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日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

空の虹  part2    龍と共に生きる

2018-06-17 20:44:14 | 神様等について
引き続きで、雲の写真、環水平アークの写真です。




                                     





                                   






                                  





                                 




今日見えたのはせいぜいがこの位の濃さの虹でしたけれど、やはり肉眼で見ていて段々と色が濃くなっていく様はいつも素敵と感じます。
そんな虹も薄れて来た頃には、続いて何とはなしに龍の頭に感じた雲が見えてきました。
ただしこの雲のほうは自分がそう感じたというだけで、そこまで龍っぽくはありませんのでこれまたご容赦の程を。






                                





                                





                              



                              


                                 






                                   





                                   





                                      




はじめ一柱だけと思っておりますと直にもう一柱現れてきて、二柱の龍が寄り添うようにして空を翔けて行くようでした。
まさに空に現れた白龍、というところでしょうか。
なんとも嬉しく興奮する光景を一人楽しんでおりました午前中でしたね。

とはいえいつものようにちゃんと祝詞奏上は致しておりますのでご心配なく。(笑)

その前にこのような虹やら雲やらを撮って浮かれておりますと頭へ言葉が入ってきました。
 

 〝 そなたが思うとき いつでも参れ

   待っておる  〟


これはおそらく昨日参らせて頂きたいと考えていたあの磐座に坐します神々からの言葉、あるいは空行く龍からの伝言であったのかもと感じて
おりました。
昨日のあの場所が頭から離れず、つい考えていたところへこのように虹やら龍と思しき雲を見させて頂けたのではとも思ったのでした。
この後に祝詞奏上させて頂き、いつものように静かに座ってみました。


 瞑想すると太陽の周りに虹
 その下を悠々と舞うかのごとく飛び交う数多の龍
 白龍?


 〝 われ等と共にあれ

   いつもそなたと此処へおる  〟


 〝下の方の暗いドロドロした暗がりを見るのではなく

  上の明るい虹色に輝く場所を見よ   〟



想念の中で見えてきたものは、先ほどまで見ていた虹と同じように明るい太陽の下へ数多の龍がそれぞれ悠々と輪を描きながら空を舞うように
飛び交っている様でした。
昨日も申しておりましたが、どうも自分はこのような空を見ることが多いようです。
目を閉じている間は魂だけがどこかそのような場所へと抜け出して見に行っているのでしょうか。
此の世界へ身を置く?のがどうやら自分にとっては一番落ち着ける場所なのかもしれません。





                                     




これまでにも龍に関しては結構取り上げさせて頂いておりますが、先だっての千田さんの講座でご一緒させて頂きましたターラさんとおっしゃる
方に、その講座の中で隣へ座っておりますといきなり何かが降りてきたようだというのはお話しましたよね。
ちょうど星の運行というのか太陽を中心とした惑星の動きとかを自分がなんとはなしに手振り身振りで皆さんに示しておりますとその手の動きを
見て彼女が

 “ それって龍みたい! ”

と話し始められました。
太陽系は本当はこんな感じで銀河系宇宙の中を進んで行っているらしいということを手をくねらせながら説明していた最中だったのですが、そのく
ねった様があたかも龍の動きのようだ、と言われたのでした。
え、何;?と思いつつも自分が話すよりもターラさんが

 “ あなた、自分で龍を感じているのなら、それをもっと皆さんに広めるべきよ
  
   それがあなたの使命なのよ

   もっと色んな形で いろんなところへ行って 皆さんに自分たちの龍を示すべきよ ”

とまぁ、大よそこんな感じで熱弁を奮って下さったのでした;。
いや、これまでもブログに結構書いてますし;と申しますと

 “ まだまだ そんなんじゃ駄目よ

   もっと踏み込まなくちゃ!  ”

と此方がタジタジとするほどの熱さでもって語って下さいました。
周りにおられる皆さんも半ば、どうしたの;?と呆気にとられる感じでしたけれど彼女の勢いに気圧されたようで、そうねという感じで見ておられ
ました。
その後しばらくは彼女が上から降りてくる言葉をそのまま私に伝えて下さっているようでした。
自分が思っている答えは、自分の周りにある日常の何気ない風景や人の話している言葉からヒントを貰うことがあると聞きますが、今回はもっと
ダイレクトにターラさんを通じて直接の答えを頂戴したように感じました。
まさか、このような形で話をして頂けるとは思ってもおりませんでしたので、自分自身面食らいながらも;何とも有難いことだなと感じておった
次第です。
そんなターラさんの言葉を伺い、そうかやはり自分はもっとこの龍について皆さんにお伝えさせて頂いてもいいんだな、いやさせて頂くべきなん
だな、と改めて感じておりました。
実はこの話、もう一つ続きがあります。

これも先日の講座、それも午後から自分のみ受けさせて頂いた講座の最後の方で、千田さんに今回は自分がこれからどうして行きたいかを考えて
アファメーションしてみて下さいと言われました。
その時に自分は

 『 龍と共に 生きる  』

と言っておりました。
今でも傍らには変わらずテラという龍がついてくれております。
その彼はもちろんのこと、これから先も多くの龍に関わって参りたい、そのように感じたからでした。





                                                                       




