kirekoの末路

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第五回『小鯉、龍成れりて』-1

2008年04月17日 19時03分04秒 | 『英雄百傑』完全版

 「ザンゴー殿。おられるのでしょう?どうぞ戸をお開けくだされ」

 コン、コン。

 「えっ!?」

 ドカッ!ドサッドサッ!

 戸を軽く叩く音とその声に、優男は肝を抜かれるような思いがした。
優男は、驚いた拍子に勢いあまって自分の座っていた床板から転げ落ちると、無様にも地に突っ伏した格好で、打った膝や肘の痛みを涙目になってこらえながら、隠しきれない驚きと焦りの表情を浮かべた。

 「…ッッッ(い!今の話聞かれたか!?ま、マズイ・・・!!)」

 そして、若干痛みが治まった頃、少々の平静を取り戻そうと手を伸ばし、木製の水筒に入れられた水をゴクリと飲むと、音と声が聞こえた木製の戸の方をソォっと覗き、大声をあげた。

 「だ、だれじゃ!そこにおるのは!」

 だが、臆病な優男の心は、すでに不安で爆発寸前だった。
自分の心中を、誰が居るともわからない寝所で軽はずみにも吐露した事、その余りにも迂闊過ぎる自分の行動を心の中で何度も責めた優男であったが、時すでに遅かった。

 「ザンゴー殿、失礼いたしますぞ」

 戸の前の人物がズッと進む足音と供に、木製の開き戸が開け放たれ、差し込む穏やかな風と、キィと戸が軋む音が優男の耳に入ると、そこには見覚えのある着衣を着た若者が立っていた。

 「夜分失礼いたします」

キィー・・・パタン。

 戸がゆっくり閉じられると同時に、灯篭の明かりの下にぼんやりと顔が見える。
福耳に太眉、優しげな面長の顔面に少々のヒゲを蓄え、中背で少し痩せ型の体に、袖長のゆったりとした黒の綿の着物を鮮やかな白い絹の帯で纏った男。
 この村の長の息子ポウロ、その人であった。

 「おやおや、どうされましたか?そのように床に突っ伏して、何かのまじないですかな?」
 「い、いや!ちと、夏に向けて泳法の練習などしようと思いまして!ハ…ハハハ!」

ヌルッ・・・ポタ・・・

 「それにそのお顔、滝のような汗が出ていますぞ」
 「こ、これは…少し酒を飲みすぎて体が熱くなりもうしてな!ハ…ハハハ」

スッ…

 それを聞いたポウロは、ニッコリ笑いながら、向かう足を反転させ、再び戸のほうへ、その踵を返した。そして、自分で閉めた戸を開けると、通路の右へ左へ向いて、こう言った。

 「これ、誰かおらぬか。英雄の御嫡流が、暑いと申される。誰か!誰かおらぬか」

 ポウロの言葉に優男は思わず手を伸ばし、ポウロを止めるように。

 「ポウロ殿!暑くはない!暑くはないぞ!」
 「ふふふ…我らの家が十分なもてなしも出来ぬと思われますかな?」
 「い、いやいや、ははは!これ以上何か世話になっては!私も心狭くなる一方ですので!」
 「それはいけませぬな」
 「えっ?」
 「心狭くとは我らのもてなしが足りないという証拠。英雄の御嫡流に対して失礼極まりなく重い…」
 「そ、そそそ、そんなことはないぞ!わ、私は、じゅ、十分、ま、満足している!」
 「いえいえ、もてなし不足は何より我が家の恥。これ、誰かおらぬか」
 「よ、よい!よい!ほ、ほれ見よ!そちと話している間に、体から汗が噴出して気持ちよくなったわ!あは、あはははは!」

