬ=獒
 ↓↑
 チベット
 周辺諸国が古くから用いて来た呼称
 「tubat(モンゴル語・満州語)」
 「tbt(アラビア語)」
 等に由来
 チベット人自身は
 「プー (bod)(チベット語)」
 と称する
 日本語の「チベット」は
 英語「Tibet」経由で
 明治期に成立した呼称
 ↓↑
 チベット全域をさす
漢字表記による総称は
 清代
 土伯特(ドハクトク)
 唐古特(とうことく・タングート)
 等がある
 7世紀なかば
 チベットの古代王朝が
 上記の領域を統合した建国時
 中国人(隋)はこの国を
 「蕃(バン)・吐蕃(トッバン)・大蕃(ダイバン)」
 等と表記し呼んだ
 842年
 王朝は崩壊
 清朝の
 康煕年間(1720年代)ごろまで
 この領域全体の地域呼称を
 「吐蕃」という呼称で総称
 ↓↑
 チベットを示す
 「西蔵」は
 中国大陸で
 1725年ごろから
 中央チベットと
 その周辺だけの地域呼称として使用
 現在も中華人民共和国政府は
 アムド
 や
 カム
 を含む
 チベット全域の総称ではない
 ↓↑
 清朝の雍正帝は
 1723~24年
 グシ・ハン王朝(1642年~1724年)を征服
 彼らがチベット各地の
 諸侯や直轄地に有していた支配権をすべて接収
 タンラ山脈
 と
 ディチュ河
 を結ぶ線より南側に位置する地域は
 ガンデンポタンの統治下に所属
 この線より北側の地域は
 青海地方を設けて
 西寧に駐在する
 西寧弁事大臣に管轄させた
 残る各地の諸侯は
 隣接する
 陝西(分離して甘粛)
 四川
 雲南
 などの
 「中国内地」の各省に分属させた
 ↓↑
 「西蔵」という地域呼称は
 康煕時代から
 ↓↑ ・・・康煕帝=聖祖
    順治十一年三月十八日
    (1654年5月4日)
          ~
          康熙六十一年十一月十三日
                 (1722年12月20日)
    1654生年 甲午(丙・ ・丁)壬寅(己・丙・甲)
    0005生月 戊辰(乙・癸・戊)壬子(壬・ ・癸)
    0004生日 戊申(己・壬・庚)甲午(丙・ ・丁)
    寅卯=空亡
    姓・諱
    愛新覚羅玄菀
   (アイシンギョロ・ヒョワンエ)
    清の第四代皇帝(在位1661~1722年)
    合天弘運文武
    睿哲恭倹寛裕
    孝敬誠信功徳
    大成仁皇帝(略して仁皇帝)
    三藩の乱を平定
    台湾・ ジュンガル・チベットを制圧
    ロシアとの国境策定
 ↓↑ 清朝の領土を拡大
    康熙字典=清代の字書・十二集四十二巻
    康熙帝の勅命 により
    張玉書
    陳廷敬
    らが編纂・1716年刊
   「説文解字・玉篇・字彙・正字通」など
    歴代の「字書」を集大成した
    四万七千余の漢字を
    楷書部首、画数順に配列し
    字音・字義・用例を示し
 ↓↑ 以後の「字書」の範となる
 ↓↑
 西蔵(チベット)は
 中国文献に登場
 これ以降
 チベットのうち
 ガンデンポタンの管轄下にある範囲が
 西蔵と称される
 清朝滅亡後
 チベットはモンゴルと歩調をあわせ
 国際社会に
 「独立国家としての承認」を求め
 チベットの全域を
 ガンデンポタンのもとに統合すべく
 中華民国との間で武力衝突
 中華民国は
 中国人が多く住む
 諸民族の雑居地帯
 河西回廊の南部と
 青海地方をあわせて
 青海省を樹立
 青海地方も
 「内地」という位置づけ
 中華民国の歴代政権は
 「西蔵」の部分のみを
 「Tibet(チベット)」
 とし、その他の各地は
 「内地=中国本土」に属するとした
 ↓↑
 中華人民共和国も
 「西蔵」の部分のみを
 「Tibet(チベット)」とし
 その他の各地は
 「内地=中国の本土」に属する
 を踏襲
 1960年に発足した
 「チベット自治区」は
 「西藏」部分のみを
 管轄領域
 ↓↑
 日本では
 明治期から昭和中期にかけ
 中華民国や中国国外の華僑等の間では
 近年、「Tibet」の訳語として
 「西蔵」を用いている
 ↓↑
 日本
 明治期に
 英語「Tibet」に由来する
 「チベット」という呼称が一般的
 漢字表記には
 「西蔵」が採用
 「西藏・西蔵」
 中国では
 チベット民族居住地域に対する通常の呼称として
 「蔵区」
 「蔵族地区」
 「西蔵和其他蔵区」
 等の呼称が使用
 チベット全体を
 単一の自治行政単位とするよう求める
 ダライラマやチベット亡命政府の立場を
 非難、批判する場合には
 「大チベット区・大西蔵区・大蔵区」
 という用語を使用・・・
 大西蔵区・大蔵区?・・・ナゼ、「西の蔵」なんだか?
