日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

空の写真とか

2017-11-12 20:55:01 | ものの見方 考え方
こんばんは。
日中は良いお天気で推移しておりましたが、これからまた徐々に下り坂のようですね。
昨夜はこれまた曇っており、降るかなと思っておりましたけれど結局は降らずに済んだようでした。
午前中、松江の友人と電話をした折に向こうは昨夜降ったと言われておりましたので、場所によっては雨になったようですね。
そんなこの辺りの朝はこんな感じでした、雲はこの時結構出ておりました。



                                    




                                    



今日は日中、かなりの写真を撮り此方の画像フォルダに入れようと先ほどまで苦戦しておりました。
時々スマホ自体が誤作動するようで、送信する前に勝手に未送信フォルダへ入ったりし、その度にやり直すのですけれど、今回は写真の量が結構
多かったせいもあってかそれが頻繁でして最後は結構苛立っておりました;。
最近は滅多にイラッとすることはないのですけれど、器械ものが上手く行かない時というのは、どこか自分にも原因があるんだろうなと思いつつも
駄目ですね;。
気分を変えようとついさして食べるつもりのないポテチに手を出したりしましたけれど状況は変わりません、当たり前ですけれど。
こういう時は今日はこんな日、とはなから思うほうが良いのかもしれないです。
ま、こんな時もありますよね。


                                    


そういえば二、三日前の晩だったか、このところ寝ようとするといつもそばに来て寝るうちのネコが普段はゴロゴロ言いながら寄ってくるのです
けれど、その時だけは、何かあるのか此方を物凄い目をして睨んできました。
私の向こう側辺りを見ながら低く唸る感じで、ガブッとばかりに手首を一度ならず二度も噛んできました。
痛いよ、とネコに言えば大抵、あ、悪いことしたなみたいな顔をするのですが、その時には私ではない何かを感じるように警戒の色は消しません
でした。
そのくせ、此方の足元辺りで結局は寝ておりましたけれどね;。
何が居たんだろうねぇ、と考えましたが心当たりはなく。
普段は何にもしないうちのネコですけれど、こういうところはやはり本能で何かを感じ取るのかもしれません。
でも一体何だったんだろうな;。




                                                                       



                                   
                                   


今日は広島県知事選挙の投票日でして、行って参りました。
前回の衆議院議員選挙の際には、毎日喧しいほどの選挙カーのあの独特の連呼を否応なしに聞かされておりましたけれど、今回はさほどでもなかった
ように思います。
それにしてもあの選挙の仕方、いつまで経っても旧態然として変わりませんけれど、いい加減どうにかならないのでしょうかね。
これだけネット社会といわれている今日、もう少し進歩があってもいいのではと感じてしまいます。
スマートな方法、そろそろ考える頃かなとも思いますけれど;。




                                   


投票所からの帰り道、お天気も良く、薄い雲が出ておったりしましたので綺麗な彩雲が見えていたりもしました。
肉眼では綺麗に見えても写真で撮ると、それほででもないこともままある事なのですが、今回は多少は写っていたようですね。



                                   


                                   



                                   



                                   




                                   


雲の様も本来はもっと綺麗だったのですけれど、これも毎回申すようにスマホで写すと、どうにもこんな感じでぼやけてしまいます。
写真を主に撮っておられる方は当然良いカメラを手にされておられる事でしょうし、こういう時も素敵にお撮りになるんだろうなと思います。
雲が肉眼で見るのと同じように撮れるカメラ、欲しいものです。



                                   


こんな他愛もない写真をあっちこっちで撮りながら、買い物をした荷物を抱えて帰っておりましたが、こういう時も不思議と頭に色んなことが
浮かんでくるものですよね。
その時にすかさずメモっておけばよいのですけれど、今回は忘れておりました、アチャチャ;;。
それでも、このような光景を見させて頂けるそのことに感謝だなと思いつつ、空に向かい有難うございますを心の中で言いながら歩いており
ました。  
考えてみたら、車に乗って運転していたらこういう景色に出会えても見てないかもしれませんし、第一一々に車を停めて撮影出来ませんしね;。
物事全て考えようかと思います。
路傍の草花にも目を向けられる楽しさがあり、これも嬉しいことの一つですね。
いつも言われる、豊かさは決して経済だけではないということ、このような何気ない自然の景色に心弾む思いをさせて頂けるこのことこそ、自分に
取っては大いなる豊かさの一部分では、と感じております。

