英雄百傑
第四十四回『起挙平明 調挙探謀 名瀞軍儀、兵謀あって暫く挙せず』
スワトが業物の刀槍『真明紅天』を手に入れて陣に戻ってから二日後、
キレイ官軍隊の陣は慌しく軍儀を始めた。
何を言うまでも無い、名瀞平野を境に対面対峙する
四天王軍団の陣屋に計略を孕んだ兵の動きが、
キレイによって立てられた小高い櫓からうっすらと見えたからである。
こう着状態を打破するために鬼謀ソンプトが仕組んだ計略『虚変実撃』の計。
それに対して着々と準備を整えていた名謀タクエンの計略『後虚車実』の計。
今まさに神算鬼謀の策士同士の戦いは、最終段階へと進んでいた。
官軍隊キレイの本陣 幕舎
合戦の前の静けさを薄々感じ取るように広い幕舎には
ピンと張り詰めた緊張感と強張る武将達の顔が今や騒然と並んでいた。
官軍キレイ軍団の諸将とミレム軍団の諸将が左右に別れ、
首座にキレイ、右方にオウセイ、左方にタクエン、キイ。
首座近くの机には敵味方の兵を表す駒と名瀞平野の地図が置かれ、
軍儀は開かれようとしていた。
「各々方、今日諸将に集まってもらったのは他でもない。我らが今までしてやられた四天王軍団との対局、その勝敗を決める決戦を、私は決心したからだ」
「「「おおっ!」」」
「では参軍のタクエン、決戦の戦略を版図を持って将軍らに説明申せよ」
「ははっ。不肖タクエン、ご説明させていただきます」
湧き上がる将軍達を前にしてキレイは落ち着き払った態度で
左手にいるタクエンに指図すると、タクエンは両手を中央で組み礼をし、
名瀞平野の映る地図の上に配置された各将軍達の名前が書いてある駒を動かし、
諸将に伝わるようにゆっくりと、それでいて大きな声で話した。
「此度の敵の四天王軍団の動きは、古書兵法の計略『虚変実撃』を要して、我らの虚実に騙され続けた猜疑の心を利用し、それを助長させて、本来陽動である虚の部隊を実に見せる計略なのです。おそらく敵が我が兵糧庫を狙う振りをして本陣に攻め入るという情報は、我らの判断能力を妨げる計略の一部でしょう」
「な、なんと!」
「そのようなことであったのか!」
「では陽動の軍が来ると聞いたが、それこそが実働部隊なのか!」
驚きを隠せない官軍の将兵達。
タクエンはそれを見て、再び語り始めた。
「これを今まで諸将に話さなかったのは、敵の策に我らがのったように見せるためでございます。敵を騙すにはまず味方、その通りといった風に四天王軍団は、今痺れを切らして我が軍を攻める算段をしています」
「で、では四天王軍はやはり攻めてくると!それでは対応せねば…」
「ご安心なさいませ、兵法、策、謀には正邪の法がございます。表があれば裏もあり…今回は『虚変実撃』の計のその裏『後虚車実』の計をとります。虚変実撃が猜疑を計り判断力を劣化させる計ならば、後虚車実とはその逆。騙し計ろうとする判断に乗ったようにみせて敵の油断を突き、逆に大反撃を用いる策にございます」
「な、なんと後虚車実の計!」
「すでに敵兵が動いたとなれば我が計略の5割は完成したことになります。あとは我が軍団の布陣の問題ですが…」
そう言うと、タクエンは名前の書かれた駒を手に持ち
まず名瀞平野の映る地図の中央、平野に数個の駒を置いた。
「まずは名瀞の中央、敵陣から1里の場所を押さえ、左右に2百歩の距離を置いて将兵を4千ずつ、合わせて8千の兵を置きます。おそらくここは敵も陽動を察せまいとして、強力な兵を置きます。つまり今回の決戦では一番の激戦区、長丁場の修羅場となります。ここには、とかく勇猛な将軍を配したいのですが…」
バッ!
タクエンの言葉が途切れるや否や
左右の列から将軍達が手を上げて立ち上がった!
