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コジキジゲン

七夕=八月弐拾九日・(旧暦7月7日・房宿)

2025-09-01 08:27:00 | 古事記字源
 ・・・ハヤブサ・・・ホルスの眼・・・
 ↓↑
 レレレレッツ・・・零時を既に回って「2日」に突入・・・
 記事を「1の数字」に合わせようと記念日にと思っていたが・・・
 残念・・・
 ↓↑
 七夕=八月弐拾九日・(旧暦7月7日・房宿)

 8月29日
 旧7月7日(房宿)
 甘露
 庚午日
 先勝
年柱 乙┏巳(戊・庚・丙)正財・偏官長生
支合
月柱 甲┗申(戊・壬・庚)偏財・比肩建禄
日柱 庚 午(丙・己・丁)  ・正官沐浴
時柱 丁 丑(癸・辛・己)正官・印綬 墓
    戌亥空亡

 織姫星(おりひめぼし、こと座の1等星ベガ)
     栞=しおり=詩織・詞織・・・事=こと=言 
 と
 彦星(ひこぼし・わし(鷲)座の1等星アルタイル)
 比古(肥後)  倭史・話詞     倦留他意留  

 本日
 2025年9月1日8時月曜日
 旧7月10日(箕宿)
 癸酉日
 仏滅
 節入日(9月)2025年9月7日18時13分
 まだ「節入日」まで季節は「8月」・・・

2025年 干支42 乙巳(戊・庚・丙)年
       支合
9   月 干支21 甲申(己・壬・庚)月
1   日 干支10 癸酉(庚・ ・辛)日
         戌亥空亡
1   時 干支50 癸丑(癸・辛・己)時

 ホルス (Horus 、 エジプト語 ラテン文字転写: Hr, Hru
     古代ギリシア語: Ώρος, Hōros 、ホーロス)
     隼(はやぶさ・鶻)・・・「隼人=はやと」・・・ダレ?
     隼人 (はやと)
     古代 日本
     阿多・ 大隅 (鹿児島県 本土部分?)
     に居住したとされる人々
     日本神話
     海幸彦
     が
     隼人
     の
     「阿多」君
     の始祖であり
     火照命
     の末裔・・・?
     「はや び と・はいと」
     とも呼ばれる・・・
    「火照命(ほでりのみこと)」
    『古事記』で
    「瓊瓊杵尊」
     と
    「木花開耶姫」
     の第一子・・・
    大和の王権に反抗
    ヤマト王権の支配下に組み込まれ
    兵部省の被官
   「隼人司」
    に属し百官名のひとつ
 ↓↑
  ・・・次回に書き込む予定・・・
 ↓↑

 ハルポクラテース
 ギリシア神話の沈黙の神
 古代エジプトのホルス神のギリシア化
 古代エジプトのホルス=生まれたての太陽・朝日・旭日・旭
 アレクサンドロス3世によって
 エジプトが征服された後の
 ヘレニズム期に、
 エジプト語の Har-pa-khered
 ↓↑
 プルタルコスによれば
 ハルポクラテースは
 イシスの2番目の息子
 生まれつき
 脚が不自由だった
 子供の
 ホルスは子供やその母親の特別な守護神となった
 毒蛇
 にかまれた際に
 ラーに直してもらったことから
 受難の後の希望を表す神

 エジプト語の
 「顔」を意味する語
 「ホル」や
 「上にあるもの」
 を意味する語
 「ホル」
 が由来だとする説
 「ホルス」
 の名は
 リビア
 から来て
 上・下
 両エジプトの
 大半を征服した民族の
 地域神となっていた
 隼神
 の名前で
 他の多くの
 隼神を吸収するほど有力な神
 ↓↑
 彥=文+厂+彡
   亠+乂+厂+彡
   亠+丿+厂+彡
   比古(ひこ)・毘古(びこ)
          毘(へそ・ビ)=田+比
     ・・・𦜝=臍=へそ=綣
 ↓↑
 ことわざ
 偐=イ+彥=ガン・ゲン・にせ・にせもの=贋・僞・偽者
   亻+彥
   亻+文+厂+彡
   亻+亠+乂+厂+彡
   イ+彦
   亻+亠+丷+厂+彡
   亻+立+丿+彡
 嵃=ゲン
   山のけわしいさま
   殿台の高いさま
   やまびこ=山+彦・反響
 喭=ガン・ゲン・とむらう・悔やみをいう
   粗い・猛々しい
 遃=辶+彥
   ガン・ゲン
   行く・歩く・歩き回る
   遊ぶ・楽しむ
 楌=木+彥
   ガン・ゲン
   木の名
 諺=ゲン・ことわざ
   から言い伝えられた教訓
   とむらう=弔う・喭
 顏=ガン・かお
   かんばせ
   つら・ひたい・おでこ
   かおつき・かおいろ
   いろどり・色合い・彩色
 㘖=「㘖㘖(ガンガン)=争うさま」
 齴=齒+彥
   齒+彦
   止+凵+从+一+文+厂+彡
   止+凵+从+一+产+彡
   止+凵+人+一+亠+乂+厂+彡
   止+凵+人+一+亠+丷+厂+彡
   止+凵+人+一+亠+丿+厂+彡
   齞
   ゲン
   口を開いて歯をみせる
   歯がむき出しになっているさま
 𨩱=金+彦=鏟
  =サン・セン
   削る・削って平らにする
   木や石を平らに削る道具
   かんな(鉋)・土を削り取る道具
   =シャベル・スコップ
    喋る    素乞附(譜・暜)
    名字
    𨩱津=ならつ
 ↓↑
 牡牛
 bull・ox
 nowt
 ラテン語
 t aurus(タウルス)
 ↓↑
 久=ノ+人
   𠂉+人
ー↓↑ー
干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
 ↓↑
 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

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 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
ー↓↑ー
 ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
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 ボクの「古事記字源」の発端・・・
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䆶𥤥=穴の中にいる鼠(移鼠)の鳴き声・救助⇄大国主?

2025-08-28 15:34:36 | 古事記字源
 䆶𥤥=穴の中にいる鼠(移鼠)の鳴き声・大穴主の救助⇄大国主?
 ↓↑

 鼠(ねずみ・移鼠)の鳴き声
 ・・・隠れキリシタンの誦唱(侚=イ+旬・徇=彳+旬)
 「チュウ、チュウ、ちゅう」・・・注意・注目・注視
      冲支(子⇄午)・・・詞(音)⇄語(葉)
         ね⇄うま・バ(場=十+一+昜)
                昜=日+ー+勿
             ・・・易=日+勿
鼠⇄馬=马=馬(バ・うま)
   =𠃌+ㄣ+ー
 ◯・△・囗・▭・⏢・⏥

 ◯=十二支=子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥

 十=対冲(対衝・突)=子⇄午
            亥⇄巳
            戌⇄辰
            酉⇄卯
            申⇄寅
            未⇄丑

 △=三合会局=申+子+辰
        亥+卯+未
        寅+午+戌
        巳+酉+丑

 囗=方合会局=亥+子+丑
        寅+卯+辰
        巳+午+未
        申+酉+戌
 ▭=長方
 ⏢=台形=支合=子+丑
         +  +
         亥+寅
         +  +
         戌+卯
         +  +
         酉+辰
         +  +
         申+巳
         +  +
         未+午

 ⏥=菱形=支害=卯⇄辰
         寅⇄巳
         丑⇄午
         子⇄未
         亥⇄申
         戌⇄酉

         ↓↑
        北方七宿
        丑 子 亥
       斗 牛 女 虚 危 室 壁
       神
     箕           奎
東    尾           婁
方 寅  心      ⇅      胃 戌 方
七 卯  房   ⇄ 十 ⇄    昴 酉 七
宿 辰  氐      ⇅      畢 申 宿
    亢           觜
    角           参
       軫 翼 張 星 柳 鬼 井
        巳 午 未
        南方七宿
 ↓↑
 前回からのツヅキ・・・
ー↓↑ー
 ハザール王国の
 テュルク(トルコ・土耳古)系民族
 「突厥(トッケツ・トルコ・土耳古・Turkey)」民族・・・
  突厥
    突=穴(あな・ケツ)かんむり=穴冠(ケッカン)
     「空・究」などの 「穴」 の称
        宄(キ・よこしま・みだれ・わるもの・盗人)
    突=宀+儿+一+人
     穴+大(一+人)
     宀+ハ+一+人
     '+㓁+一+人
   网・罒・㓁(あみがしら・あみめ)・・・網・罔
     '+冖+儿+一+人
     摘(つま)みはワのヒト?