他にも沢山の写真を今日はバシャバシャ撮っておりまして、今数えると96枚;。
ちょっと撮り過ぎじゃない;?という感じですけれどね。
申すように、空を見上げることで何もなくても何かを伝えて頂けているように思えます。
それを感じた時に、そのままバシャッとする回数が今日は多かったということなのだろうと自分でも考えております。
空を見上げてそのまま空、より言えば宇宙と繋がるというところでしょうか、大袈裟ですけども。 
端からみたら、何やってんだろうねぇ、あのオバサン、な感じでしょうけれどね;。


                                    


写真ばかりを揚げておりましてもどうしようもないのですけれど、今日は特に座って感じたということも取り立ててありませんでしたので、
この写真を眺めながらご自身で何かを感じて頂ければ、とも思います。
解像度が素晴らしく良いわけでもなんでもなく、申すようにオバサンの撮りましたスマホのスナップ写真です。
感じてという方が難しいかもしれませんけれど;。            


                                     





先日お知らせ致しましたこの二十七日からの神迎祭、続いての神在祭等、此方へ龍蛇神講という講の講員として参列なさりたいと思われる方が
御座いましたらば、下記よりご連絡下さいませ。
また、ご縁を頂かれたいとお考えの方も「縁結大祭」という、縁を結んで頂く御祈願を致しておりますので、併せて御覧頂ければと存じます。
詳しくは当ブログの三日の「神在祭等について」に詳しくご紹介させて頂いております。
宜しくお願い申し上げます。


メールアドレスは 
    kimikimiblue13@gmail.com
此方までご連絡下さいませ。
お待ち申し上げております。
                  

                                    



                                    

                                    
                              


かなり手抜き感の否めない;;今日のブログとなりました、申し訳御座いません。
明日はまた自分の中に下りてくるであろう言葉を書かせていただければと思います。
そのようなブログへのお付き合い、皆様本当に有難うございました。
感謝申し上げます。      
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雲を見ながら

2017-10-04 21:39:57 | ものの見方 考え方
こんばんは。
今日は日中良いお天気で風もかなり吹いたせいか、空気が澄んでいるようでした。
日一日と秋の気配が濃くなっていくのかもしれませんね。
そうして今夜は中秋の名月。
この分なら綺麗なお月様が見えそうです。
ただし真ん丸の満月ではなく、実際の満月となるのはこの度は二日後の六日だとか。
たとえそうだとしても、今夜は素敵なお月見が出来そうですね。
そんな日の朝は此方。
何枚か撮ってみました。
移り変わる空、つまりは雲の様子が面白かったものですから。
  


                                 

       
                                 
                                                              
         
                                



  
                                


二枚目の写真は、なんだか孔雀が羽根を広げて、ぐるりん?としている感じに見えたりして面白く思って見ておりました。
様々な雲が織り成す空の光景は、いつまでも見ていても飽きることがありません。
ただ、どうしてでしょうね、雲を撮るとさほど詳細に写らない気がします。
ガラケーで撮っていた時の方が湧き上がるような感じやら千切れて飛んでいく雲の端の辺りまで写せていたように思うのですけれど、むしろ
雲に近づき過ぎて?上手く撮れないのでしょうか。
見たまま、そのままの雲をお伝え出来ないのが何とももどかしい思いがするところです。



 
                                


そんな日の午前中、郵便物を出すのに下界、要するに平地まで歩いて行って来ました。
車で行けばものの五分と掛からぬ距離ですが歩くと二十分から三十分までにはなりませんけれど、そんなところでしょうか。
坂ですので行きはそれこそ下るわけでさほど苦にもなりませんけれど、帰りは近くのスーパー等で何かしら買い物をして戻るようになり
そうなると荷物を持って途中休みを挟みながら、のんびり戻るという具合ですね。
車で往復ですと当然早くて楽ですが途中、あれこれの景色やらを楽しめるのはやはり歩きならではですね。
お天気のよいのもあり、これもまたあれこれ写真を撮りながら戻っておりました。



                                                                                                   




                                





                                


                              


                                


時折、あの雲、何かに見えそうだなぁ、などと思いながらいつものように空を見上げて帰ったのですけど。




                                 



