日々徒然なるままに

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お出かけ  龍神様に会いに行ったけれど 祠の神様?  part2

2019-06-19 20:51:44 | お出かけ
こんばんは。
朝から薄く靄のかかったようなお天気で、その分どこか蒸し暑く感じた日でした。
この辺りはそのような悠長なことを言っておられますが、昨夜は新潟で震度6の地震があったと伝えられました。
一夜明けてあちこちの被害が分かってきたようですけれど、またいつ同程度の余震がないとも限りません。
地震に遭われました方々にお見舞い申し上げると共に、どうぞ今後もお気をつけてお過ごし頂ければと存じます。





                                 





                                   





昨日はかなり疲れていたと思うのですが、いつも以上に眠気に襲われるかと考えておりましたがむしろ逆に神経が昂ぶっていたのか?さほど
眠くもならず、いつも以上にグズグズと過ごしていたように思います。
そんな自分のことなどどうあれ、昨日の事を昼からどうしたかから書いて参りますね。





                                       




まず向かったのはこの五月の厄月の際に、その祠(ほこら)の下辺りから見上げて、必ず近いうちに祝詞を上げさせて頂きに参りますと約束を
した龍神さんを祀ってありますお社でした。
此処は以前、主人がこの辺りへ新たに講社の支部を設けた際に、その近くのせせらぎの上辺り、昔の人々が行き交う道すがらに半分朽果てたような
お社があることから始まります。
どのような経緯で此処へその祠、社が祀られたのか、それはこの支部という名目で新しい神殿を設ける際にある方のお宅の離れをお借りする事と
なった際に、どうやらこの祠の話も出て来たようなのでした。
その当時は自分自身が主人と一緒になった直後で、事ある毎に何かしらと俗に言う霊障を受けておりました。
この話はまたいずれする事として、その祠が何故そこへあるのかということから話の緒につきます。
昔は人々が行き交うのはこの川の上を行く細い道であり、けれど昔の事とて酷い雨や嵐となった後はその道はすべることも多く、足を滑らせた人が
その下の流れに落ちて命を落とすことも少なくなかったようでした。
それを案じた当時のこの家の当主がどうやら岡山にある最上稲荷からお札だか何がしかをご神体として勧請して来られたのだそうでした。
それをこの祠へ祀り人々の安全を祈念するようにすると、それ以降このせせらぎの上から人が転落することは無くなり、近隣の人々に有難がられて
いたらしいとのことでした。
けれど時代を経るうちに人一人がようやっと通れるこの道は行き交う人もいなくなり、次第により便利な場所へ広い道も着く事となり、この祠へ
手を合わせる人もいなくなっておられたようでした。
そうなるとその辺りも荒れ放題となり、祠そのものも屋根瓦がずれて、朽果てるほどの様相になっていたのでした。
このような経緯があり、支部を立ち上げるのと同時にこの祠も今一度再建しようという事に話はとんとん拍子に進んだようでした。
けれど一口にそのように言ってもやはり先立つものも必要です。
その折に手を上げて下さったのが、この祠の修理を請け負って下さった地元の言わば土建屋さんでした。
その方の結構な協力もあり、再び祠の屋根が葺き替えられ辺りも綺麗に掃き清められた四月のある日に、此処へ祀られた龍神さんの再建再興の
お祝いとしての祭りを地元の方々と共に致す事となりました。
主人が祝詞を奏上し、お参りの皆さんと共に賑々しくお祭りを致したのを覚えております。
それが平成元年の事でした。
その後も毎年、その祠の前で同じようにお祭りを致しておったのですけれど、後にその支部自体をそちらの方に譲る形で幣講社はそこから撤退しました。
(ま、これも話すと長いので、いずれまた;)
ですので、その後はその祠にてどのようにされておられたのかは長い間存じぬままでした。
主人が倒れた後もそこの祠については訪ねる機会もあったのですけれど、主人が他界後はとんと行くことも無くなっておりました。
けれどその地域にまだ一軒だけ厄月に伺うお宅があり、その折にどうにもこの祠の事が昨年辺りから気に掛かるようになり、その昨年も結局は
訪ねるには至らず、今年に持ち越しになっていたという訳です。
と、此処までの前置きが長~くなりましたが(笑;)、このようなことからこの度訪ねたということですね。





                                      




                                      


   
                                      