     𥤥=シツ・シチ
       「䆶𥤥」=穴の中にいる鼠(ねずみ)の鳴き声
        䆶=シュウ・シュ・シツ・シチ
          穴(あな)の小鳥を炎で焼く?
          洞窟に生息する
          黒い蝙蝠(こうもり)=翼を有するネズミ?
          黒いトリはカラス(鴉・烏)?
          宀+ハ+焦(あせる・こげる)
          宀+ハ+隹(ことり・スイ)+灬(火)
     𥤥=穴+七
       宀+八+七(ヒ・匕・匕・七・𠤎(牝・雌))
   穴='+㓁
    厥=厂+欮・・・蕨生(わらび)
     厂+屰+欠
     厂+䒑+屮+丿+乛+人
     厂+丷+一+凵+丨+丿+乛+人
     クツ
     ケツ
     その・それ
     ほる・石を掘る
     まげる・くぼむ・ぬかずく・丁寧にお辞儀する
     のぼせる・嘔吐する・そのような病気
     トルコ系の遊牧国家の
     突厥(トックツ・トッケツ)
     憠(ケツ・強い・力強い)
     劂(ケツ・彫刻用の小刀・彫る・彫り刻む)
     蕨(和良比・わらび)
     蟩(ケツ・カチ・ぼうふら・蚊の幼虫=蟨)
 突厥は
 匈奴に属していた・・・凶を包もつ奴(女+又)ら?
 「西(セイ・サイ)-丁零(テイレイ・丁令・丁霊)」
 に遡(さかのぼ)る
 原住地は
 イェニセイ川上流域・・・異得僞意-選条?
 鉄鉱石が豊富で
 突厥=「鍛奴(鍛鉄奴隷)」・・・タンド奴隷・譚恕度例?
 と呼ばれ製鉄技術に優れていた・・・鍛冶屋
 ↓↑

 柔然・・・柔らかく・柔軟
      然=月(肉)+犬+灬
        月(肉)+犬+灬
        月(肉)+大+丶+灬
      灬(火・炎・焱・燚・燃)・・・⺗=心=忄
 に属し
 独立して
 伊利可汗(いりぐ かがん) は
 突厥可汗国 を樹立
 ↓↑
 アルメニア方面
   ・・・有る女(音名)似蛙(ア・かえる)?
 からやって来た(史書)の記述
 中央アジアを通って
 カスピ海の
 南岸~北上してきた・・・
 965年
 キエフ・ルーシ(ウクライナ・Ukraine・烏克蘭・宇克蘭)
 に滅ぼされた
 「ウクライナ=スラヴ語=切る・分割・分別」を意味
 する
 「クライ」に由来・・・ウ クラ        イナ
           浮 句  麗(ライ)   那?
           烏 倉(蔵・庫・嵓) 意名?
        ↓↑ ↓↑
           からす=カラス(美しい・綺麗)
        ↓↑ ↓↑
       マリア・カラス=Maria Callas
        ギリシア語 Μαρία Κάλλας
        1923年 12月2日・・・?
        ~
        1977年 9月16日
      大運11976年3月(52歳)⇔己巳・比肩
年柱 癸亥(戊甲壬)偏財・正財  胎⇔丁巳・偏印
月柱 癸亥(戊甲壬)偏財・正財  胎⇔丁巳・比肩
日柱 己酉(庚  辛)  ・食神長生⇔丙子・印綬
時柱 乙丑(癸辛己)偏官・比肩  墓⇔己丑・比肩
  寅卯空亡
       ↓↑
   美声の表現者ならば日にちが一日ヅれる?
        1923年 12月3日?
        ~
        1977年 9月16日
     大運1975年11月(51歳)⇔己巳・印綬
年柱 癸亥(戊甲壬)傷官・食神 病⇔丁巳・正官・冲
月柱 癸亥(戊甲壬)傷官・食神 病⇔丁巳・正官・冲
日柱 庚戌(辛丁戊)  ・偏印 衰⇔丙子・偏官
時柱 丁丑(癸辛己)正官・印綬 墓⇔己丑・印綬
  寅卯空亡・・・魁罡日・従児格?
       ↓↑
    ギリシャ系米国人・ソプラノ歌手
    ニューヨーク生まれ
    パリで死没
 現代ウクライナ語で
 「分かつ=ウクラーヤティ」
 ↓↑
 ウクライナ=スラヴ語「国境地帯・縁地」を意味
 ↓↑
 アイヌ語
 別(べつ)=河川
 内(ない)=小さい川
 ↓↑
 ハザール王国滅亡後
 王国にいたユダヤ教徒たちが
 キエフ・ルーシ
 や
 モンゴルに追われ
 東ヨーロッパへと移動し
 アシュケナジム系
 ユダヤ人になった・・・説
ーーーーー
 セム族(英: Semites)・・・施(是)ム?
 セム系の言語を継承してきた民族
 中東、西アジア
 北アフリカ、アラビア半島
 に分布する古代・現代の
 さまざまなセム語の民族
 アッカド人、古代アッシリア人、バビロニア人
 エブラ人、ウガリット人、カナン人
 フェニキア人(カルタゴ人含)
 ヘブライ人、ユダヤ人、サマリア人、アラム人
 カルデア人、アムル人、モアブ人、エドム人
 ヒクソス、ナバタイ人、サバ人、マルタ人
 マンダ教徒、サービア教徒、シリア人、アマレク人
 アラブ人、アッシリア人、パルミラ人、ケダル人
 などを含む
 ↓↑
 セム
 アウグスト・ルートヴィヒ・フォン・シュレーツァー
 が
 ヨーハン・ゴットフリート・アイヒホルン
 (Repertorium・1781年)
 において
 ヘブライ語に関連する語群を指す用語として提起
 アイヒホルンを通じて
 この名称は一般的に使用
 以来
 セム語の話者の集団のみならず
 明らかに
 セム人にルーツがあるとみられる人々
 歴史の中で完全に
 セム化したと考えられる民族集団
 ↓↑
 形容詞 Semitic (セム語の-、セム人の-)
 聖書における
 ノアの3人の息子の1人
 シェム
 ギリシア的派生語の
 セーム
 から来ており
 人名詞が
  Semite(セム人)
 ↓↑
 セム語族
 比較言語学
 語族名に転用
 セム語族(英: Semitic Language Family)
 という用語が生まれ
 その上位には
 セム・ハム語族 (Semito-Hamitic)
 ハム・セム語族 (Hamito-Semitic)
 後に
 アフロ・アジア語族 (Afro-Asiatic) が立てられ
 セム諸語(英: Semitic Languages)
 はその下位グループとされた
 Semitic=セム語派=セム語族
 ↓↑
 言語学と民族学
 「セム」語と翻訳される聖書の
 「シェム=ヘブライ語・アラビア語」に由来
 中東に起源がある言語グループ
 アッカド語(アッシリア語とバビロニア語)
 アムハラ語、アムル語
 アラビア語
 アラム語=シリア語
 カナン語群=フェニキア語
 カルデア現代アラム語
 エブラ語
 エドム語
 ゲエズ語
 ヘブライ語
 マルタ語
 マンダ語
 モアブ語
 ティグレ語
 と
 ティグリニャ語
 ウガリット語
 など
 ↓↑
 反セム主義
 反セム主義 (anti-Semitism, antisemitism)
 反ユダヤ主義に限って使用
 反アラブ主義がそう呼ばれることはないが
 「アラブ人の反セム主義」
 セム族同士の関係に対し使われることもある
 ↓↑
 19世紀
 エルネスト・ルナン
 や
 ヴィルヘルム・マルなど
 によって
 セム族
 と
 アーリア族
 が対比され
 反ユダヤ主義を
 「反セム主義」
 とする
ー↓↑ー
 干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
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 ボクの「古事記字源」の発端・・・
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モンゴル帝国の解体後・・・凄いねッ「朝青龍」・・・

2025-08-27 07:33:07 | 古事記字源
 フランドル小国の王
 クローヴィス1世(465年~511年、在位481年~511年)
 領土を拡大し
 全フランクを統一し
 481年
 メロヴィング朝を開いた
 ・・・「メロン(🍈・甜瓜・真桑瓜・芽倫・芽崙)」の国?
 ↓↑
 モンゴル帝国の解体後・・・凄いねッ「朝青龍」・・・