ーー↓↑ーー
 西蔵(西藏)犬
 ↓↑
 三蔵法師(さんぞうほうし)
 三藏法師=仏教の経蔵・律蔵・論蔵
 ↓↑   の三蔵に精通した僧侶(法師)のこと
      転じて「訳経僧」を指す
      602年~664年3月7日
      唐代の中国の訳経僧
      戒名は玄奘(ゲンジョウ)
      俗名は陳褘(チンイ)
      諡は大遍覚
      尊称は法師、三蔵
      三蔵法師ゆかりの寺は
      長安の
      大慈恩寺(ダイジオンジ)・・・代字音字?
      鳩摩羅什と共に二大「訳聖」
      「真諦」と「不空金剛」を含めて
 ↓↑   四大訳経家とも呼ばれる・・・
 ↓↑   所謂、翻(ホン)訳(ヤク)家
      翻=ハン・ファン=飜
      ひるがえる・ひるがえす・ひらひらする・ひるがえる
      翩翻(ヘンポン)
      他を意のままに動かす
      翻弄(ホンロウ) 」
      裏返しにする・急に変える・ひるがえす
      翻意・翻然
      対応するものと入れかえる
      翻案・翻刻・翻訳
 西蔵(西藏)犬=いぬ=獒
    ・・・犬の吠え声=汪汪(wang wang)wu-wu(ウーウー)
       犬の遠吠え=嗥叫(ハオジャオ・ヘアオジアオ)
                háo jià o・há o jià o
    阿蘭陀(和蘭)語の「犬=ホント・ホントゥ=hond」?
 ↓↑
 獒=敖(十一方攵)+犬(一人丶)
  =蔵獒=チベット犬=西蔵犬
 ↓↑ ↓↑
 犬・太・大+丶・・・「一の人が丶(主・灯・灯火)」
           「始めの人が火の丁(の火)」
           「女台(ム口)のヒトがヒのチョウ」
           ム囗=私の國=邪の國=横嶋の國
 ↓↑ ↓↑
 犬=一+人+丶
   意味・字形
   「丶」=絕止する所(説文解字・巻五)
       読点(、)のような区切り文字で
       字形は指事
       「丶」字=「主」の初文
            字は指事ではなく
            「灯火の炎」の象形
            「主」の字
            「鐙中の火主なり
             丶に從ふ(説文)」
   「丶」=チュ・シュ
       しるし、きれめにしるす點
       異体字 黒+主・火+主
        シュ・ス
       主=おも・ぬし・あるじ・つかさどる
         シュ・ス
         亠+土・丶+王
         異体字「炷」・「黒主」
        「丶」のことを「黒主」点という
    篆書体の字形?
   「主」=屮+二=凵+l+二=U+l+二
       ↓↑
   「主」=山(亠・丶一)+土=山+十+一
       山土
         亠=音の字の略字
           丶=しるし・切れ目に記す點
    篆書体の字形           辿=テン=点・天
   「主」・・・「Ψ・ψ=psi=プサイ」+「土」?