写しておるのがその祠ですけれど、正面から写していないのはこの祠のすぐ前はかなり狭く引きで撮ろうとするとそれこそ崖下へ落っこちそう
ですので、こうして斜めからとなりました。
(もうひとつの理由もあるのですけれどね;)
何にせよ最初はこの時期は薄暗い辺りでもあるため、マムシが出るのではないかと懸念しており、少しはマシなものをと考えハイキング用の靴を
履いて此処へ行きましたが、湿っているほどには無く、マムシの心配は杞憂に終わりました。
また祠へ向かう道中もかなり荒れているのだろうなと考えておりましたが、そのようなことは全く無く、どなたか手を入れておられるようでした。
さて祠の前に着いて、祝詞を上げさせて頂くということで簡単にまずはお祓いを致し、徐に扉を開けました。
中は思っていたのとは違い、綺麗に整備されておりました。
ペットボトルではありましたが榊が上げられ、三宝には神酒や水等もちゃんと供えられております。
ただし以前はご神体と考えられていた一つの岩がそこへ鎮座しておりましたが、その両脇には見た事の無い木彫りの像ともう一体の仏像?も据えて
ありました。
これはどういう事なんだ?と感じながらも持参した祝詞を奏上するのですが、どういうわけか咳き込んでうまく言葉が出て来ません。
何度も咳払いを繰り返しながら、それでもなんとか祝詞は奏上し終わりましたが、どうにも釈然としないものを感じておりました。
先に此方のご神体は最上稲荷から勧請(かんじょう)されたらしいと書きましたが、此方は神仏習合の日蓮宗の寺院が祀っておられるものでも
あるようで、神事だけの神様ではありません。
だからと言って仏教を悪く申すつもりは一切無く、そのようであるということをご承知置き頂ければと思う次第です。
(その最上稲荷のかなり上の方には神社も併設されておりますが、それをご存じの方は少ないのではと思います。)
もう一つ、元の支部の方にそこを譲ったと申しましたが、元々この方ご自身が仏門と関係する人物と関わっておられたこともあるようで、その
ような事からも自分らが出た後は、またそちらとの関係も復活されたのかもしれません。
それにしてもこの祠では「龍神」さんを祀るということでそのように致していった筈ですが、何故それに関係なさそうなこれらの像が一緒に祀ら
れているのか、どうにも理解出来ませんでした。
殊に向かって左側に据えてある仏像と思しきその像はあまり良い感じ、氣を受けませんでした、失礼を承知で申すならば。
神道では神様の姿というのは目に見えないものとして考えられております。
ですので神社においてその姿を像のようにして、またご神体として鎮座されておることはまずあり得ないことかと思います。
(出雲大社に大きな大国主大神の像がありますが、あくまでそれらはオブジェとして捉えられております)
この祠の中にこのようにして祀られることにより、この像自体が何がしか勘違いと言えばこれまた失礼ですけれど、己に大きな力があるのだと
思い込み、それなりの力があるのだと思っているのではと、自分自身には感じられました。
あくまで自分が感じたことです、けれどまるで人を睥睨するかのような表情からは、どうにもそのように思えて仕方ありませんでした。
けれどこのようにして手厚くお世話されているということは、やはりどなたかなりに慕われているからこそかもしれません。
そう思うと、ああ、此処はもう自分が足を運ぶべきところでは無いなと、これもまたその時に感じました。
瀬織津比売を御祭神としていた頃の面影は既に無い訳ですから。
先に撮りました祠の脇にはこれもまた、自分達が去った後に此方の方がそのご神殿脇に置かれていた「大国主「命」」と書かれた台座に据えら
れた大きな石像を此方へ持ってこられ、設置したようでした。
本当に失礼な物言いばかりですけれど、何から何まで、それこそ何かが違うその場所は、もうご縁が切れたのかもしれません。
けれどこれも幾度も申すように、このような形であれ祠を整備し祀っておられることが安寧に繋がっておられるのならば、それはそれで良しと
すべきなのでしょう。
それともこれらを承知の上でかつての龍神さんが私を呼んだのでしょうか、こればかりは分かりませんけれど・・・。
そんな感想を抱いた、かつての龍神さん、瀬織津比売の祠でした。




                                     






昨日、こんな形でこの後も更に北に向かい走ったのですけれど、その総走行距離が160キロ強程でした。
車ですと、まぁまぁ走ったかなという距離ですが、これをなんと自分の脚、脚力だけで走った方がおられます。
「青と緑のあいだ」のれいさん、題して「日光千人同心街道ジャーニーラン」と称して書いていらっしゃる中の方。
その名も鈍足親父(いえ;ご本人の自称ですよ 悪しからず;)さん、これも「鈍足親父の独り言」とされるブログにて「速報・・・です^^;」
として書いておられます。
え、160キロ?それ自足ならぬ;時速の間違いで、それでも車でも日本なら捕まりますぜ;な話ですけれど。(笑)
いえいえ、ちゃぁんとご自分の足で走られた総走行距離だそうな、はぁ;;。
世の中、凄い方がおられるものですよねぇ、もうびっくりですよ。
ほんのちょっとしたことでも大袈裟に大風呂敷おっぴろげて自慢したがる、どこかの自分とはえらい違いですわな;。
そんなことを感じさせて頂けたお話でした。
いやはや凄いお話ですね。





                                          





                                                    




この調子ですとまだ先が長くなりそうですね;、毎度ながらにすみませんです。
それでもいつも変わらずお付き合い頂きます皆様、本当に有難うございます。
感謝申し上げます。                        

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2 コメント

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Unknown (れい)
2019-06-19 22:50:28
長い距離の運転お疲れ様でした。
おなじ距離を自分の足で走っちゃう人もいるんですものね。すごいわぁ。。
そうそう、前にちょっとお話した「超ウルトラマラソン」ですが、中国地方では「萩往還マラニック」が有名ですよ。
70km、140km、250kmの3つのコースがあります。

山の中の祠へよくおひとりで行かれましたね。山用の靴で正解だったと思います。マムシだけでなくいろんな虫もいますからね。
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距離がマラソンじゃないし;; (あおぞら)
2019-06-19 23:12:18
70キロ、その倍の140キロ、そのまた更に倍近くほどもある250キロって;;。

それ、絶対車で走る距離ですよ。

なんか呆れるほどの距離を走る方っておられるんですね、本当に驚きしかありません。

昔、実弟がトライアスロンをしておりましたが、さすがにこの頃は自転車競技「だけ」にしたらしい;。

自分の脚で一歩一歩地面を蹴って走る凄さを思います。

私は散歩で十分だなぁ;。(笑)

祠のある場所はそこまで山奥ではないんですけれど、なんせ狭い道を行くので少し危ないかも、ですね。

すぐ下の川のせせらぎが聞こえて気持ちは良い場所です。


(話、全然関係ないけど、下の数字が6666になってます、なんかあるのかな?)
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