 ・・・水曜日は「ゴミの日」と
 農協の「安売り日」で「食料品調達日」・・・
 でっかい「キュウリ(胡瓜)」は安かった「3本・120円」・・・
 米の高価格はお変わりなし・・・
 先々週は小樽の従姉から
 大きな
 「メロン(🍈・甜瓜・真桑瓜・芽倫・芽崙)」
 が贈られてきた
 オフクロの祭壇から冷蔵庫に移して忘れていたが
 食べてみた・・・「凄く美味しい」
 漢字の通り「甜い瓜」である・・・甜=舌+瓜
 胡瓜(きゅうり)・・・
 胡=古+月
   十+口+月
   ウ・コ・ゴ
   いずくんぞ
   ながいき
   みだり
   えびす
   古代中国の北方や西方に住む異民族
   でたらめ・いいかげん
   なんぞ・なに・疑問を表す
   あごに垂れ下がった肉・転じてあごひげ
   長寿・長生き
 「胡」には「キュ」の表示が無いけれど
 「クゥ・クュ」の日本語訛りか・・・
 「カ・キ・ク・ケ・コ」+「ぅ・ゅ」
 なんで「胡桃(くるみ)」なんだか?
 日本地名に
 胡町(えびす-ちょう)
 朝日町胡桃島(あさひちょう-くるみ-しま)
 大胡田(おお-ごだ)
 大胡町(おお-ごまち)
 加胡(か-ご)
 胡桃(く-るみ)
 などがあるから
 「胡人」の渡来人、帰化人が住んだ場所・・・
 ・・・「倭人=日本人」って、「胡散臭い」・・・人種?
 胡人
 中国
 北方、西方の異民族
 えびす「胡人・胡地・胡馬=五胡」
 外国産の
 「胡椒・胡麻」
 「蝴(コ)=胡蝶」は 昆虫 の名・チョウ
 胡〈ウ〉=いいかげんな
 「胡散(ウサン)・ 胡乱(ウロン)」
 漢 代には「匈奴(キョウド)
 五胡
 中国の3~4世紀
 北方や西方から中国に移住した
  匈奴・鮮卑・羯・氐・羌
 の総称
 で
 三国時代を終わらせた
 西晋が
 匈奴と羯の連合軍によって
 滅亡された後
 5つの
 非漢民族=少数民族
 五胡十六国時代
 漢(前趙)が建国された
 304年
 ~
 鮮卑拓跋部の
 北魏が北涼を滅ぼし
 河北を統一した436年までの期間・・・
 Wikipedia
 五胡十六国時代
 304年
 漢(前趙)の興起
 ~
 439年
 北魏 の華北 統一まで
ー↓↑ー
 胡坐・胡座(あぐら)
 胡坐鼻・胡座鼻(あぐらばな)
 胡散(ウサン)
 胡散臭い(ウサンくさい)
 胡乱(ウロン)
 荏胡麻(えごま)
 海髪海苔・於胡海苔・海髪(おごのり)
 胡瓜(きゅうり・きうり)
 鼓弓・胡弓(コキュウ)
 肝胆胡越(カンタンコエツ)
 胡漢陵轢(コカンリョウレキ)
 胡説乱道(コセツランドウ)
 胡孫入袋(コソンニュウタイ)
 胡蝶之夢(コチョウノユメ)
 胡馬北風(コバホクフウ)
 胡座をかく(アグラヲカク)
 胡坐をかく(アグラヲカク)
 胡乱の沙汰(ウロンノサタ)
 越鳥南枝に巣くい、胡馬北風に嘶(いななく)く
 (エッチョウナンシ)(コバホクフウ)
 胡椒の丸呑み
 胡蝶(コチョウ)の夢
 胡麻を擂(す)る
 西胡
 戦国時代
 内モンゴルの塞外民族(北狄)
 秦漢朝
 匈奴
 唐代
 「胡=西胡=ペルシャ系民族(ソグド人)」
 を指すようになった
 「トルキスタン」から
 唐に運んだ文物、風俗は
 「胡風趣味」として愛好され
 胡服、胡笛、胡舞
 などが中国に根付いていった
 ↓↑
 東胡
 春秋時代~漢代
 内モンゴル東部の
 遊牧狩猟民族で
 胡(匈奴)の東方に住んだことからの呼称
 モンゴル(テュルク・土耳古)
 と
 ツングース
 の雑種で
 秦代
 一時は匈奴を圧倒したが
 冒頓単于により壊滅
 烏桓・鮮卑
 はその後裔・・・
 ↓↑
 朝鮮語の「胡」の意味付け
 「中国で夷狄を呼んだ蔑視言葉」
 「女真族=中國東北蠻人」
 「豆満江北部=女真族」
 李氏朝鮮では
 「清=胡」
 「淸 (清)=胡國 (胡国)」
 と呼称
 衛正斥邪
 夷狄即胡虜 視
 清=胡
 中華文明は清朝によって「夷狄化」
 「胡虜・犬羊」
 とけなし
 中華の正統を継ぐのは朝鮮だけ・・・との
 小中華思想・・・
 ↓↑
 「奈良・西大寺造営に
  中国史上
  唯一の女帝、
  則天武后
  の影響」
  奈文研・今井氏が講話
  (産経新聞 記事)
 鎌倉時代に
 西大寺(奈良市)を中興した
 興正菩薩叡尊
 (コウショウ-ボサツ-エイソン)
 上人
 をしのぶ
 「興正菩薩忌のつどい」
 が命日に当たる25日
 同寺であった
 奈良文化財研究所の
 今井晃樹
 都城発掘調査部副部長が講話を行い
 奈良時代の
 西大寺造営に
 中国・唐文化の影響が
 色濃くみられることに
 ついて詳しく語った

 西大寺周辺の
 発掘調査によって
 奈良時代の遺構の出土が相次ぎ
 薬師
 弥勒
 の2つの金堂が並ぶなど
 壮大だった
 西大寺の様相が
 浮かび上がりつつあり
 書籍
 「称徳天皇とよみがえる古代寺院
  発掘された西大寺と西隆寺」
 (今井氏編、同成社)
 も出版された

 今井氏は講話で、
 西大寺を創建した
 称徳天皇は
 父の
 聖武天皇と同様に
 仏教をあつく尊び、
 西大寺が
 特に
 唐の影響を受けたとみられることを強調
 跡が残る東塔が
 当初は唐の寺院の影響から
 八角形で計画されたと
 推測されることなど
 解説した

 その上で今井氏は、
 唐の皇帝の
 皇后で
 中国史上唯一の
 女帝となる
 則天武后が
 弥勒信仰を
 治世に利用した影響から、
 「(同じ女帝)の
  称徳天皇は
  (衆生を救済する)
  弥勒下生(ゲショウ)信仰により
  弥勒金堂を建てたのだろう」
  と指摘した・・・

 称徳天皇
 西大寺を造営する際
 国外からの知識や技術を採用
 西大寺の国際性をあらわした出土品
 イスラム陶器

 8世紀後半以前
 イラク南部で制作されたもの
 海外貿易港
 中国
 揚州などから
 平城京に運ばれた

 天平神護三年(767)頃
 巨大な井戸から
 多種多様な品々が出土
 製塩土器(セイエンドキ)
 様々な食品の名前が記録された木簡
 製塩土器
 海水を煮詰めてできた粗塩(あらじお)
 を運ぶための容器
 各地から運ばれた塩を
 漬菜などの食品加工に使用