最近、夜寝る前に以前ご紹介したまるの日さんの誘導瞑想というのを聞いて就寝しております。
座ってイヤホンをして聞いていても、ついウトウトしているのが殆どなのですけれど;。
それでも、なんというのか最近、自分がブログで取り上げていることなどが、別の方が同じように話題にされていたりすることがあり、あれ
同じように感じておられるのかな、ということがしばしばあります。
決して自分が優れているとかそのようなことを申したいのではなく、どこか上の方で繋がっていたりするのかな、面白いなと思っているという、
ただそれだけのことなのですけれど。
有体にいえば、シンクロしてるという言い方も出来るのでしょうけれど、そこまででなくとも、なんだか同じことを考えているのだなぁと思うこと
感じること自体が面白いという、本当にそれだけなのですけどもね。
それともう一つ、昨日も街中へ出かけてバスで戻ってきたのですが、その際バス停へ行くと既にバスが来る状況でして。
まるの日さんが少し言われていたことに、この瞑想をするとスーパー等で駐車しようとするとグッドタイミングで目の前の場所が空くとか
エレベータを待たずに乗れるとか、そんな日常のちょっとしたことがツイてくるようになるかもしれませんよ、ということがありました。
ふと気づくとそんな風になっていたり、自分がこんな感じのものを観たいなと思っているとそのようになっていたりするようです。
そんなささやかな事を偶然として全く気にしないか、有難いな、面白いな、楽しいなという感覚で行くかどうかでその後がかなり違ってくる
気がします。
漫然とただ日々が流れて行くと感じるか、ふとした事に気を留めるかでやはりそこから先がそれこそ少しずつずれて行き、気づけば相当な隔たりが
出来てくるのでは、とも思います。
どちらの側に自分が居たいのか、自分が是とする側に居たいのなら、一目瞭然という気も致します。
〝千里の道も一歩から〟
そんな歌をたまに口ずさんでいたりする時があるのですけれど、この歌の歌詞を一つずつ考えていると、なるほどそうだなぁ、と感じる事も多い
気がしております。
今の若い方はご存じないのかもしれませんけれど。
少し話がずれますが、この歌は自分が小学生の頃に水前寺清子さんが唄ってヒットした曲です。

〝幸せは歩いてこない だから歩いて行くんだね
 一日一歩 三日で三歩 三歩進んで二歩下がる・・・〟
〝幸せの隣に居ても わからない日もあるんだよ・・・
 一年三百六十五日 ままになる日もならぬ日も・・・ 〟

このような歌詞であったかと思います。
その当時は毎日テレビから流れてくるこの歌を、特になんとも思わず唄っていたものでしたが、今改めて見直すと確かにそうだよなぁ、とつくづく
感じる思いです。
少しずつ、でも着実に歩を進めること、その大切さ、それを最近ようやっとこの歳にして感じておるところです。
我ながらもう少し早く気づいとけば?な思いですけれどね;。
それでも、そう気づけただけ良し、とも考えます。
幸せは確かにすぐ隣にあるもの、これを感じられるかどうか、その事自体は小さいことかもしれません、しかし感じ取れるかどうかで大きく変わって
も来るのではと思います。




                             
                                


いつにも増して雲だらけの今日のブログ、代わり映えしませんけれど、お付き合い頂きました皆様、いつも有難うございます。
感謝申し上げます。
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上向き 下向き

2017-10-02 21:52:02 | ものの見方 考え方
こんばんは。
朝から曇っており、一日雨模様でした。
激しいとまではいきませんでしたけれど、かなりの雨量はあったようです。
これから稲刈りを迎える農家の方にとっては朗報なのかどうか、自分ではわからないのですけれどその時期には天候に恵まれることを期待したい
ですね。
そんな日の朝は、やはりどんよりな雨降りのお天気でした。



                                


