鮎の俳句日記

その日の徒然を載せていきます

おくのほそ道 黒羽

2012-05-04 15:15:49 | おくのほそ道を書く(月)






黒羽

夏山に足駄を拝むかどで哉






黒羽には二週間ほど滞在した

黒羽城の家老の屋敷をおとずれて俳諧をたのしんだ

芭蕉一行を大歓迎して厚くもてなした。

芭蕉も大満足である。

光明寺というところの行者堂に招かれて おまいりをしました。

行者堂に祭る役の小角は修験道の開祖なのだから
芭蕉が敬意を表するのはあたりまえであった。




おくのほそ道を書く 那須

2012-05-03 10:16:30 | おくのほそ道を書く(月)



黒羽というところに知人がいるので
日光から那須野をよこぎってまっすぐ近道をいこうとしました。
はるか遠くに村が見えたのでそこを目指して歩くうちに
雨もふりだし 日も落ちてしまった

農家に一夜の宿をかりて 夜があけると ふたたび野原を歩きだした。

道の途中 放し飼いの馬にであった。
そのそばで 草を刈っていた男に
野道がわからず こまっていると相談したところ

男は 案内している暇はないが かといってこの那須野は
道が縦横に分かれていて 道にまよってしまうから
お気の毒だから この馬をかしてあげましょうと 言ってくれた。
子供が二人馬の後について走ってきた。

一人は少女で名前をきくと「かさね」と答えた。

田舎には珍しい優雅な響きの名前だったので曾良が一句ひねった。



      かさねとは八重なでしこの名なるべし


      曾良



まもなく人家のある村についたので
馬をかりた代金を鞍にむすびつけて 馬をかえしてやりました。





おくのほそ道 うらみの滝

2012-05-02 12:33:11 | おくのほそ道を書く(月)




しばらくは滝にこもるや夏の初め


芭蕉





しばらくはこの洞窟に婿もって 清冽な木をびていると夏篭り(僧の夏の修行)の

初めのように 身も心も引きしまるのを感じる


神社から200メートルあまり 山を登ると 滝がある
滝をみるには 岩の洞穴に身をかがめるようにしてはいり
滝の裏側から見るので
裏見の滝というようになった。


滝に篭る二人の姿は まるで 禊をしているかのようです。
飛瀑にって心身の穢れをはらったのです。


おくのほそ道を書く 日光

2012-04-30 19:32:55 | おくのほそ道を書く(月)



ここで 芭蕉は同行者の曾良を紹介します。


曾良は河合氏で名を惣五郎といいます。
芭蕉庵の近くに住んで 家事や炊事の手伝いをしてくれます。

このたび 松島や象潟の風景を共に見物できるとよろこんで
同行することになった。

出発の日の明け方頭髪を剃り 僧衣に着替え
惣五という名を僧らしく 宗悟と改めた。

こんないきさつがあって 黒髪山の句がうまれたのだ
「衣更」の二字には 旅の覚悟がにじみでて気迫がこもっている。





     剃りすてて黒髪山に衣更


            曾良

おくのほそ道を書く 日光

2012-04-24 20:14:23 | おくのほそ道を書く(月)




卯月ついたち

       日光



       あらたふと青葉若葉の日のひかり




なんととおといことだ
この山の青葉若葉は初夏の陽光ばかりか
日光の威光に浴して 照り輝いている


季語 青葉若葉



四月ついたち 日光山にさんぱいした。

昔はこの山を「二荒山」とかいたが
空海大師がここに寺を建てられたとき「日光」と改名された

千年後の未来の繁栄を予見なさったのだろうか

今やこの日光の威光は国中に輝き
恩恵は国内に未知ふれ
士農工商すべての民はみな 平安な生活を送り
天下は太平である

これ以上書くのはおそれおおいので
筆を 置く

おくの細道より




あらたふという 感嘆句が いいですね。

日光の荘厳な自然が 芭蕉さんに 深い感動をあたえたのでしょう

日光といえば すぐに家康をおもいださせるのに

山岳霊場としての 宗教的感動を 支配したのでしょう。

森羅万象 日光の 神威を 句に されたのですね。





おくのほそ道 草加

2012-04-23 17:12:39 | おくのほそ道を書く(月)



おくのほそ道 草加


皆に送られて 芭蕉は深川を 後に旅立ちました。



元禄2年

奥羽地方の長旅を 突然思い立った 遠い長旅

雪が頭に積もって白髪になるような苦労は覚悟の上であった。

それでも 話にはききながらまだいったことのない土地を旅して
無事に帰れたなら 詩人として 最高の仕合せである

そんなことをおもいながら その日は草加の宿にたどりついた。


やせてた肩にかかる 荷物がまず 苦しめる

浴衣 雨具 墨 筆  紙の着物は防寒用
そのどれもが 捨てがたく

歩きの旅はやっかいなものです。



当時の旅は 野宿も覚悟の旅

キャンプ用品を担いで歩くようなものです。

その 重さを 背に 旅にたつのです。

おくのほそ道を書く 千住

2012-04-20 20:52:08 | おくのほそ道を書く(月)





     千住




ゆく春や鳥啼き魚の目は涙



過ぎ行く春をおしんで
人間ならぬ鳥までも啼き
魚の眼は涙でうるむ


これを旅の最初の句として出発したのだが
名残おしさになかなか足が前に進まない

道の途中には並んで
後ろ影が見えなくなるまで 見送っていて
くれる ようだった。



江戸の深川で日常見慣れた生き物に 離別の情を託す

私も悲しいが お前たちも悲しいであろう。

お互いに寂しくなるね

そんな 気持ちがくみとれる 句です。

春に別れ
慣れ親しんだ 深川の家も売り
旅立つ 芭蕉さん

色々の感慨をこの一句に読み込であるのです。

おくのほそ道 旅立ち

2012-04-19 19:46:04 | おくのほそ道を書く(月)




草の戸も住みかわるよぞ雛の家

      はせを


この小家も人が住みかわることになった
新しい家族には女の子がいる
おひなさまを飾るはなやいだ一家にかわるのだ


新しく住む人に 挨拶代わりの句を残して
旅立ちをするのでした。



はせをと書いてばしょうとよみます。

もともと 芭蕉は「桃青」と名のっていました。
住んでいた家に弟子が芭蕉の株を植えたことから
住んでいた庵の名を芭蕉庵としました。

それ以後芭蕉と署名するようになったとのこと


芭蕉は漢字とかなの使い分けにきびしく
「はせを」とかなではかきました。


おくのほそ道 旅立ち

2012-04-18 18:49:16 | おくのほそ道を書く(月)




おくの細道を旅することにしました。
机上で ですが。

いままで 何度も 書きましたが 今度は句を読む立場から書いてみます。

句を読み解くことが 目的の旅です。

最後まで完結できるようがんばってみます。

応援よろしくです。



まずは 冒頭の 言葉です。

文章もいいものと聞いていますが 何度書いても あきません。





月日は百代の過客にして
行きかふ年もまた旅人なり
船の上に生涯を浮かべ
馬の口とらへて老いを迎える者は
日々旅を旅にして 旅を栖とす。




時は永遠の旅人である
すなわち 月日もそして年も
始まりと終わりを繰り返しながら 

時が歩みを刻む人生は旅そのものである

船頭や馬方は 毎日が旅であり 旅のなかにいるようだ

昔の文人のなかにも旅で一生を終えた人がたくさんいる


まだ続くのですが
その旅心を抑えきれずに
旅の神様に招待されたようになって
何も手につかぬようになってしまった。

早速旅したくにかかって 家も売り
旅支度にかかりました。