           「ψ+十一」?
         「Ω=ω=omega=オメガ」→「ω+土」?
   辿=山+辶=たどる・たどり・テン
     天・「丶」・「:」・「‥」・「・」
     典・・・辞典
     佃・・・佃煮
     点・・・点数・視点・支点・観点
     店・・・店舗・支店・店卸
 ↓↑ ↓↑
 駄=馬+太=ダ
   荷役に使う馬・駄馬
   値うちのないもの・つまらないもの
   粗悪なもの
  「駄菓子・駄洒落(ダじゃれ)」
   助数詞の馬1頭に負わせる荷物の量、一駄、数量
   一駄=三十六貫
 駄目=駄=囲碁用語で
    駄目はあっても意味がないところのこと
    無駄=無徒
        徒=あだ・実を結ばないさま
          かいのないさま・むだ(無駄)
   「あだ」が転じて「むだ」となり、「無駄」 になった
   「あだごと=徒言=実のない言葉・うそ」
 駄目=駄馬=馬または牛一頭に背負わせるだけの分量
    馱の俗字
    ダ=馬+大=馬+太
    異体字は「馱」
 雪駄=雪踏(せった)
 竹皮草履の裏面に皮を貼って防水機能を与え
 皮底の踵部分に尻鉄がついた履物(草履)の一種
 傷みにくく丈夫
 湿気を通しにくい
 千利休が水を打った露地で履くためや
 下駄では積雪時に歯の間に雪が詰まるため考案」
 雪が詰まるのは駄目な草鞋(わらじ)・・・草履(ぞうり)
              鞋=革+圭=くつ
                    カイ・ゲ・アイ
 竹皮の草履(ぞうり)の裏に獣皮を貼った履物
 ↓↑
 「雪駄」より古い語に「せきだ=席駄」の当て字
 「むしろ(席⇔蓆)のはきもの(駄)」・・・
                蓆(むしろ)の履物(駄)
 「席駄(セキダ)」から
 「せちだ→せっだ→せった」と変化し?
 ・・・「雪駄=セキダ」・・・雪(ゆき)の駄(駄馬)?
 雪駄の一つの特徴である
 「鋲打ち」は、踵の補強と擦り減り防止
 歩くと裏金と地面がすれ
 チャラチャラと音をたて、粋
 江戸の侠客の間から始まった・・・
 天保改革(1841~43年)以前
 裏金の鋲を赤銅で作り、
 これに
 金象篏(キンゾウガン)を施した雪駄もあった・・・
 ↓↑
 利休と交流のあった茶人
 「丿貫」の意匠によるもの・・・
 主に茶人や風流人が用いるものとされ
 現代においては、
 男性が着物を着る場合はほぼ雪駄を履く
 江戸町奉行所の
 同心が必ず
 「ばら緒の雪駄」を履いており
 「雪駄ちゃらちゃら(後金の鳴る音)」
 「チャラチャラするんじゃぁない」・・・
 ↓↑
 「雪駄の踵に用いられている形状は
  主に馬蹄型とテクタ型が殆んどで
  江戸時代の雪駄は
  ベタガネ型(またはチャラガネ型)
  という金属製の
  尻鉄が打ち込まれている物が一般的で
  これをチャラチャラと鳴らしながら
  履くのが粋とされた
  ベタガネは非常に音が響きやすい材質で
  金属製なこともあって
  「音が煩い・滑りやすい・傷がつきやすい」
  などの問題点が指摘され
  長い年月を経て改良がなされ
  馬蹄型とテクタ型に進化していった」・・・
 ↓↑
 「丿貫(へちかん、べちかん)」
 生没年不詳