 金堂院
 から出土したのは
 隅木蓋瓦
ー↓↑ー
 ・・・前回からのツヅキ
 ↓↑
 モンゴル帝国の
 解体後に生まれた
 主な
 テュルク=モンゴル系国家
 ↓↑
 チャガタイ・ウルス系
 モグーリスタン・ハン国
 西チャガタイ・ハン国
 ティムール朝
 ムガル帝国
 ジョチ・ウルス系
 スーフィー朝
 ブハラ・ハン国
 シャイバーニー朝
 ジャーン朝(アストラハン朝)
 マンギト朝
 ヒヴァ・ハン国
 ウルゲンチのシャイバーニー朝
 イナク朝
 コーカンド・ハン国
 シビル・ハン国
 カザン・ハン国
 カザフ・ハン国
 アストラハン・ハン国
 ノガイ・オルダ
 クリミア・ハン国
 フレグ・ウルス(イルハン朝)系
 ジャライル朝
 黒羊朝(カラコユンル)
 白羊朝(アクコユンル)
 ↓↑
 現代
 テュルク系諸民族
 ↓↑
 主権国家
 トルコ → トルコ人
 アゼルバイジャン アゼルバイジャン人
 イラン イラン人
 ウズベキスタン ウズベク人
 トルクメニスタン トルクメン人
 キルギス キルギス人
 カザフスタン カザフ人
 ↓↑
 連邦構成国・民族自治区
 ↓↑
 ロシア ロシア連邦
 タタールスタン共和国 タタール人
 バシコルトスタン共和国 バシキール人
 チュヴァシ共和国 チュヴァシ人
 ハカス共和国 ハカス人
 アルタイ共和国 アルタイ人
 トゥヴァ共和国 トゥヴァ人
 サハ共和国 ヤクート人
 ウズベキスタン ウズベキスタン
 カラカルパクスタン共和国 カラカルパク人
 中華人民共和国 中華人民共和国
 新疆ウイグル自治区 ウイグル人
 モルドバ モルドバ
 ガガウズ自治区 ガガウズ人
 ↓↑
 その他の
 主な
 テュルク系民族と居住地
 ↓↑
 ウクライナのクリミア自治共和国
 クリミア・タタール人
 ↓↑
 リトアニアやポーランド、ロシア、トルコ共和国
 ハザールを起源とする
 クリミア・カライム人
 や
 クリムチャク人が居住
 ↓↑
 ベラルーシ、リトアニア、ポーランド
 タタール系
 (リプカ・タタール人、クリミア・タタール人
  ノガイ族、ヴォルガ・タタール人)が居住
 ↓↑
 ウクライナ、トルコ
 テュルク系キリスト教徒のガガウズ人が居住
 ↓↑
 キプロスの北部
 テュルク系の住民が
 北キプロス・トルコ共和国の独立宣言
 ↓↑
 アフガニスタン
 ウズベク人などのテュルク系民族が居住
 ↓↑
 イラン
 北西部に
 アゼルバイジャンと連続する同族のアゼリー人
 北東部カスピ海東南岸および南部内陸に
 トルクメン人が散在
 ↓↑
 モンゴル国
 バヤン・ウルギー県を中心として
 西部にカザフ人が居住
 北部に少数のトゥバ人が居住
 ↓↑
 パキスタン北部
 少数のウイグル人、トルクメン人などの
 テュルク系民族が居住し
 ラホール近郊にも居住
 ↓↑
 遺伝子
 ↓↑
 テュルク系民族
 同じアルタイ系である
 モンゴル系民族
 や
 ツングース系民族
 に高頻度な
 「C2」
 系統は
 ↓↑
 カザフ(66.7%)を除き
 それほど高頻度ではない
 ↓↑
 広範囲に見られるタイプ
 印欧語系インド・イラン人
 や
 スラブ人に多い
 「R1a」
 系統が
 ↓↑
 キルギス人に63.5%
 南アルタイ人に53.1%
 ↓↑
 ヤクートは
 ウラル系民族に関連する
 「N」
 系統が88%
 ↓↑
 11世紀
 トルコ族が進入した
 アナトリアでは
 在来の
 「J」
 系統等が高頻度
 ↓↑
 テュルク系民族の
 明確な遺伝子の単一性は
 認められないことから
 ↓↑
 テュルク系民族の
 拡散は
 「話者移動」
 よりも
 「言語置換中心」
 であったことが示唆
 ↓↑
 調査されたほとんどの
 テュルク系民族は
 遺伝的に
 近隣地域の住民に
 似ていることから
 インド・ヨーロッパ語族
 のような
 少数上位階級
 による支配が示唆
 ↓↑
 西部の
 テュルク系民族
 現在の
 南シベリア
 と
 モンゴル地域
 のテュルク系民族と同一の
 「非常に長い染色体領域」
 を共有
 ↓↑
 キルギス人、カザフ人、ウズベク人
 トルクメン人、アルタイ人
 など中央アジアの
 テュルク系民族は
 モンゴロイド
 と
 コーカソイド
 の混合体である
 ↓↑
 西端のトルコ人はコーカソイド
 東端のヤクートはモンゴロイド
 とされるが
 それぞれ
 モンゴロイド
 と
 コーカソイド
 の遺伝子を僅かに含んでいる
ー↓↑ー
 支配者層が
 9世紀頃
 キリスト教
 でも
 イスラム教
 でもない第3の道として
 「ユダヤ教」
 に改宗した
 ・・・勝手に「ユダヤ教」に改宗
  ・・・自称ユダヤ教信者
  血統人種的なユダヤ人が前提である
  ユダヤ教は
  原則、他人種の改宗入信を認めない・・・  
  ↓↑
  ユダヤ人(ヘブライ  語 יהודים
     英     語 Jews
     ラディーノ語 Djudios
     イディッシュ語 ייִדן)
  狭義のイスラエル民族
  イスラエル民族のひとつ
  ユダ族が
  イスラエルの王の家系
  ヘブライ人やセム人とも称され
  人種学では
  コーカソイド
  に分類
  ↓↑
  現在
  ユダヤ教の信者(宗教集団)
  ユダヤ教信者の親に持つ者
  19世紀中ごろまで
  イスラエル民族
  ユダヤ教の信者
  近代的国民国家成立後
  宗教的民族集団
  ハラーハーでは
  ユダヤ人の母親から生まれた者
  正式な手続きを経て
  ユダヤ教に入信した者が
  ユダヤ人と規定
  ↓↑
  ディアスポラ(祖国追放)以降
  世界各地で共同体を形成
  固有の
  宗教や歴史を有する少数派の民族集団
  全世界に1,340万のユダヤ教徒が存在
  ↓↑
  言語はヘブライ語が主流
  イディッシュ語
  ラディーノ語
  の話者もいる
  ↓↑
  歴史的
  ユダヤ人とは
  ユダヤ教徒のこと
  現状では
  国籍、言語、人種の枠を超えた
  文化的集団
  ユダヤ人には
  中東諸国にルーツを持つ
  ミズラヒム
  ヨーロッパ系の
  アシュケナジム
  の区別がある
  イスラエル国内で両者の数は
  半々
  エリート層は
  アシュケナジム
  イスラエル国内で前者の多数は
  労働者階級
  ↓↑
  定義
  古代・中世
  「ユダヤ人はユダヤ教を信仰する人々」
  近代以降
  ユダヤ教徒の家系で
  キリスト教に改宗した人々
   (フェリックス・メンデルスゾーン
  グスタフ・マーラー
  ハインリヒ・ハイネ
  ベンジャミン・ディズレーリ)
  無神論者(両属性ユダヤ人)
   (ジークムント・フロイト
  カール・マルクス)
  ↓↑
  イスラエル国内法
  の帰還法
   「ユダヤ人の母から産まれ
  ユダヤ教徒に改宗した者で
  他の宗教の成員ではない者」
   と定義
   スラエル国内に於いて
   ユダヤ教を信仰していない者は
   Israeli(イスラエル人)
   として扱われる
  ↓↑
   ユダヤ人
   「ユダヤ人の母を持つ者」
  ↓↑
   ヨーロッパなどでは
      「母親がユダヤ人でなくとも
   ユダヤ人の血統を持った者
      母親が非ユダヤ人で
      父親がユダヤ人
      もユダヤ人・・・
   ↓↑
      ゴビノーは
      アラブ人とユダヤ人をあわせて
      セム人種と呼び
      これを白人の中でも
      他人種との混血度の高い
      二級集団ととした
   ↓↑
      ナチズム
      ユダヤ人を人種
      帝国市民法第一施行令の分類
      形式的に
      ユダヤ教組織に属した人間
      も
      「人種としてのユダヤ人」
   ↓↑
      白人のみならず
      多数の黒人が
      ともに
      ユダヤ人として認められている
      血統主義的観点で区分することはできない
      ユダヤ人の
      ドイツ人文芸評論家
      マルツェル・ライヒ=ラニツキ
      自伝
      『わがユダヤ、ドイツ、ポーランド』(柏書房)
      で
      「私は
       半分のポーランド人
       半分のドイツ人
       そして丸ごとのユダヤ人だ」
      と冗談めかした
ー↓↑ー
干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
 ↓↑
 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
ー↓↑ー
 ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2023/3
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イスラーム化後のテュルク(土耳古)系国家

2025-08-26 10:03:28 | 古事記字源
 「人間のクヅ」ではなく
 「神のクズ」にしたかった・・・「人間」・・・
 「愚図・駄目」人間・・・役立たず・・・???
 葛(くず)⇄屑・国栖・九図・・・九州の地図?
 ・・・九州にある地名の「各横嶋」と
    四国、瀬戸内海、栃木水戸の「各横嶋」とを
    結ぶと
    台形=臺形・・・邪馬台(臺)国
    台=ム+口
    臺=吉+冖+至(ー+ム+十+一)
 葛湯・・・「片栗粉」の食べ物
   ・・・「片寄(偏)」った括りの故名・・・?

 ↓↑
 暗闇の中で「火」の利用を思いつき
 巨大な建物と「文字」を作り出した
 人間の偉大さだったが・・・「クヅ」もいたが・・・?
 物の欠片(かけら)や
   切れ端などは
   「余り物」で
   「本体の搾り滓(かす」)」だが
 「役に立たないモノは無い」
 「いや、俺にとっては役立たず」
 と考えるのは
 「生きている個々人」の
 「状況に応じた認識」である・・・
 「ニンゲン」は「モンク」を云う
 「カミ」は「モンク」を云うらしいが・・・
 聴いたことがない・・・
 「自然・天然」は「モンク」を云わないが
 「音」を奏でている
 ↓↑

 メンヒル(menhir)
 ヨーロッパ先史時代
 単一で直立した
 巨石記念物(モノリス・メガリス)
 ↓↑
 「メンヒル」
 フランス語経由で
 19世紀の考古学者に採用
 ブルトン語の
 「長い石」を意味
 ウェールズ語では
 「長い石=maen hir」
 ブルトン語では
 「peulvan」
 ↓↑
 6000年~7000年前
 ヨーロッパにおけるメンヒルの分布
 ハプログループ
 R1b (Y染色体)
 の高頻度域と一致
 このグループに属す人々が
 メンヒルを建てた
 新石器時代に
 ヨーロッパに農耕をもたらした集団
 ハプログループR1b (Y染色体)
 バスク人に90%以上に見られ
 彼らは
 バスク語に近い言語(バスコン語)を話していた
 ・・・前回からのツヅキ・・・
 イスラーム化後のテュルク(土耳古)系国家

