染織工房きはだや 「店主の独り言」

きはだや店主が今日の出来事を語る。喚く。話す。切る。
でも日記は苦手。
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追悼 渡辺善平翁

2020年01月18日 | 店主の一日
十日町の織物業界最長老の渡辺善平翁が亡くなった。
ご家族で営む工房から生まれる絣の織物の数々は実にすばらしく、他を寄せ付けない。
絣は世界中に古くからある織物に柄を作る技術。
織る前の糸を加工して織ると、それが柄になると言う単純なもの。
善平翁の絣はしゅもくにかけておいても、平面であるきものがぼんやりと凹凸に見える立体感が美しいです。
これを着ると、人の体の局面と絣の浮き上がる感じが相まって、この織物のよさがさらに感じられます。
きっとこれは理屈ではないのだなあと。多分、AIではできないのだと思います。

これだけのものを作るのだからきっと仕事に厳しい方なのだと思います。
10年ほど前になると思いますが、善平翁のご自宅に昔話を聞きにいったことがあります。
この街で、昔の話を聞くと必ず「昔は景気がよかった」と言うところが話の中心にきて威張られてしまうのですが、
翁の話は戦後の物のない時代のモノつくりでした。
あるいは、(確か。。)善平翁の叔父さんと言う人が、八王子に化学染料の使い方を習ってきて講習をしたのだとか。
明治の後半から全国に化学染料を使った染色技術が普及するようになり、当時、化学染料を使いこなせなかった十日町の織物は斬新さで苦戦をする時代が続いたのだそうです。
そんな中で善平翁の叔父さんが当時の染色学校の先生と一緒になって先進地八王子の染色学校に研究に行っ田と聞きました。
化学染料なんて随分、昔からあるような気になっていましたが、「この人(善平翁)の叔父さんがようやく、取得してきたって、ついこの前みたいな話だ」と思ったのを覚えております。
そう、逆を言えば「草木染め」なんてつい、最近までそれしかなかったということです。
景気と違うモノつくりを語る最後の人であるかもしれません。
合掌


写真はネットの借りもの。すいません。
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