 戦国時代後期~安土桃山時代
 茶人
 名の表記は
 「丿恒・丿観・別貫」などとも
 「丿(ヘツ、ヘチ)」は漢字
 ↓↑
 京都上京の商家坂本屋の出身とも、美濃の出とも
 一説に
 医師
 曲直瀬道三の姪婿
 武野紹鴎の門で茶を修めた
 山科の地に庵を構えて寓居し
 数々の奇行
 久須見疎安の『茶話指月集』(1640年)
 によれば
 天正十五年(1587年)
 豊臣秀吉主催の
 北野大茶湯の野点で
 「丿貫」は
 直径一間半(約2.7メートル)の
 大きな朱塗りの大傘を茶席に立てて
 秀吉も大いに驚き喜び
 以後
 「丿貫」は諸役免除の特権を賜った・・・
 江戸時代中期に成立した
 藪内竹心の『源流茶話』
 「丿貫は、侘びすきにて、
  しいて茶法にもかかはらず、
  器軸をも持たず、一向自適を趣とす」
 「異風なれ共、いさぎよき侘数奇なれば
  時の茶人、交りをゆるし侍りしと也」
 と書かれ
 当時盛行していた高額な茶器などは用いず
 独自の茶道を追求していた・・・
 久須見疎安の『茶話指月集』には
 「丿貫」が
 手取釜一つで雑炊も煮
 茶の湯も沸かした・・・清貧・・・
 茶人・数寄者との交流もあり
 千利休と親交
 江戸後期の
 柳沢淇園『雲萍雑誌』には
 利休と茶道を争い
 世間に媚びることの多い
 友、利休
 の茶風を嘆いた・・・
 千利休を自庵へ招待した際
 庵の前に落とし穴を設けて
 利休を陥れ、沐浴させ
 新しい着物を供したなどとの逸話・・・
 晩年は薩摩へ下った
 薩南学派の
 南浦文之の詩文に
 「丿貫」との交流を伺わせる詩句
 同地で没した
 『三国名勝図会』鹿児島郡西田村に
 「丿恒石」なる塚が記されている・・・
 表千家の良休宗左(随流斎)の記述
 露地で履く
 雪駄(セッタ)は
 元は
 「丿貫」の意匠から出た・・・
ーーーーー
 セッタ=アイヌ語で「イヌ」・・・?・・・ア・イ・ヌ・・・
 「オヒョウ(於瓢)は
  ニレ科ニレ属の落葉高木
  日本列島から東北アジアの山地に分布・北海道に多い・・・
  別名
  アツシノキ(厚司の木)
  ヤジナ(矢科)
  ネバリジナ(粘科)
  アイヌ語では
  オヒョウの樹皮と繊維を
  アッ(at)
  オヒョウの木を
  アッニ(atni)
  と呼ぶ
  樺太方言ではそれぞれ
  アハ(ax)、
  アハニ(axni)という
  白浦地方では樹皮を
  オピウ(apiw)とも呼び
  「オヒョウ」の名称はこれに由来
 ↓↑
  「アハ」って?・・・「あわ・泡・沫・粟・粱」・・・阿波は渦(宇津・宇受・宇須)の鳴門海峡だろう・・・
ーーーーー
 アツシ、アトゥシ、アットゥシ織、アッシ織、厚司織・・・文様は海の波だろう・・・アトゥイはアイヌ語で海を意味・・・「アトゥイ」・・・ルルはアイヌ語で海や海水を意味・・・レプはアイヌ語で沖を意味・・・・コイはアイヌ語で波・・・アイヌ語のオンナ(onna)は「内部」・・・
 地別訳(チベット)・・・?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

虎の威をかる・・・トラメイシ・・・山梨の地名・・・

2017-12-29 00:00:03 | 古事記字源

