goo blog サービス終了のお知らせ 

日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

笑顔についてちょっと考察

2017-05-22 22:56:07 | ものの見方 考え方
こんばんは。
今日も一日暑い日でした。
ただ、カラッとしている分爽やかで過ごしやすかったですね、この辺りは。
 
                             

お定まりの、今日の朝日。
雲もなかったので、これまた爽やかに一日が始まった感じですね。

                             

今日はですね、息子に荷物を送って欲しいと頼まれていたものを宅急便で送り出しました。
大したものではないのですが、水筒やらドライヤーやといった日用品、それに靴(スニーカーかな、雨を通さないもの)
下着など、まぁ今はウィークリーマンションとのことで、なかなか洗濯やらも思うようにできないとかで、どうしても
身の回りのものがいるようです。
自分でなんとかするよ、といいつつ、また親の方もついつい、この際あれもこれも送ってやろう等と考えてしまうもので
結局、荷物も増える感じですね。
仕事に就いてまだひと月と経っておらず、しばらくは不自由も続く感じです。
やはり、甘いのは親のほうかもしれませんね。
 
                                                          

と、そんなことをした後、今日は仕事もオフとなり(え、休んだのかって?すみません、たまたま何もなかったので;)
先日の出雲のお土産、というほどではありませんが、お世話になっている方にお渡しするのを口実にちょっと出掛けて参りました。

まずは、先日オープンしたという商業施設へ。
広島市内外、これまでに結構似たような大型店舗があちこちにあり、此処はそれでも、それらとは少し違いますよとの触れ込み
でしたので、物見遊山で行ってみました。
月曜ではありましたが、まだまだお客さんは多い様子。
とはいえ、その中はこれまでのモールと同じように感じてしまうのは、こちらがオバサンだからでしょうか^^;。
目新しいお店もありますとのことでしたが、そうかなぁと感じてしまうのは、やはりそんな理由からでしょうね。
外車の展示テナントもあり、乗れるわけもないのに;、つい中を覗き込んでみたり。
そのブランドとしては一番小さいといわれるサイズでしたが、傍によるとやはりデカイ;。
「車幅は?」とうかがうと
「178センチですね」とのお答え。
ということは、うちの車と変わらないのでしょうけれど、その面構え(あ~ら、ごめんなさいませ;ついいつもの
 物言いが出てしまっております;)、それだけで他を圧倒するには十分な気がします。
ま、主人の言いつけ?我が家の家訓?として「車は中古を買う」と決まっておりますので、所詮ご縁がない話ではあります^^;。
(心配せずとも、お店の方もそんなことは百も承知、お客さんを見ておられますよね、当然だ)

そんなこんなで、ついからかうわけではありませんが、ひやかしながら店内を見て周りました。
お昼はどこも満杯な様子で、パン屋さんに併設の喫茶で、そこの出来立てパンをほおばって昼食としました。
 
                                                        
その後、最近行けてなかった宇品の森へ。
此処は、どこからか捨てられてきたニャンコが居るところです。
そして、このニャンコ達にえさをあげているボランティアさんがおられるのですが、今日お会いしたのは、そのお一人の方。
自分とは違い、毎朝早くから、このニャンコ達に雨だろうと雪だろうと、日曜以外は足を運び、避妊治療もさせ、具合が悪いと
なれば、自宅へ連れ帰り面倒を見るということをされておられます。
いくら森の中といっても、少し下へ下りれば民家もあり、嫌われる人もおられるのですが、話し合いをしながらだんだんと折り合いを
つけ、この子達の世話をするのを地域で一応は容認されておられるとのことです。
さすがに昼間は、そんなニャンコ達も森の中で隠れているのでしょう、姿も見えません。

                             

その代わり、ではありませんが、ある一組のカップルが前撮りというのでしょうか、海岸沿いで、ウェディングドレスやタキシードの
上にカープの赤いユニフォームを羽織り、写真撮影をしておられました。
暑かろうにな、とはこちらが勝手に思うことで、彼らにされてみれば一生の思い出に残ることです、撮るほうも、また撮られる方も
楽しそうに頑張っておられましたよ。