「それがしにお任せくだされ!蘇ったそれがしの武器とそれがしの力さえあれば、きっと目覚しき戦果をあげてみせることが出来るでござる!」
「俺に任せろ!野賊隊の勇敢さなら知っての通り、どの隊にも負けやしない!やつらに煮え湯を飲まされ、殺された部下達の恨みは俺が晴らす!」
「いいや、わしに任せよ!我が鉄槍の凄み、兵の統率!勇猛さでは誰にも負けぬわ!」
豪傑スワト、野賊の長クエセル、猛将ガンリョが声をあげてタクエンを見る。
血気に満ちたその目は、決戦と聞いて疑いようも無い武将の目であった。
だが、疑いなき武将の目も命をとして慌しく変動する合戦になれば変わる。
タクエンは彼等の燃える闘志に釘を挿すように、三人をジッと見ると、
駒を置くのをためらうように、コツコツと地図の上で小突き、
わざとらしく少しため息をつくそぶりをして、気持ちが萎えたように
眉をひそめ、声を小さくして三人にこう言った。
「あなた方の勇猛さはわかりますが、今回の決戦は実質四天王軍との総力戦です。判断を誤り、命令を無視するような将軍では、策も策として使えません。先の戦いでも将が勝手に追撃などをしかけ、我が軍に被害がでました。本音を言わんとすれば、あなた方にこの大事を預けることが少し不安です」
「武将を軽んじられるか!それがし等は兵を預けられれば武将でござる!」
「素行の悪さは認めるが、俺らはもう賊じゃねえ。立派な官軍の兵だ!」
「将として無能で敗北を喫するなら、我らを斬罪にでもかけてくだされ!」
三将のその言葉。その態度。
四天王軍団と幾度と無く戦った武将達の心には、おごりなど無く
ただ純粋に合戦に出る将軍としての輝きに満ち溢れていた。
敗北につぐ敗北、その連敗を続け、辛酸をなめさせられ続けた武将達、
その戦いの全てが彼等を成長させ劇的に変えていたのだ。
タクエンは武将達の言葉を聞いて安心したようにこう言った。
「良いでしょう。では右方の4千の内、歩兵部隊2千をガンリョ将軍、野賊隊1千をクエセル将軍、槍兵隊1千をスワト将軍に任せます。あなた方は正面の兵を引きつけつつ、たとえ何が起こってもそこを守り、絶対に退かないでください。勝手に動けば、この策の意味は潰えます。わかりましたね?」
「「「はっ!必ず」」」
次にタクエンは地図の左手にある駒三つを動かす。
「そして2百歩置いた場所の左方4千の兵。ここにはオウセイ将軍を大将に騎馬隊1千、ドルア将軍に長弓隊1千、リョスウ将軍に歩兵隊2千を配し、敵と対峙します。おそらく敵は少数の兵で参りますので、適当に戦ったら、あえて負けた振りをして、一方の敵が味方陣へ進行しても無視してください」
「負けた振りをするのですか?失礼ながら、陽動の軍が味方陣に動いているのならば、ここは疲弊しようとも抜かれるのも…」
「ドルア将軍、策や兵法は時に自らの物を犠牲とする時がある。敵が鬼謀の者なら、その油断を誘うため、なおさら重い犠牲が必要となるのだ。陣は気にせず、ただ命令に従って戦うのだ、それしか我らに勝ち目はない」
タクエンはドルアの進言を聞いたが、それを言葉で一蹴した。
そして再び大きく息を吸い込むと、静かに戦略を語り始めた。
「敵が囲いを突破し、通り過ぎたと思ったら北に移動して、ガンリョ達の軍と合流し、その場を死守してください。英名山から煙があがったのが見えたら、それぞれ戦を止めて兵糧庫のある琶遥谷に向けて駆けてください、必ず逃げ帰る四天王軍が現れますのでそこを叩いてください」
「琶遥谷に向かって敵兵がおらなかったら如何する?」
今度はオウセイが質問した。
しかしタクエンは、顔の表情、その皺一つも動かさずに冷静に答えた。
「その時は、再びニ隊に別れ、全力で味方陣を攻める敵を押し返してください。もし敵がその攻撃で退くようであればそのまま追撃して、なるべく足止めをしてください。英明山に火の手が上がったとき、その時こそ敵を全力で押し返し、見事に追い払ってくだされ」
「わかりもうした。我が隊の身命を用いて策を完遂させましょうぞ」
