・・・「O・0・o・〇」・・・「O(オウ)は、ラテン文字(アルファベット)の15番目の文字。小文字は o 。ギリシャ文字の Ο(オミクロン)に由来し、キリル文字の О と同系の ... (origin)、直交群 (orthogonal group)、零行列、カリグラフ体などで代数体の整数環、大文字太字 O で八元数の全体を表す」・・・「零行列」、「八元数」等、調べてみたけれど「数学」としての「概念」はボクにとってはムチャクチャ理解困難である・・・だが、漢字としては「零(ゼロ)の行(イク)の列(ツラナリ)」、「八(ハチ)の元(モト)の数(カズ)」ならば理解できる・・・「是、路の行く道の列」、「捌、言葉の元の和(カズ・化通)=ワ・倭・話」・・・?・・・
「〇=まる・ゼロ・オウ」
↓
「羅語・独語・蘭語・日語」=発音は「オー」
「伊語・仏語・西語・越語」=「オ」
「英語」=「オウ」
↓
音素
「伊太利亜語・伊太利語」
強勢位置では語によって
「円唇後舌狭半母音」・・・?
または
「円唇後舌広半母音」・・・?
他の位置では
ほぼその「中間音」で発音
「英語」
強勢が置かれる場合、
「大母音推移」・・・廼、母音の推移
により
「短音は /ɒ/」、
「長音は /əʊ/」
強勢のない場合には
「曖昧母音化」
また、
「u」 の代わり
「非円唇中舌狭め広母音」
これは、
綴字上縦に書かれる
線(ミニム)の多かったものを、
その見づらさを解消するために
置き換えられたものである
「love<luve」、「come<cume」
↓
「O」意味
酸素の元素記号
座標の原点を表す記号。
円の中心を表す記号。
血液型の1つ。O 型。
文法で目的語 (object)。
数学で、
大文字で用いて
原点 (origin)、
直交群 (orthogonal group)、
零行列、
カリグラフ体などで
代数体の整数環、
大文字太字 O で
八元数の全体を表す。
計算複雑性理論や解析学で
ランダウの記号(O 記法)
化学で、
「オルト(ortho)位」を「 o-」で表す
「O抗原 - 大腸菌」の抗原のうち菌体抗原
アウトカウントの略表記 (Out)→アウト (野球)
衣類のサイズ記号
L サイズより大きく、LL サイズと同義
アイルランド系の英語姓の接頭語
オブライエン (O'Brien)
オニール (O'Neill)
元来は
「-の孫」
「-の子孫」という意味
「O'Brien」は
「ブライエンの子孫(孫)」の意。
電気抵抗の大きさの単位
「オーム」の記号は
長音の「O」に対応する
ギリシャ文字である
「Ω」としている
・・・「国」=「囗+玉」=「囗+王+ヽ(チュウ)」
・・・「國」=「囗+或」=「囗+?(カ)+一」
・・・「圀」=「囗+儿(ニン・ジン)+方」
=「囗+八(ハチ・ハツ)+方(|+万)」
=「囗+八(ハチ・ハツ)+方(亠+勹)」
・・・「四角形」に囲まれた「玉・或・八方」
・・・「Ω」は「円柱管」の取り付け金具のようににも見えるが、なんとなく「艶っぽい」・・・「ω(小文字のオメガ)」・・・
「神の名」は「存るモノとして在る」、「全存在(或るモノとして有る)」である・・・「存在(無名)」をコトバで「認識」されるべき「有(名)」である・・・
「存(ソン・ゾン)=亠+イ+一+了」
=あきら・あり・ある・さだ
まさ・なが
「存=ナ+|+子(一+了)」、
「十河 存英(そごう マサひで=ナガひで)
十河存保(天正四年=1586年)討死
の子
生年は不詳
豊臣秀吉から所領相続を認められずに改易
幼くして流浪
慶長二十年(1615年)五月
大坂の陣に豊臣方として参陣
摂津・・・・摂る
↓ 「氵(みず・サンズイ)」
の
「聿(ふで・はじめ・イツ・イチ)」
尼崎・・・「あまのさき・二キ」
↓ 「尸の匕(牝・ヒ・七)」
の
「山(やま・サン)」
の
↓ 「奇(あやしい・キ)」=大+可
で戦死した
改名・・・孫二郎(幼名)→存英
別名・・・通称は「惣次大夫」