そこからまた少し歩いて近くにあるホテルのそばまで行くと、何やら物々しい感じで、ホテルの方々が正面玄関にて、これからお越し
になるであろうお客様をお出迎えの様子。
どなたか賓客がお越しになるのかしら、と野次馬のノリで遠くから見ておりました。(コラコラ;)
こちらからは、ちょうど陰に入り、涼しいところだったのですが、そのホテルの玄関先はどうにも暑そうな雰囲気。
なかなか到着されないお客様ですが、そのようなことは微塵も感じさせず、じっと待っておられる皆さん。
当然ですが、そこはプロであられるなと感じさせて頂きました。た。                                                   
10分とはいわず、それ以上の時間を経てお客様がお見えになり、次々と到着するバスから降りてくる方をにこやかに出迎えられる
姿は、さすがホテルマンと感じたのでした。の                                                        

                            


今日、お会いした最初の商業施設で働いておられた方々。
お客様相手とあり、それぞれ笑顔で接客しておられます。
浜辺で写真撮影されていた写真屋さんも然り。
またホテルでお仕事されておられる方々も、また同様に気持ちよい笑顔で接して下さいます。
よく聞かれる営業スマイルという言葉もありますが、それだけではないと思います。
疲れていれば、その笑顔もどこか疲れた様が表れるのでは、と感じます。
勤務時間中だもの、多少疲れていても笑顔でいられるのは、それが仕事だからだよ、そう言われるかもしれません。
ですけれど、自分の中に、その仕事に対する好きという気持ち、また誇り、そういうものが心の中に無ければ、一番表側の
顔に、その表情としては表れてこないのではないか、そう思います。
自信が無ければ、どこかしら不安な感じも見て取れることでしょう。
それでも、そこで一生懸命さが見られるならば、それもまた相手に自ずと伝わっていくものだと、これもまた感じます。

先の商業施設にある日用品雑貨を取り扱うお店でカードを作ったのですが、その対応をして下さったのは、まだどことなく
ぎこちなさが感じられる、でも素敵な女性でした。
でも、その彼女の真摯さがこちらに伝わってくるように思え、素直に素敵ですよ、と伝えたのでした。
ご本人は少し照れるというのか面喰ったのかもしれませんが、そう言われればどなたも悪い気はしないものですよね。
面映いと感じられながらも、褒められることで、その人の自信に繋がり、それがまた次の笑顔の元になっていくのでは、と
そう思います。

笑顔が次の笑顔を生み、またそこから次の笑顔が繋がって楽しい気持ちが膨らんでいく。
そうすることで、また新しい笑顔が出来て行く。
そういう世界が広がればな、と感じます。
今の世の中、どうにも笑えない事実が多くあり、笑顔どころか、しかめっ面をしてしまいそうになることが毎日のように
起こっています。
深刻な事態もじわじわと広まっているようにも思えます。
それでも、先ずは自分の顔から、本当の笑いを生み出していくことが出来たなら、そんな世界も少しずつでも変わっていくのでは、
と感じます。
大きなことでなくていい、ほんの少しのところから笑ってみること、笑顔になってみること、大袈裟にかまえるのではなく、まず
身近なところから始めてみること、そう思います。

                              


明日の朝、鏡を見て、まず自分に笑ってみては如何でしょうか、案外楽しく一日を始められるかもしれませんよ^^。


すみません、文中、どうしても消せない文字がありました、申し訳ありません。
訂正できません、お詫びのみ申し上げるしだいですm(--)m
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

交通あれこれ

2017-05-20 18:46:57 | ものの見方 考え方
こんにちは。
ここ二、三日これまでになく気温上昇が半端なく、いきなり夏に突入した感じになっていますね。
よく言われることですが、家の中にいても熱中症になったりします。
十分な水分補給等をして、体温調整に努めたいものです。
 
                                

このところ、毎日おんなじようなお日様載っけてますが、これちゃんとその日の朝撮ったものですよ。
だからどうした、と言われれば、いえそれだけです、な感じですけどね。
これ見ただけで、朝から暑い、そう感じてしまいますね。
ともあれ皆さん、体調管理にはくれぐれもご注意下さい。


                            