 優男は、自分の正体を知られたのではないかと思うと、気が気でなかった。
口では強がって話していたが、頭の中はとうに真っ白だった。
 そればかりか、常軌を逸脱した焦りのあまり、顔、腕、足、背中など、全身のありとあらゆる場所から滝のように流れ、噴出す油汗。ついに手足は震えが起こり、喋る唇から放たれる言葉は、次第にどもりがちになっていった。
 演じる英雄の嫡流という体(てい)にしては、なんとお粗末で、なんと無様な様子だろうか。

 「ふふ、いやしかし。ザンゴー様は、英雄の御嫡流にしては随分と謙虚なことでございますな…」
 「い、いやいや。昔はどうあれ、い、今はただの百姓だ。し、して何か用ですかなポウロ殿?ふ、ふう。私は酒宴で疲れました。特に用が無ければ、ね、寝かせてくれれば幸いと思うが」
 「いえ、私は何か声が聞こえたので、英雄の御嫡流に何かあってはまずいと思って、はせ参じました次第でございます」
 「そ、そうか。…こほん。で…私の声は…声の内容は、何も聞こえなかったのだな?」
 「ええ、聞こえませんでした」

 ポウロの言葉にホッと胸をなでおろし、一度ため息まじりに深呼吸をした。
やっと気持ちの平静を保てるようになった優男は、顔面の汗を着物の端で拭うと、その内に全身から流れ出す汗もピタリと止み、表情からも必死さが消え、その強張りを解いた。

 「ふふふ…ええ、聞こえませんでしたとも」

 しかし。
安心した優男の姿を覗く視線が一つ。
 凝視というか、優男の全身を舐めるような視線で覗いていたポウロは、優しげな太眉を垂らし、ニンマリと口を広げると、寝床に逃げるように入ろうとする優男の肩にサッと近づき、ポンと手を当て、聞こえるように口を耳元の近くまで接近させ、言葉を投げかけた。

 「…本当の事を言えば殺されるだろうし、言わなくても何れバレて殺される。どうあっても死は目に見えてる。うう…俺に嘘をつき通せる程の度胸があれば…あの大男を説き伏せれるような知恵があれば…誰かに媚びへつらわなくても生きれる権力があれば…」

 耳から優男の心へ、直接響くように聞こえてくる、ポウロの声。
先ほど優男が呟いた言葉に、一言一句間違うことのない、お経のような長台詞。
 そして、ポウロはダメ押しで最後に耳元で囁いた。

 「この偽英雄めが…!」
 「げえーっ!」

ガラガラガラッ!ドカンッ!バタッ!

 言葉のショックの余り、優男は寝床に入ろうと上りかけた戸板から、足を思い切り踏み外し、その場で2、3回転するほどの物凄い勢いで、音を立てながら床へと倒れた。音は、静まりかえっていた屋敷の全てに伝わるほどの大きな音で、隣の部屋で寝ていた豪傑スワトが気付くのも時間の問題だった。

バタバタバタッ!!

 廊下から地鳴りのような足音が聞こえる。
おそらく、熊のような豪傑スワトが優男の寝室へと駆けてきているのだ!

ガンッ!バターーン!

 「ザンゴー様!どうかいたしたでござるか!?ええぃ、くせものか!どこだ!それがしの希望、大義を持った英雄と知っての狼藉か?!何処だ!何処におる!前に出て、それがしと勝負せい!」

 木片を散らしながら、戸をぶち破ってきたスワトの顔は赤く、まるで鬼の形相であった。
それに対し、ふふっと笑いを浮かべるポウロと、無様に地面に突っ伏しながら驚く優男。
 飛び込んできたスワトの形相を見て、優男は、その時こう思った。
「終わった」と。

 しかし、そんな中。
次に声をあげたのは、意外にも笑っていたポウロだった。

 「ふふふ…はっはっは。早とちりが過ぎますぞ、豪傑殿の早とちり。良く見なされ!曲者の影形など何処にもございませんでしょう?ただ、ザンゴー様が床の間から滑り落ちただけですぞ」

