お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

城館ホテル シュレミン

2021年07月16日 | 旅行

ドイツの北東にあるシュレミン城 は、大農園の城館として1846年から1850年にかけて建設された。第二次世界大戦中の1943年に野戦病院となり、1944年の末には東部戦線からの避難民や引揚者の宿泊所になった。代々貴族によって管理され住まわれてきたこの城館は、この地域をソ連軍が19455月に占領した時、その歴史に幕を閉じた。まだ居残っていた貴族の家族や親族が城を捨てて西側に逃亡したからである。初期の東ドイツ時代には160人の避難民と引揚者がここで生活していた。その後数年間の空き屋敷状態を経て、1970年に農業生産協同組合の来賓用宿泊施設になり、SED(ドイツ社会主義統一党)の党員や大臣そして役員達が利用して、講習会や軍の祝賀会などもこのシュレミン城で行われた。東西ドイツ統一後の1991年にシュレミン町が所有権を得て、ある企業グループが建物を城館ホテルとして経営しようとしたが上手く行かず、1992年に信託公社の不動産会社が所有することになった。1999年にはホルスト・ザンデルという人がこの城館を購入し、数年に亘って根本的な改装と近代化を施し、広大な公園にあるこの城館ホテルを開業するに至ったそうである。

この辺は最後の氷河期のときに出来たというどこまでもだだっ広い地域で、広大な公園(20ヘクタールつまり200.000平方メートル)の中に静かにポツンとそびえ立つ白亜の城館だ。普通の客室、スイート、そして家族部屋が合計32室あるそうだ。公園は城の建物よりも古いらしく、城とともに保護文化財になっている。公園の中は4kmにわたる散歩道があり、数箇所に白い橋が架かる小川が流れる。池がいくつかあり、30個の白いベンチが点在する。所々で並木を形成する菩提樹は250年の樹齢であり、城の裏入り口にあるブナの木は樹齢700年だそうだ。他にも立派な大木が無秩序に立ち、下のほうは苔が這い上がっている。今まできれいな公園はいくつか見たが、魂を感じた公園は初めてである。まだ春になりきっていない今は落葉樹の葉がなくて明るいが、これらの木々が葉を茂らせる夏にはゾクゾクするほど霊力を感じるのではないか。鳥の声が聞こえ、どこかでキツツキが幹をつつく。頭が痛くならないのだろうか。春にはマツユキソウ属の花とアネモネが、夏にはシナノキの花が咲き乱れ、公園は花の芳香で満たされるそうだが、今はどこからともなく肥やしの匂いが漂ってくるだけである。あちこちにパーゴラ(バラや藤のつるをからませた棚)やパビリオンが建ち、動物相や植物相や狩猟に関する説明が書かれた掲示板がある。

  

城館に続く並木道 ・ 城館の公園側

樹齢700年の木

城館は近くで見ると全体的に古さというか、手入れの悪さが目立つ。中に入ると真ん中に、上階で両側に別れる階段があり、階段を中心に左右対称な構造である。廊下や階段の踊り場には骨董の家具、椅子、置物があり、絨毯が何枚も敷かれている。床がギシギシ音を立てるが、耳を澄ますとクラッシックが聞こえる。いい雰囲気だ。

  

入り口の門 ・ 正面

 

右斜めから見る ・ 真ん中の階段

  

階段の上から踊り場を見る ・ 廊下

他に空いている部屋がなかったのでジュニアー・スイートにした。入るとすぐに寝室で奥に居間がある、変わった構造だ。床は薄ピンクで波模様入りの絨毯、壁はベージュ、天井は白である。寝室にある窓と居間にある窓と方向が違うので、2方向の公園の景色を楽しめる。天井が高くて一人には十分すぎるくらい広いが、家具が古くて安っぽいし、至る所塗料が剥げたままで汚い。IKEA(スウェーデンのインスタント家具量産店)で買って、それを古く汚くした感じである。ジュニアー・スイートにしてはあまり広くないバスルームに窓がなくて入ったときにいやなにおいがしたが、清潔なのでまぁいいか。洗面台の栓の機能が悪いし、備品はすべてに使える液体石鹸のみ。さらに悪いところを列挙すると、部屋全体の装飾がみすぼらしく安っぽい、温かみがない、快適さがない、おもてなしの心が感じられない、冷蔵庫が古く小さい、テレビも古くて小さいし、リモコンの機能が滅茶苦茶。住み心地があまり良くない客室である。どうしてジュニア・スイートの家具と装飾がこんなにもみすぼらしいのか不思議である。部屋の快適さはカテゴリーではなくて値段で判断するほうが当たっているような気がする。前日に埋まらなかった部屋に当たったらしく、夜が寒い。ベッドも掛け布団も冷え切っている。東京の帝国ホテルでは客が到着する前に暖房を入れておくのだが、北国から来る客には少し低めに、南国からの客にはやや高めに温度を設定するらしい。もっとも、日本の最も権威あるホテルと比較しても意味はないが、、、、、。