その気温やら気候とは違う話題なのですけれど、今日は自分が日頃から感じている、こうした方が世の中
断然よいのでは、と思っていることについて書かせて頂きますね。

それはですね、ほとんどの道路、交差点での「車歩分離」ということです。
よく近くに小学校やら幼稚園等、子供らが通うような場所では、車だけが通る時間帯、或いは逆に人だけが
通れる時間帯に完全に分けて、信号が作動しています。
そうすることで、人は車が来るということに気を散られることなく、安心して横断歩道を渡ることが出来ます。
逆に、車の立場でも人が歩道を通らないので、右左折時に人を心配することなくコーナーを曲がることが出来ます。
これまでにも、大きな交差点等で、ダンプなどが左の巻き込みにより自転車と衝突する事故があるというのが、
今でも絶えないように感じます。
お互いに気をつけているつもりでも、事故が起こってしまう。
確かに大きな車のほうが、人や自転車に比べれば遥かに重量もあるわけですから、それが接触すればどのようになるのか
というのは、誰が考えてもわかることだと思います。
車も人も、気をつけていれば防げること、そうなのかもしれませんが、未だに申した如く事故は無くなりません。
そうならば、もういっそのこと、そのほとんどの交差点で、この車歩分離にしてしまった方がよいのではないか、
そう思います。
確かに、そうすればこれまでよりも、お互いを待つ時間が多少増えるかもしれません。
ですが、最初からそんなものとしていれば、別段それにより、これまでよりも時間を取られたと感じることも無いのではないか
そう思います。
ちょっとしたことで、起こらなくてもいい事故が減らせるなら、考えてみる価値はあるのでは、そう思います。

その他にも、今特に高齢者といわれる方のアクセルとブレーキの踏み間違いの事故が、毎日のように各地で起こっているようです。
ヒューマンエラーというには、あまりに辛い事故ばかりですが、起こした事故は様々に厳しい側面を伴います。
人を巻き込めば、それだけでも辛く悲しいですし、店舗等へ突っ込むようなことになれば、これもまたその後の損害等を思えば
どのように補償できるのかということにも繋がるのかとも思います。
高齢の方が多いだけに、なんともやりきれぬ思いがします。
この辺りは、自動車メーカーさん等が、今の時点でも、急激にアクセルを踏んでも急発進しないような装置の開発をなさり、実際に
取り付けられるようにもなっていると聞きます。
これも、新車で購入する場合は、今後はそのような装置は当然完備したものとなっていくのでしょうけれど、まだまだ普及には時間が
かかるのかもしれません。

また自動車ではなく、軽車両として今は自転車が車道を走るようになっていますが、先に述べたように何百キロ、何トンとある車と
同じ道を走るのは、果たしてお互いの安全の為になっているのか、と感じています。
自転車に乗る人は、一応ヘルメットを装着しておられる方もいますが、身体部分に関してはほぼ無防備といえるのではと思います。
スピードは自転車もかなり出ますが、いわば生身の人間と鉄の塊のような車がぶつかれば、どのようなことになるのかは、言わずもがな
と感じます。
バイクも自転車に比べれば、まだ遥かにしっかりとしたヘルメットを被り、中にはプロテクタを着けた服装で乗車している方もいます。
車と比べれば、まだまだ完全とは言い難いかと思いますが、二輪という構造上致し方ない面もあるだろうなと思います。
(えらそうげな物の言い方で、本当にすみません;好き勝手書かせてもらっております;)
そのようなバイクや車などと同等の道路を走るというのは、どうにも自分としては解せないなぁ、とつい感じております。

人、人間が動かさなくても自動で運転してくれる自動運転の車も、今は世界のメーカーがしのぎを削って開発され、既に発売もされて
います。

それでも、最後はどこかで人の目がいるのではないのか、そんな気もしてしまう自分です。
とはいえ、自分がこのような大それたことを申すまでもなく、上記のような、まるで戯言のようなことを申したからと言っておいそれと
どうにかなるものでもない、そう思っております。

人と車、まだまだ今の生活、ことに都会ではなく地方といわれる地域に住むものとしては、切り離せない関係にあります。
だからこそ、お互いが安全に過ごしていければ、そう感じます。

                               