このように龍と共に生きると宣言?してみたら、今日、空には虹と龍と思しき雲が見えてきたという次第でした。
空から、迷わずこれで進みなさいと背中を押して下さっておるのかもしれません。
そう自分に言い聞かせながら、これからも精進して行けれればな、と感じておるところです。


 ‘ そう わたいもあんじょう応援してますさかいに

   皆さんも どうぞこれからもよろしゅう 

   お頼申します

   あ それとな 皆さんについてはる龍はん
 
   この方らも この先は機会があったら見ていきたい
 
   そんな風に このお方 言うとりますさかいに

   何でも聞いたってや

   どないして見るんか 今のところはどうも模索してはるみたいやねんけど

   なんやら 面白うなっていきそうやね   ’



どうも保護者;?のようになっておりますテラでございますけれど;。(笑)
彼が話しておりますように今後、何がしかの形で皆さんご自身の龍も見させて頂ければなと考えております。
どのような事になるか、これもまだ自分では検討段階でしかないのですけれどね;。
そのようになれるよう努めて参りたいと思います。




                                 




これまで幾度か私宛の直にご連絡頂くアドレスをお伝えさせて頂いておりますが、今後いつも表示させて頂く事に致しました。
何か聞かれたいとか、こんなのどうすればいい?とか何でも構いません。
ご連絡頂ければと思います。


       kimikimiblue13@gmail.com


此方までご連絡下さいませ。
お待ち申し上げております。

 
     
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。                           
             

 
                            
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吉備津のお山

2018-06-08 21:28:57 | 神様等について
こんばんは。
室内でいると特に何とも感じませんが、外へ出て少し歩くだけでかなり汗ばみます。
湿度がそれだけ高いのでしょうね。
梅雨ですので当然ですけれど、この季節があるからこそ稲も育つのだろうと思います。
そんな雨が降る田んぼ近くではツバメが低く飛んでいるようでした。



             
                           

                                  





                                  




このところ、しつこいくらいにしんどい感満載;でしたけれど、どうした自分;もうそんなお年頃になっつまったのか;と自分で自分に突っ込む
思いでしたけれど、おそらくこれが原因というのがわかりました;。
何のことはない、この三日の一斉清掃の疲れが出ておったのでした、あぁ;。(苦笑)
普通筋肉痛といえば早ければ次の日に出てきますけれど、年を重ねるとどうやらかなりな時間差、タイムラグが発生するようです;。
つまり日曜日の次の日、月曜日は確かに多少はしんどいなと感じておりましたがそれほどでもなく、ましてやあの美しい環天頂アークを撮るのに
夢中になれたくらいですので元気はまだあったのだと思います。
それが火曜、水曜となってきて、また水曜は午前中にかなり気合をいれてお祓いをさせて頂いておりましたし、その後くらいからどうにも腕も肩も
何故かしら張って凝ってしんどい;と思っておったのでした。
それにしてもそこまで腕が痛くなることはしてないけれど;と思っておりました。
ふと、あ、そういえば、と日曜日に草とはいえその茎がまるで小枝ほどにも伸びていた蓬を何十本と小さく手折ってゴミ袋に入れる作業を、粗方
掃除も終わった後で何人かの方と作業しておったのを思い出しました。
言ってしまえばたったそれだけ;なことなのですが;。
左腕は一昨年に骨折しており、右胸の肋骨は十年以上前にひびがはいったことがありました。
どちらもそんな古傷ですけれど、どうやらそんな部分が時間が経った後でかなり堪えたのか;どうにもだるさが抜けない程にしんどくなった理由の
ようでした。
何ともお粗末な身体でございます;。
それでも自分で納得の行く;?理由が見つかりましたので、何もなく疲れたのではないことがわかっただけでも良かったと思っております。
皆様、グズグズと申し訳ございませんでした。(苦笑)





                                  






                                          






写真はやっと咲き出した我が家の狭い庭にある榊の花です。
昨日までは蕾でしたが、夕方見てみると何輪か蕾が開いてきていたようでした。
神殿にも榊の枝を生けておりますが、どうにも室温が高くなってくると途端に萎れたようで、此方のは上手く咲いてくれるかどうかわかりません。
それでも花が咲けば神殿は良い香りに包まれて芳しく感じます。
ただこの花の香りはとても独特で、自分はとても高貴な香りに感じるのですけれど人によってはあまり好きではないとおっしゃる方もおられ、やはり
人それぞれのようですね。

                                    




                                    





今朝は祝詞奏上の前後に感じたことを書かせて頂きます。

 
 祝詞奏上後、瞑想
 その前グーグルマップで吉備津神社等のある山を見ていた
 最初はその道のため
 でもふと山中を見ると彼方此方に磐座(いわくら)と思しき遺跡?
 ひとつひとつ見ていくとまさに古代の磐座
 写真等にもよるけれど不思議と心落ち着くような感じ
 古の人々は此処で神と思しき存在と多くの繋がりを持っていたのか?
 