質問に対して的確、それでいて自信たっぷりに答えるタクエンを見て
オウセイは投げかける次の言葉を失い、そのまま納得した。
タクエンは、次に三つの駒を味方陣のある平野地帯に置いた。
「ここへはミレム将軍の小弓隊1千を味方陣屋の後ろに、ポウロ、ヒゴウ将軍の工作隊1千を各味方陣屋に置きます。まずポウロ、ヒゴウ等は味方が出陣したら陣屋の全ての柵に燃えやすい薪と油を塗った藁を放り、味方の軍を突き破り抜け出してきた敵が来たら一斉にミレム隊にほうへ逃げてください。ミレム将軍は工作隊が逃げ出すのを見て、後ろ手の丘から火矢で味方陣屋に火をつけてください」
『味方の陣屋を燃やす』
その言葉にはミレムをはじめ、並んだポウロやヒゴウまでも驚いた。
策のためとはいえ、自分達の帰る場所を炎上させて
退路を塞ぐなど、今までの兵法ではありえない作戦であった。
「なんと!味方の陣屋を燃やすのか!それはどういう事ですか!?」
驚くミレム達に、タクエンは駒をくるりと回転させて
地図上にパシッとおくと、冷静な口調でこういった。
「そうです。なるべく多く燃やしてください、そのほうが敵も混乱し慌てます。そうして、敵が慌てて陣を出て行ったら真っ直ぐに名瀞平野を駆けて敵の英名山の前の陣屋を同じく火矢で程ほどに攻めてください。おそらく守り手は守り上手なキュウジュウの兵。苛烈に攻めて、攻め落とそうとは思わず、適当に戦って陣屋に煙があがったら逃げてください」
「ふむむ、おかしな命令じゃが…しかたあるまい」
タクエンは、不思議そうに顔をしかめるミレムを見てフフッと笑うと
今度はゲユマの方を向いて、地図の南方、重要地点である
味方の兵糧庫にある琶遥谷に駒を置いた。
「琶遥谷にはゲユマ将軍が小弓を持った手練の射手3千の兵を潜ませてください。谷の上に潜んで、決して前面や後方に多くの守備兵を置かないこと。敵の武将が怪しがっては策に支障をきたします。必ず谷の上に潜み、敵に体を隠すように勤めてください。敵が怯んだら兵糧庫に1千の守備兵を残し、そのまま英名山の武赤関のほうへと向かってください」
「ははっ、お任せあれ」
ゲユマが手を組んで礼をするのを確認したタクエンは
最期にキレイの駒とキイの駒、そして自分の駒をとって、
北方の英名山へと連なる湿地帯『拭徐野(フクジョヤ)』へ駒を二つ
南方の英名山へと連なる原野帯『望明野(ボウミョウヤ)』へキイの駒を置いた。
「ここ北方拭徐野には、キレイ様と私の歩兵4千を置きます。キュウジュウの守る陣が煙があがり、慌しくなりはじめたら、一気に山塞の壁を昇り、味方の反乱や何かの理由をつけて、偽報を叫びながら火をかけて関を攻めてください。混乱し、守りの薄い武青関をその勢いをもって一気に攻め落とします」
「わかった。偽報で油断している敵の肝を冷やしてやろうではないか」
「そして望明野のキイ様は2千の兵で待機して、武赤関へと走るゲユマの兵と供に四天王軍の兵を装って武赤関を攻めてください。一方の関がやられるとなれば、敵兵も情報に踊らされるでしょう。しかし、必ずキレイ様が武青関を落とした後に移動してください。敵がキレイ様のほうへ集中して、関が手薄になったほうが確実に攻め落とせます」
「なるほど。承知した」
最期の駒を置くと、首座にいるキレイが立ち上がり発言した。
「では決行は明晩とする!各将、敵に気取られぬように動いて決戦に挑め!それでは解散!」
「「「ははーっ」」」
こうして術策を背負った全ての駒が戦場へ配り終えると、
いつの間にか名瀞平野の地図は駒で一杯になっていた。
命令を聞いて、幕舎を後にした将軍達は合戦を前にして、
それぞれの気持ちの高ぶりを抑え、今までの敗戦の苦々しさを思い出しながら
タクエンから託された戦略を胸に、そして頭に焼き付けていた。
…
そして秋風が吹く名瀞平野に再び嵐が吹き荒れる。
兵は闇を味方にして異動し、将は熱を帯びて夜明けを待ち
合戦前の静かな夜は明けるのだった!