申し訳御座いません。
くっそ生意気なことばかり、御託を思いっきり並べた今日の文章となっております;。 
それでも、少しでも自分たちが住みやすい、そんな社会であれば、そう感じております。


あ、車のことで書かせて頂きましたので、昨日の自分の報告をさせて頂きます。
実は、先日、カメさんについて書きましたが、昨日は、なんと「へび」さんをどうやらムギューッと哀れにも踏んづけて
しまったようです><;。
すみませんです、こないだ大きな口を聞いていたのに;。
昨日、田んぼの間のあぜ道を広げたようなところを通っていたのですが、「え?」と思うと既に目の前の道路の真ん中に
長~く伸びたヘビさんの姿が。
あぁ~、と思う間もなく、どうやらその上を通過してしまったようでした;。
ルームミラーで見ると、う~む;どないじゃろか、な感じでして;。
まぁた確認してなかったんか、と問われると、はい、すみません、そのままひき逃げ?してしまったようでした;。
(彼だか彼女だかの上を無事通過して出来ておれば、と未だに後悔しております)
前回の反省もどこへやら、自分自身、十二分に気をつけねば、と思った出来事でした。
(帰宅して神様にごめんなさい、とご報告は致しておきました、本当にすみません;)


                              


いつもと少し違うことを述べさせていただきました。
オバサンの独り言と思って頂ければ、幸いです。

今日もお付き合い、有難う御座いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もう一つのエピソード

2017-05-16 22:11:07 | ものの見方 考え方
こんばんは。
なかなか早い時間に更新出来ないので、すみません。
お蔭様で、仕事終えて帰ると19時過ぎ。
さすがに少し疲れております(でもお勤めの方なら、このくらいの時間ならごく普通ですよね;、ごめんなさいです)

                           

さて、昨日の続き。
いよいよ出雲大社へ、といいたいところですが、その前にもう一つ、エピソードがありました^^;。
またかい、と思われるでしょうけれど、ま、聞いてやって下さいませ。

コンビニを出て車を走らせていると、道路の真ん中辺りに何やら少し大きめの石が転がっております。
なんだ?と近づくにつれ、それは石ではなく、なんと「カメ」であることに気づきました。
まさか、と思われるでしょうけれど、走っている道路は元々広域農道として作られていた道であり、それが今は県道に
昇格しております。
そのような訳で、この辺りは未だに道路の両脇は田んぼが広がっている地帯でもあります。
そういう場所ですので、カメさんが生息するには必要十分?な水も豊富なわけですよね。
斯様なところで、そのカメさんが、何をどう思ったのか、その道路をこちらの端から向こうの端まで渡ろうと考えたのかどうか、
それは定かではありませんが、ともかくこの道路の真ん中辺りまでは、エッチラオッチラ歩いて来ていたのでしょうね。
とはいえ、こちらは車に乗り、それなりの速度で走っているので、そのカメさんを見たのもほんの一瞬。
すぐにその傍らを通り過ぎてしまいました。
ですが、そのカメさん、そのど真ん中辺りで首をすくめる様にして、さてここをどうしようか、と本当に危険に身を晒しながらも
それ以上は動けずにいるようでした。
この時は、まだ交通量もそれほど多くなく、自分の後続車は少し遠く、対向車もあまり見かけなかったように記憶しています。
咄嗟に、車停めてこのカメさん、反対側の田んぼに逃がしてやろうか、と考えたのですが、ついひるんでしまいそのまま自分自身
走り去ってしまいました。
でも・・・、もういっぺん引き返そうかどうしょうか、と考えるうちにかなり走ってしまい、結局は何も出来ない、しないまま
そこから離れてしまいました。
心の中では、カメさん、どうか無事にそこを渡り終えててね、向こう側へ辿り着いててよね、と祈る気持ちでいた自分でした。

                             

たかがカメ一匹、と思われるかもしれません。
でも、生きている生命(いのち)です、みすみすそのまま通り過ぎてしまった自分をずっと悔やんでいました。
折りしも、出掛けに自分は脱輪したところをたまたま通りかかった方々に親切に助けて頂いた経緯もあります。
その時には、そんなことも全く思いもしませんでしたが(つい二時間半前くらいのことなのに;;)この事を
思い直していると、ああそうだったと改めて感じたのでした。(感謝していたというのは、うそだったのかしらね;;)
帰路もその同じ道路を通って戻るわけですので、その時にそのカメさんを見かけなかったらば、無事渡れたのだろうと
思うようにしよう、と自分に都合良く考えていました、その時点では。