昨日は若いご夫婦のお宅に神様をお祀りさせて頂きましたと書きましたけれど。
その前後、これもまたいつものごとく車をまずは借りにいくことから始まります。
この車のことについても、後に述べたいと思います。
ともあれ、バスでレンタカー屋さんまで行くのですが、そのバス停へ中学生くらいの女の子が重たそうなスポーツバッグを肩に掛けてやって来ました。
あまり見かけない制服でしたので、おはようと声を掛けてどこの学生さんと聞くと、市内の私立中学の名前を言われました。
今日は何かあるの?とこれまたオバサンは遠慮もなく話しかけるのですけれど;可愛い笑顔を見せるその子は、今日は県の体育館で新体操の試合が
あるんです、と話してくれました。
ああ、確かにこの私立の学校は盛んだったかもと思い、頑張ってねと声を掛けるとそのお嬢さんははにかむような表情ながらも嬉しそうにハイ、と
返事をしてくれました。
そのお嬢さん、試合ではどうだったんでしょうね、持てる力を発揮しておられたら、と思います。



                               



そんな朝でしたけれど、件の出雲屋敷祭も滞りなく終わらせることが出来、帰りはそのお宅で私服に着替えさせて頂いて帰りました。
大体はそのまま着物のままで帰宅するのですけれど、ちょうどお昼時でもあり、どこかで簡単にご飯食べて帰ろうかと考え、そのようにさせて
頂きました。
食べるといっても、大抵はスーパー等でお弁当買って車で食べたりするだけなんですけれどね;。
ともあれこの時、どうやら自分の時脱いだ足袋を片方忘れて帰ってしまったらしく、向こうから直ぐに連絡を下さっていたようなのですけれど
自分の方が走行中等はスマホ自体を音を小さくしていたり消していたりするので、直ぐにはわからなかったようでした。
結局はその後彼女たちの方が気を利かせて下さり、その時自分の居たショッピングモールまでその片方の足袋を持ってわざわざ届けに来てくれた
のでした。
足袋片方忘れるなんて;、なんともお恥ずかしいようなお話ですけれど、彼らの機敏な行動力に感謝致した次第です。
本当なら自分がもう一度参らせて頂かねばならないのに、わざわざ足を運んで下さったその事にとても嬉しく思えた出来事でした。
うっかり者の自分、気をつけねばです。

朝の中学生さんといい、今回のこの若いご夫婦といい、これからを担う世代が溌剌として元気なことは、こうして書いておりましても、なんとも
頼もしく思えます。
それだけ自分が歳を取ったということではありますけれど、次代を作っていく人達がやはり明るく希望を持てる世の中であって欲しい、そう感じた
事でもありました。(足袋とは全然関係ないんですけれど;)



                                 





そんなこんなで、昨夜は最近の疲れが溜まってもいたのか(と先日も申しましたけれど、これも歳です、そうそう回復は致しません;)お風呂に
入って湯船に浸かると、ホッとするのと同時についウトウトしてしまいました。
そんなウトウトしつつも、以前此方で紹介させて頂きました白水明(びゃくすいめい)さんの今月の呪文を思い出し、心で唱えておりました。

因みに今月の呪文は

               令令 戌 、 丑 急急如律令 (れいれい  いぬ 、 うし きゅうきゅうにょりつりょう)
というものです。
この呪文は今月中有効ですので、皆さんも心落ち着けて唱えてみられて下さい。

その呪文を唱えて目を閉じながら、そう言えば今回もこうして車を借りねばならないように自分の車を使えなくなっているけれど、どうしてこんな
事になったんだろう、とぼんやり考えておりました。
自分の車が使えれば、毎回レンタカーを借りに行く手間も費用も省け、疲れもその分違うはずです。
どうしてかなぁ、と思っていると、それは自分の思考が現実化しただけ、という言葉?考えが頭に上ってきました。
どうももう一人の自分なのか、或いはより上の存在?なのかが自分に対して話をしてくるように感じられました。

      「何故、このようになったのか それは己れ自身がそのように思考したからだ
       以前、そなたは今の車をもしかすると使えなくなる日がくるのでは、と考えたであろう
       どこがどうというのではなく、漠然と嫌いだと感じていたはずだ
       乗っていない自分もその時に想像していたはずだ
       今はその思考が現実化して具現化しているだけの事だ
       自分で今の現実を作り出しているだけだ 」

そう頭の中に響いて来ました。
確かに以前、この車に買い換えて後、車種は以前と変わらないのですけれど、どうにもしっくり来ずに嫌だなぁ、早めに次のに替えられるなら
そうしたいなぁ、などと生意気にも考えていた時期がありました。
いわば、どうしてそうなるのか、というプロセスは全く抜きにして結果の部分のみを考えていたことになります。
これは良い結果を考えていたのではなく、全く正反対の悪い結果を考えていた事柄が現実になっているということです。
そう思うと、事の善し悪しは別として、思考そのものは正確に形を成してきていたのでした。