・・・来年は「戊戌(ボジュツ)」の年で、「土(つち)の兄(え)の犬(いぬ)」の年・・・「イヌドシ・ケンネン」・・・「狗年=クネン・いぬどし」・・・「獒=土+方+攵+犬=おおいぬ・いぬ・ゴウ・マスチフ犬」の年?・・・「チベット犬=狗四尺、為獒=「蔵獒(藏獒・zang-ao=ザンアオ)=獒(ao・アオ)=大きな猛犬=チベタン・マスティフ(Tibetan Mastiff)・(チベット語=西蔵)でドーキー」・・・「獒=人の心の如く使うべき大型の猟犬」・・・番犬、闘犬・・・
 「体高66cm、体重64~82kg。主人への忠誠心が強く、外敵に対しては勇敢に戦う犬種である。そのため番犬、護衛犬、猟犬に優れている」
 「本種の外見上、特に首周りの毛の特徴から「獅子型」と「虎型」にタイプが分けられ、「獅子型」はさらに毛の長い「大獅子頭型」と短い「小獅子頭型」に分けられる。
 毛の色からは、主に黒色、赤毛、金黒、灰、白、黄から構成されており、
 尾の毛は長く巻いているため、
 中国ではその部位を
 キク(菊)の花に例えられている」・・・尻尾が長く巻いてキク・・・
 「チンギス・ハーン(ジンギスカン=成吉思汗・1162年5月31日~1227年8月25日)は3万匹のチベタン・マスティフ軍団を引き連れて西征」・・・
 1162生年 壬午(丙・ ・丁) 丁亥(戊・甲・壬)
 0005生月 乙巳(戊・庚・丙) 戊申(己・壬・庚)
 0031生日 乙亥(戊・甲・壬)G 壬午(丙・ ・丁)
壬午(丙・ ・丁)U 己丑
      申酉=空亡
 ↓↑
 「アフガン(Afghan Mastiff)は部族間で揉め事が起こったときに決着をつけるために闘犬として使われる」・・・
 「ジャパニーズ・マスティフ=土佐犬」・・・
ーーーーー
 斉明天皇の
 阿倍臣(阿倍比羅夫)が
 胆振鉏(いぶりさえ)・・・
 ↓↑     鉏=金+且=犂・鋤・耒・耜=すき
          身に添えて持つ小刀・さえ
    ・・・「鉏」は「斧・鉞・戉」の形状のモノ
    石器時代、縄文時代なら「石斧」・・・?
    弥生時代、古墳時代も「石器」の需要はあった?
    刃物類は金属になったが装飾品の玉の需要はあった・・・
    ・・・「ソゴ=齟齬・鉏=ソゴ」・・・
    物事がうまくかみ合わないこと
 ↓↑ 食い違うこと・ゆきちがい
 蝦夷(えみし)
   ・・・アイヌ?・・・「阿・委・奴」?
   「胆振鉏(いぶりさえ)」は
    阿倍(阿毎王朝)に委ねる奴?
   「夷振り=ヒナぶり」は
    アイヌの歌謡舞踏だろう・・・
    味 耜 高 彦 根 神・・・耜=鉏
    あじすきたかひこねのかみ
    阿遅志貴高 日子根 神・・・志し遅れる
    あぢしきたかひこねのかみ
    阿知詞記多寡比古音之漢?
    山口市阿知須(あじす)幾?
    漢直の祖、「阿知使主」・・・?
    応神二十年
    子の
    都加使主
    党類十七県の民を率いて来朝
    三十七年に縫工を求めて
    漢人系渡来人
    東漢氏の祖
    阿智使主=阿知王=阿知吉師
    機織りを伝えた
    東漢氏(やまとのあやのうじ)
    倭   漢  得字
    東=倭・・・大陸、半島からの東が倭
    東漢=トウカン・・・問う漢字?