                            

結果からいいますと、そのカメさん、帰りにもう一度見かけました、来た時と同じ道路の真ん中で。
甲羅がひっくり返り、見た目にもかなり干からびたような姿に見受けました。
おそらく通行する車に撥ねられたのか、ひっくり返ったまま動けなくなり、そのままその場で身動きが取れなくなって
しまったのでしょうね。
轢かれてしまい、無残な姿になっていなかったから、わかったのかもしれませんが。
とは言え、もしあの時、自分がほんのわずかの時間を惜しむことをせず、その場に立ち止まり、そのカメさんをほんの数メートル
移動させてやれていれば、今頃は田んぼの中でのんびり過ごせていたかもしれません。
或いは、そんなことをしていても、早晩なんらかの形で命を落としていたかもしれません。
ですけれど、その時、自分自身がそのカメの生命そのものを見捨ててしまったような思いがしたのは否めません。
何故、見殺しにしてしまったのか。
小さくても命は命、そのことに変わりはないはず。
神様云々という前に、目の前のその出来事に真摯になれ、そんな思いがよぎったのでした。
たかがカメ、といわれるでしょうけれど、されどカメさん、そう感じた自分です。

せめて、次に生まれてくる時には、過ごしやすい池の中で、さながら大社の池の亀のようにゆったりした時間を持てる、そんな
生き方をして欲しい、そう心の中で今一度願い祈ったのでした。


エピソードというには、あまりにお粗末な顛末かもしれませんが、自分にして頂いたことと同じようなことを、おまえは人に
対して、或いは生き物に対しても出来ておるのか、そう言われ試されたような気がしております。
全くもって何にも学習出来ていない自分だな、そう思ったりもしております。
例大祭前後でのこの出来事、何かしらの自分の教訓にしたいと思います。

最後は自分で自分を戒める、そんな反省文になってしまいましたね、すみません。
なんとか明日には大社まで辿り着きたい、そう思います;。
今日もお付き合い頂きまして、有難うございました。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出掛けの出来事

2017-05-15 19:49:25 | ものの見方 考え方
こんにちは。
申したように、昨日14日に参りました出雲のことを書いてみます。
1回では、また自分のことですので長くなるようですし、何回かに分けたいと思います。
しばらくお付き合い下さいませ。

                            