兄弟・・・千松丸、存英、坂東保長
↓
・・・「或る・有る・存る・在る」・・・ナッ・・・知らないコトがワンサカである・・・
ーーーーー
「款(カン)」の漢字
まごころ・親しい交わり
法律文や規約などの条項
箇条書き
予算や決算の費目の区分の一
部・款・項・目・節の順
金石などに文字を
窪(凹・くぼ)めて刻むこと
また
その文字→款識(かんし)
「旧会計法」での予算の分類項目
「款」は最大の分類で、
「項」は款の細分類、
「目」は項の細分類、
「節」はさらに目の細分類
現行の財政法では、
「部・款・項・目・節」と細分類される
↓
「款」
まごころ
親しい交わり
法律文や規約などの条項
箇条書き
予算や決算の費目の区分の一
欠ける所のないさま(完)
喜びに満ちるさま(歓)
完や歓よりも具体性を抜き使う
交款(=交歓)
「完」の意味より
ひとまとめ、きまったもの
借款、定款、約款
予算決算や法律などでの区分の一つ
「文」が完結した事
↓
「款」
親しみ。よしみ
法律文などの箇条書き
条項
ひとつがき
法令または予算において
その内容を整理するときに用いられる
区分の名称の一
懇ろである
慇懃である
懇ろにもてなす
款の「英訳」
title
heading
article
benevolence
friendly feeling
ーーーーー
↓
「ヨハネ傳(新約聖書)
第3款・・・・・・・「款」・・・
第4章
イエスの
サマリア・・・・・・・「サ・マリア」
での出来事
ヤコブが息子ヨセフに与えた
サマリアの
シカルの町で・・・・「叱る・如かる・然る」
井戸の上に
腰掛けていたキリストと
そこに
水汲みに来たきた
婦人との会話・・・
それに
「モーゼ」と「チッポラ」の出逢い・・・
↓↑
「出エジプト記(旧約聖書)
第2章」
「モーゼは
パロの前を逃れて
ミデアン・・・・・・「視、出案」
の地に行き
井戸の傍らに座していた。
ミデアンの
祭司(リウエル)・・「理、植える」
には
七人の娘がいた。
その娘たちが、
モーゼが座している傍らの
井戸に
彼女たちが水を汲みに来て、
父(リウエル)の
子羊たちに飲ませようとしていた時
他の羊飼いが来て彼女らを追い払ったので
モーゼは立ち上がり、
娘たちを助け、
その羊たちに
水を飲ませる事を手伝った」
「モーゼは
リウエルの娘
チッポラを妻とした。
生まれた男の子供の
名前を
ゲルシュム(外国に留まるの寄留者の意)とした」
↓
「第3章」
「モーゼは
妻の
ミデヤンの祭司で、
父
(エテロ?⇔リウエル?)・・・異なった名前
の羊の群れを飼っていた。
群れを連れ
神の山
ホレブ」・・・・「補例部」
に来た時に
神の使者が燃える
柴の中に現れて、・・・「司馬・斯波」
更に神の声が
柴の中から聞こえ
「エジプトで苦しんでいる
イスラエルの人々を救え」と啓示・・・
モーゼ
「神の名をイスラエルの民に訊ねられたら
ナニと答えればいいのか」、と
神は
「私の名は、あって、有るもの」であると・・・
ーーーーー
↓
イエスと婦人、
モーゼとチッポラ・・・
・・・会話の内容は別にして・・・、
状況、情景、状態、事態、局面の
スチュェーション(situation)は
草原・井戸・水の所望
↓
イエスが井戸の傍らに座す
街からきた夫のいない婦人
水の所望
↓
「ニニギギ
(邇邇藝=瓊瓊杵)」と
「キノハナノサクヤヒメ
(木花之佐久夜比賣)」の出会いの場面である
↓↑
「木花之佐久夜比賣」
「木花開耶姫」
「木花咲耶姫」・・・木花「笑」耶姫
↓
記のハナシ作 由る秘め
このハナシ作究選る比べ有理
で、
又の名、・・・「or=オア」の「name=ナメ」
別名は
古事記=神阿多都比売(カムアタツヒメ)
↓↑ 噛み合った比目
日本書紀=鹿葦津姫===葦津姫(カヤツヒメ)
(ロクロシン記)(ロシン記)
が本名で
コノハナノサクヤビメ
は別名
・・・コノ話、笑(わらう)哉、秘女
・・・此の話、索(検索)也、比べ瓜(瓜二つ)
↓
