日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

木花開耶比売の言葉   井戸のお祓いの折に

2020-08-08 19:08:08 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
今日も変わらず殆ど曇り空の一日でした。
昼下がりというのか午後3時過ぎ位に一度ザァッとにわか雨がありましたが、ものの5分ほどで止みました。
未だに梅雨から抜けていないような日々が続いておるこの辺りです。



                             
                              (本当はもっと明るいんですけどね;)


                             



                             



昨夜、どうでもよいことをグダグダ考え始めてまた眠れなくなっておりました;。
大体寝る前に考えてはいけないらしいですね、碌なことにはならないからというのがその理由のようです。
むしろその日にあった出来事をどのようにしてでも良い方向へ(無理やりでも;)考え直して、あー今日はいい日だったなぁ、素晴らしかった
そう思って眠りにつくと快適に眠れて、起き立ちも爽やかに目覚めるそうです。
確かに寝る前にあれこれ考えながら眠りに就くと、起きるなり、ああ;あれどうしよう;と昨夜の心配事をそのまま引き継ぐような気分で起床
するように思います。
ま、これは自分の経験からですが。
昨夜もそれを思い出し、そうだった、良い方へ思い返して、さぁ今日は素敵な日だった、良かったよかった、と寝ようとしたのですが、また同じ
事を考え出して結局は寝られなかったという落ちになりました。
なんだかねぇ;。
いや本当に考えても仕方ないことなので、起きてから解決策を考えろやと自分でも思ってたんですけども。
最終的には神様の前で、どうすればよろしいでしょうかとお伺い致しました。(ずるいな でもお伺い出来て便利; 笑)
答えは、やらずに後悔するよりやってみれば良い、その先はそれからまた考えなさいということでした。
その折には、ふむ、そうだなと思いましたが、これも至極当然な話ではありますね。
やらずにいて、あの時こうすればよかったと後々思うよりも、一応はしたんだからと自分に納得できるというものです。
それならば、と今一度心に決めて、それこそ前向きに歩んでいこうと思います。
これまたどうでもいいお話でございました。(笑)



                            



今朝も祝詞奏上させて頂きました。
今日は木花開耶比売の香りをつけて致しました。


 木花開耶比売(このはなさくやひめ)

 〝 花の命は短い

   よく言われる言葉ですね

   桜の花に喩えられます

   あなた方の命も 本来はそのようにあっという間の出来事なのです

   魂は連綿と続きます

   けれど 今のあなたが あなたとして居られる期間は

   魂の部分からすれば ほんの僅かの時でしかありません

   ならばこそ その僅かとされる時を思い切り生きなさい
 
   辛いとか 悲しいとかではなく

   楽しく 心踊ることへ目を向けて 過ごしなさい

   今のあなたは 今のこの生しか無いのですから 〟


このような言葉でした。
花の命は短くて、とこれは何かの歌の文句のようですが、自分達の感じているこの命の長さは本当はあっという間なのだと言われます。
いや日々一生懸命生きてるし、とても短いとは思えない、そう感じますよね。
けれど連綿と続くとされている魂からすれば、この今の生はその永い期間のほんの僅かに過ぎないということのようです。
だからこそ、尚更今のこの自分の生、今生を精一杯生き切りなさい、そう言われたように感じます。
そうして同じ生きるのなら、辛いとか苦しいとか悲しいとかの感情に囚われるよりも、出来る限り自分自身が楽しい、嬉しいと感じられるよう
生きなさいと言われました。
そう出来ればそれが一番良いけれど、なかなかそうもいかないのが自分たちのこの人生ですよね。
ならば、余計そのようになれるよう笑顔を増やして生きること、それが大事なのではないか、そう感じました。
なんだか先に書いた自分の昨夜のことにも似ているようですけれど;。
まずは笑えるようになること、それから始めたいと思います。



                              



                             
                                      


井戸のお祓い、書くと言っておりましたよね;。
ですので忘れないうちに自分の記憶を掘り起こしながら書いていきたいと思います。
しばしお付き合いのほどを。(また長いんですけどね;)