さて、出かけるその朝、実は結構なアクシデントがありました^^;。
自宅を出てしばらくすると、細い道に差し掛かります。
これは広島インターに向かい車を走らせるなら、どうってことはない普通の道なのですが、昨日はそちらからではなく
二つ先の西風新都(せいふうしんと)というインターから乗ろうと考えたからです、つまりはうちからですと、ちょうど
山をぐるりと廻る峠道を通って行こうとしていたんですね。
時間的にも、また高速代も多少は節約出来ますので。
峠道はクネクネではありますが、しょっちゅう通っていますので、それは慣れもあり全く問題ありません。
ですが、その峠に差し掛かるよりも遥か手前、アクシデントというのはうちを出て、ものの5分ほど走ったところで
起こりました。
そこは先ほどから申す如く、狭い道で離合もちょいと難しく、その上かなりの坂道でもあります。
そんな場所に差し掛かると、折りしも前から1台車が。
自分が下がろうとバックした途端、それこそガタンッと衝撃を受けました。
そう、お察しの通り、側溝に左前のタイアを落としてしまったんです;。
これまた昨日はレンタカーでして;、いつもより車幅が狭いにもかかわらず自分の車の左側の認識が甘かったというのか、
見えてなかったというのか;。
きちんとドアミラーを下向きにして確認してけばよいものを、そんなことにも気づかず、かなり焦ってしまいました。
思いっきりアクセルふかしてみても、エンジンが唸るばかり;。
そうしていたら、対向車に乗っていたオジサンが降りてきて下さいまして。
「こぉりゃ、なんかかませんと、上に上がらんのう」
といいつつ、近くにあった直径20センチほどの丸太を側溝に差し込んで下さるも全く埒が明かず。
そんな時、先ほどワンちゃんを散歩させていたオニイサンを追い越していたのですが、その彼がこの「現場」に差し掛かり
その彼を見たオジサンが
「あんた、ええとこ来たの、ちょっと手伝う(てつどう)てや」
と声を掛けてくれ、その彼も手伝ってくれることに。
「これ、FF車?なら思いっきりハンドル右に切ったら車上がりますよ」
とアドバイスしてくれるので、車体をそのお二人に抱えてもらいながら、自分は言われたようにしてみましたが、やはり
持ち上がりません。
どうしたものか、と思っているとそこへまたもやバイクに乗ったオジサンが通りかかりました。
この状況を見て、こりゃドゲンカセントイカン、と思って下さったのか、これまた加勢して下さり、もう一度男の方3人で
車体を持ち上げ、自分がアクセルふかしながらステアリングを右に切ると
おお、ようやっとこれで側溝脱出!!
「すみませんでした!ありがとうございます!!助かりました!!」
と大声でお礼を申すと
「気ぃつけて行きんさいよ、出雲まで行くんじゃろ」
と先ほど出雲まで行かねばならない旨をオロオロしながら話していたのを覚えていて下さり(そりゃ、つい今しがたですもんね;)
他のお二人も、やれやれという様子でこんな自分を見送って下さいました。
この間、確か十数分のことでした。
                           

普通だと、出掛けのこの事件?、かなりの意気消沈ものですが自分は全く反対に捉えておりました。
あの状況で、対向車の方が良い方だったのも幸いでしたし、その後も示し合わせたように男性が二人も通りかかり
そのどちらもが手伝って下さったこと。
確かにオバサン一人じゃ、こりゃとてもじゃないが埒が明かんわい;と考えられたのが実のところでしょうけれど
あの場へ、たまたまのようにあの時間に人が通りかかることも、そうないでしょうし(時刻は6時少し前)これこそ
神様がこのアクシデントをどう考えるか、を示した出来事だったのではないのか、そうも感じました。

出掛けにこのことがあったからこそ、その後はもう大きな事故には遭わないし今日は大丈夫だ、そう思え
その後は順調に高速を走らせながら車内でひとり
「あーりがとうございましたー!ほんっと助かりましたー!皆さんの御蔭ですー!本当にありがとうございましたー!!」
と大声で叫びながら^^;感謝しておりました。

物事、何事も捉えよう、考えようで如何様にもなると思います。
こりゃ、幸先悪いぞ、とネガティブに考えるとその後も暗い気持ちで過ごすようになるでしょうし、この自分のように
よっしゃ、これで厄落とし出来た、これで安心!と超の付くほどポジティブに捉えるかでその後の行動にもかなりの違いが
出てくるように思います。
だいたい主人がそんな人でしたので、一見不利に思えることでも、「おし、これで○○にならんで(ならなくて)済んだ」とか、
或いはたとえ道に迷っても「これで、この辺り詳しくなったの、次来るときはなんでも聞いてくれ」などと二度と来ることは
ないであろう場所でも、とにかく良いほうへと解釈する、そんな人でしたので、この考え方はいわば我が家の家訓?みたいなもの
でもあります。

ともあれ、けっつまずいたのはこれで終わりとばかりに^^;、もう気持ちはルンルン気分で参っておりました。

                            

出雲の街へは思った以上に早く着き、日曜ということもあってか渋滞もなくスムーズでした。
写真は、お茶を買おうと立ち寄ったコンビニから写した弥山です。(ボンネット越しですみません)
まさに「雲」が「出」づる場所。
モクモクという表現さながらに次々と山に雲が掛かり流れて行きます。
山陰は、弁当忘れても傘忘れるな、という諺があるくらい雨が多いとも聞きます。
このお山の様子を見ていると、そんなことも思い出しました。
また、それと共に、今日これから始まる、年に一度の出雲大社の例大祭のため、神々がその麓の空気をあたかも清浄に
潤すために雲を湧かせているのかも、そんな風にも感じられました。