 平野の中にポツンポツンと山があるような岡山平野の中で
 ましてや明るい陽光の中で、あたかも天に近い場所で繋がりを持とうとしたのでは?
 機会があれば訪れてみたいけれど

 
 そんなことを思いつつ 大神に伺うけれど
 女神のような柔らかい波動の存在?
 違うのか?
 ともあれなにか坐す(おわす)


 目を閉じてしばらくすると非常に明るい影がない光だけの世界へ囲まれたよう
 何とも言えぬ心地
 知らず知らずに腕が大きく弧を描きながら上へ向く
 ゆっくりと動く 気持ちよい
 ふと もしかすると 古の巫女と呼ばれる女性が舞いを舞ったというのは
 こんな自然と湧き出るような動きを系統化していったのではと感じる
 心地よい
 何か光と一体となった感覚

 ともあれ近いうちに訪れよう  
                                 




                                     




故あって岡山の吉備津神社へ幾度か足を運ばせて頂いております。
理由を話すと長いのですけれど、どうも自分自身の母方の血筋と関係あるようです。
ようです、というのは結婚、主人と一緒になることにも何か理由があったようで、それらのことは自分が大神に逐一伺って出てきた話です。
ですので実際の史実というのか家の歴史というのか、そこから少し逸脱した話、亜流の話となるのかもしれません。
なんのこっちゃ;?ですよね。
つまり自分が大神の伺った話は、もしかすると自分という魂に繋がるけれど別の次元の自分のご先祖なり御霊なりの話なのだろうということです。
ますますややこしい話となってきましたけれど;。
ともあれ、自分のご先祖と思しき方がこの吉備津神社へ関係していたようでした。
此処の話はまたいずれ詳しく述べたいと思います。
そんな関係で、主人が元気なうちは毎年お正月を過ぎた頃に此方の神社へ参拝させて頂いておりました。
主人が具合が悪くなってからはとても行く時間はありませんでしたけれど、息子が大学卒業後に二人で久しぶりに訪ねたことがありました。
多分、今くらいの時期だったかと思います。
境内へ参るには階段を登るか、或いは長い回廊を登って行くかの二通りの道があります。
最初にこの地を訪れた時、それまで見たこともない場所であったにもかかわらず、ああこの回廊は覚えがある、何度も此処を歩いていた、と古い
記憶が蘇ったように感じたのを覚えております。
自分の中の遺伝子、DNAに刻まれた記憶だったのでしょうか、不思議な感覚でした。

そんな吉備津神社ですけれど、以前からこの神社がある山自体、何かあるのかなと感じておりました。
その頃は今ほどネットで何でも検索出来る時代でもなく(今から二十年ほど前の話ですけれどね;)せいぜいがその地の地図を買い込み、行く道順を
ある程度は頭に叩き込んで出発するのがせいぜいでした。
神社へ参拝し、ぐるりと回ったところへ位置する吉備津彦神社へも同様に参拝させて頂いて帰るというのがその頃のスタイルでした。
申すようにご縁ある処ではありますし、せめて一年に一度位は参らせて頂きたいと思いつつも最近では先に申したように三、四年程前の事です。
久しぶりに参らせて頂こうかと先日より考えておりましたので、今朝、さてどの道を通ろうかといつものグーグルマップを見ていたところから今日
の話へと繋がってきます。(此処まで長いですよねぇ;;、すみませんです;)

さて、吉備津神社へ参るのに、現在息子が倉敷へ居ることもあり、どうせなら一緒に参ろうかと、それも併せて良い道を探っておりました。
ご存知のようにグーグルマップ、当然地図ですから;上から俯瞰して各所の名称を入れてあります。
道を見ながらもそうして見ておりますと、あれ?吉備津神社等があります山の中、山中にあれこれと古墳とか石室等の文字が見えます。
なんだろう?とそこを拡大し詳しく見てみると、結構少なからずの方の口コミが載せられていたり写真も添えてあります。
その写真を拝見すると、なんとも大きな岩、それこそ磐座が数多くあったのでした。
自分があたかもそこへ居るかのように想像してその場所へ身を置いてみるとしたらば、果たしてどのように感じられるのか、そんなことを思いつつ
見ておりました。
そこは眼下に広がる平野が見渡せ、頭上には大きく開けた空があるきりです。
古には、その磐座へ神を降ろし、人間と神とが一体となって祭り事を行っていたのではないのか、そんな風に感じました。
また祭り事とはすなわち政り事でもあり、その当時はその辺りを支配する豪族なりの統治する場所であるが故に余計に一般の人々の出入りを禁じて
いた場所であったのかもしれない、とも思いました。
ただし、どこまでいってもこれは自分の憶測に過ぎませんけれど。
またその場所で神の御籤(みくじ)を降ろしたであろう巫女はある種トランス状態となり舞を舞うが如くの状態を示したのかもしれません。
けれど、自分が今回感じたのは、神の前で目を閉じて静かに瞑想した際、ただ座っているだけなのに、自ずと腕が上がり自然に舞うような格好を
取っていったのではないのか、ということでした。
ただただ降りてくる感覚に従い、腕を上げ下げし、そのうちに身体も舞を舞うが如くに動いたのではないか、それが後にある程度の部分を系統だた
せて、その神社なりに伝わる巫女舞へと変化、進化していったのではないのかな、そのように感じました。
ただし幾度も申しますようにあくまでも自分の憶測の域を出ません。
そうであったかもしれない、そう思うだけの話です。

