「目が黒いうちは」って?・・・
碧眼・緑眼・茶眼・灰色の眼や色が混ざった人もいるけれど
カミの色もイロイロ・・・
昔、「緑色の髪の少年」って、云う映画を観たけれど・・・
↓↑
・・・前回からのツヅキで・・・
第3代将軍 徳川 家光(いえみつ)
に行きたいけれど・・・

「海の色」にこだわって寄り道・・・
「阿毎=あま=海女」の髪の毛は「あまねいろ」?
「亜麻色(あまいろ)」
亜麻を紡(つむ)いだ糸の色のような
黄色がかった薄茶色
日本古来のものではなく
明治以降に使用されるようになった・・・
「贏音色(あまねいろ)のカミの少女」・・・?
・・・「亜麻色の髪の乙女」
フランスの作曲家
クロード・ドビュッシー
(1862~1918)
が
1910年に書き上げた
ピアノの為の作品曲・・・
・・・ルノワールの絵画
『イレーヌ嬢の肖像』・・・『イレーヌ=以例絵塗』?
・・・ ヴィレッジ・シンガーズ
1968.2.25 リリース
作詞
橋本淳
作曲
すぎやまこういち
↓↑

黒海
日本語
黒海(コッカイ)
英語
Black Sea
トルコ(土耳古)語
Karadeniz
ロシア(露西亜・魯西亜)語
Чёрное море
ウクライナ(烏克蘭・宇克蘭・Чорне море)語
偉大なる海・黒い海
黒海=南岸に
トルコ(土耳古)
時計回りに
ブルガリア(保加利亞)
ルーマニア(羅馬尼亜)
ウクライナ(烏克蘭・宇克蘭)
ロシア(露西亜・俄西亜)
ジョージア(喬治亜)
アブハジア(?阿武刃自亜?)
Аҧсны(Apsny)「魂の土地(国)」
転じて
「死の国(死すべき存在)」という意味も
ジョージア(グルジア)の一部
首都スフミ
アゼルバイジャン(阿塞拜疆)
ペルシャ語「火=Azar」と「土地」を意味
アフガニスタン(亜弗掩坦・阿富汗斯坦)
ヨーロッパとアジアの間にある内海
大西洋の
縁海(地中海)の一
マルマラ海を経て
エーゲ海、地中海に繋がる

ギリシア神話
黒海沿岸などギリシアより
北方の地に女性だけの部族
アマゾンがいて
黒海もかつて
アマゾン海と呼ばれた
トルコ沖には
アマゾン島・・・海女尊の島
紀元前700年頃~500年頃
古代ギリシア語で
Ἄξεινος Πόντος
Axeinos Pontos
ポントス・アクセイノス
薄暗い海
愛想が悪い海
ラテン語で
Pontus Euxinus
ポントス エウクセイノス
客人を歓待する海
客あしらいのよい海・・・あしらう=接待する・饗応する
ギリシャ人の勢力圏とすることで
前者が後者に変わった
東ローマ帝国では
Pontos(ポントス=海)と記述・・・本訳(譯)諏?
中世(500年頃~1500年頃)
イタリア語文献で
Mare Maggiore(Greater Sea・偉大なる海)
アラブの文献で
ローマの海・偉大なる海
トラブゾンの海・・・・虎(彪・禽・寅・図羅)
等が用いられている
オスマン帝国期(1500年頃~1700年頃)
トルコ語
Kara Deniz(黒い海)
の名称が文献に記録され始める
ロシア帝国期(1700年頃~1860年)
Чёрное море
Chernoe More=黒い海
が使用
1860年以降
英語の
Black Sea(黒海)
国際的に使用されるようになった

マルマラ海(トルコ語 Marmara Denizi)
トルコのアジア側
と
ヨーロッパ側の間の内海
北の黒海とはボスポラス海峡
南のエーゲ海(地中海)とは
ダーダネルス海峡
を通じて繋がっている
北岸の
ボスポラス海峡入り口部に
イスタンブール
東部の陸地に深く入り込んだ
イズミット湾の最奥部に
イズミット
イズミット湾の入り口に
オスマン・ガーズィー橋
マルマラ海に
プリンスィズ諸島
マルマラ諸島
の二つの島嶼群があり
マルマラ諸島は大理石の材料の産地で
大理石(ギリシア語でmarmaros)
が地名の由来
地中海=トルコ語「アク・デニズ(白い海)
紅海・・・火山島の噴火・赤潮・モウゼの海峡割れ?