そう、昨日はこの例大祭に参列するために出雲へ参ったという次第です。
ここからがその本番の出来事となりますが、それはまた続き、ということにさせて下さいませ。
(別にもったいぶるんではなく、前述の如く長くなりますので^^;)

ということで、今回はこの辺りで。






 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これはどうしましょう

2017-05-11 20:59:05 | ものの見方 考え方
こんばんは。
いささか疲れ気味の木曜日、皆さんは如何でしょうか。

                             

今日、御祓いに参らせて頂いた方から、あるご相談を受けました。
そのお宅には、現在居間に置いておられる御仏壇、いわゆるご先祖様がは入っておられるものと、あと一つ、以前に
それらのご先祖様がおられたものですが、既に今は何も入っておられない御仏壇の、この二つがおありです。
その、何も入っておられないほうの御仏壇を、随分前に、これはご兄弟皆さんでお買い求めになられたものなので、使いは
しないけれど置いておきたいとのことで、長年別の部屋に封をした形で置かれていたそうです。

しかし、最近、こちらのご夫妻もご自分方の行く末を考えると、娘さん達にどうにかさせるのも忍びないし、思い立った
時に処分したいのだが、どうだろうか、とのことでした。(娘さん方は嫁がれて、それぞれに家を出ておられます)

そううかがって、ではまず見せていただこう、とその件の御仏壇を拝見させて頂きました。
申した如く、既に何も状態、つまりは空の御仏壇です。
だいたい、広島は浄土真宗の方が多く、それに伴い御仏壇も様々な装飾が施されており、それを見るだけでももはや
工芸品、あるいは美術品の域を感じます。
三十年以上前のものと聞きましたが、その当時の職人さん達が、その御仏壇という限られたスペースの中で様々に工夫を
凝らし、細工をし、ある場所では彫刻に螺鈿をはめ込み、また金箔を貼り、極楽浄土といわれるあちらの世界を表現して
おられるのでした。
とても素敵で、これを処分するのは如何にも忍びないと感じたのですが、御仏壇そのものを、今流行り?のリサイクルに
出すわけには当然行かず、さりとてご自分方で勝手に壊してゴミで出すのも、憚られるということもあります。

しばし、そんな思いをそれぞれに感じておりましたが、ふとその細工の施された飾り棚の引き戸をみてみると、外せることに
気がつきました。
そこで、その引き戸部分を取り外してみると、あたかも精緻な工芸品の飾り物のようです。
御仏壇全てを残すわけにはいきませんし、本よりそのおつもりでもないわけですが、やはり長年のご兄弟との思い出が詰まった
ものでもあるわけですので、このように一部分だけでも残せるのならそうされてみては、とご提案し、結局そのようになさる
運びとなりました。

御仏壇本体は、さてどうしようか、ということになりますが、以前に自分が神棚等で永くお世話になっております仏壇屋さんに
聞いた話によりますと、使われなくなったものは引き取って処分いたしますよと云われておりましたので、このお宅の御祓い後に
足を運び、今一度うかがって参りました。

そのお話によりますと、いわゆるお魂を抜いた後の御仏壇は引き取って頂けるとのことで、その後はある場所に集めて焼き上げ
されるそうです。

先ほど、御仏壇とはいえ、工芸品のようなものといいましたが、それを考えると、どうにも自分としては色々な意味で、燃やされ
形が無くなってしまうのは、なんともなぁと感じるのですが、これもいたし方のないことなのかもしれません。


                             
                            
神道においても、古い神棚等は、やはりお焼き上げ致しますし、古い神札等も当然そう致します。
一度、灰となって大地に還り、また何がしかの形を伴い、こちらの世界に戻ってくるのだと思います。
そうすることで、様々なものが循環しているのでしょう。
形あるものは、皆いつかは壊れる そういうことなのかもしれませんね。
無に帰すのではなく、新たに生命を与えられ、甦ってくるのでしょう。
そう考えると、処分も処分なのではなく、新しく生まれてくる一つの手段なのかもしれない、そう感じました。

                             

自分も身の回りの整理、考えてみる必要があるかもしれない、そう感じた今日でした。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする