日々徒然なるままに

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祇園祭とか

2017-07-25 21:41:04 | 神様等について
こんばんは。
一日のうちで、二回ほど雷雨に見舞われました。
これで少し涼しくなりかな、と考えましたが全くそのようなことはなく、むしろ蒸し暑さが増しただけのようです。
どうにも戻り梅雨という感がしないでもありません。
この雨、降ってほしいところには降らず、もういらないということろにはこれでもか的に降っておりますが、いい加減平均してほしい、そう思うこの頃です。
そんな日の朝はやはりこんな曇り空でした。

                                   


そんな憂鬱なお天気を吹き飛ばすかのような祇園祭の写真が京都の知り合いから届きました。

                                    

これは一昨年のものということですけれど、毎年このような山鉾といわれる提灯に火を灯して山鉾巡行というものがなされるとのこと。
京都の方は、コンチキチン♪という音が聞こえると、居ても立ってもいられないなどとよく聞きますがまさにそのようなお祭なのでしょうね。
それでも、盆地である京都の街が一番暑い盛りに行われるこのお祭、かなりの迫力ともうかがいます。
そのようなお祭、写真をお送り頂いたその方のお言葉をお借りしてご紹介させて頂くと

「祇園祭の混沌としているところが好きです。
 メイン通りを入り込んだ小さな道に山鉾が待機しています。
 西陣呉服関係の問屋のすぐ横に今風のビル、町の人たちの変わらないプライド、観光客のような顔をして中京のお高い敷居をこの時とばかりに上がらせ
 てもらい、宝物を拝見させてもらいます。
 宝物も混沌としています。
 京都の日本のものだけではなく、ヨーロッパへシルクロードや・・・一体何がいいのん?という感じです。
 結局のところ、京都人は新しもん好きで、しかも自分の京都はもちろん平安時代からの立派なところと思っているんでしょうね 」

と綴られておられましたけれど、京都に住まわれてご自身方の伝統、文化を誇りに思われながらも、ちょっとどこか突き放して感じておられる部分もおありなのかもしれません。
ですけれど、それだけの長い歴史を持つ祭や街は今は自分たち日本人のみならず、世界中の人々が訪れてみたいと感じられるのは、これは至極当然のことなのだと思います。
おそらく雅な雰囲気を醸し出しながらも、その熱気と共に古からの風流をも現在へと受け継がれておるのでしょう。
ただ、このように華やかに見える京都やその祇園祭もその歴史を紐解いてみると、
「神仏習合の時代から八坂神社が比叡山に属して祇園社と呼ばれていたことに由来しており、祇園社の祭神の牛頭天王が仏教の聖地である祇園精舎の守護神であるとされていたので、祇園神とも呼ばれ、神社名や周辺の地名も祇園となり、祭礼の名も祇園御霊会となったのである。」
と記されております。
つまりは最初は仏教とも相まって行われてきていたものが明治の時代の神仏分離令により、神社の名前も八坂神社とされた折に祭礼名も仏教色を排除するため「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」から「祇園祭」に変更されたとあります。
そして、この祇園祭、そもそもはその頃に流行った疫病や或いは死者の怨霊となった魂を鎮めるためのものであったとされておるようです。
祇園社の神輿渡御を中心に行われておったものに山鉾が伴うようになったのは、それがいつ頃からかは定かではないようです。
いずれにしても、千年以上の間、連綿として続けられてきたであろうお祭、歴史的にもその規模的にも壮大であるのには間違いありませんね。
機会があるなら、拝見してみたいものです。


                                   
 
そんな写真が送られてきた今朝、自分は野暮用にて;、横川あたりへ出掛けておりました。
こちらの写真は、いつかご紹介した三篠神社さんです。
帰りのバス停に行くまでの道すがらにありますので、ご神前にて手を合わさせて頂いて参りました。
此方の神社さんでは、先月うちで斎行致しました夏越の大祓いをこの二十八日に執り行われるようで、その幟も出しておられました。
何故ひと月ほどずらして行うのかのご説明を、前回こちらの宮司さんにお伺いさせて頂いたのですが、如何せんその理由を忘れてしまいました;、すみません;。
旧暦でいえば、この日は六月六日と今年はなっております。
つまりはまだ水無月であり、ある意味理に適った日付の頃といえるのかもしれません。
近隣の方々でまた賑わうお祭となられるのかもしれませんね。

ところで、先ほど手を合わさせて頂いたと申しましたが、その際頭の中に
「その方、二と八の日に参られい」
とかいうような?お言葉が入ってきたような気がしたのですけれど;。
御祭神には大国主大神も坐しますし、もしかして大神様に、ちょっとは顔を出せといわれたのでしょうか;。
そうであるかどうかわかりまねますが、時間が許せばそのように致してみたいとも思います。

                                 


もう一つ、ちょっと面白いことがありました。
行きのバスで信号待ちの際、ふと窓の外を見るとガラス張りの店舗がありました。
店舗というよりも入り口の扉にはダイアモンドのマークが描かれており、遠目でよくわかりませんが、どうも宝石の鑑定をされる事務所のように見受けられました。
その事務所の奥の棚の上には、どうやらどこかの神社さんの御神札が祀られておられました。
お仕事如何にかかわらず、きちんと祀られておられるんだなぁと思うと共に、事務所の方の横顔が拝見できましたので、こっち向いてください、とつい出来心で;そう念じてみました。
と、そう思った瞬間、前を向いて仕事されておられたその方が何か感じられたのか、ほんの一瞬此方を見られ、ちょっとだけ目が合ったように感じました。
バスの窓からですので、その方ご自身がおわかりになられたかはわかりませんし、直ぐに視線を戻されたのですが、なんだかテレパシー?が通じたようで面白いと思ったと同時にこんなことして遊んではいけません;な気持ちになったのでした。
いい大人がすることではありませんね、反省しております。

                                 

頂戴した写真から京都の祇園祭をほんの少しお伝えさせて頂きました。
雅なだけでは決してない、そんなお祭なのだと感じた次第です。

本日もこのブログへのお付き合い、有難うございました。



 ご相談等、承っております。
 
 kimikimiblue13@gmail.com

此方の方へお知らせ頂ければと存じます。                                 

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