 ↓↑ ↓↑
    応神三十七年
    縫工を求め
    子の
    都加使主とともに
    呉につかわされ
    工女の
    兄媛(えひめ)
    弟媛(おとひめ)
    呉織(くれはとり)
    穴織(あなはとり)
    四人を連れ
    応神四十一年帰朝
    畿内への途中
    筑紫の
    胸形大神に
    兄媛を献じ
    ほかの
    三人を
    オオササキのミコト
   (仁徳天皇)に献上
    履中天皇即位に際し
    住吉仲皇子の反乱で
    平群氏
    物部氏
    とともに
    履中天皇を
    河内から大和に逃がして守護
    これにより
    王仁とともに内蔵の出納を司った
   「阿知吉師(あちきし)=阿直岐」・・・古事記
   「坂上氏」の伝承で
    阿知使主は後漢の
    霊帝の曾孫
    後漢の滅亡に際して
    朝鮮の帯方に移住
    七姓の民とともに
    倭に渡来
    阿知使主は
    応神天皇に奏し
   「旧居帯方の人民男女はみな
    才芸があるが
    最近は百済と高句麗の間にあって
    去就に困っているため
    これを呼び寄せたい」
   と進言、使者を派遣し
 ↓↑織工の民を勧誘帰化させた
 ↓↑ ↓↑
 アイヌの
 「胆振鉏(いぶりさえ)」・・・胆=肉+日+一=きも
 ↓↑             振=扌+辰  =ふる
 ↓↑             鉏=金+且  =すき
 を饗応した故事・・・
 ↓↑ ↓↑
 犬(いぬ)=セタ・シェダ・セッタ・ヘダ
 里言葉で「犬の肉(にく・ジク)」のこと
 アイヌ語で
 犬=セタ・シェタ
ーー↓↑ーー↓↑ーー
 「戌(いぬ・ジュツ)=ト+戈=滅(ほろぶ・メツ)」
          戌=厂+-+乂(乄)+丶=犬=狗
          犬=一+人+丶(灯火・主人)
          狗=犭+句(勹口)
    草木が枯れる?
   「戌」が「滅」とは思えない・・・果実を刈り取る
                   収穫=シュウカク=収獲
   「戌」は実が「成」る、「成熟の秋・穐」・・・
    ↓↑
   「戌(ジュツ)」に 
    動物の犬が割り当てられた
    Dog(ドッグ)
    十二支の中で第11(十一・壱拾壱)番目
    戌月=旧暦九月(新暦十月)
    戌の刻=午後八時・7~9時の2時間
眞西から北へ30度の方角
    戌の方は西北西・北基準右廻り300°の方角
    数の百
    古本商の符牒語
    同商の仲間で
    十二支の中
    子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉
    を一より十までの数に配し
    戌=百
    亥=千
    の数に配して符牒とする・・・古本屋の用語?
「戌亥子丑寅(いぬいねうしとら)」の呪文
    イヌに追われたり囲まれたりしたとき
    この呪文を唱えつつ5本の指を折ると
    イヌが退散する・・・?
    ・・・次の「卯」が
      「支合の丁(火の弟・日の徒)」になる?
         「兎(うさぎ)」は犬よりも速い?
    「亥子丑寅卯(いねうしとらう)」の呪文なら
    ・・・次の「辰」は
         「冲、衝」で「戊(土の兄)」になる?
         「戌の牙(-)」が抜けて「戊(ボ)」
 類字=戉(まさかり・エツ)
    戊(つちのえ・ボ)
    戍(まもる・ジュ・シュ)
    成(なる・セイ)
 シリウス(Sirius)=大犬座で最も明るい恒星
           青星=天狼星・・・
           シリウスBとシリウスAの連星
         「支離有珠=シリウス=尻臼・後碓」?
          取石鹿文=熊襲=熊曾=球磨囎唹
          とり-いし-しか-あや(ふみ)
          シュセキロクブン
          イワを取ってフミを録す
          曰  問って文を訶(しか・詞化)訳素
          ↓↑ 訶=叱る・責める・大声で怒鳴る
          ↓↑   咎める・非難する
          ↓↑ 訶に摩がつくと
          ↓↑摩訶般若波羅蜜多心経⇔摩訶=偉大な?
          取石鹿文(トロシカヤ)?