これは常日頃、良い事だけを考えて行動することですよなどと偉そうげに物申しております自分自身への反面教師のように思えました。
実際、結果として自分の思考は現実化しているのですから、その点に関しては申し分無い?わけです。
ですけれど、その現実は自分にしてみれば、とても褒められた状況ではないことも確かな事実です。

      「自分が思考することで、実際がどうであるのか身を持って体験せねば、そなたはどのようにしてもわからなかったであろう
       この度のことでその事を十分に分かったはずだ
       思考は必ず現実化する
       それを理解せよ 」

そのように今一度声が響いてきたように思いました。
自分で身をもって体験せねば、つまりは痛い思いをせねばわからなかったということです。
それだけ馬鹿、という話なのですけれど。

       「負のエネルギーはマイナスの感情を伴い、それが合わさるとより大きなベクトルとなり更に下向きの方向へと向かう
        だからこそ、プラスのエネルギーを併せることでより大きなプラスの力を得、ベクトルも上へと上昇するのだ 」


そう言われたようにも思います。
確かに、マイナスが合わさると掛け算ではプラスとなりますが、実際には負のエネルギーが増大するだけのようにも思えます。
これらの言葉は、件の龍からの声だったようにも思えます。
此処でふと感じたのは、龍というのはぐるぐると回転して螺旋を描くようにも描かれていたりしますけれど(そうでもないかな;)、これは左回り
(反時計回り)のエネルギーを指すのでは、ということです。
左回り、つまりは螺旋を描きながら上へ上へと上昇していくものです。
逆に右回りですと下へと下降していく形になります。
全てのエネルギーがそうだというわけではありませんけれど、ふと感じたことでした。

この左、また右回りという螺旋については、これもまたいずれ回を改めて書いてみたいと思います。
この事はカタカムナにも大きく関わっているものでもありますし、神道にもこの概念はあります。
拙い自分の頭でどこまで考えられるかですけれど、いつかは挑戦してみようと思います。



                                




いつにも増して纏まりの無いブログですけれど、お付き合い頂きました皆様、いつも本当に有難うございます。
感謝申し上げます。

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日々、是れ学び哉

2017-09-27 21:24:28 | ものの見方 考え方
こんばんは。
今日は朝からどんよりとしたお天気で、じきに雨が落ち出しました。
夕方近くになり、これで上がるかなと考えておりましたけれど、また降ってきております。
今夜も引き続き降るのでしょうか。
秋の長雨と申しますけれど、やはり降る時期には降らないといけないのでしょうけれど、青空が見たいものだとつい感じてしまいますね。
そんな日はこんな感じの空でした。



                                 


昨日少し書かせて頂きましたが、息子が今の職に変わってからそれまでに勤めていた前の職場で言われて来ていた事への意識が変わって来たようです。
今の職は全くの営業で、日々様々な方とお会いさせて頂くようです。
その中で身だしなみの大切さは、これは前の職場でも結構言われていたことなのですけれど、仕事自体がお客さん相手であったとしても、自分達が
すること自体は結構力仕事であったり汚れ仕事であったりして、服装に気はつけていたとしても、汚れることは仕方ないじゃないか、という意識が
息子の中にはあったようです。
毎日洗濯して清潔なものを身に着けていたとしても、一日が終わるころには結構ドロドロになってしまうことも多く、そんな中でどうしてそこまで
自分達の服装まで気を配らなくてはいけないのか、そこの部分が理解出来ていなかったようでした。
親の自分としても、作業着に近い服装にはアイロンまでは掛けることはしておりませんでしたけれど、やはりお客さん相手ならば、見えない場所
で仕事をしていたとしても、常にその方達の目があることだから、そこは必要なんじゃない、とは言っていた気がするのですけれど。
それが今の職場では、人と接する仕事をする上ではやはり第一印象の見た目はどうしても大事であるということを教えて頂けたようです。
これはそれこそ、先に書いたように口酸っぱく教えて下さっていた前職の先輩の言葉と同じものなのですけれど、その頃の息子は、そういった事柄に
すら反発を覚えるようになっており、頭には入らなかったようでした。
今にして息子自身が、あの時の先輩のあの言葉はこういうことを言ってくれていたのか、そう素直に感じ取れるようになって来ているようでした。
服装も、また仕事に対するモチベーションも、人数の少ない職場でのコミュニケーションの大事さ、そういう諸々の事に対する心構えをその先輩と
しては、懇々と教えて下さっていたようなのですけれど、如何せん本人にしてみると、日々同じように怒られる(と感じていたのかも)こと自体が
苦痛になって来ておるようでした。
こんな時に男親がいればどのようにアドバイスをしてくれるのか、この時ばかりは母親の自分としても随分と悩み、親しい信者さんにそれとなく
話をしてみたり、色んな方に相談もしてみました。
そこまで親が口出ししなくとも、と言われそうですけれど、毎朝起きると
「ああ、また一日が始まるんか。仕事、行きとうないなぁ(行きたくない)。でも行かんと人がおらんし(いないし)どうにもならんし・・・。」
と、ひとしきりひとりごつようにしてつぶやき、暗い顔をして出掛けて行っておりました。
そんな様子を見ていると、どうにもいたたまれなくなり、どうにか出来ないものかと自分としても案じておりました。

