気まぐれ翻訳帖

ネットでみつけた興味深い文章を翻訳、紹介します。内容はメディア、ジャーナリズム、政治、経済、ユーモアエッセイなど。

イラク戦争から10年-----勝者はビッグ・オイル(巨大石油企業)

2013年04月18日 | 国際政治
今回の文章のタイトルは
Why The War In Iraq Was Fought For Big Oil
(なぜイラク戦争がビッグ・オイル(巨大石油企業)のために戦われたか)

掲載元は、これまでも何度か紹介したオンライン・マガジンの ZNet(『Zネット誌』)で、筆者は Antonia Juhasz(アントニア・ユハス)女史。

原文はこちら↓
http://www.zcommunications.org/why-the-war-in-iraq-was-fought-for-big-oil-by-antonia-juhasz

(原文の掲載期日は3月22日でした。また、原文サイトにあるリンクや参照記事の案内は省略しています)


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Why The War In Iraq Was Fought For Big Oil
(なぜイラク戦争がビッグ・オイル(巨大石油企業)のために戦われたか)

By Antonia Juhasz
アントニア・ユハス
2013年3月22日(金曜日)


そう、イラク戦争は石油のための戦いだった。「戦争には勝者も敗者もない」とよく言われる。しかし、イラク戦争には勝者がいた。ビッグ・オイル(巨大石油企業)である。

「イラクの自由作戦」の爆弾が初めてバグダッドに落とされてから今年で10年。アメリカ主導の連合軍は大半がイラクから撤退したが、欧米の石油会社の活動はこれからがいよいよ本番である。

2003年のイラク侵攻の前には、同国の石油産業は完全に政府の管理・運営下にあり、欧米の企業が手出しをする余地はなかった。しかし、10年の戦乱を経てみると、その大部分は民営化され、外国の企業がおおいに幅をきかせている。

エクソンモービル、シェブロン、BP、シェル-----これら欧米の石油大手がイラクに拠点をかまえた。米国の多くの石油サービス会社も追随した。たとえば、ハリバートン社である。同社はテキサスに本拠を置く会社で、ディック・チェイニーが2000年にブッシュと組む副大統領候補になる前は経営責任者をつとめていた。

長い間希求され、ようやく得られたこの石油へのアクセスはもっぱらイラク戦争によって実現したのである。

石油がイラク戦争の唯一の目的というわけではない。しかし、それはたしかにその柱だった。そのことは、イラク戦争が始まってからの何年間かで、米国の軍や政界のトップ指導者たちがみずから明かしたことである。

「もちろん石油がかかわっている。われわれはそれを否定することはできない」。
こう述べたのは、ジョン・アビザイド陸軍大将。同氏は、イラク駐留米軍を指揮した中央軍の司令官で、これは2007年の発言である。
連邦準備制度理事会の元議長をつとめたアラン・グリーンスパンも同意見だ。回顧録の中にはこう書かれている。
「悲しいことに、誰もが承知していること-----イラク戦争はおおむね石油をめぐる争いだということ-----を認めるのは政治上、具合が悪いのだ」。
当時上院議員で、今は国防長官のチャック・ヘーゲルも同趣旨の発言を2007年にしている。
「石油のために戦争をしているわけではないと人々は言う。とんでもない。むろん、石油のためだ」。

欧米の石油会社はイラクからおよそ30年間閉めだされていたが、今ようやくこの世界屈指の大油田のいくつかを開発し、巨額の収益をあげることができるようになった。しかし、イラク侵攻以来、同国からアメリカへの原油輸入はかなり安定したレベルで推移しているが、その恩恵はイラクの経済や社会には浸透していない。

このような帰結は意図されたものであり、米国政府と石油会社の長年の圧力によるものである。
1998年に、当時シェブロンのCEOであったケネス・デアはこう述べた。
「イラクは膨大な原油と天然ガスをかかえている。これらにシェブロンがアクセスできればありがたい」。
そして、今日、それはその通りになっている。