          とらいししかあや
          虎威遺志史化文(彪)
          ↓↑
          熊襲=川上梟首(タケル)
          クマソタケル(熊襲建=川上梟帥)
          を殺したのは
          小碓命=倭男具那
 ・・・「熊襲の頭は渠師者(イサオ)
     二人存在、その下に小集団の頭たる梟師(タケル)
     渠師者(イサオ)の娘に贈り物をし手なずけ
     娘に、父に酒で酔わせ、弓の弦を切り、殺害
     ヤマトタケルは美濃国の弟彦(オトヒコ)も
     敵を酔わせて殺害」・・・
ーー↓↑ーー
 「アイヌ語辞典」から
  ↓↑
 セタ=アイヌ語で犬(いぬ)
    アイヌの飼育した犬の犬種をセタと呼ぶ
    北海道犬
    アイヌ犬
    マタギなどの集団でも犬の意味
    スペイン語のアルファベットの最後の文字Z
    英語のZに相当
    読みはzeta
    Z=乙(オツ・イツ)=乚=L
ーー↓↑ーー
 「seta」=動・植・哺乳類や無脊椎動物の
      剛毛(bristle)
      刺毛・とげ (状部[器官])
      サク柄(さくえ)
      印欧語根 sai=束ねる・縛ること
ーー↓↑ーー
 石狩国上川郡に
 (Seta-un-nay
  セタ・ウン・ナイ
  イヌ・いる・沢
 という地名
 「セタ」ハ犬ニアラズ
 「ウオーセカムイ=狼」ヲ云フ
 「狼ノ子ヲ生ミシ処」
 オオカミ=horkew(ホロケウ)
      onrupus-kamuy オンルプシカムイ
狩をする-神
 wose-kamuy=ウォセカムイ
wo(イヌ、オオカミの吠え聲(ごえ)
 wo-se(ウォーとほえる)kamuy(神)
 石狩国上川郡
 Seta-un-nay
 「セタ・ウン・ナイ」
  イヌ・いる・沢 
 北見国紋別郡に
 「オオセウシ=Woseusi
  ウォーとほえる所)という地名
 「狼多キ処」
 「狼出デ夥シク鹿ヲ食ヒシ処ナリシガ
  今ヤ鹿尽キテ狼モ亦ナシ」
 wose-kamuy
 と
 horkew
 とはちがう
 「wose-kamuy」は「オオカミ」ではなくて
 「ヤマイヌだ」
 と主張する老人たちが、白老や幌別には多い
 北海道には
 オオカミのほかにヤマイヌもいた
 野生化した犬をアイヌは
 「kimuy-set=山のイヌ=kim(山)un(にいる)seta(犬)」
 飼い犬と区別していた
 wose-kamuy
 kimuy-seta
 をもさした・・・
 poyop(ポヨプ)
 「ポヨプ(狼)」
 日高国静内郡
 「ポヨプ」という地名
 オオカミの意味
 「ホヨプ」ハ「凶害ヲナス」
 nupuripaunkur=ヌプリパウンクル
 nupuri(山)pa(かみて)un(にいる)kur(神)
 山のかみてに住む神
 オオカミの神としての名
 nupuripakorkamuy=ヌプリパコロカムイ
 nupuri(山)pa(かみて)kor(支配する)kamuy(神)
 オオカミの神としての名
 犬=セタ=狗=いぬ=戌
ーー↓↑ーー
 瀬田(せた)=勢多(せた)
 ・・・瀬=氵(水)+束+頁=荑=氵(水)+褚(束刀貝)
    荑=氵(水)+束+負(刀貝)
      河川の中で流れが速く水深が浅い場所
      はやせ・水が激しく流れる場所・急流
      せ・あさせ
      川の中で、立ち歩けるほどに浅い場所
    田=原義は狩場・猟場・漁場
      水田、田圃のタンボではなかった
 ↓↑
 地名・河川
 瀬田川=淀川の滋賀県内における呼称
 瀬田の唐橋=瀬田川にかかり
       大津市
       石山地区と瀬田地区を結ぶ橋
 瀬田駅
 滋賀県大津市・東海道本線(琵琶湖線)の駅
 瀬田駅
 熊本県菊池郡大津町
 ↓↑
 瀬田・玉川「瀬田」
 「瀬戸」がなまった
 「瀬戸」とは狭小な海峡という字義?
 「瀬田」は「狭田(さた)」という意味?