アマテラスオオミカミの
(天照大神)
孫であるニニギノミコト
(瓊瓊杵尊=邇々藝命=邇邇芸命)の妻
オオヤマツミ
(大山積神=大山津見神=大山祇神)の娘で、
姉にイワナガヒメ
(石長比売=磐長姫)・・・ペテロの長の記
ニニギ(瓊瓊杵尊=邇邇芸命)の妻として、
ホデリ(海幸彦)
ホスセリ
ホオリ(山幸彦)
を生んだ
・・・磐余毘古命・・・神武天皇・・・岩(ペテロ)の余りの古いヘソ(毘)・・・へそ=navel(ネイブル)、bellybutton(ベリーボタン)・・・まさか、「ペリーのボタン」・・・カモ・・・
ーーーーー
↓↑
・・・会話の内容・・・
イエスの与える水は
「永遠の生命に
湧き出づる
水の源」で、
「飲めば永遠に(喉が)渇かないモノ」
である
「永遠の命」が
イエスが考えていた・・・?・・・生きている人々が
「人間が望んでいた目的」で、アルらしい・・・年取って体が不自由で苦しんでいるヒト(老人)には「永遠の命」は寧ろ、無用と思うのだが・・・「永遠の命」には若い健常な肉体が条件・・・?・・・イエスは天国に逝けるなら「障害者」でも、「地獄」に逝く「健常者」よりはイイだろう、と喩えで云っているのだが・・・比喩・・・
「然て眞(真)の
禮(礼)拝者が
霊と實(実)とを以て
父を禮拝すべき時、来たる」
「神は霊にて在せば之を禮拝する人は、
霊と實とを以て禮拝せざるべからず、と」・・・?
・・・「せざるべからず」・・・
「二重否定で、意味を強めて…しなければならない。…せよ」である・・・
・・・「することを要求(命令)」であるから
「霊(精神・理性と感情)と
實(実体・肉体)とを以て
禮拝すべし」
である。
「義務とすべし・命令である」
「神は霊」である・・・?
・・・「霊=0=零=ゼロ=全存在(有るモノとして或)」・・・
「人は
霊と
実(實)」である・・・
「永遠の命」とは
死なずに存在していく「生命」であるが、
「不老不死」・・・だが、場所は「天国」で、「此の世での命」ではない・・・
↓
・・・イエスの言う「永遠の命」とは「悔い改めた後の命」と言う「ココロ(観念規範)=命=霊」の比喩である・・・「天国」も「地獄」も「千年王国」も保障されてはいない・・・現実は今現在、生きている者の地上の国の「蘇りの保険」である・・・
「人間の存在の脳ミソ機能」は「対象認識された記憶と思考、判断」、「喜怒哀楽」である・・・
多分、
「霊=たましい=魂魄」は
「喜怒哀楽」を包んでいるモノ、あるいは
塊まりである・・・肉体の五感に直結している
「感情」の範疇である・・・
「苦無くば、楽なし」
「喜無くば、怒なし」
で、その逆でもある・・・
「天上の國」の範疇は、
「囗、○に囲まれた或」で
「極楽=喜楽」と「感じる」クニである・・・
「地上の国」の範疇は、
「囗、○に囲まれた王、王+ヽ(瑕)」で、
「戒律=掟=秩序=理性=理屈」の
「怒哀」と「感じる」クニである
「地獄の國」は
灼熱、炎、蝮、熱さと痛さを「感じる」
「凄惨」
の火山と火口、噴火、マグマのクニである・・・
いずれも、生きている人間のみが「感じる現実」である・・・
イエスも他の預言者も「人間社会(ユダヤ人社会)」の「秩序規範の堕落」を怒って、「理性・理屈」として説教しているのだ・・・「天國・地獄・煉獄」は「現実階級社会の比喩」である・・・「奇蹟」はオマケである・・・が、イエスに「奇蹟」がなければ唯のヒトであった・・・「神」が宇宙の実体ある「生命体」ならば、現代的には納得がいく「科学的合理性がアルもの」とはなる・・・人間は「神の技(業)」を「科学(コトバ)=文化、文明」として理解してきた・・・
キリスト生存の時代、要は「ユダヤ階級社会の公平」は「貧しきもの」が救われるべき「現実社会」の「理不尽秩序」からの「生きている者の解放」である・・・
「パウロ」は「イエスの思想」を「ローマ帝国階級社会」に広げた・・・ナゼなら「ユダヤ人一国」の存亡は「ローマ帝国階級社会=異邦人階級社会」の「枠にあった」から・・・