第四十四回『起挙平明 調挙探謀 名瀞軍儀、兵謀あって暫く挙せず』
スワトが業物の刀槍『真明紅天』を手に入れて陣に戻ってから二日後、
キレイ官軍隊の陣は慌しく軍儀を始めた。
何を言うまでも無い、名瀞平野を境に対面対峙する
四天王軍団の陣屋に計略を孕んだ兵の動きが、
キレイによって立てられた小高い櫓からうっすらと見えたからである。
こう着状態を打破するために鬼謀ソンプトが仕組んだ計略『虚変実撃』の計。
それに対して着々と準備を整えていた名謀タクエンの計略『後虚車実』の計。
今まさに神算鬼謀の策士同士の戦いは、最終段階へと進んでいた。
官軍隊キレイの本陣 幕舎
合戦の前の静けさを薄々感じ取るように広い幕舎には
ピンと張り詰めた緊張感と強張る武将達の顔が今や騒然と並んでいた。
官軍キレイ軍団の諸将とミレム軍団の諸将が左右に別れ、
首座にキレイ、右方にオウセイ、左方にタクエン、キイ。
首座近くの机には敵味方の兵を表す駒と名瀞平野の地図が置かれ、
軍儀は開かれようとしていた。
「各々方、今日諸将に集まってもらったのは他でもない。我らが今までしてやられた四天王軍団との対局、その勝敗を決める決戦を、私は決心したからだ」
「「「おおっ!」」」
「では参軍のタクエン、決戦の戦略を版図を持って将軍らに説明申せよ」
「ははっ。不肖タクエン、ご説明させていただきます」
湧き上がる将軍達を前にしてキレイは落ち着き払った態度で
左手にいるタクエンに指図すると、タクエンは両手を中央で組み礼をし、
名瀞平野の映る地図の上に配置された各将軍達の名前が書いてある駒を動かし、
諸将に伝わるようにゆっくりと、それでいて大きな声で話した。
「此度の敵の四天王軍団の動きは、古書兵法の計略『虚変実撃』を要して、我らの虚実に騙され続けた猜疑の心を利用し、それを助長させて、本来陽動である虚の部隊を実に見せる計略なのです。おそらく敵が我が兵糧庫を狙う振りをして本陣に攻め入るという情報は、我らの判断能力を妨げる計略の一部でしょう」
「な、なんと!」
「そのようなことであったのか!」
「では陽動の軍が来ると聞いたが、それこそが実働部隊なのか!」
驚きを隠せない官軍の将兵達。
タクエンはそれを見て、再び語り始めた。
「これを今まで諸将に話さなかったのは、敵の策に我らがのったように見せるためでございます。敵を騙すにはまず味方、その通りといった風に四天王軍団は、今痺れを切らして我が軍を攻める算段をしています」
「で、では四天王軍はやはり攻めてくると!それでは対応せねば…」
「ご安心なさいませ、兵法、策、謀には正邪の法がございます。表があれば裏もあり…今回は『虚変実撃』の計のその裏『後虚車実』の計をとります。虚変実撃が猜疑を計り判断力を劣化させる計ならば、後虚車実とはその逆。騙し計ろうとする判断に乗ったようにみせて敵の油断を突き、逆に大反撃を用いる策にございます」
「な、なんと後虚車実の計!」
「すでに敵兵が動いたとなれば我が計略の5割は完成したことになります。あとは我が軍団の布陣の問題ですが…」
そう言うと、タクエンは名前の書かれた駒を手に持ち
まず名瀞平野の映る地図の中央、平野に数個の駒を置いた。
「まずは名瀞の中央、敵陣から1里の場所を押さえ、左右に2百歩の距離を置いて将兵を4千ずつ、合わせて8千の兵を置きます。おそらくここは敵も陽動を察せまいとして、強力な兵を置きます。つまり今回の決戦では一番の激戦区、長丁場の修羅場となります。ここには、とかく勇猛な将軍を配したいのですが…」
バッ!
タクエンの言葉が途切れるや否や
左右の列から将軍達が手を上げて立ち上がった!