---↓↑----
 ・・・
 「人間のクヅ」ではなく
 「神のクズ」にしたかった」・・・???
 葛(くず)⇄屑・国栖・九図
 ↓↑
 屑=尸+肖=㞕
   尸+小+月
   尸+丨+丷(ハ)+月
   部首
   (しかばね
    かばね・かばねだれ
    かばねかんむり)
   異体字
    「㞕=尸+䏌=くづ
       尸+八+月」・・・尸(屍)の八月?
        䏌=キツ・コチ=佾=イ+䏌
          ふるえる・振動する
          全(すべ)ての
          存在物の在り方=振動形態物
          微小振動態の結合体?
          「振動他意=シンドウタイ
          震動体=神道體(態)」
 㞕=セツ
   いさぎよい
   くず・切れはし・破片・杮(こけら)
   いさぎよい・いさぎよしとする・快く思う
   気にかける・心にかける
 洕=氵+䏌
   氵+八+月
   イン
   小さい川・沢
     ・・・沿=沿岸
       =㳂=氵+八+ム
         =氵+㕣
         =氵+八+口
          エン
          ふち・そう
          水の流れや道にしたがって進む
          そう・形式や習慣にしたがう
          ふち(淵)・へり(縁)
          もののはし(端・嘴)
    小川・沢
    ↓↑
    内(ナイ)
  北海道=蝦夷
    アイヌ語=ナイ=小さい川・沢
    歌志内(市)
    稚 内 (市)
    黒松内(町)
    岩 内(町)
    木古内(町)
    幌加内(町)
    神恵内(村)
    中札内(村)
    ↓↑
    歌屑(うたくず)・・・喜多川(北川)歌麿?
    大鋸屑・おが屑(おがくず)
    金くず・金屑(かなくず)
    紙くず・紙屑(かみくず)
    木くず・木屑(きくず)
    くず糸・屑糸(くずいと)
    くず籠・屑籠(くずかご)
    くず鉄・屑鉄(くずてつ)
    屑米(くずまい)・・・・・備蓄米=蔵米=緊急米
    竹頭木屑(チクトウボクセツ)
    米塩瑣屑(ベイエンサセツ)
    人屑と縄屑は余らぬ
    (ひとくずとなわくずはあまらぬ)
    藻屑(もくず)となる
    選れば選り屑
    (よればよりくず)
 ↓↑

 巨大な建物と「文字」を作り出したのは
 「人間」の偉大さだった
 ↓↑
 メンヒル(menhir)
 ヨーロッパ先史時代
 単一で直立した
 巨石記念物(モノリス・メガリス)
 ↓↑
 「メンヒル」
 フランス語経由で
 19世紀の考古学者に採用
 ブルトン語の
 「長い石」を意味
 ウェールズ語では
 「長い石=maen hir」
 ブルトン語では
 「peulvan」
 ↓↑
 6000年~7000年前
 ヨーロッパにおけるメンヒルの分布
 ハプログループ
 R1b (Y染色体)
 の高頻度域と一致
 このグループに属す人々が
 メンヒルを建てた
 新石器時代に
 ヨーロッパに農耕をもたらした集団
 ハプログループR1b (Y染色体)
 バスク人に90%以上に見られ
 彼らは
 バスク語に近い言語(バスコン語)を話していた
 ・・・前回からのツヅキ・・・
 イスラーム化後のテュルク(土耳古)系国家
---↓↑----
 カラハン朝以来
 イスラーム圏となった
 タリム盆地西部以西には
 モンゴル時代に
 「チャガタイ・ウルス(チャガタイ汗国)」
 が形成
 天山ウイグル領で
 仏教圏であった東部も
 イスラーム圏となった
 ↓↑
 「チャガタイ汗国」
 は
 パミール
 を境に東西に分裂
 モンゴル人の
 テュルク化・・・
 ↓↑
 「マー・ワラー・アンナフル
 (トランスオクシアナ)」
 を中心とする西側のモンゴル人は
 イスラームを受容し
 テュルク語を話し
 オアシス定住民の生活に溶け込んでいった
 ↓↑
 彼ら自身は
 「チャガタイ」
 と称した
 モンゴルの伝統を重んじる
 東側のモンゴル人は
 彼らを
 「カラウナス(混血児)」
 と蔑み
 自身を
 「モグール」
 と自称
 東トルキスタンは
 「モグーリスタン」・・・・「隠れる・潜む」+スタン(国)?
 と呼ばれた
 ↓↑
 「ティムール朝」
 西チャガタイ・ハン国
 から台頭した
 「ティムール」
 は
 西トルキスタン
 イラン方面(旧フレグ・ウルス)
 を占領
 モグーリスタン
 と
 ジョチ・ウルス
 をその影響下に入れ
 大帝国を築き上げた
 彼自身
 「テュルク系ムスリム」
 であったため
 西トルキスタンに
 テュルク人が多かったため
 ティムール朝
 の
 武官たちは
 テュルク系で占められていたが
 文官たちは
 知識人
 イラン系の
 「ターズィーク」人が担っていた
 ↓↑
 ティムール朝の公用語は
 イラン系であるペルシア語
 テュルク系であるチャガタイ語
 が使われ
 都市部においては
 「二言語併用」が一般化した・・・
 ↓↑
 ジョチ領
 テュルク
 キプチャク草原を根拠地とした
 「ジョチ・ウルス」
 は比較的早い段階で
 イスラームを受容し
 多くの
 テュルク系民族を抱え
 テュルク化が進展
ー↓↑ー
 15世紀
 カザン・ハン国
 アストラハン・ハン国
 クリミア・ハン国
 シャイバーニー朝
 カザフ・ハン国
 シビル・ハン国
 等の
 テュルク系の王朝が次々と独立し
 ジョチ・ウルス
 の政治的統一は完全に失われた
 ↓↑
 ウズベク・・・
 「烏頭・宇津・臼・摸(うす)・渦」+可(べく)?
 と
 カザフ・・・・「化佐附」?
 中央アジアの
 テュルク系民族で
 上位を占める
 ウズベク人
 カザフ人
 これらの祖先は
 ジョチ・ウルス東部
     ・・・序(女・徐・如・書・助・汝)+知
 から独立した
 「シバン家」・・・詞版?
 の
 「アブル=ハイル・ハン」・・・阿武留?
 (在位1426年~1468年)
 に率いられた集団
 ↓↑
 彼らは
 「ウズベク」
 と呼ばれ
 「キプチャク草原」
 東部を統一後
 「シル川」
 中流域に根拠地を遷し
 「ジャニベク・ハン」
 と
 「ケレイ・ハン」・・・懸例・範(模範)?
 が
 「アブル=ハイル・ハン」
   ・・・炙る・焙る・炙り出す?
      入る・版(範・判)?
 に背いて
 「モグーリスタン」・・・潜利・諏譚?
 辺境へ移住し
 ウズベクは2つに分裂
 前者をウズベク
 後者をウズベク-カザフ
    カザフ
 と区別
 ↓↑
 「アブル=ハイル・ハン」
 の没後
 ウズベク集団は分裂し
 先に分離していた
 「カザフ集団」に合流
 勢力を増した
 「カザフ」
 はキプチャク草原の遊牧民をも吸収
 強力な遊牧国家である
 「カザフ・ハン国」
 を形成
 ↓↑
 ウズベク
 の集団も
 「ムハンマド・シャイバーニー・ハン」
 のもとで再統合し
 「マー・ワラー・アンナフル」
 「フェルガナ」
 「ホラズム」
 「ホラーサーン」
 といった各地域を占領し
 「シャイバーニー朝」
 を建国
 ↓↑
 3ハン国
 1599年
 にシャイバーニー朝
 滅亡後
 「マー・ワラー・アンナフル」
 の政権は
 「ジャーン朝(アストラハン朝)」
 に移行
 ↓↑
 1756年
 ジャーン朝は
 マンギト朝によって滅ぼされ
 シャイバーニー朝
 から
 マンギト朝
 に至るまでの首都が
 「ブハラ」
 に置かれ
 この
 「3王朝」
 をあわせて
 「ブハラ・ハン国」
 と呼ぶ
 (マンギト朝はハン位に就かず
  アミールを称し
  ブハラ・アミール国とも呼ばれる)
 ホラズム地方
 ウルゲンチ
 を拠点とした政権
 (シャイバーニー朝)
 は17世紀末
 「ヒヴァ」
 に遷都し
 次の
 イナク朝(1804年~1920年)
 とともに
 「ヒヴァ・ハン国」
 と呼ばれた
 18世紀
 「ウズベク」
 の
 「ミング」部族
 によって
 フェルガナ地方に建てられた政権は
 「コーカンド」
 を首都とし
 「コーカンド・ハン国」
 と呼ばれる
 ウズベク人によって
 西トルキスタンに建てられた
 3つの国家を
 「3ハン国」
 と称する
 ↓↑
 ロシアの征服
 13世紀
 モンゴル人の
 ルーシ征服
 ロシア側から
 「タタールのくびき (татарское иго)」
 と呼ばれ
 ロシア人にとっては屈辱的時代
 モスクワ大公
 の
 「イヴァン4世(在位 1533年~1584年)
 によって
 「カザン・ハン国」
 「アストラハン・ハン国」
 といった
 「ジョチ・ウルス系」
 の国家が滅ぼされ
 「タタールのくびき」
 は解かれ
 ロシア
 の中央ユーラシア征服が始まる
 ロシアに降った
 テュルク系ムスリム
 は
 ロシア側から
 「タタール人」
 と呼ばれ
 異教徒である彼らは
 ロシア
 の抑圧と同化政策に苦しめられ
 カザフ草原
 トルキスタン
 に移住
 ↓↑
 16世紀末
 ロシア・ツァーリ国
 シベリアの
 シビル・ハン国
 を滅ぼし
 カザフ草原
 より北の森林地帯を開拓
 ↓↑
 カザフ草原の
 「カザフ・ハン国」
 は
 大ジュズ
 中ジュズ
 小ジュズ
 と呼ばれる3つの部族連合体に分かれ
 常に
 東モンゴル系遊牧集団
 「ジュンガル」
 の脅威にさらされていた
 ↓↑
 1730年
 脅威を脱するべく
 小ジュズ
 の
 「アブル=ハイル・ハン
 (在位 1716年~1748年)」
 がロシア帝国に服属表明
 中ジュズ
 大ジュズ
 も服属表明
 ↓↑
 19世紀の半ば
 バルカン半島
 から
 中央アジア
 に及ぶ広大な地域を舞台に
 大英帝国(イギリス)
 と
 ロシア帝国
 との
 「グレート・ゲーム」
 が展開
 ↓↑
 ロシア帝国
 イギリスよりも先に
 トルキスタンを手に入れるべく
 1867年
 「コーカンド・ハン国」
 を滅ぼし
 1868年
 「ブハラ・ハン国」
 1873年
 「ヒヴァ・ハン国」
 を保護下に置き
 1881年
 遊牧集団
 「トルクメン」
 を虐殺し
 西トルキスタン
 を支配下に入れた
 ↓↑
 アナトリア半島のテュルク
 1300年
 アナトリアの
 テュルク系諸勢力
 テュルク系国家の
 トルコ共和国は
 アナトリア半島に存在
 テュルク人の故地から
 最も離れた位置に
 トルコ人
 が居住
 ↓↑
 テュルク人が
 この地に侵入し
 移住してきた
 アナトリア半島には
 東ローマ帝国
 が存在し
 主要言語は
 ギリシア語
 ↓↑
 アナトリア
 へ最初に侵入してきたのは
 セルジューク朝で
 セルジューク朝によって
 東ローマ帝国が駆逐され
 セルジューク王権を好まない
 「トゥルクマーン」
 などが流入し
 アナトリアのテュルク化が始まった
 その後は
 セルジューク朝の
 後継国家である
 「ルーム・セルジューク朝」
 が
 アナトリアに成立し
 モンゴルの襲来で
 多くの
 「トゥルクマーン」
 が中央アジアから逃れてきたので
 アナトリアの
 テュルク化・イスラーム化は進んだ
 ↓↑
 14世紀
 オスマン帝国が
 アナトリア
 を中心に拡大し
 最盛期には
 大帝国へと発展
 18世紀以降
 オスマン帝国衰退
 広大な領地は縮小し
 アナトリア半島
 のみとなり
 第一次世界大戦後
 トルコ革命
 1922年
 に滅亡し
 1923年
 トルコ共和国が成立
 ↓↑
 テュルクの独立
 ロシア領内の
 テュルク人の間では
 19世紀末から
 ムスリム
 の民族的覚醒を促す運動が起こり
 オスマン帝国を含めて
 テュルク人
 の幅広い連帯を目指す
 汎テュルク主義(汎トルコ主義)
 が生まれた
 ↓↑
 ロシア革命の成功
 旧ロシア帝国領内に住む
 テュルク系諸民族は
 個々の
 共和国
 や
 民族自治区
 に細分化され
 トルコ革命が
 旧オスマン帝国
 アナトリアに住む
 トルコ人だけのための
 国民国家
 トルコ共和国
 を誕生させ
 汎テュルク主義は
 否定された
 ↓↑
 1991年
 ソビエト連邦崩壊後
 旧ソ連から
 5つの
 テュルク系民族の
 共和国
 (アゼルバイジャン共和国
  ウズベキスタン共和国
  カザフスタン共和国
  キルギス
  トルクメニスタン)
 が独立
 ↓↑
 これら諸共和国
 や
 タタール人
 などの
 ロシア領内の
 テュルク系諸民族と
 トルコ共和国の
 トルコ人たちとの間で
 汎テュルク主義の
 協力関係が構築されつつある・・・
 ↓↑
 歴史的
 テュルク系
 民族
 政権
 ↓↑
 丁零
 高車
 悦般
 突厥
 東突厥
 西突厥
 沙陀族
 後唐
 後晋
 後漢
 北漢
 北宋
 南宋
 鉄勒
 回鶻(ウイグル)
 天山ウイグル王国
 甘州ウイグル王国
 堅昆(契骨、黠戛斯、キルギス)
 オグズ
 カルルク
 ブルガール人
 ヴォルガ・ブルガール
 ハザール
 ペチェネグ
 チョールヌィ・クロブキ
 トルク族…黒帽子族(チョールヌィ・クロブキ)のひとつ
 ベレンデイ族…黒帽子族(チョールヌィ・クロブキ)のひとつ
 コヴイ人…黒帽子族(チョールヌィ・クロブキ)のひとつ
 トゥルペイ人…黒帽子族(チョールヌィ・クロブキ)のひとつ
 ペチェネグ…黒帽子族(チョールヌィ・クロブキ)のひとつ
 カンクリ
 エメク
 キプチャク(ポロヴェツ、クマン)
 カラジ (テュルク)
 アガチェリ
 ↓↑
 イスラーム化後の
 テュルク系国家
 ↓↑
 カラハン朝
 ガズナ朝
 セルジューク朝
 ルーム・セルジューク朝
 ホラズム・シャー朝
 マムルーク朝
 オスマン帝国
 奴隷王朝
 ハルジー朝
 トゥグルク朝
 サイイド朝
 ↓↑
 ・・・学生時代は「原文」をノートに
 「書き写し」て「覚える」のが常套だったが・・・
 「冱Pィ箆(コピぺ)」ではスグ忘れる・・・
 ・・・次回にツヅク・・・???
ー↓↑ー
 干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
 ↓↑
 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
ー↓↑ー
 ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2023/3
 