催し物や結婚式に力を注いでいて個人の泊り客をおろそかにしているのか、それともシーズンオフだけのことなのか。

 

私の部屋 1 & 2 

今日は催し物をやっていて、趣味の良い様式を整えているらしい „青いホール“ というレストランで一般客は食べられないそうなので、 „フベルトゥスの地下室“ という、壁に沢山の農器具と手工具を飾った、まるで民族博物館のような食堂風レストランで夕食をとった。テーブルにテーブルクロスはなくて敷物のみ。その上ナプキンが紙である。

 

„フベルトゥスの地下室“ 1 & 2

その催しというのは各地の城塞ホテルでよく開催される探偵小説ディナーである。探偵小説の一部がいくつか演じられ、その幕間に食事が供されるというものだ。

ところで食事であるが、3品のコースメニューがあったのでそれにした。

 前菜はトマトクリームスープで、パンの切れ端が少し入る。まぁ普通に美味しかった。つまり、特に何と言うことのないスープであるが美味しく感じた、ということである。

メインディッシュは大きなバラ色に焼いた牛のフィレ肉が炒め野菜の上にのっていて、牛汁味のどぎついインスタント風のソースがかかる。肉の焼き方が私にとっては足りないし、肉の味が良くない。そして野菜が明らかに冷凍物である。というのは、普段ドイツ人が使わないレンコンとシナ竹が入っている。おそらく、チャイナ野菜とかいう名がついて大きな袋に入った冷凍野菜を使っているのだろう。ヤマドリタケが入ったポテトのタルトの付け合わせだけが美味しかった。

デザートは自家製マンゴー・アイスクリームが大きな歪めたせんべいの様な生地にのり、ヴァニラ・ソースとマッチ棒状に固めた飴がかかる。3種類の果物のスライスが添えられて色合いも良く、これが一番楽しめた。

サーヴィスというか料理を運んでくれるのは太ったおっさんで、フレンドリーだがプロの給仕には程遠い仕方であった。

朝食は朝日が入る明るい広間だ。天井が高くてシャンデリアが3つ下がり、暖炉があり、数枚の大きな絵が掛かる。骨董風デザインの立派な椅子に座って食事をする。ジュースの自動供給機が大変場違いな印象を与える。食自体はボック・ブルスト(茹でソーセージ)が長いまま出る以外は特筆することなし。サーヴィスは洗練されていないごく普通の東独レベルである。

2日目の夕食も „青いホール“ というレストランでは食べられない。今日の催しは結婚式のパーティーだそうだ。そういえば今日は朝から普段ホテルには泊まりそうにない老人や夫婦者がウロウロしていた。

„フベルトゥスの地下室“ に行くと鍵がかかっている。今夜は夕食の場を朝食用のホールに変更したそうだ(今朝朝食を取った広間とは違う)。設えが本当のレストランで雰囲気がよろしい。

アラカルトで頼んだ前菜は “卵と根菜のみじん切りが入った鳥のコンソメスープなのだが、卵に代わって親の肉が入っていた。スープの味にコクがなく、少し煮詰まった辛さが気になる。パンを出すのを忘れているが、経験の浅そうな素朴な女の子が一生懸命走り回って給仕をしているので大目に見よう。„フベルトゥスの地下室“ のつもりだったのでチップの小銭を持ってこなかった。ゴメンネ。

メインは子牛の内腿のウイーン風薄切りカツレツ。肉が柔らかくて旨い。付け合わせは „農民の馬鈴薯“ という名の料理で、ジャガイモのスライスを玉ねぎとたっぷりのベーコンで炒めてある。別の小皿にサラダが付く。ポテトの味が水っぽく、油でギトギトした付け合わせの後で食べるサラダが美味しい。

デザートは取らずにエスプレッソを飲んで早々と部屋に帰った。

お城のホテルは一般に雰囲気があって面白いが、美味しい食事も楽しめるところは希少である。“お城でグルメは難しい。“

 〔2011年3月〕〔2021年7月 加筆・修正〕

 

 

 

 

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