「それがしにお任せくだされ!蘇ったそれがしの武器とそれがしの力さえあれば、きっと目覚しき戦果をあげてみせることが出来るでござる!」
「俺に任せろ!野賊隊の勇敢さなら知っての通り、どの隊にも負けやしない!やつらに煮え湯を飲まされ、殺された部下達の恨みは俺が晴らす!」
「いいや、わしに任せよ!我が鉄槍の凄み、兵の統率!勇猛さでは誰にも負けぬわ!」
豪傑スワト、野賊の長クエセル、猛将ガンリョが声をあげてタクエンを見る。
血気に満ちたその目は、決戦と聞いて疑いようも無い武将の目であった。
だが、疑いなき武将の目も命をとして慌しく変動する合戦になれば変わる。
タクエンは彼等の燃える闘志に釘を挿すように、三人をジッと見ると、
駒を置くのをためらうように、コツコツと地図の上で小突き、
わざとらしく少しため息をつくそぶりをして、気持ちが萎えたように
眉をひそめ、声を小さくして三人にこう言った。
「あなた方の勇猛さはわかりますが、今回の決戦は実質四天王軍との総力戦です。判断を誤り、命令を無視するような将軍では、策も策として使えません。先の戦いでも将が勝手に追撃などをしかけ、我が軍に被害がでました。本音を言わんとすれば、あなた方にこの大事を預けることが少し不安です」
「武将を軽んじられるか!それがし等は兵を預けられれば武将でござる!」
「素行の悪さは認めるが、俺らはもう賊じゃねえ。立派な官軍の兵だ!」
「将として無能で敗北を喫するなら、我らを斬罪にでもかけてくだされ!」
三将のその言葉。その態度。
四天王軍団と幾度と無く戦った武将達の心には、おごりなど無く
ただ純粋に合戦に出る将軍としての輝きに満ち溢れていた。
敗北につぐ敗北、その連敗を続け、辛酸をなめさせられ続けた武将達、
その戦いの全てが彼等を成長させ劇的に変えていたのだ。
タクエンは武将達の言葉を聞いて安心したようにこう言った。
「良いでしょう。では右方の4千の内、歩兵部隊2千をガンリョ将軍、野賊隊1千をクエセル将軍、槍兵隊1千をスワト将軍に任せます。あなた方は正面の兵を引きつけつつ、たとえ何が起こってもそこを守り、絶対に退かないでください。勝手に動けば、この策の意味は潰えます。わかりましたね?」
「「「はっ!必ず」」」
次にタクエンは地図の左手にある駒三つを動かす。
「そして2百歩置いた場所の左方4千の兵。ここにはオウセイ将軍を大将に騎馬隊1千、ドルア将軍に長弓隊1千、リョスウ将軍に歩兵隊2千を配し、敵と対峙します。おそらく敵は少数の兵で参りますので、適当に戦ったら、あえて負けた振りをして、一方の敵が味方陣へ進行しても無視してください」
「負けた振りをするのですか?失礼ながら、陽動の軍が味方陣に動いているのならば、ここは疲弊しようとも抜かれるのも…」
「ドルア将軍、策や兵法は時に自らの物を犠牲とする時がある。敵が鬼謀の者なら、その油断を誘うため、なおさら重い犠牲が必要となるのだ。陣は気にせず、ただ命令に従って戦うのだ、それしか我らに勝ち目はない」
タクエンはドルアの進言を聞いたが、それを言葉で一蹴した。
そして再び大きく息を吸い込むと、静かに戦略を語り始めた。
「敵が囲いを突破し、通り過ぎたと思ったら北に移動して、ガンリョ達の軍と合流し、その場を死守してください。英名山から煙があがったのが見えたら、それぞれ戦を止めて兵糧庫のある琶遥谷に向けて駆けてください、必ず逃げ帰る四天王軍が現れますのでそこを叩いてください」
「琶遥谷に向かって敵兵がおらなかったら如何する?」
今度はオウセイが質問した。
しかしタクエンは、顔の表情、その皺一つも動かさずに冷静に答えた。
「その時は、再びニ隊に別れ、全力で味方陣を攻める敵を押し返してください。もし敵がその攻撃で退くようであればそのまま追撃して、なるべく足止めをしてください。英明山に火の手が上がったとき、その時こそ敵を全力で押し返し、見事に追い払ってくだされ」
「わかりもうした。我が隊の身命を用いて策を完遂させましょうぞ」