エクソンやシェブロン、BP、シェルなどのビッグ・オイル(巨大石油企業)は、石油ビジネスの経験を有するブッシュとチェイニーを政権につかせるべく2000年に大量の資金を拠出した。これまでの大統領選の時の規模をうわまわる額であった。そして、彼らの献身は、ブッシュが大統領に就任してほんの1週間足らずで報いられた。『エネルギー政策策定部会』が、チェイニーをトップに頂き、設立され、米国の将来の包括的エネルギー政策をまとめるために、政権当局者と各企業の代表者らが協議することになった。3月には、イラクの原油生産能力の全貌を示す一覧と地図が検討された。

ほどなくして、軍事侵攻のためのプラン作りが水面下で始まった。ブッシュ政権の1期目で財務長官をつとめたポール・オニールは、2004年にこう述べている。
「2月(2001年)までには、会話はもう大半が物資の手配をめぐるものになっていた。(イラク侵攻の)是非についてではなく、いかに侵攻するか、また、いかに迅速にそれをおこなうかについてだった」。

『エネルギー政策策定部会』は、2001年の5月に提出した最後の報告書において、次のように主張している。「エネルギー部門のさまざまな分野を外国からの投資に開放すること」を中東諸国にうながすべきだ、と。これこそがまさしくイラク戦争で達成されたことである。

達成された経緯は以下のような具合である。

国務省の『イラクの将来』プロジェクトにかかわる石油・エネルギー作業部会は、2002年の2月から2003年の4月にかけて検討をかさね、「イラクは戦争終結後できるだけ早急に国際石油資本に対して門戸を開放すべきである」という結論をまとめた。

この作業部会の構成メンバーの名は未公表である。しかし、『火に油を注ぐ-----占領下イラクの石油と政策』の著者でジャーナリストのグレッグ・マティットによると、イブラヒム・バハル・アル=ウルーム氏がその一員であった。同氏は、2003年の9月に米国主導の暫定政府から石油相に任命された。そして、ただちに作業部会の出した結論を実行に移すことに取りかかった。

一方、エクソンモービルやシェブロン、コノコフィリップス、ハリバートンなどの代表者たちは、2003年の1月にチェイニー副大統領のスタッフと会い、イラクの今後の産業界にかかわるさまざまな計画について話し合った。これ以降10年の間、欧米の石油企業の元幹部や現幹部らは、まずイラクの石油省の行政官として采配をふるい、その後はイラク政府への「アドバイザー」として行動した。

イラク侵攻の前は、欧米の石油会社がイラクで事業を展開するのに2つの障害が立ちふさがっていた。サダム・フセインとイラクの法制である。フセインの方は侵攻によってたやすく片がついた。法制の問題を解決するについては、ブッシュ政権の内部と外部双方で、米国主導の連合政権(2003年の4月から2004年の6月まで機能した)を介してイラクの石油法を修正しさえすればよいとの議論がなされた。しかし、ホワイトハウスは性急なふるまいをためらい、選挙によって選ばれた新政府に圧力をかけ、あらたな石油関連法案を成立させるやり方の方を選んだ。

イラクのこの新しい石油法-----欧米の石油会社がその策定に一部関与した-----は、企業にきわめて好意的な条件で同国を海外からの民間投資に開放するものであった。ブッシュ政権はイラク政府に対してこの法の可決を公式、非公式両面で強く求めた。そして、2007年の1月、米兵2万人の「増派」計画がまとめられる中、ブッシュ大統領は新石油法の可決をふくむ具体的な道標をイラク政府に提示した。「投資、国民の結束、和解を促進する」というふれこみである。

しかし、イラク国民の反対の声がおおきく、議会も強硬に抵抗したため、新政府は法案を通すことができなかった。これをめぐっては、国民議会エネルギー委員会のメンバーであるウサーマ・アル=ヌジェイフィー氏が抗議して職を辞したほどであった。当該の法案は世界的企業にあまりに強大な支配権を付与し、「イラクの未来を圧殺する」ことになると同氏はうったえた。

2008年になり、米国とイラクで選挙がいよいよ近づき、法案の可決が見込み薄で、海外からの軍の駐留も長くは続かない見通しとなると、石油企業各社は別の手をひねり出した。

すなわち、議会とのかかわりを避け、個別の契約を締結するようになったのである。その契約は、新石油法がもたらすとされるアクセスの一切と好意的な条件の大半を実現するものであった。ブッシュ政権は、この契約のひな形を作成することにも力を貸した。