彼の地で神を降ろして行われたことは、これも申すように政り事であっかどうかは全くわかりません。
そちらの方面ではなく、純粋に神と人間が繋がることを目的としておったのかもしれません。
そのような山、地であるからこそ、その周辺には社寺が今もなお多くあるのではとも感じます。

またその山へと降ろされたと思しき神なり存在を思うと、どこかしら優しい女性性を感じました。
吉備津神社、ならびに吉備津彦神社で御祭神とされておりますのは共に大吉備津彦命とされており、男性神のようです。
ですので自分が捉えた存在とは別の神、或いは存在なのかもしれません。
これもまた、いつか機会があればその山中に残る磐座なりをこの足で訪ねて行き、その場の空気を吸いながら感じ取って来れればと思うところです。
何かまた面白い発見?があるかもしれませんね。
これもいつかツアーでも組んでみましょうかね;。(笑)




                                      





毎朝、スピ系の方の書かれたブログを拝読するのが日課とも書きましたけれど、その中にさとうみつろうさんの書かれた「笑えるスピリチュアル」と
いうブログがあります。
今日、彼のブログでもこの磐座について少し触れておられました。
ただし彼のいう場所は広島県。
なんと自分の住まう県でもあります。(広島にも近いらしい(笑))
これも何とはなしに、今日はどこか自分達の頭の上のクラウド辺りで同じような話題について感じる部分があったのかな、もっと言えばシンクロ
する部分があったのかな;?と僭越ながら思った次第です;。
そう思うと、どこかで誰かと何がしかで繋がっているのかもしれない、とますます妄想は肥大化して行きそうです;。(苦笑)






                                      




今日は大いなる瞑想ならぬ妄想話;でございました。(笑)
それでも想像、否、妄想;することはとても楽しいことでもあります。
皆様はどんなことを妄想するのが楽しいでしょうか。
どうぞ素敵な方向へ想いを膨らませて行ってみて下さい。
いつかはその想像が本当になっているかもしれませんよ。


本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。

コメント (4)
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神奈備た処

2018-05-29 20:44:36 | 神様等について
こんばんは。
まるで梅雨入りしたかのような一日どんよりとした日でした。
日中、少し雨がありましたがその後は上がり蒸したように感じられました。
                              




                                  



                            
                                

                                    





よく夢を見ると話しておりますが昨夜も何か見ていたようです。
目が覚める直前まで不思議とこれは覚えておこうと考えているようなのですがさめた途端、忘れてますね;。
それでも覚えている間にメモすればそれは案外と後まで頭に残っているのですけれど。
今日は最後の方を少しだけ覚えておりました。
前の場面は忘れておりますが、どうしてか飛行機が離陸する際にその直下に入り飛行機の脚?が収納されていくところを反対方向へ向かいながら
見ていたというものでした。
脚も何本もあるようでそれらが収納されていくのを見ているという、なんとも意味のわからないシュールな場面でしたけれど;。
まるでハリウッド映画のCGならぬ夢版;?というところでしょうか。(笑)



                                  


                                  





昨日、神魂神社について少し触れておりましたけれど、この「かもす」という言葉がどこから出たのかはわかりませんけれど元々は神生す(産す)
「かみむす」だったのかな、と感じました。
神様が(お子神を)産むもの、まさに伊弉冊大神(いざなみのおおかみ)そのものを表しているのではと思いました。
とはいえ、あくまでも自分の思ったことにしか過ぎませんので本当にそうであるかどうかはわかりません。
普段はそれほど訪れる方が多くない神社と伺っておりますが、参拝させて頂くにはむしろ良いのかもしれませんね。
神奈備た(かむなびた)、つまりは神が坐します(おわします)処としては静かでもあり相応しい場所であられるのかもしれません。

神奈備たという意味では以前にご紹介させて頂いた島根県雲南市にあります飯石神社(いいしじんじゃ)もそうであろうかと思います。
山間(やまあい)のひっそりとした処へ、本当にその気になって訪れなければわからないような場所へ位置しておられる神社です。
鳥居はありますけれど普通は見られる狛犬や灯篭等は配されておらず、古代そのままに御神体も磐座(いわくら)を直に拝む形となっておられる
ところです。
申すように鄙びた場所にあり、華美な部分は全く無い場所ですがその御神域に一歩足を踏み入れた途端、不思議と心洗われる思いがし清々しさを
覚えます。
神と人間が相対しておったのは、やはり元々はこのような場所ではなかったのかと感じられる処です。

多くの方が訪れる大きな神社はそれだけ人の氣 もざわついている処も無きにしも非ずなのでは、とも感じます。
その意味では出雲大社は大きな神社でありますが、一般の方々が気軽に参拝出来る場所と、先日も例大祭の斎行されました八足門より中の垣内、
御本殿傍ではその空気は全く違います。
まさに神坐します処、それがひしひしと伝わってくる場所でもあります。
そう考えると御神域というのはとても大事な場所なのだな、と改めて感じますね。