質問に対して的確、それでいて自信たっぷりに答えるタクエンを見て
オウセイは投げかける次の言葉を失い、そのまま納得した。
タクエンは、次に三つの駒を味方陣のある平野地帯に置いた。
「ここへはミレム将軍の小弓隊1千を味方陣屋の後ろに、ポウロ、ヒゴウ将軍の工作隊1千を各味方陣屋に置きます。まずポウロ、ヒゴウ等は味方が出陣したら陣屋の全ての柵に燃えやすい薪と油を塗った藁を放り、味方の軍を突き破り抜け出してきた敵が来たら一斉にミレム隊にほうへ逃げてください。ミレム将軍は工作隊が逃げ出すのを見て、後ろ手の丘から火矢で味方陣屋に火をつけてください」
『味方の陣屋を燃やす』
その言葉にはミレムをはじめ、並んだポウロやヒゴウまでも驚いた。
策のためとはいえ、自分達の帰る場所を炎上させて
退路を塞ぐなど、今までの兵法ではありえない作戦であった。
「なんと!味方の陣屋を燃やすのか!それはどういう事ですか!?」
驚くミレム達に、タクエンは駒をくるりと回転させて
地図上にパシッとおくと、冷静な口調でこういった。
「そうです。なるべく多く燃やしてください、そのほうが敵も混乱し慌てます。そうして、敵が慌てて陣を出て行ったら真っ直ぐに名瀞平野を駆けて敵の英名山の前の陣屋を同じく火矢で程ほどに攻めてください。おそらく守り手は守り上手なキュウジュウの兵。苛烈に攻めて、攻め落とそうとは思わず、適当に戦って陣屋に煙があがったら逃げてください」
「ふむむ、おかしな命令じゃが…しかたあるまい」
タクエンは、不思議そうに顔をしかめるミレムを見てフフッと笑うと
今度はゲユマの方を向いて、地図の南方、重要地点である
味方の兵糧庫にある琶遥谷に駒を置いた。
「琶遥谷にはゲユマ将軍が小弓を持った手練の射手3千の兵を潜ませてください。谷の上に潜んで、決して前面や後方に多くの守備兵を置かないこと。敵の武将が怪しがっては策に支障をきたします。必ず谷の上に潜み、敵に体を隠すように勤めてください。敵が怯んだら兵糧庫に1千の守備兵を残し、そのまま英名山の武赤関のほうへと向かってください」
「ははっ、お任せあれ」
ゲユマが手を組んで礼をするのを確認したタクエンは
最期にキレイの駒とキイの駒、そして自分の駒をとって、
北方の英名山へと連なる湿地帯『拭徐野(フクジョヤ)』へ駒を二つ
南方の英名山へと連なる原野帯『望明野(ボウミョウヤ)』へキイの駒を置いた。
「ここ北方拭徐野には、キレイ様と私の歩兵4千を置きます。キュウジュウの守る陣が煙があがり、慌しくなりはじめたら、一気に山塞の壁を昇り、味方の反乱や何かの理由をつけて、偽報を叫びながら火をかけて関を攻めてください。混乱し、守りの薄い武青関をその勢いをもって一気に攻め落とします」
「わかった。偽報で油断している敵の肝を冷やしてやろうではないか」
「そして望明野のキイ様は2千の兵で待機して、武赤関へと走るゲユマの兵と供に四天王軍の兵を装って武赤関を攻めてください。一方の関がやられるとなれば、敵兵も情報に踊らされるでしょう。しかし、必ずキレイ様が武青関を落とした後に移動してください。敵がキレイ様のほうへ集中して、関が手薄になったほうが確実に攻め落とせます」
「なるほど。承知した」
最期の駒を置くと、首座にいるキレイが立ち上がり発言した。
「では決行は明晩とする!各将、敵に気取られぬように動いて決戦に挑め!それでは解散!」
「「「ははーっ」」」
こうして術策を背負った全ての駒が戦場へ配り終えると、
いつの間にか名瀞平野の地図は駒で一杯になっていた。
命令を聞いて、幕舎を後にした将軍達は合戦を前にして、
それぞれの気持ちの高ぶりを抑え、今までの敗戦の苦々しさを思い出しながら
タクエンから託された戦略を胸に、そして頭に焼き付けていた。
…
そして秋風が吹く名瀞平野に再び嵐が吹き荒れる。
兵は闇を味方にして異動し、将は熱を帯びて夜明けを待ち
合戦前の静かな夜は明けるのだった!