ブッシュとオバマ両政権の高官たちは、職を辞してからも石油会社のアドバイザーとして、イラクをめぐるこれら企業の活動を手助けした。たとえば、駐イラク大使をつとめたザルメイ・ハリルザド氏の会社であるCMX-グリフォンは、「国際的な石油会社と多国籍企業に対し、イラクに関するたぐい稀なアクセス、洞察、知見を提供する」と謳っている。

上述の契約には、新石油法であればかなえられるでろう安定性と確実性が欠けている。また、政府が石油部門を管理、運営、所有すると定める既存の法律と齟齬が生じるという抗議の声がイラクの議員たちからあがった。

しかし、これらの契約は、チェイニー氏のひきいる作業部会が示した中核的目標をまさしく成就する。すなわち、イラクの石油部門をほぼ民営化することと外国の民間企業に門戸を開放すること、である。

その上、これらの契約は期間が類を見ないほど長期のものであるとともに、外国企業の持ち株比率が高い。また、イラクの原油は国内にとどまる、企業は収益を地域経済に投資するかもしくは現地労働者を多数雇用する、等々の要件を除外している。

直近の5年間でイラクの原油生産量は40%以上増大した。1日に300万バレルである(もっとも、それでも、1979年に国営会社が記録した350万バレルにはおよばない)。しかし、このうちのまる80%は海外に輸出され、イラク国民はエネルギー消費の基本的ニーズさえ満たすのに苦労している。一人当たりのGDPも大幅に増えたものの、それでも世界でもっとも低いレベルにとどまっており、近隣の裕福な石油産出国のはるか下の水準に位置する。水道や電気などの基本的社会サービスも贅沢の域に属し、人口の4分の1が貧困にあえいでいる。

国内に幅広くエネルギー関連の雇用が生まれるというふれこみもいまだ実現にいたっていない。石油・天然ガス部門の直接的な雇用は、今のところ、総雇用のうちで2%にも達していない。外国企業が地場労働者よりも移民労働者を多く使っているからである。

つい最近、エクソンモービルとロシアのルクオイルがかかわる、超巨大規模の西クルナ油田で、1000人以上の人々が抗議のために集まった。雇用を求めてと、石油生産のためにうしなわれたもしくは損害を受けた土地に対する賠償を求めてのことである。軍が事態収拾のために駆り出された。

また、これらの企業に堪忍袋の緒を切らして、石油事業にかかわる労働者をふくむ、イラクの代表的な市民団体と労働組合が合同して2月15日にこう宣言した。国際的な石油企業は「外国の軍隊にとってかわってイラクの主権を侵害」しており、「撤退の時期を明確にする」べきだ、と。

一方、米国本土では、シェブロンのヒューストンの拠点施設前で2010年に抗議の集会が開かれた。以前情報をあつかう陸軍の将校で、『反戦イラク帰還兵の会』のメンバーでもあるトーマス・ブオノモ氏が参加し、「拝啓シェブロン殿: われわれの職務に泥を塗ってくれてありがとう」と書いたプラカードを高くかかげた。

そう、イラク戦争は石油のための戦いだった。そして、敗者をともなう戦争だった。敗者とは、イラクの国民であり、みずからの血を流した人々である-----最終的にビッグ・オイルが栄えるために。


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[訳注・補足など]

■筆者のアントニア・ユハス女史についてとこの文章のテーマに関連しては、下記の『デモクラシー・ナウ』のサイトが参考になります。

巨額の政治献金で公共政策をあやつる石油業界
democracynow.jp/video/20100505-3


■もっと深く追求したい方は以下のサイトも参照してください↓
(私は訳し終えてから知りましたが ^^;)

・巨大石油企業がイラクに抱いた夢: Falluja, April 2004 - the book
teanotwar.seesaa.net/article/78509747.html

・TUP速報957号 「イラク――石油メジャーの任務は完了か?」 グレッグ・マティット
http://www.tup-bulletin.org/modules/contents/index.php?content_id=990


■イラク戦争の目的と思われるものは、石油のほかにも、ネオコン主導による「中東再編」の野望もあります。
これについては以前のブログでも少しふれています。↓

「米国の進路を決定しているのはネオコンか?」
http://cocologshu.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-0da0.html


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