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「ハザール王国」の支配者・・・?

2025-08-24 19:34:51 | 古事記字源
 調べていたら・・・「人間の世界史の闇(エゴ・EGO)」がワンサカ・・・
 カミもウンザリだろう・・・
 ・・・「淹悶(うんざり)」する・・・
    「顰蹙(うんざり)」
 ・・・「うんざり」の語源
    「倦んずあり(うんずあり)」に由来
    「倦んず」は「飽きて嫌になる」・・・?
    江戸時代(1603-1868)に発生した口語表現・・・
   「うんざり」はほとんど常に「ひらがな」で書かれた・・・?
 ・・・「過去の人間の生き方」に「ウンザリ」なんだけれど・・・
 うんざり
 「倦(う)んずあり」?・倦=イ+巻(日本書紀・31巻)???

 ↓↑
 厭飫=饜飫(エンヨ)
 厭=厂+猒=厌=厂+犬
   厂+冐+犬・・・冒(おか)す=よこしま・冒険
   厂+冃+月+大+丶
   厂+日+月+大+丶
   厂+冂+二+月+大+丶
   厂+冂+一+一+月+大+丶
   エン・オウ・オン・ユウ・ヨウ
   あきる・いとう・いや・いやになる
   足りる・満ち足りる・満足する
   おおい隠す・しまいこむ
   悪い夢にうなされる
   安らか・安らかなさま
   厭厭(エンエン)
   おさえる・おさえつける
   まじなう・鎮める・おさめる
   「浥厭(ユウユウ)」
   しっとりとぬれているさま・うるおうさま
   畏怖嫌厭(イフケンエン)
   厭世主義(エンセイシュギ)
   厭聞飫聴(エンブンヨチョウ)
   厭離穢土(オンリエド)
   喜新厭旧(キシンエンキュウ)
   自己嫌厭(ジコケンエン)
   在りての厭い、亡くての偲び
   あるは厭なり思うは成らず
   厭じゃ厭じゃは女の癖
   厭と頭を縦に振る
   成るは厭なり、思うは成らず
   濡れぬ先こそ露をも厭え
 飫=食+夭
   食+丿+大
  =秗
   オ・ヨ
   あきる・食べあきる・あきるほど食べる
   さかもり・酒宴・宴会
   飫肥(おび)
   厭聞飫聴(エンブンヨチョウ)
 饜=厭+食
   厂+猒+食
   厂+冐+犬+食
   厂+冃+月+大+丶+食
   厂+日+月+大+丶+食
   厂+冂+二+月+大+丶+食
   厂+冂+一+月+大+丶+食
  =餍
   エン
   飽きる・食べ飽きる・よく食べて満足する
 ↓↑
 物事に十分満足・その状態
 飲食や学問などに関していう。
 物事が十分すぎて、うんざりすること・その状態
 「ウンザリ」とは
 「沃雑黎」
 の撥音便訛り読み
 「飽きていやになるさま」・・・「厭倦(エンケン)」・・・
 「主語」が「何」に対して「ウンザリ」なのかは
 「ボクが歴史的に同類の人間の悪行にウンザリする」・・・
 ↓↑
 畏怖嫌厭(イフケンエン)恐れて嫌がること
 厭世主義(エンセイシュギ)人間や社会の本質を否定的に捉える立場
 厭聞飫聴(エンブンヨチョウ)何度も聞きすぎて飽きること
 厭聞飫聴(エンブンヨテイ)何度も聞きすぎて飽きること
 厭離穢土(エンリエド)
      この世は穢(けが)れたもとして、嫌い離れること
      「厭離穢土、欣求浄土」
 厭離穢土(オンリエド)
 喜新厭旧(キシンエンキュウ)
 自己嫌厭(ジコケンエン)
ー↓↑ー
 前回からのツヅキ・・・
ー↓↑ー