 ↓↑
 中津川市
 田瀬(たせ)=田んぼのある川の瀬ではない
        ここを流れる
        付知川は田瀬のすぐ上流で
        狭い谷を刻んでいる
        その谷平野の地名が
       「芝ヶ瀬(しばがせ)」
 ↓↑
 世田谷(せたがや)
 平安時代の文献にも見える名
 この近辺は往時
 勢田郷という村落
 勢田のうちの谷地であった
 江戸期
 世田ヶ谷村として成立
 明治二十二年(1889)
 周辺の7つの村と合併し
 世田ヶ谷村の大字となり
 昭和七年(1937)
 世田谷区成立の際に
 世田谷と「ヶ」が省かれた
 その際に
 羽根木町を
 昭和三十九年(1964)
 住居表示の際に
 梅丘、桜丘、豪徳寺などを
 分離・町域変更
 ↓↑
 九州・熊本に大津「おおづ」
 近くに「瀬田」がある
 大津の瀬田が由来
 殿様が元居た「大津」を懐かしがって付けた・・・
 芭蕉、木曾義仲、明智光秀、今井兼平
 などの墓・・・
 芭蕉は大津市の国分山からの眺望を絶賛
 庵を結んだ
 石山の奥
 岩間の国に山有り
 国分山といふ
 清陰翠微(せいいんすいび)の佳境
 いと、めでたき眺望になむはべれば
 元禄三卯月の始、暫く訪ね入りて、
 「先ずたのむ 椎の木もあり 夏木立」
 芭蕉の墓は義仲の墓の隣にある・・・
 ↓↑
 瀬田掃部(かもん)・・・化文・日分・掛問?
 桃山時代の武士・茶人
 名は正忠、伊繁
 小田原北条氏
 豊臣秀吉
 に仕え
 近江国
 瀬田を本貫地とした
 千利休に茶の湯を学び
 利休七哲の一人
 大ぶりの
 平高麗茶碗
 や
 掃部形
 と呼ばれる
 「茶杓」を愛用・・・柄杓・北斗七星(小熊座)
   形状⇔斧・戉・鍬・鋤(犂・耒・耜・鉏)・杵
      杵=木(十八)+午(ノ-十)=きね=姫音=記音
 瀬田正忠(せた まさただ)
 通称は清右衛門
 名は伊繁(これ しげ)
 利休七哲の一
 官位は「掃部(かもん)・掃除係」
 高山右近の推挙により豊臣秀吉に仕え
 天正十二年(1584年)
 「小牧・長久手の戦い」に従軍
 天文十七年(1548年)頃生まれ
 文禄四年(1595年)死没
ーー↓↑ーー
 犬(いぬ)
 ↓↑
 英 ドッグ  dog
 独 フント  Hund
 仏 シアン  chien
 仏 シャン  chien
 仏 シィアン chien
 伊 カーネ  cane
 西 ペロ   perro
 西 ペルロ  perro
 西 ペーロ  perro
 西 ペロォ  perro
 羅 カニス  canis
 希 キュオーン
 露 サバーカ     собака
 オランダ語 ホント  HOND
 ポーランド語 ピェス pies
 中 コウ 狗
 マレー語 アヌジン  anjing
 スワヒリ語 ムブワ  mbwa
 ヘブライ語 ケレヴ  
 デンマーク語 フンン hund (dは無声音)
 ノルウェー語 フン  fund
 ルーマニア語 クイネ câine
 ルーマニア語 クイニ câini (複数形)
 トルコ語 キョペキ  köpek
 クメール語 チュカェ 
 カタルーニャ語 ゴス gos
 チェコ語 ペス    pes
 エストニア語 コエル koer
 チュニジア語 カルブ
 ペルシア語 サグ
 ヒンディー語 クッター
 ヘブライ語 ケレヴ
 スウェーデン語 フンド hund
 モンゴル語 ホノィ   нохой
 ルーマニア語 クイネ  câine
 シンハラ語 バッラー
 ネパール語 ククル
ーーーーー
 ・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする