どっちにしたって中身が問題@kirekoです。
>一人称と三人称の効果的な使い方を教えて
http://news4vip.livedoor.biz/archives/51113268.html
一人称 俺
三人称 彼 彼女
一人称は人物の目線と心理描写が一つってイメージがありますね。
話す全てが『自分』から始まるから、主述の一貫性さえあれば物語が進みます。
主人公が考え込む=『俺は○○が好きで、それを考えたらフットーしそうだ!』
場の解説=『いてて、○○に殴られた。きぃーくやしい!』
動作や台詞=『避けられない!!俺は○○を覚悟した!』と、
まあこんな風にシーンごとに艶っぽい状況説明もできて楽です。
キャラクターの思考バイオリズムを読者に読ませて
主人公がどうしてて!?どうなってて!?どういう奴なのか!?
というキャラクター達の設定を理解させるのが簡単ということが利点ですかね。
他の人物への無駄なエピソードを主人公の内面の台詞で言えるので、
問題があるとすれば、その人物の心に最期までなりきって考えられるか!?
が問題ですかね。
昔の文豪達がよく使った手法ですけど、やはり人間が
端的に面白いと思うのは、こういう一人称の手法だと思いますね。
高樹のぶ子の『光抱く友よ』とかは、一人称で語りながらも吸い込まれていく
連続的状況説明がヤバイです。
一方、三人称は多人数の動作と心理描写が一動と動かせるが、
全てをまとめきる構成力がいるイメージがありますね。
情景描写、台詞描写、動作描写、そして理解をさせる解説。
また、それ以外にも設定の難しさがある。
読者をダラけさせないために限られた話数で各人物の描写が必要となるため
無駄な部分が一切かけない。エピソードに印象的な部分を盛り込めないことや、
設定にブレが生じると、さもすればキャラクターの破綻に繋がります。
ただし出てくる多くの登場人物のエピソードや、心理描写があるため、
読者に多方面的感情=よりマルチなドラマ的感情を抱かせる事ができる。
時代を描く歴史物とか戦記物はこういうの多いですよね。
山岡荘八の『新太平記』とかも三人称が多いんですが、やっぱり三人称の権化は
吉川英治大先生でしょうな。司馬遼太郎の三人称はドラマティックな場面よりも
脱線した知識文化の披露が多い気がしますので割愛ww
で、逸脱しましたが、こういうのが小説のメリットとデメリットかな。
しかし正直なところ、完全に三人称描写となると文章が面白くないというか
心理や感情をやぶさかには書けないという所から、色んな場面場面で
読者に理解を求める部分が多すぎて、面白くないと思なあ。
ちなみにkirekoはキャラクター達の気持ちが入るところは一人称、
冷静に場景を説明したり、スケールを大きく描きたい時は三人称を使ってます。
>一人称と三人称の効果的な使い方を教えて
http://news4vip.livedoor.biz/archives/51113268.html
一人称 俺
三人称 彼 彼女
一人称は人物の目線と心理描写が一つってイメージがありますね。
話す全てが『自分』から始まるから、主述の一貫性さえあれば物語が進みます。
主人公が考え込む=『俺は○○が好きで、それを考えたらフットーしそうだ!』
場の解説=『いてて、○○に殴られた。きぃーくやしい!』
動作や台詞=『避けられない!!俺は○○を覚悟した!』と、
まあこんな風にシーンごとに艶っぽい状況説明もできて楽です。
キャラクターの思考バイオリズムを読者に読ませて
主人公がどうしてて!?どうなってて!?どういう奴なのか!?
というキャラクター達の設定を理解させるのが簡単ということが利点ですかね。
他の人物への無駄なエピソードを主人公の内面の台詞で言えるので、
問題があるとすれば、その人物の心に最期までなりきって考えられるか!?
が問題ですかね。
昔の文豪達がよく使った手法ですけど、やはり人間が
端的に面白いと思うのは、こういう一人称の手法だと思いますね。
高樹のぶ子の『光抱く友よ』とかは、一人称で語りながらも吸い込まれていく
連続的状況説明がヤバイです。
一方、三人称は多人数の動作と心理描写が一動と動かせるが、
全てをまとめきる構成力がいるイメージがありますね。
情景描写、台詞描写、動作描写、そして理解をさせる解説。
また、それ以外にも設定の難しさがある。
読者をダラけさせないために限られた話数で各人物の描写が必要となるため
無駄な部分が一切かけない。エピソードに印象的な部分を盛り込めないことや、
設定にブレが生じると、さもすればキャラクターの破綻に繋がります。
ただし出てくる多くの登場人物のエピソードや、心理描写があるため、
読者に多方面的感情=よりマルチなドラマ的感情を抱かせる事ができる。
時代を描く歴史物とか戦記物はこういうの多いですよね。
山岡荘八の『新太平記』とかも三人称が多いんですが、やっぱり三人称の権化は
吉川英治大先生でしょうな。司馬遼太郎の三人称はドラマティックな場面よりも
脱線した知識文化の披露が多い気がしますので割愛ww
で、逸脱しましたが、こういうのが小説のメリットとデメリットかな。
しかし正直なところ、完全に三人称描写となると文章が面白くないというか
心理や感情をやぶさかには書けないという所から、色んな場面場面で
読者に理解を求める部分が多すぎて、面白くないと思なあ。
ちなみにkirekoはキャラクター達の気持ちが入るところは一人称、
冷静に場景を説明したり、スケールを大きく描きたい時は三人称を使ってます。