 ・・・ 「阿諛追従」・・・「ポカ(ゼロ地帯)」・・・
 「アウシュヴィッツ=ビルケナウ」は
 それ以後の彼らの生き方に
 ・・・「人間社会で何があってもの覚悟」を
 ・・・「カミはイキテイルる己を救ってくれはしない」
 ・・・コトを・・・「イキテイル寿命を保証してはくれない」
 ・・・コトの・・・「覚悟の日常化をさせた」・・・
 ↓↑
 反シオニズム
 反イスラエル主義者
 によって利用・・・?
 ↓↑
 遺伝子解析からは否定・・・なにが否定されたのか?
 ↓↑
 「ハザール王国の支配者層」は
 「テュルク(トルコ・土耳古)」
 系民族
 ↓↑
 匈奴・突厥・契丹・遼・・・
 ↓↑
 突厥・鉄勒・回紇・葛邏禄・抜悉蜜・沙陀族
 などを一括(ひとくく)りにした呼称
 ↓↑
 人種
 東部でモンゴロイド
 西部でコーカソイド
 人種に関係なく
 テュルク(トルコ=土耳古)諸語を
 母語とする民族
 テュルク系民族
 ↓↑
 テュルク系国家=トルコ共和国
 アナトリア半島 ・・・穴採り亜(丫)?
   アナ・・・「先言
        「阿那(あな)」邇 夜志
            愛上 袁登古(おとこ) 袁。
   トリ   此 十字 以音、下效此。」
        「後 伊邪那岐命 言
        「阿那(あな)」邇 夜志 愛上 袁登賣 袁。」
        各言竟之後、告其妹曰
        「女人 先言、不良。」
        雖然、久美度邇 此四字以音興 而生子
        水蛭子、此子者
        入 葦船 而流去。・・・モーゼの葦船での延命?
        次生 「淡嶋」、
        是亦 不入子之例。
        於是、二柱神議云
        「今吾 所生之子、不良。
         猶宜白 天神之御所。」
        卽共參上、請 天神之命、爾 天神之命以、
        布斗麻邇爾 上 此五字以音 ト相 而詔之
        「因 女先言 而不良、亦還降改言。」
        故爾反降、更 往廻 
        其 
        天之御柱・・・縄文環状列石・・・諏訪の神柱

       (メンヒル(menhir)
       ヨーロッパ先史時代の巨石記念物
       (モノリス・メガリス
       (モノリス=英 monolith)・・・岩石の記念塔
仏 obélisque・・・古代エジプトの記念碑
英 obelisk
            希臘 オベリスク(串)
    古代 埃及 テケン(保護・防御))