結局は最後は、そこの社長さんにそれまでにも幾度か相談していたのですけれど、早めに次の人員を入れるというように話が決まり、息子は退職
させて頂くこととなりました。
その後に息子自身は今一度就職活動、就活をはじめ様々な経緯を経て第二新卒という形で、今の会社にご縁を頂き現在に至っております。
先に話した最初の職場の以前には、多くの学生さん方がそうであるように息子もまた数々のアルバイトを経験させて頂いておりました。
それぞれの職場で、これもまた今思えば貴重な体験、経験を積ませて頂いたものでもあり、当時は何かと文句ばかりが口をついて出ておりました
けれど、やはり今にして思えば多くの事柄をその場から学ばせて頂いておったのだと思います。

これもまた昨日申しましたように、親子二人してお茶しながら
「今この仕事しとっても、あの頃色々教えてもらっとった事が(教えてもらってたことが)結構役に立っとるよ。
 後輩の子らがキツイとかいうけど、自分はあの頃の事を考えると全然そうは思わんし、むしろ面白いし楽しいわ。
 服装が大事というのも、あの先輩が言って下さったのが今は正しいと思えるし、当たり前だと思うよ。
 今度お会いする機会があれば、ちゃんと有難うございました、と伝えたいよ。」
と晴れ晴れとした顔で話してくれました。
あの当時はあれほど思い悩み、一時は胃潰瘍かもしれない、と言って病院に通いながら仕事を続けておりましたけれど、この会社へ入ってからは
社員の皆さんとの年齢が近いのも手伝ってか、皆して頑張っていこうという雰囲気もあるようで少し前の本人と同じ人物とは思えないほど生き生き
として仕事をさせて頂いておるようです。

そんなことを感じながらも、以前の事が自分自身も一度に頭の中へ蘇ってくるようでもあり、思わず此方の方が感極まってしまったのかもしれません。
これもまた幾度も申すように親バカ大丸出し;な感じですけれど、周りの皆さんに支えられながら感謝の気持ちを持って仕事させて頂いております
事に、これもまた自分の方が有難い思いを抱いたのでした。
ただし、そのように本人が全てが全て感謝ばかりかというと決してそのようなことはなく、そこの部分はなんとかならんのかい;な所も往々にして
見受けられるのも事実です。
まだまだ若い未熟な部分も多くある息子ではありますけれど、親が思う以上に成長してくれているものだなぁ、と感じたのもまた一つの事実でも
あります。

かく言う親の自分の方が未だに出来損ないな部分を多くもっておる、これもまた否めない事実でして;結局は生きていく以上、日々成長なのかも
知れない、そう感じた今回の倉敷行きでした。



                                   


いつもとはちょっと違う(え、やっぱり変わらない;?)話を書かせて頂きました。
ごくごく普通の、どこにでもある親子の他愛ない話ではありますけれど、我が家にとっては一つステップを登れたのかもしれないね、そう思える
事柄でした。

そんな日常を綴りました今日のブログ、お付き合い頂きました皆様、有難うございます。
感謝申し上げます。
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文字のエネルギー  もう一度