黄海・・・黄河からの黄土流入
黒海・・・周辺が黒土地帯・黒潮
白海・・・エウロパ、イオ(イシス)=牝牛の毛色・・・経路?
・・・海の名前に色が付いている理由 …参照参考記事
https://maribu-aqua.com/umi-iro-namae
「紅海・黄海・黒海・白海の名前に色が付いている理由
神奈川・横浜の
海水水槽専門レンタル・メンテナンスの
マリブのウブカタ」さんのブログ記事
黒海(こっかい)
古代ペルシア人が
温暖で緩やかなペルシャ湾に比べて
北特有の
暗く荒々しいイメージをもったので
「暗い海」と呼ばれていた・・・
一時、ロシア側では
ロシアの海と呼ばれた・・・
15~16世紀
オスマン帝国がこの海を支配し
「暗い海」を訳した「黒海」と呼ぶようになった
紅海(こうかい)
さまざまな諸説があり・・・
・褐色の珪藻(けいそう)が多く
全体的に赤く見えるからという説
・赤潮の発生が多いからという説
・「紅い」という意味をもつ
ズマリート族
が住んでいたという説
・紅には南の意味があり
南海を表したなどという説
・古代エジプト時代
砂漠を
デシェレト
と呼んでいたことにルーツを求める説
古代エジプト語
ヘジェト (HDt)
デシェレト (dSrt)
セケムティ (sxm.ty)
上エジプト、下エジプト、上下エジプト
を象徴
赤冠(デシェレト)
頭頂から伸びる
巻き毛のようなものを
「ヘマチェト」
という
ウナス王のピラミッド・テキストに
「かれのため、宮廷が作られ
かのため
ヘマチェトが編まれる」
と記録
ファラオの装身具 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org › wiki › ファラオの装身具
アンク
生命・生命力を象徴
王がこれを(右)手に持った姿で描かれる
ティト
「イシス女神の血」
の別名
結んだリボン
生命力・母
なかでも有力なのは
「古代エジプト時代
砂漠を
デシェレト
と呼んでいたことにルーツを求める説」
黄海(こうかい)
中国と朝鮮半島に挟まれた黄海
黄土地域(こうどちいき)
を流れてくる黄河の水が
そのまま海に流れ込み
泥で水が黄色く濁って見えることから
黄海と名付けられた
白海(はっかい)
ロシア南方の白海も
白が北を暗示すると同時に
北国特有の
曇り空によって
海面が白く見えることから
・・・「黒人国家=古代エジプト」
クシュ王国
前10世紀の後半
ハム系黒人の
「クシュ」人が
「ナパタ(Napata)」
を中心に
スーダン付近にあった王国
クシュ王国
前8世紀
エジプト に進出し、1世紀近く支配
第25王朝(エチオピア王朝)
アッシリア
の侵入を受けて撤退・・・
ー↓↑ー
8/23
ー↓↑ー
第3代将軍 徳川 家光(いえみつ)
慶長九年七月十七日
(1604年8月12日)
~
慶安四年四月二十日
(1651年6月8日)(46歳没)
改名 竹千代(幼名)→「家光」
乳母
春日局=斎藤福
「春日局」=朝廷から賜った称号
諱 「家光」は
「金地院崇伝」が選定
諡号 大猷院・・・・・猶太?
戒名 大猷院殿・・・Judea
贈正一位
大相国公
中国漢代の廷臣の最高職
寛永十二年(1635年)
武家諸法度改訂
「参勤交代」義務規定
寛永十三年(1636年)
ポルトガル人 長崎の出島に隔離
キリシタン禁圧
寛永十四年(1637年)
「島原の乱」を鎮圧し
ポルトガルと断交
寛永十六年(1639年)
オランダ商館長
フランソワ・カロン
を通し
台湾経由でも
中国産の生糸を確保を確認
長崎奉行や九州地方の諸大名に対して
ポルトガル人追放を命令(第五次鎖国令)
寛永十八年(1641年)
オランダ商館を出島に移転
「鎖国」体制完
50万石以上の大名
徳川忠長・加藤忠広
を改易
寛永十八年(1641年)
竹千代(4代将軍・家綱)誕生
寛永十一年(1634年)
30万の軍を率いて
3度目の上洛
後水尾上皇による院政を認め
「紫衣事件」以来冷え込んでいた
朝幕関係を再建
第4代将軍 徳川 家綱 慶安四年~延宝八年
キリスト教の禁止
第5代将軍 徳川 綱吉 延宝八年~宝永六年
生類憐みの令
第6代将軍 徳川 家宣 宝永六年~正徳二年
生類憐みの令廃止
正徳の治
新井白石・・・イタリア人宣教師「シドッチ」を訊問
間部 詮房(まなべ あきふさ)・・・元、能舞芸人
相模厚木藩主
上野高崎藩主
越後村上藩
間部氏初代藩主
側用人、老中格
徳川家宣・家継の2代にわたり
将軍側近として幕政主導
第7代将軍 徳川 家継 正徳二年~享保元年
最年少で将軍に就任
引き続き
新井白石
間部 詮房(まなべ あきふさ)
第8代将軍 徳川 吉宗 享保元年~延享二年
享保の改革
貧病民救済の小石川養生所を設置
火事対策の町火消しの制
「目安箱の設置」
捨文などによる庶民の政治批判を抑止
将軍の元に直訴させたもの
第9代将軍 徳川 家重 延享二年~宝暦十年
田沼意次の起用
田沼 意次(たぬま おきつぐ)
江戸幕府老中
遠江相良藩の
初代藩主(相良藩田沼家初代)
を兼任して幕政を主導
「米騒動・蝦夷問題」
・・・2025年・米価高騰
米国「𠮟(叱)責」
𠮟=口+七・・・𠮟責・
「叱」の音は「カ・ケ」・・・口を開くさま
「𠮟」の音は「シツ・シチ」・叱(しか)る
しかる・責める・とがめる(咎める)
「𠮟正・𠮟責・廷𠮟 (テイシツ) ・叱咤(シッタク)」
新字の「叱」(口へんに匕)
旧字の「𠮟」(口へんに七)
「叱」も「𠮟」も出生届の名前には使用出来ない
七・乇・切・㲺・皂
「べらんめぇ」の
「蔦屋の時代」
・・・蔦=つた=蘿・樢
・・・葛(かつらぎ・蔓(かずら))
葛城皇子=中大兄皇子=天智天皇
大化の改新
(乙亥の変
皇極天皇四年(645年 6月12日 )
・・・皇=白の王、極=極める・木の函
亟=丂+叹+一
了+叹+一
丂+口+又+一
乛+亅+口+又+一
キ・キョク
しばしば
すみやか・はやく・急いで
アワただしい・・・阿波・安房・安和
粟・泡・沫
正しい・糺しい?
くりかえして。何度も
異体字 「䓧・焏」
白江村の海戦敗北
(天智二年八月二十七~二十八日
ユリウス暦663年10月4~5日)
第10代将軍 徳川 家治 宝暦十年~天明六年
田沼意次の継続起用
江戸幕府老中
重商主義政策の実施
第11代将軍 徳川 家斉 天明七年~天保八年
寛政の改革(松平定信)
第12代将軍 徳川 家慶 天保八年~嘉永六年
天保の改革(水野忠邦)
第13代将軍 徳川 家定 嘉永六年~安政五年
ペリー来航
第14代将軍 徳川 家茂 安政五年~慶応二年
文久の改革(島津久光)
第15代将軍 徳川 慶喜 慶応二年~慶応三年
大政奉還
・・・次回にツヅク・・・
ー↓↑ー
干支歴
命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
↓↑
メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8
↓↑
モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
ー↓↑ー
↓↑
「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
(表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
↓↑
ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2023/3
碧眼・緑眼・茶眼・灰色の眼や色が混ざった人もいるけれど
カミの色もイロイロ・・・
昔、「緑色の髪の少年」って、云う映画を観たけれど・・・
↓↑
・・・前回からのツヅキで・・・
第3代将軍 徳川 家光(いえみつ)
に行きたいけれど・・・

「海の色」にこだわって寄り道・・・
「阿毎=あま=海女」の髪の毛は「あまねいろ」?
「亜麻色(あまいろ)」
亜麻を紡(つむ)いだ糸の色のような
黄色がかった薄茶色
日本古来のものではなく
明治以降に使用されるようになった・・・
「贏音色(あまねいろ)のカミの少女」・・・?
・・・「亜麻色の髪の乙女」
フランスの作曲家
クロード・ドビュッシー
(1862~1918)
が
1910年に書き上げた
ピアノの為の作品曲・・・
・・・ルノワールの絵画
『イレーヌ嬢の肖像』・・・『イレーヌ=以例絵塗』?
・・・ ヴィレッジ・シンガーズ
1968.2.25 リリース
作詞
橋本淳
作曲
すぎやまこういち
↓↑

黒海
日本語
黒海(コッカイ)
英語
Black Sea
トルコ(土耳古)語
Karadeniz
ロシア(露西亜・魯西亜)語
Чёрное море
ウクライナ(烏克蘭・宇克蘭・Чорне море)語
偉大なる海・黒い海
黒海=南岸に
トルコ(土耳古)
時計回りに
ブルガリア(保加利亞)
ルーマニア(羅馬尼亜)
ウクライナ(烏克蘭・宇克蘭)
ロシア(露西亜・俄西亜)
ジョージア(喬治亜)
アブハジア(?阿武刃自亜?)
Аҧсны(Apsny)「魂の土地(国)」
転じて
「死の国(死すべき存在)」という意味も
ジョージア(グルジア)の一部
首都スフミ
アゼルバイジャン(阿塞拜疆)
ペルシャ語「火=Azar」と「土地」を意味
アフガニスタン(亜弗掩坦・阿富汗斯坦)
ヨーロッパとアジアの間にある内海
大西洋の
縁海(地中海)の一
マルマラ海を経て
エーゲ海、地中海に繋がる

ギリシア神話
黒海沿岸などギリシアより
北方の地に女性だけの部族
アマゾンがいて
黒海もかつて
アマゾン海と呼ばれた
トルコ沖には
アマゾン島・・・海女尊の島
紀元前700年頃~500年頃
古代ギリシア語で
Ἄξεινος Πόντος
Axeinos Pontos
ポントス・アクセイノス
薄暗い海
愛想が悪い海
ラテン語で
Pontus Euxinus
ポントス エウクセイノス
客人を歓待する海
客あしらいのよい海・・・あしらう=接待する・饗応する
ギリシャ人の勢力圏とすることで
前者が後者に変わった
東ローマ帝国では
Pontos(ポントス=海)と記述・・・本訳(譯)諏?
中世(500年頃~1500年頃)
イタリア語文献で
Mare Maggiore(Greater Sea・偉大なる海)
アラブの文献で
ローマの海・偉大なる海
トラブゾンの海・・・・虎(彪・禽・寅・図羅)
等が用いられている
オスマン帝国期(1500年頃~1700年頃)
トルコ語
Kara Deniz(黒い海)
の名称が文献に記録され始める
ロシア帝国期(1700年頃~1860年)
Чёрное море
Chernoe More=黒い海
が使用
1860年以降
英語の
Black Sea(黒海)
国際的に使用されるようになった

マルマラ海(トルコ語 Marmara Denizi)
トルコのアジア側
と
ヨーロッパ側の間の内海
北の黒海とはボスポラス海峡
南のエーゲ海(地中海)とは
ダーダネルス海峡
を通じて繋がっている
北岸の
ボスポラス海峡入り口部に
イスタンブール
東部の陸地に深く入り込んだ
イズミット湾の最奥部に
イズミット
イズミット湾の入り口に
オスマン・ガーズィー橋
マルマラ海に
プリンスィズ諸島
マルマラ諸島
の二つの島嶼群があり
マルマラ諸島は大理石の材料の産地で
大理石(ギリシア語でmarmaros)
が地名の由来
地中海=トルコ語「アク・デニズ(白い海)
紅海・・・火山島の噴火・赤潮・モウゼの海峡割れ?
黄海・・・黄河からの黄土流入
黒海・・・周辺が黒土地帯・黒潮
白海・・・エウロパ、イオ(イシス)=牝牛の毛色・・・経路?
・・・海の名前に色が付いている理由 …参照参考記事
https://maribu-aqua.com/umi-iro-namae
「紅海・黄海・黒海・白海の名前に色が付いている理由
神奈川・横浜の
海水水槽専門レンタル・メンテナンスの
マリブのウブカタ」さんのブログ記事
黒海(こっかい)
古代ペルシア人が
温暖で緩やかなペルシャ湾に比べて
北特有の
暗く荒々しいイメージをもったので
「暗い海」と呼ばれていた・・・
一時、ロシア側では
ロシアの海と呼ばれた・・・
15~16世紀
オスマン帝国がこの海を支配し
「暗い海」を訳した「黒海」と呼ぶようになった
紅海(こうかい)
さまざまな諸説があり・・・
・褐色の珪藻(けいそう)が多く
全体的に赤く見えるからという説
・赤潮の発生が多いからという説
・「紅い」という意味をもつ
ズマリート族
が住んでいたという説
・紅には南の意味があり
南海を表したなどという説
・古代エジプト時代
砂漠を
デシェレト
と呼んでいたことにルーツを求める説
古代エジプト語
ヘジェト (HDt)
デシェレト (dSrt)
セケムティ (sxm.ty)
上エジプト、下エジプト、上下エジプト
を象徴
赤冠(デシェレト)
頭頂から伸びる
巻き毛のようなものを
「ヘマチェト」
という
ウナス王のピラミッド・テキストに
「かれのため、宮廷が作られ
かのため
ヘマチェトが編まれる」
と記録
ファラオの装身具 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org › wiki › ファラオの装身具
アンク
生命・生命力を象徴
王がこれを(右)手に持った姿で描かれる
ティト
「イシス女神の血」
の別名
結んだリボン
生命力・母
なかでも有力なのは
「古代エジプト時代
砂漠を
デシェレト
と呼んでいたことにルーツを求める説」
黄海(こうかい)
中国と朝鮮半島に挟まれた黄海
黄土地域(こうどちいき)
を流れてくる黄河の水が
そのまま海に流れ込み
泥で水が黄色く濁って見えることから
黄海と名付けられた
白海(はっかい)
ロシア南方の白海も
白が北を暗示すると同時に
北国特有の
曇り空によって
海面が白く見えることから
・・・「黒人国家=古代エジプト」
クシュ王国
前10世紀の後半
ハム系黒人の
「クシュ」人が
「ナパタ(Napata)」
を中心に
スーダン付近にあった王国
クシュ王国
前8世紀
エジプト に進出し、1世紀近く支配
第25王朝(エチオピア王朝)
アッシリア
の侵入を受けて撤退・・・
ー↓↑ー
8/23
ー↓↑ー
第3代将軍 徳川 家光(いえみつ)
慶長九年七月十七日
(1604年8月12日)
~
慶安四年四月二十日
(1651年6月8日)(46歳没)
改名 竹千代(幼名)→「家光」
乳母
春日局=斎藤福
「春日局」=朝廷から賜った称号
諱 「家光」は
「金地院崇伝」が選定
諡号 大猷院・・・・・猶太?
戒名 大猷院殿・・・Judea
贈正一位
大相国公
中国漢代の廷臣の最高職
寛永十二年(1635年)
武家諸法度改訂
「参勤交代」義務規定
寛永十三年(1636年)
ポルトガル人 長崎の出島に隔離
キリシタン禁圧
寛永十四年(1637年)
「島原の乱」を鎮圧し
ポルトガルと断交
寛永十六年(1639年)
オランダ商館長
フランソワ・カロン
を通し
台湾経由でも
中国産の生糸を確保を確認
長崎奉行や九州地方の諸大名に対して
ポルトガル人追放を命令(第五次鎖国令)
寛永十八年(1641年)
オランダ商館を出島に移転
「鎖国」体制完
50万石以上の大名
徳川忠長・加藤忠広
を改易
寛永十八年(1641年)
竹千代(4代将軍・家綱)誕生
寛永十一年(1634年)
30万の軍を率いて
3度目の上洛
後水尾上皇による院政を認め
「紫衣事件」以来冷え込んでいた
朝幕関係を再建
第4代将軍 徳川 家綱 慶安四年~延宝八年
キリスト教の禁止
第5代将軍 徳川 綱吉 延宝八年~宝永六年
生類憐みの令
第6代将軍 徳川 家宣 宝永六年~正徳二年
生類憐みの令廃止
正徳の治
新井白石・・・イタリア人宣教師「シドッチ」を訊問
間部 詮房(まなべ あきふさ)・・・元、能舞芸人
相模厚木藩主
上野高崎藩主
越後村上藩
間部氏初代藩主
側用人、老中格
徳川家宣・家継の2代にわたり
将軍側近として幕政主導
第7代将軍 徳川 家継 正徳二年~享保元年
最年少で将軍に就任
引き続き
新井白石
間部 詮房(まなべ あきふさ)
第8代将軍 徳川 吉宗 享保元年~延享二年
享保の改革
貧病民救済の小石川養生所を設置
火事対策の町火消しの制
「目安箱の設置」
捨文などによる庶民の政治批判を抑止
将軍の元に直訴させたもの
第9代将軍 徳川 家重 延享二年~宝暦十年
田沼意次の起用
田沼 意次(たぬま おきつぐ)
江戸幕府老中
遠江相良藩の
初代藩主(相良藩田沼家初代)
を兼任して幕政を主導
「米騒動・蝦夷問題」
・・・2025年・米価高騰
米国「𠮟(叱)責」
𠮟=口+七・・・𠮟責・
「叱」の音は「カ・ケ」・・・口を開くさま
「𠮟」の音は「シツ・シチ」・叱(しか)る
しかる・責める・とがめる(咎める)
「𠮟正・𠮟責・廷𠮟 (テイシツ) ・叱咤(シッタク)」
新字の「叱」(口へんに匕)
旧字の「𠮟」(口へんに七)
「叱」も「𠮟」も出生届の名前には使用出来ない
七・乇・切・㲺・皂
「べらんめぇ」の
「蔦屋の時代」
・・・蔦=つた=蘿・樢
・・・葛(かつらぎ・蔓(かずら))
葛城皇子=中大兄皇子=天智天皇
大化の改新
(乙亥の変
皇極天皇四年(645年 6月12日 )
・・・皇=白の王、極=極める・木の函
亟=丂+叹+一
了+叹+一
丂+口+又+一
乛+亅+口+又+一
キ・キョク
しばしば
すみやか・はやく・急いで
アワただしい・・・阿波・安房・安和
粟・泡・沫
正しい・糺しい?
くりかえして。何度も
異体字 「䓧・焏」
白江村の海戦敗北
(天智二年八月二十七~二十八日
ユリウス暦663年10月4~5日)
第10代将軍 徳川 家治 宝暦十年~天明六年
田沼意次の継続起用
江戸幕府老中
重商主義政策の実施
第11代将軍 徳川 家斉 天明七年~天保八年
寛政の改革(松平定信)
第12代将軍 徳川 家慶 天保八年~嘉永六年
天保の改革(水野忠邦)
第13代将軍 徳川 家定 嘉永六年~安政五年
ペリー来航
第14代将軍 徳川 家茂 安政五年~慶応二年
文久の改革(島津久光)
第15代将軍 徳川 慶喜 慶応二年~慶応三年
大政奉還
・・・次回にツヅク・・・
ー↓↑ー
干支歴
命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
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メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8
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モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
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「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
(表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
↓↑
ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2023/3