と書いてきて、おや;では我が講社のつまりはうちの神殿は果たしてどうであろうか、そう思うと、おおっと;これは大変;大丈夫じゃろうか;
と一気に自分でも考えてしまいます;。
日々祝詞を上げさせて頂き、神坐します処として相応しいかどうか;、自分の肝に銘じておらねばと感じるところですね。
精進させて頂けかねばなりません;。





                                    




今日、昨日書きそびれた別のことを書くつもりでしたけれど、書き進めるうちに今日はこの話となっておりました。
おまえ神主という割にはそのようなことを書いておらぬであろう、少しは勤めよ、そんなことを神様に言われたわけではあろませんけれど、何故か
書いておかねばならない気が致しまして、このような事となりました。
って、それにしてはこれまたあまり内容は充実しておらぬのですけれど;。
此方も合わせて精進させて頂きたいと思います。




                                     



夕方歩くと多少は青空らしき部分も見えましたけれど、やはり雲が多い空でした。
明日もそんな風なお天気のようですね。
やはり梅雨も近いのかもしれません。


そんな今日のブログ、いつに変わらずお付き合い頂きました皆様、真に有難うございます。
感謝申し上げます。
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不確かな記憶

2018-04-24 20:40:16 | 神様等について
こんばんは。
朝から一日雨降りです。
夕方の今もまだ止まず降り続いております;。
もう少しすれば止みそうなのですけれど。
これまで雨も長らくありませんでしたので、この雨は恵みの雨となったかもしれません。
ただ願わくはどこへも酷い被害がないように、ということですね。




                               



                            


                              





そんな雨の中を先ほど歩いてきましたら、わずかの時間で横殴りの風が吹き、穿いていたパンツがずぶ濡れになりました;。
もう少し歩く予定を切り上げて早々に帰って来た次第です。
それでもレーダーを見るとこの辺りはそんな雨もそろそろ抜けていきそうですが。
出た時が一番悪かったのかもしれません;。
濡れて少し寒いです;。


そんな雨降りの日はいつも以上に何することも出来ず、我が家のネコと二人して大人しく家でおりました。
とはいえ、出られずにウズウズしておるのはネコとて同じようでして窓の外を眺めては恨めしそうに此方を(そう私を;)見やります。
いやいや、この雨、お母ちゃんが降らせとるんじゃないよ;と言うのですけれど彼女にしてみれば当たるところもない思いをせめて近くにおります
人間にぶつけておるのかもしれません。
まぁ仕方ありませんね。(笑)






                                     

                              

昨日、大神神社からの巳さんがくっいて?帰ったという話を致しましたけれど。
その大神神社について弊ブログで『ワンちゃんの話が蛇の神様へ?』というタイトルにて昨年の7月9日に少しだけ書かせて頂いておりました。
(https://blog.goo.ne.jp/kimibluekimi/e/f8803e6c4fe947b3099d9912cfca6d95)
大神神社の御祭神等について書いております。
それほど詳しくではありませんけれどね;。
参らせて頂いたのはどちらも仕事上の事であり、信者さんのいわば代参、代わりの参拝のようなものでもあり、神様のお言葉を賜るためでもあった
かと記憶しております。
ただしそのどちらもが主人が倒れた後の事でして、その一回目はおそらく主人の初めの脳梗塞の直後であり既に奈良へ参る日程も宿も手配した後
であったかと思います。
しかしそのような混乱の直後でもありましたので、何をしに参らせて頂いたのか肝心のところが今ひとつ記憶に定かではありません。
入院している主人を気遣いながらも行かねばならず、自分一人で車を駆り奈良まで到底走りおおせる自信は到底無く、どうしようと途方に暮れつつ
も同じ市内に住む弟にだめ元で頼むと、無口な彼はそれならばと引き受けてくれたかと覚えております。
大抵出張する際には何故か息子の学校の休みと重なっており、まだ小学生の息子と弟とその娘という計4人で車を走らせ行ったように思います。
当時はカーナビなどという便利なものもうちの車にはあったようには覚えておらず、全てマップルという地図を頼りに走っていたかと思います。

どのようにして走って行ったかの記憶はもう抜けてますね;。
ともあれ大神神社近くまで行くと、大きな鳥居があったのは覚えております。
駐車場へ車を停め拝殿へと続く広い階段を登って行く最中、何もかもが大きく感じておりました。
境内も相当に広く、知識も持たずに参らせて頂いた身にはどこへ参らせて頂けばよいのか、ただ三輪山へ登れればと思いそこまで参りますと既に
時刻は登頂して下山するまでの時間の余裕がありません、とこの登頂口の手前にあります狭井神社の方(社務所だったか定かに覚えておりません)
に言われ、止む無く断念致しました。
三輪山の頂上にて大神様のお言葉を賜ろうと考えておったのだろうと思います。
そんな狭井神社へ参る途中の参道の脇にどうも巳さんに関する案内も出ていたように思います。
その後、どちらでお言葉を賜ったのか、それも既に記憶に留めておりません;。
ただ何がしかのお言葉を頂戴して戻ったのは確かであろうと思います。