当日、いつものように車屋さんへ行き、それでもかなり早めに借り出して現地へと向かいました。
もちろん一度うちへ戻り、外祭(がいさい)用の祭壇等を積み込んで再度出発します。
混んでなければ40分もすれば現地到着出来る予定ですが、なんせ朝のラッシュ時;。
うちから主だった国道へ出るまでが既にして40分掛かる始末。(普段は早ければものの10分程度かと)
車の中で自分が駆ける思いでおりますが、まさか車の上を飛び越えていくわけにもいかず、じりじりとしか進まない車列にまぁ仕方ないねぇ
と感じながらも内心焦っておりました。
それでも国道まで出れば走行はそこそこスムーズになり、現地までこれまで掛かった時間よりも10分ほど短いくらいの時間しか掛かりません。
如何にうちの地域から国道までが車が多いかということですよね。
ともあれ近くまで着いたのですが現場と称する場所は、あれ?この車で通れるの?という狭い道が両隣の家に挟まれるようにして通っています。
大丈夫か;?と感じつつも先に、その現場で既に仕事しておられた作業員さんに声を掛けると、大丈夫ですよ、ここ2トンダンプ入って来てる
んで、と事も無げに言われます。
確かに奥にそれと思しきダンプが止まっていました。
それならばと今一度車まで戻り、その狭い道をおっかなびっくり通り抜け現場へと着きました。
抜けた先は結構な広さがある更地となっておりました。
聞けば5軒分の家を解体して、また新たな宅地とするようです。
こんな狭い道、どうよ?と思いましたが、既にこの段階で買主さんは4軒分のうちの3軒は決まっておられるとか。
まぁ住めば都とは言いますんですね。
ともあれ早速祭壇等を下ろし、これからお祓いする井戸の前に設置し始めました。
見ればそこまで古い感じの井戸ではありません。
深さは6メートル程、これなら敷地の奥まったところにあるのだし、これからも此処で庭に水を撒いたりの生活用水として使えばよいのにと
つい感じてしまいます。
けれど大抵このように新しい宅地とする際にはせっかくのこのような井戸も埋め戻すようで、それが仕事とはいえ勿体ないことよねぇと思って
しまいますね。
そんなことを思いながらも祭壇を組み、その上に神籬(ひもろぎ)やお供え物も据え、準備が整いました。
作業していた方にお集まり頂き代表者さんと共に後ろへ並んで頂きます。
まずは祓い弊(はらいべい)にて皆様をお祓いするのですが、不思議とこの祓い弊の前に立つと風が吹き始めます。
神様がお越しになるのでしょうか。
まずは井戸を、そうして皆様をお祓いし、神籬へ神様をお呼び致します。
この際には警蹕(けいひつ)のおーーーーっの声でお呼びするのですが何やら大きな神様がお越し頂いたように感じられました。
続いて祝詞奏上し、それも終えるとふと目の前に大きな黒い龍がさながらとぐろを巻くようにして、まるででんっ!という風にしてそこへ居る
ように思えました。

 " そちか 我を返すのは? "

そう目の前の龍にねめつけられるようにして言われたようでした。
はい、申し訳ありませんがそのようにさせて頂きます、そのように心の中で答えました。

 " ならば "

一言、そう返してくれたように思えました。
その後に井戸へ清めの砂と神酒等を入れ、最後にお越し頂いた神々に元の神座にお戻りくださいと再び警蹕をしてお帰り頂きました。
その際、自分は腰を折っておーーーっの声を出しておりますので周りは見えておりません。
けれど目を閉じたその目の前が一瞬とても明るくなったように感じられ、同時にまたもや一陣の風が吹いたようでした。
先程の龍がこれまでいた井戸から天高く大空へと駆けて行ったのかもしれません。
その折に感じたことは、どうやらこの龍はこの辺り一帯の河川等を管轄していたのではということでした。
この敷地のすぐそばには小さな川があります。
それらも含めて龍自身が守護してくれていたのかなと感じました。
龍がいなくなったからといって悪いことがあるわけではなく、次からは少し離れた場所から見守ってくれるということなのでしょう。
ただしどのような場合でも、このように礼節を持って接しお帰り頂かなければ、後々案外と大変なことになるようです。
そのようなことを肌で感じ取っておられる土木関係の方々は、必ずというほど水に関するお祭り、殊にこのような井戸関係はしっかりとお祓い
した後に工事に掛かられるようです。
人間の暮らしには欠くべからざる水、大事にするに越したことは無いのではと思っております。



                            




やれやれ、ようやっとで井戸のお祓いのことを書かせて頂けました、あー長かった;。(笑)
自分の中ではかなり前の話のようですが今週の頭なんですよね、参らせて頂いたのは。
その後に息子とのあれこれがあったので、なんだか短いような長いような、そんな一週間だったように感じます。
ということで明日からは、はい、これもやっとこさで出雲行きの話をさせて頂こうかと考えております。
これね、自分で言うのもなんですが、行きしなから、え?これって、ある?なことが結構ありまして。
いやだからこそ、大社参拝だったのかもしれないね、とこれはその後に息子と話したことではありました。
ま、明日までのお楽しみとして頂ければと思います。



                             



                             

                            


本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
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