新装!中島賢介研究室

勤務大学における授業内容や雑談に関する説明などを中心に綴ります。よかったらお立ち寄りください。

おっさん、にわか舞台監督

2009-09-29 08:18:40 | 子育て
 本日から明日にかけて、演劇部の合宿を行います。
 今週末の舞台に向けてラストスパートといきたいところですが、
 部員個々の予定が合わず、今になってようやく全体練習ができるという始末です。(大丈夫かな)
 この合宿を通して、何とか子どもたちに見せられるものを作りたいと部員一同意気込んでいます。
  

教会学校にて 賀川豊彦を語る

2009-09-27 21:26:06 | 子育て
 今日の教会学校中高科の礼拝で、全国的に献身100周年記念事業が行われている賀川豊彦について話をしました。
 明治21年神戸に生まれたものの、相次いで両親に先立たれて徳島に移ります。肺結核を患いながらも宣教師よりキリスト教と英語を学びます。
 その後神戸で伝道活動に入るものの、人々のあまりの貧しさに心を打たれ、社会運動を始めます。
 彼の業績を賀川豊彦記念・松沢資料館のHPを参考にさせていただいたのですが、「賀川豊彦関係事業展開図」を見ると、彼の事業は実に多岐にわたっていたことが分かります。
 また、彼は海外においても平和運動を行ったということもあり、二度もノーベル平和賞の候補に上がり、
 2000年にはユニセフ「子どもの最善の利益を守るリーダー」として日本人でただ一人選出されています。
 生徒たちには、恵みをただ受け取る人になるのではなく、その恵みを一人でも多くの人に与えられる人になってほしいという話をしました。
 
 
 
 

教育にもバトンが必要

2009-09-26 10:59:14 | 子育て
 職業柄、幼稚園・保育所と小学校、中高一貫教育、高等学校と大学など、学校種の連携に関する話をよく聞きます。
 教育行政の専門家ではないのでそれが具体的にどの程度重要であり、将来的にはどのような構想があるのかについては分かりません。
 ただこれまでの経験を通して言えるのは、個々の教員が所属する学校種以外のことを知らなさ過ぎるという現状があります。
 私自身、短期大学に採用され、保育学科に所属するまで「保育」そのものに対する重要性を今ほど真剣に考えていませんでした。
 乳幼児期の教育の重要性について認識している他の学校種の教員がどれだけいるでしょうか。
 認識をしていれば、まず保育者の待遇改善について考えるべきであり、子どもの年齢が高くなればなるほど学校種の教員の待遇がよくなるというシステムそのものを見直すべきでしょう。
 教育者は保育者であろうと、高等学校教員であろうと同じ子どもを育てる極めて重要な役割を担っています。
 そこに何らの差があってはいけないはずです。
 保育者の待遇改善が、これからの日本の教育に求められています。

原稿何とか間に合う

2009-09-25 11:42:40 | 子育て
 本日、隔月で載せていただいている俳誌の原稿を送付しました。
 先日お話させていただいた「いしかわ学」での質問に対する答えになるかと思います。
 原稿にも書きましたが、
 文学を楽しむことがが決してマイナス要素になるとは思いません。
 文学をどう捉えるかが問題なのではないでしょうか。
 文学をマイナスに捉えるようなことをしてほしくありません。
 また、講義を聞くことで死にたくなるような話をするつもりもありません。
 むしろ、さまざまな切り口から文学世界を分析し、そこに豊かさを発見することに生きがいを感じています。
 何よりも学生の皆さんに共感してもらえるような授業を目指しています。
 しかし、準備がなかなか進まない・・・・・・。

おっさん、子ども相手に熱唱する

2009-09-24 08:37:25 | 子育て
 連休最終日、特にすることもなくゆっくりと休養できた私ですが、娘達はさすがに退屈そうでした。
 「何したい?」と聞くと、意外な答え。
 「歌いたい!」
 彼女たちの声に圧倒されながらも、みんなで準備することにしました。
 1 某カラオケ会社の会員登録を済ませ、HPでクーポン券を印刷する。
 2 じゃんけんで歌う順番を決める。
 3 「希望曲リスト」を作成する。歌詞や曲を忘れてしまった場合は、PCで
   検索して確認しておく。
 さて、カラオケルームに入って歌おうと、曲名を入れようとしたら、あれっ。
 曲がない。「キーワード検索」で探してもない!せっかく用意してきたのに。
 がっかりする彼女たちを励ましながら代替曲を選ばせ、必死に入力する父親。
 さんざん歌っておきながら、いざ私の番だと意気込んでいたら、曲が始まるなり、席を立ち上がって、
 「ちょっと、トイレ行ってくる」
 おいおいそれはないだろうと思いながらも、(そりゃそうだ。確かに、彼女たちは「歌いたい」と言い、「歌を聴きたい」とは言わなかった。
時間を効果的に使うためには当然の行為だ)と思い直し、独り寂しく歌いました。
 改めてカラオケとは「歌うためにある」ものであることを実感しました。