その後おそらくまた車を走らせて、この大神神社より更に奥の吉野というところまで行ったのではと思います。
思います、というのは本当に記憶がところどころしかなく、覚えておらないからですね、すみません;。
吉野ではこれもお話したことがありますが、水分神社(みくまりじんじゃ)という神社へ参拝させて頂くために参りました。
季節は秋で吉野のとても美しい紅葉を見た記憶がありますので、そこだけは確かですね;。
弟とその娘、姪っ子の写真を撮ったようにも思うのですけれど、もしかするとそう感じただけでカメラはその時もっていなかったかもしれません;。
何にせよ、全てが殆どそのように記憶の欠落があり、弟がついて行ってくれなければ自分ひとりで往復する余裕はなかったかと思います。

次に参らせて頂いたのは、これもまた息子との二人旅プラスやはりもう一人、運転をして下さる方とで参らせて頂きました。
この時にもやはり主人の入院中でもあり、本人が行かれないということで結局は運転に自信のあるという信者さんにお願いしてある程度を走って
頂いたかと思います。
この時にはこの方も伴い、三人して祈祷殿にてご祈祷して頂いた覚えがあります。
この大神神社は三輪山自体がご神体とされておりますので、その三輪山を遥拝(ゆうはい)するという形を取られており、社殿には神様は祀られて
おりません。
そのような説明を受けながら長い廊下を渡りその祈祷殿まで参ったように記憶しております。
何をご祈祷して頂いたのかこれも代参致したこととて覚えておらないのですけれど;ご一緒に参拝しておられた女性が、これからハワイへ嫁ぐ娘
さんのご無事を願って一心に祈っておられた姿が印象に残っておりました。
このご祈祷を終え、運転を依頼しておりました方とは此処でお別れし、自分たち親子はまたしても吉野へと赴いたように思います。
その前にご一緒した信者さんの写真を撮らせて頂こうと、その方お一人を拝殿をバックに一枚撮っておりました。
その頃はまだデジタルカメラも無かったのではと思います。
後日、現像から戻った写真を見ますとその方を取り囲むようにして大きな輪っか、まるでオーブのようなものが写っておりました。
少し小雨模様でしたので、もしかするとレンズに水滴でも着いていたのかしらとも考えましたが、その前後の写真にはそのようなものは写っており
ませんでしたので、何がしか大神様からの伝言代わりのものであったのかもしれません。

大神神社を語るにはあまりにも乏しいほどの記憶しか自分の頭の中には留めておりません;。
これから訪れようとなさいます方は、どうぞご自身の目と足とでお確かめになられてみて下さいませ。
ご自身にしかわからない素敵なことと出会えるかもしれませんよ。





                                 




大体がどこへ行くのも西日本であるならば、大抵は車に荷物を放り込み出発していたように考えます。
それまでは主人もおり、たとえ運転を私一人がしていたといてもどこかしら安心感がありました。
しかし主人が倒れたしばらくはまだ年端の行かない息子と二人、車を走らせるのが少し怖い気がしていた頃でもありました。
こうして振り返ると、その折々に色んな方に支えて頂いていたのだな、と改めて思うところです。
その節はみなさん本当にお世話様になりました、今更ながらですけれど御礼申し上げます。






                                  




先日よりお伝え致しております五月十四日月曜日午前十時より出雲大社例大祭が斎行されます。
ご参列ご希望の方がおられましたら下記までご連絡下さいませ。
尚、大社側への通達が5月7日までとされておりますので、それまでにご連絡頂きたく存じます。
追って詳細をお伝えさせて頂きます。

  kimikimiblue13@gmail.com

ご参列の程、お待ち申し上げております。




少し降る雨は収まってきたようです。
この辺り明日は多少は日が射すでしょうか、どうもなってみないとわからないようです。
どなた様もお足元、また殊に車の運転等にはくれぐれもお気をつけてお過ごし下さいね。



本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
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エーヴィン  金色の龍アーロン

2018-02-20 21:18:19 | 神様等について
こんばんは。
今日はこれまでになく暖かさを感じられるような陽射しと陽光でした。
少しずつでも春に近づいてきているのでしょうね。
もっとも北の方にお住まいの方は、まだまだかもしれませんけれど。
とはいえ夕方歩いてくると、やはり風は冷たく帰る頃には耳が冷たくなっておりました。
本格的な暖かさはまだ当分掛かりそうですね。
そんな朝は朝焼けが見えましたが雨が降るでもなく一日穏やかなお天気でした。




                                   





                                                                  


 
時たま夜が寝られない、眠くないという時があるのですがそんな事はありませんか?
昨夜がそんな風でして、どうしてか寝付けずいつまで経っても頭が冴えている感じでした。
以前も申したように首から肩、あるいは頭そのものが凝っている感じがずうっと取れなくて余計にそうなのかもしれませんけれど。
そういう時は本を読んでみたりもするのですが尚更目が冴えるばかりでどうしようもないですね;。
お酒を飲めば?といわれるかもしれませんけれど、殆ど飲めない自分にはその選択肢もありません。
こういう場合はどのようにすれば良いのか、どなたか良いアイディアがあれば教えて頂きたいところです。





                                   





そんなことを言いつつもいつの間にか根の国底の国、ではありませんけれど(祝詞に出てくる言葉です;)夢の世界へ行っていたようでした。
もっとも夢そのものは覚えておりませんが;。

朝は祝詞奏上後、いつもより長い話?をイルカのエーヴィンから聴きましたよ。


 “  やぁ 久しぶり エーヴィンだよ

    どうしたの ちょっと元気ないね そうか今 お金のこと あれこれ考えているからだね

    お金って 君達はしんどい思いをして稼がなきゃいけないものだと ずっと信じてきたんじゃない?