        如先、
        於是 伊邪那岐命 先言
        「「阿那(あな)」邇夜志 愛 袁登賣袁。」
        後妹 伊邪那美命 言
        「阿那(あな)邇 夜志 愛 袁登古 袁。」
        如此言竟 而 御合生子、
        淡道之
        穗之狹別 嶋。
 ↓↑      訓別(わけ)、云 和氣(わけ)」
 アナトリア半島
 に存在
 テュルク人の故地から最も離れた位置にある
 テュルク系最大の民族
 トルコ人
 が住んでいる
 ↓↑
 テュルク系民族
  (英語 Turkic peoples
     Turks
   露語 Тюрки
  土耳古語 Türk halkları)
 チュルク語族言語を使用する民族集団
 ユーラシア大陸の中央部を斜めに貫く
 東シベリア
 から
 トルコ共和国
 にまで及ぶ乾燥地域を中心に
 シベリア、中央アジア
 西アジア、東欧
 などに
 分布する
 テュルク系諸族
 ↓↑
 テュルク系民族
 ウラル山脈・・・裏留・烏羅留?
 以東の草原地帯発生定住
 モンゴル系民族と近接
 人種
 モンゴロイドで(プロト・テュルク)
 唐代まで
 黒髪・直毛・黒目
 ↓↑
 唐代末期
 東ウイグル可汗国
 が崩壊
 テュルク系民族
 が
 モンゴリア―アルタイ地方
 から移動し
 天山山脈~タリム盆地全体を支配
 先住の
 コーカソイド
 のインド=ヨーロッパ語族
 は何世代か後には
 テュルク化
 テュルク系言語者となった
 ↓↑
 言語学者の仮説
 前3000~前500年ごろ
 にはテュルク祖語が話されていた・・・らしい
 ↓↑
 現代テュルク族
 匈奴
 フン族
 が先祖と考えている・・・
 ↓↑
 「丁零(テイレイ)=丁令」
 と記される民族は
 匈奴と同時代に
 モンゴル高原の北方
 バイカル湖
 あたりから
 カザフステップ
 に居住の遊牧民
 「テュルク」の転写・・・
 ↓↑
 「丁零」
 「匈奴」が強盛となれば服属し
      衰弱となれば離反を繰り返した
 「匈奴」が南北に分裂し
 モンゴル高原の支配権を失うと
 東の
 「鮮卑」
 がモンゴル高原に侵攻
 支配権を握った
 「丁零」
 はその趨勢に応じて叛服を繰り返していた
 ↓↑
 五胡十六国時代
 「鮮卑」
 の衰退後モンゴル高原に進出
 一部の「丁零人」は
 中国に移住し
 「翟魏」
 を建てた
 ↓↑
 「高車(コウシャ)」
 「丁零」人は
 南北朝時代に
 中国人(拓跋氏政権)から
 「高車(コウシャ)」
 と呼ばれるようになった
 彼らが移動に使った
「車両の車輪」
が高大であったコトが由来
 初め
 モンゴル高原をめぐって
 「拓跋部」
 の
 「代国」
 や
 「北魏」
 と争い
 台頭してきた
 「柔然」
 が強大になり
 それに従属
 487年
 高車副伏羅部
 の
 「阿伏 至羅」・・・「阿武・阿部・阿毎」?
 は
 「柔然」
 の支配から脱し
 独立を果たす
 「阿伏 至羅国」
  ・・・阿が伏(降伏)して羅(新羅)国に至る?
 ↓↑
 「阿伏 至羅国」
 は
 「柔然」
 や
 「エフタル」
 と争ったが
 6世紀
 「柔然」
 に敗れて滅亡
 ↓↑
 「突厥(トッケツ)=鉄勒(テツロク)」
 7世紀
 東西突厥
 ↓↑
 (Western Gokturk Khaganate=西突厥
  Eastern Gokturk Khaganate=東突厥
  Chinese Empire (Sui Dynasty)=隋
  Tuyuhun=吐谷渾
  Persian Empire (Sassanid Dynasty)=サーサーン朝
 ↓↑
 555年
 中央ユーラシア東部
 の覇者
 「柔然 可汗国」
 「鍛鉄 奴隷」
 であった
 「突厥」
 によって滅ぼされた
 「突厥」
 は
 「柔然」
 の旧領をも凌ぐ領土を支配
 中央ユーラシア
 をほぼ支配下
 ↓↑
 東ローマ帝国
 の史料にも
 「テュルク」として記録
 ↓↑
 「突厥」
 は自らの言語(テュルク語)を
  自らの文字(突厥文字)で記録
 ↓↑
 582年
 「突厥」
 は東西に分裂
 8世紀
 両突厥は滅亡
 ↓↑
 「鉄勒」
 突厥と同時代に
 テュルク系民族は
 「鉄勒」と記録
 中央ユーラシア各地に分布
 中国史書からは
 「最多の民族」
 と記録
 「鉄勒」
 は
 「突厥 可汗国」
 の重要な構成民族で
 「突厥」が衰退すれば独立
       旺盛となれば服属
       を繰り返した
 ↓↑
 「鉄勒」は
 「九姓(トクズ・オグズ)」と呼ばれ
 その中から
 「回紇(ウイグル)」
 が台頭し
 「葛邏禄(カルルク)」
 「抜悉蜜(バシュミル)」
 といった
 テュルク系民族とともに
 「東突厥
 第二 可汗国」
 を滅ぼした
 ↓↑
 「突厥」滅亡後
 ↓↑
 東西両「突厥」の滅亡後
 中央ユーラシア各地に広まった
 テュルク系民族
 がそれぞれの国を建て、細分化
 ↓↑
 モンゴル高原で
 「東突厥」
 を滅ぼした
 「回紇(ウイグル)」
 が
 「回鶻 可汗国」
 を建国
 唐王朝と友好関係となって
 シルクロード交易で繁栄
 840年
 内紛が頻発し
 「黠戛斯(キルギス)」
 の侵入を招き
 崩壊
 ↓↑
 後
 「回紇=ウイグル」
 は
 「甘州ウイグル王国」
 「天山ウイグル王国」
 を建国
 西域の
 定住型テュルク人(現代ウイグル人)の祖となり
 タリム盆地の
 「テュルク化」
 を促進
 ↓↑
 中央アジアでは
 「カルルク」
 「突騎施(テュルギシュ)」
 「キメク」
 「オグズ」
 等の諸族が割拠
 10世紀
 サーマーン朝
 の影響を受けて
 イスラーム化
 テュルク系民族初の
 イスラーム教国
 「カラハン朝」
 が誕生する
 ↓↑
 カスピ海以西
 ブルガール
 ハザール
 ペチェネグ
 が割拠
 南ルーシの草原で
 興亡を繰り広げた
 ↓↑
 11世紀
 「キメク」
 の構成部族
 「キプチャク(クマン人、ポロヴェツ)」
 が南ルーシに侵入
 モンゴルの侵入まで勢力を保った
 ↓↑
 テュルク
 の
 イスラーム化
 テュルク系国家で
 最も早くイスラームを受容したのは
 「カラハン」朝
 「オグズ」
 から分かれた
 「セルジューク」家
 率いる一派も早くから
 イスラームに改宗し
 サーマーン朝の庇護を受けた
 ↓↑
 やがて
 「トゥルクマーン(イスラームに改宗したオグズ)」
 と呼ばれ
 中央アジア各地で略奪をはたらき
 土地を荒廃させていったが
 セルジューク家の
 「トゥグリル・ベグ」
 によって統率され
 1040年
 「ガズナ朝」
 を潰滅させ
 「ホラーサーン」
 の支配権を握った
 ↓↑
 1055年
 「トゥグリル・ベク」
 は
 バグダードに入城し
 アッバース朝のカリフから
 正式に
 「スルターン」
 の称号を授与され
 スンナ派の擁護者の地位を確立
 ↓↑
 セルジューク朝
 が
 中央アジア
 西アジア
 アナトリア半島
 にいたる領土を支配し
 テュルク系
 ムスリム
 がこれらの地域に広く分布
 ↓↑
 イスラーム世界において
 奴隷としての
 「テュルク(マムルーク)」
 は重要な存在で
 イスラーム勢力が
 聖戦(ジハード)によって得た
 「テュルク人捕虜」
 は戦闘力に優れ
 サーマーン朝
 などで重宝され
 時には
 「マムルーク(奴隷)」
 自身の
 王朝(ホラズム・シャー朝
     ガズナ朝
     マムルーク朝)
 奴隷王朝
 が各地に建てられた・・・
 ↓↑
 「テュルク・イスラーム文化」
 数々のイスラーム書籍が
 テュルク語によって記録された
 イスラーム世界における
 テュルク語の位置は
 アラビア語
 ペルシア語
 に次ぐものとなり
 テュルク人
 はその主要民族となった
 ↓↑
 西域(トルファン・タリム盆地・ジュンガル盆地)
 の
 テュルク化
 840年
 ウイグル可汗国が崩壊
 その一部は
 天山山脈山中の
 ユルドゥズ地方の広大な牧草地を確保し
 天山ウイグル王国を形成
 天山ウイグル王国
 は
 タリム盆地
 トルファン盆地
 ジュンガル盆地
 の東半分を占領
 マニ教
 仏教
 景教(ネストリウス派キリスト教)
 を信仰
 ↓↑
 東トルキスタン
 の西半分は
 イスラーム
 を受容した
 カラハン朝の領土となり
 カシュガル
 を中心に
 ホータン
 クチャ
 もイスラーム圏となった
 ↓↑
 これら2国によって
 西域は
 テュルク語化が進み
 古代から
 印欧系の言語(北東イラン語派、トカラ語)
 であったオアシス住民も
 11世紀後半に
 テュルク語化
 した
 ↓↑
 中央アジア草原地帯
 西トルキスタンのテュルク化
 ↓↑
 13世紀前半
 中央アジアの草原地帯に
 カルルク
 テュルギシュ
 キメク
 オグズ
 等の
 西突厥系の諸族が割拠し
 オアシス地帯では
 イラン系の定住民が
 すでに
 イスラーム教を信仰
 草原地域では
 イラン系遊牧民が
 テュルク語化した
 ↓↑
 オアシス地帯
 口語は12世紀頃までに概ねテュルク語化
 行政文書
 司法文書
 などには専ら
 アラビア文字
 による文書(ペルシャ語など)が使用
 継続性が必要とされる特性上
 テュルク語への置換は緩慢に進んだ
 ↓↑
 他言語話者がテュルク語に変更するには
 テュルク語で
 イスラーム教を布教するのが効果的であるが
 西トルキスタン
 では定住民がすでに
 ムスリム(イスラーム教徒)であり
 遊牧民と定住民の住み分けが明確になされ
 人口が多かったために
 東トルキスタン
 ほど急速に
 テュルク化が起きなかった
 ↓↑
 西トルキスタンに於ける
 最終的な
 テュルク語化
 ホラズム・シャー朝
 カラキタイ
 ティムール朝
 シャイバーニー朝
 でゆっくりと進行した
 ↓↑
 モンゴル帝国の拡大
 「チンギス・カン」
 在世中の諸遠征
 と
 モンゴル帝国拡大
 古代からモンゴル高原には
 絶えず統一遊牧国家が存在してきたが
 840年
 ウイグル可汗国(回鶻)
 の崩壊後
 360年の長期にわたって
 統一政権が存在しない空白の時代
 ゴビ
 の南(漠南)を支配した
 「遼(契丹)」
 「金(女真)」
 といった王朝が
 干渉して
 漠北
 に強力な遊牧政権が出現しないよう
 政治工作をしていたため・・・
 ↓↑
 モンゴル高原
 ケレイト
 ナイマン
 メルキト
 モンゴル
 タタル
 オングト
 コンギラト
 といった
 テュルク・モンゴル系の諸部族が割拠
 13世紀初頭
 モンゴル出身
 「テムジン」・・・「てむじん(弖ム人)」?
 がその諸部族を統一し
 成吉思汗(チンギス・カン)
 在位 1206年~1227年
 大モンゴル・ウルス(モンゴル帝国)
 を建国
 ↓↑
 「チンギス・カン」
 周辺の諸民族・国家に侵攻し
 北の
 バルグト
 オイラト
 キルギス
 西の
 タングート(西夏)
 天山ウイグル王国
 カルルク
 カラキタイ(西遼)
 ホラズム・シャー朝
 をその支配下に置き
 大帝国を築いた
 「チンギス・カン」
 の後を継いだ
 「オゴデイ・カアン(在位 1229年~1241年)
 も南の
 「金朝(女眞・女直)」
 を滅ぼし
 北中国を占領
 征西軍を派遣し
 カスピ海以西
 の
 キプチャク
 ヴォルガ・ブルガール
 ルーシ諸公国
 を支配下に
 ヨーロッパ諸国にも侵攻
 ↓↑
 ユーラシア大陸の
 大帝国
 モンゴル
 第4代
 「モンケ・カアン(在位 1251年~1259年)
 死後
 後継争いで
 帝国は4つに分裂
 ↓↑
 モンゴルの支配下の
 テュルク系諸民族
 支配層のモンゴル人に比べ
 人口が圧倒的多数で
 文化的に
 テュルク語
 が普及していたため
 テュルクの
 モンゴル語化はあまり起きなかった・・・
 ↓↑
 イスラーム圏に領地を持った
 「チャガタイ・ウルス」
 「フレグ・ウルス」
 「ジョチ・ウルス」
 では
 イスラームに改宗するとともに
 テュルク語を話す
 モンゴル人が現れた
 モンゴル諸王朝の
 テュルク・イスラーム化
 モンゴル諸王朝の解体後
 テュルク系の国家が
 次々と建設された
 ↓↑
 チャガタイ領
 テュルク
 「チンギス」政権以来
 天山ウイグル王国は
 モンゴル帝国の庇護を受け
 14世紀後半
 までその王権が維持された
 ↓↑
 ウイグル人
 が高度な知識を持ち
 モンゴル帝国
 の官僚として活躍
 モンゴルに
 ウイグル文字を伝え
 モンゴル文字の基礎になった
 オアシス定住民
 の統治に長けていた
 ↓↑
 モンゴルの内紛で
 天山ウイグル政権
 は
 トルファン地域を放棄
 その精神を受け継いだ
 ウイグル定住民たちは
 ウイグル人
 として生き続けている
 ↓↑
 ・・・次回にツヅク・・・
ー↓↑ー
干支歴
 命式作成
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 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
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 ボクの「古事記字源」の発端・・・
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