 スワトはポウロの言葉を聞くと、鬼のような形相を解き、優男の無様な姿を見ながら、ポウロに言った。

 「は!?は?おお、なんだ、そうでござったか、それならば安心安心」
 「ふふ、そうじゃ。早とちりなのじゃ。早とちり。…全てはスワト殿のな」
 「はっはっは!それがし、これだけは治せぬ不治の癖!昔からの悪い癖でござってなぁ!いやー、慌てて戸を破って来てしまった。ポウロ殿、これはすまぬことをしたでござる」

 大声で笑うスワト。
だが、平静を取り戻した途端、ふと優男のほうに視線をやると、なんとなく疑問を感じた。
自分の耳で聞いた音は、滑り落ちたにしては、余りにも大きな音だったし、優男の格好が余りに不自然すぎるのも腑に落ちなかった。
 見れば優男の着物は、水でもかぶったかのように汗が染み渡り、顔面は死んだように血の気が引き、青ざめている。
 スワトは思わず、ポウロに質問した。

 「ふうむ。ポウロ殿。ザンゴー様は酒が回ってあのように落ちたのでござろうか?それがしには信じられぬが、もしや何か隠し事でもしておるのだろうか?」
 「…!!」

 『隠し事』と聞いて、再び汗が流れ始めた優男を尻目に、ポウロは淡々と答えた。

 「ふふふ、ザンゴー様は酒に強いお方でございます。万が一にも転げ落ちるようなヘマは致しません。なあに泳法の練習でもしていたのでしょう」

 ポウロが手を口に当てながら笑う。
スワトは、なんとなく腑に落ちなかったので、再び疑問を投げかけた。

 「では、なぜあのように着物が濡れておるのだ?」

 ポウロは、やはり淡々と答えた。

 「ふふふ、水もしたたる良い男と言うではありませんか。それに酒を飲めば体も熱くなり、汗もかこうものでございましょう?普通のことではありませんか。暑い時には汗をかく。人ならば当たり前のことでしょう」

 ニヤリと笑うポウロの視線を感じながら、その一言一言を、ただ怯えながら聞くしかなかった優男の心中は、まさに針のむしろの上に座らされ、重い石畳を膝に重ねられるような思いだった。言えば言うほど、優男の血の気は抜けて体は冷たくなってゆく。

 その様子を見ていたスワトは、最後にこう質問する。

 「では、なぜザンゴー様の顔面は死んだように蒼白なのだ?」

 ポウロは仰け反りながら、大きな声で答えた。


 「は!は!は!それはあなたに殺されると思っているからでしょうな!」


ガッ!

 ポウロの言葉を聞くや否や、伸び上がる巨木の如き長身のスワトが、ポウロに詰め寄って着物の胸ぐらを掴む。軽々と持ち上げられるポウロの体。スワトは大声で言った。

 「おのれ貴様!それがしが何故、英雄の嫡流を害そうと思うのでござるか!忠と義をもって牢を抜け出した我らの絆にひびを入れるような讒言(ざんげん)!返答しだいでは容赦せぬぞ!」
 「ふふふ…理由は申します。手を離しなされ」

 激昂してポウロの胸ぐらを掴むスワトに対して、あくまでもニコッと不敵な笑みを浮かべるポウロ。豪傑の手を逃れ、着衣の位置を直し、落ち着き払った態度で眼を瞑ると、ポウロは、左手を優男のほうへスッと出し、いつもの口調でこう言った。

 「英雄ごっこもこれまでです。もうそろそろ、吐露してもいいでしょう。ザンゴー様…いえ、英雄の名を語る、名も無き罪人よ」
 「なんじゃとォォォッ!!!!!!!!!!!!??????????」

 ポウロの言葉にいち早く驚いたのは、優男よりスワトのほうだった。
スワトの顔面は、電流が走ったように硬直し、アゴが外れてしまうのではないかと思うほど開いた口は、閉まるということを知らなかった。


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