    いや そんな事はないって? 

    でも殆どの人が お金は苦労して手に入れるものだと考えてるでしょ

    労せずに 手に入れるのは いけないことだって

    その一方で 楽しくお金を手にいれる人を見ると羨ましくなってるよね 

    何故だろうね?

    君達を見てると とても面白いよ 不思議だよ
   
    それに色んなことを これはこれでなくてはならないと 一つひとつに紐で括り付けるようにして

    自分達で自分達自身を がんじがらめにしてるでしょ?

    面白いと思うよ 僕たちからするとさ

    一度 そんなのをとっぱらって 自分が本当に何をしたいのか 自分に聞いてみるといいよ

    わからないという人は どこか自然が一杯のところへ行って

    一日 ボーっとしてみるのもいいかもしれないね
    
    その中で 自分は一体どんなことを本当はしたいのか 

    お金って 自分にとって何なのか

    あくせくしないと稼げないと信じているのは 本当なのか

    それを今一度 感じてみることだよ

    それすら 時間やお金が惜しいっていう人は(笑)

    ほんの少し 目を閉じて 静かに座ってみるのも一つの手だよ

    あまりにも周りの雑音に振り回され過ぎていないか それを考えてほしいな

    
    今日は長くなったね じゃあまたね バイバイ  ”


 その後 白龍を感じたいと思うけれどなかなか・・・
 このところ黄色や金色にすごく惹かれる どうして?
 龍も金色? アーロン?



 〝  私だ 今そなたが必要としているのは 私のパワーだ

    思う存分使うが良い   〟


 頭の中へ書こうとする矢先から言葉が入ってくるみたい


 〝  何故 金龍なのか その波動に包まれたいと思うからだ

    一度どっぷりと その波動に浸ってみるが良い

    変化は必ず 現れる    〟 





                                    





                 
                                         

                              
                                   

最初はお分かりのようにエーヴィン、続いてはうちへもよく来てくれる?金龍のアーロンの言葉のようでした。
エーヴィン、今日はお金とかのことに関して語ってくれておりましたね。
これもどこかで聞いたような話ではありますけれど;。
彼にはこんな具合で話をされましたけれど、皆様はどのように感じられるでしょうか。
今の世の中の仕組みに従っていけば、前にも話したようにどこかで無理をしてでもお金というものは稼がないといけないと考えておられるで
しょうか。
確かに誰かがどこかで多少の無理をしてくれている部分があるから成り立っているという面も、今現在は否めないところもあると感じます。
それでもどんな人にも、これは出来るけれどそれは無理というものもあるのではとも考えます。
とするなら、世の中でしんどいと考えられている仕事を誰もしないとなると、この世の中は機能しなくなるのでしょうか。
自分が今している仕事に対してその全てがしんどいだけのものならば、実際そのような状況に陥ってしまうかもしれません。
ですけれど、今自分自身がしている仕事にある種の誇りややりがいを感じているとするならば、それは人から見れば大変そうな仕事であっても
当の本人には面白みのある仕事なのでは、と思います。
どんなことをしていても大変さ、しんどさはある意味ついて回るものかもしれません。
けれどその仕事をやっている最中、あるいはし終えた後の気持ちよさを少しでも感じ取れたなら、その仕事はその人にとりやる意味のあることに
なるのでは、とも考えます。
彼が主張していることと自分が申しておりますことはかなり隔たりがあるかと思います。
けれど仕事とはそういうことではないのかな、とこれは今考えながら書いていて感じたことでもあります。

自分自身、今の仕事に就くまでは、つまり結婚前まではごく普通に会社勤めをしておりました。
エーヴィンがいうようにどこかで多少は無理をしてでもお金を稼ぐには頑張らねばならない、それが当たり前だと思いそうしておりました。
けれど最終的には合わない部分をどこかで無理していたのが身体に来てしまったのかどうにも会社へ出られなくなりひと月程休んで、その間に
自分でふんぎりがついた気分で退職しました。
いえ、もっと言うならば自分自身が本当に人とズレまくっており;どこへ勤めてもいつも何かギクシャクしてしまい、終いには辞めざるを得ない
ダメ社員でしかなかったということなんですけれどね;。
これを話すと、これまた話が別のこととなるのですが今回良い機会;?なので一気に書かせて頂こうと思います。

ともあれ彼が言いたいこととは少し論点がずれておりますが、無理をしてでもお金のためならとすることが果たして正しかったのかと今考えると、
さぁどうだったんだろうと感じたりも致します。
確かに働いている間、いやなことばかりではもちろん無く、楽しいと思える時も多くありました。
けれどどこかでずれている自分が人についていけなくなり、詰まりは自分が自分のせいでそのようになってしまったというわけなのですが;。

