中期作品:第285窟 窟頂壁画 西魏
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534年北魏が東西に分裂された。その時代西域よりも中原地域との交流が密接になり、中原の造形様式や絵画技法などが敦煌に伝えられた。特に考昌年間に瓜州刺史として敦煌に赴任した東陽王元栄が敦煌石窟造営を熱心に行った。
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第285窟は禅定窟である。前室はかって後代の壁画によっておおわれ、その上小龕がうがたれている。主室のプランは方形である。中央に方形の低い壇が設けられている。西の壁にはやや低い位置に3つの尖供龕がうがたれ、中央龕を大龕としておのおの塑像体を安置する。両側壁にはそれぞれ4つの小さな禅定のための房室を設け房室内の素壁のままとしている。中国固有の伝統的な神話が窟頂に多く見られる。伏斗形窟頂の中心に藻井をあらわし、天井四面上部は雲気を描いて天界を示す一方、その下部には山岳、樹木、禽獣を配して地上界としており、画面全体が一つの天空世界を構成する。この窟頂壁画は華蓋式ラテルネンデック天井で、中央に蓮華が描かれ、三段式の桁に半パルメット文帯、外側に2重の三角垂飾を巡らせている。天井四面に中国の伝統的な神話伝説に基づく伏羲と女媧、雷神、風神、開明、烏獲および道家思想に基づく飛仙など、様々な神怪図を表している。天井下部では窟を一周して草蘆で静かに坐禅する比丘35体が描かれている。
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それに対して、草蘆外の山林禽獣と狩猟図は動的に表現されている。特に注目したいことは第285窟の壁画と前期第254窟北壁との違いは、インドの多面多臂像と中原地域の褒衣博帯式や北涼以来の凹凸法と新たに伝来した暈繝法といった異なる要素も存在しているとこである。
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小学館 世界美術大全集に詳しくあります。写真は249窟です。
面白いからみて・みて・・・
壁画の中に美の秩序が存在しています。
人間はホントに進化しているのか・・・考えてしまいます。