2017-08-27 21:18:06 | ものの見方 考え方
こんばんは。
昨夜は随分と気温が下がり、ともすれば寒い位に感じられました。
いつもなら布団を蹴っ飛ばして;寝ている自分ですけれど、さすがにその布団をかき寄せて寝ていたようです。
そんな日の朝は、此方。
ちょっと庇も部分が写りこんでおりますけれど、寝坊した証拠ですね;。


                               


昨日、ニギハヤヒについて滔々と述べておりましたが、う~む;あれはどうなんだろう、とそこれこそご紹介した著書を最後まで今一度読み返して
感じました。
名前そのものの考察については自分にしては案外と出来たようにも思えましたが、その人物の如何についてはかなり?マークのようでした。
ただ自分が述べたいと考えていた名前の持つ意味ということについては、あれはあれで良しとするかなということろですね。

今朝もそんな感じで様々な物や名前を「カタカムナ」の文字の意味するところに照らし合わせて考えてみると、なるほど上手く表現してあるのだな、
と改めて感じました。

よく自分達が使う「ありがとう」という言葉。
これも、この吉野信子氏著書の中でも解説されておりますが、自分でも一文字ずつ当てはめて考えてみると

         「ア」  感じる
         「リ」  離れる
         「ガ」  内なる力(濁点が付くと、内なるという言葉が掛かります)
         「ト」  統合
         「ウ」  生まれ出る

とされており、これを繋げて考えると、
      
          感じる離れた内なる力が統合されて生まれ出る

となりますね。
感じる離れた内なる力って何だろうと考えると、この言葉を使う時には自分とその対象となる人或いは物などがあります。
お互いに感情を持ち、それは離れてはいるけれど、内なる力を持っている、それが統合、一つになって生まれ出てくること。
そのようになるのかなと思います。
この場合、物には感じることそのものなんて備わっていないじゃないか、そう考える方もおられると思います。
ですけれど最近の科学では、物であってもこのありがとうという言葉には敏感に反応し、その分子の状態が良くなるとされておるようです。
殊に水などは非常に現れやすいとされているようで、「ありがとう」の言葉をかけられた水は綺麗な結晶を作り、片や「バカ」と言葉を投げかけ
られた水は、結晶そのものが崩れているとされております。
これも、文字そのものが持つ波動によりそのようになると説明されたならば、信じざるをえないのでは、とも思います。

人名、動物の名前、或いは物につけられた名前、それらをこの「カタカムナ」で自分なりに解読していくと、最初は難しくともだんだんと面白く
なり、あれこれと文字を書いては一人で感心しておること、しきりです。

もう一例を挙げてみます。

よく祝詞の中でも出てくる言葉の一つに「大神」という名詞があります。
これをやはり読み解いてみると

          「オ」  奥深く
          「オ」  奥深く
          「カ」  ちから
          「ミ」  実体 光

となっております。
これを順番に繋げて考えると
 
           奥深い奥深い力の光

となります。
感じとして、自分達の計り知れない程の奥深くある力、それこそが光である、そのように思えます。
最初の「オ」「オ」を除いてみても、「カ」「ミ」の二文字で『力の実体、光』と解釈でき、正しくその通りを表現しているのだな、と感じら
れます。 

試みにあまりよくない言葉、先ほどの「ばか」という言葉を読み解いてみましょうか。

          「バ」  内なる引き合う 

          「カ」  ちから

となり、これを同様に繋げてみると 
 
          内なる引き合う力
まぁ、言葉そのままですけれど、力と力が引き合えば、どちらも譲らず終いには壊れてしまうのでは、と感じられます。
先に例でも出したように、水の分子が壊れてしまいきれいな結晶にならないということにも、なるほど頷ける気がしますね。 


                               



普段、自分達が何気なく使っている言葉、よく綺麗な言葉を使いなさいと言われますけれど、真相はこのようなところにあるのかもしれませんね。
気持ちよい言葉を掛けられると、此方も心地よくなりますし、第一使った自分自身が清々しいと思います。
皆さんもいつもの言葉、少しだけ意識してみられては如何でしょうか。
案外それだけでお互いに気持ちよく、また明るくなれるかもしれませんよ。



                                


本日もこのブログにお付き合い頂きまして有難うございました。
感謝申し上げます。
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