そう思うと何にもせずに、最初は何も出来ずにでしたけれど、ひと月を休んでみたというのは今こうして思い返してみてよい経験だったのではと
思います。
行かなくなった次の日から、会社へ出なくていいというのはこれほどに楽なのかと感じたように覚えております。
常に会社のことは頭の隅にありましたがどこか自由になった、なれたと感じておりました。
いい加減、なんにもいわない自分に会社からどうしますか?と連絡が来たときには、辞めよう、としっかり決心が着いていました。
退職願だったかを便箋にしたため久しぶりの会社へ出向き上司にそれを手渡し、自分の使っていたデスクから様々なものを全て取り出してゴミ箱へ
捨てました。
名刺もなにもばっさりゴミ箱へ投げ込んだのを覚えています。
本当にサバサバした感じでした。
といっても、多分に迷惑を掛けていたのは絶対というほど自分の方であったのは間違いありません;。

その頃主人のする神様の仕事を分からぬまでも少しずつ手伝っておったようにも記憶しております。
まだ付き合っていた頃ですね。
というのか実のところ、このあたりの記憶が本当は今ひとつ鮮明には覚えていないのですよね;。
自分に都合が悪いことというのか、嫌だと感じていた当時の記憶が曖昧な部分があり、もし今主人が存命ならばその頃どうであったのか、かなり
おかしくなっていたと話すのではとも思うのですが。

要するに何が言いたいかといえば、自分に合わない仕事を無理して続け、その結果周りに大いに迷惑を掛け尚且つ自分もしんどくなった、つまりは
どちらも良くない結果で終わってしまっていた、ということです。

そんな、どうしようも世間一般には使い物にならない自分を此方の世界、神様に仕えさせるという分野では案外いけるんじゃないか、と感じてくれ
たのがその主人だったのではということです。

神事の世界、いわば人間と神様との仲執り持ちとされているのが神主という仕事かと存じます。
そんな大変な仕事を果たして人と大幅にずれまくっている人間がしてもだ大丈夫なのか、と言われそうですけれど。
何故かこの仕事は、ある意味主人が結果的には上司という立場で指導してくれましたので出来た部分も大きいかとは思いますが、最初から面白く
感じられました。
言葉遣いや所作動作、それらは厳しく教え込まれましたが、それらをこなしていく事も新鮮に感じられ、これまでとは違う世界に身を置くことが
殊の外楽しかったのだと思います。
仕事ですのできついこともしんどいこともありますが、それが苦にならない感じだったのだと思います。
この「思います」という表現、これもこのあたりの自分の記憶がやはりどこかしら断片的でもあり、気が着いたらこの仕事をさせて頂いていたと
いうのが正直なところでもあるからですね。

そんな風にしてこの仕事へ就いて気づくとウン十年、平成元年に結婚したので大よそ三十年、長いと言えるのかどうかわかりませんけれど、良い時
もあれば、当然あまり芳しく無いときもあります。
それでも自分自身がこの仕事が好きであるというのが、自分でも嬉しく感じている事実です。
                      
エーヴィンが話してくれた内容とは隔たりがありますが、そんなことを今回思いました。
好きこそものの上手なれ、これもこの場合、やはりこの話のニュアンスとはずれておるかと思いますが自分がこれなら打ち込めるとかんじるものを
していくのが何より大事なのではないかな、そう感じております。




                                      




続いてはアーロン、大きな金色の龍です。
ここで書いておりますようにしばらく自分についているとされる白龍の姿を見ておりません。
何でかなぁ、とは自分でも感じておるのですけれど。
その代わり先日より書いております金色の光景等、このようなものに今は心惹かれます。
そのせいかどうか、今日はこのように金色の龍、アーロンが出てきてくれたのでしょう。
彼が言うように金色の波動、その波動にどっぷり浸かること、そうすることでまた何か別の変化が感じられるのかもしれません。
これも不思議なもので、金色、黄色なものが良いなぁと思っていると余計に目に付くのかもしれませんが、身の回りにこのようなものが現れて来て
いるようにも思えます。
だからといって文字通り、金色のゴールドにはご縁はありませんよ;。(笑)
あ、いや今ひとつだけありました;。
先日千田さん(加藤)さんから購入させて頂いたアンシェントメモリーオイル、幸運という名のそれは内容物に金が含まれており、壜を振ると中の
金が舞い上がり、それだけで華やかです。
さながら金粉の大きい判が入っている感じで見ているだけで豊かになれそうです。
気づくと自分のカバンに入れているハンカチ、タオルハンカチですがついこの間から鮮やかな黄色のものを使っておりました。
また肌に直接着ける化粧品、これも現在少しだけですが黄色っぽい色をしているようですね。
こうしてみると無意識のうちに身の回りに黄色、金色を集めていたようです、偶然にも。
これらは僅かな事ですけれど、それでも何かしら自分の中で変化していくところがあるのかもしれませんね。
自分で自分を観察しながら、今後どのように変わるのかまた経過報告したいと思います。
間違ってもゴージャスな感じの変身には程遠いかと思いますけれど;。(笑)




                                       

            


この写真はたまたま;夕方歩いている時に写したものです。
早速出てきましたね。(笑)
マンサクの花、春にまず咲くからこの名が着いたとそれておるようです。
春の足音、少しずつでも近づいているようですね。
日本全国、早くそんな春が来てほしいものです。




                                        



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