むかし学生生活を送ったことのあるマールブルクの近くの、バート・ラースフェという保養地にある、 „ヤークトホフ・グラスヒュッテ (狩猟館・ ガラス工場)“ という名の ホテルに2泊した。城塞でも城館でもなく農家として建てられたのだが、ルレ・エ・シャトウ・グループに属する何となく気になるホテルなので、近くまで来たついでに立ち寄ることにしたのだ。民家が数軒しかないこの地域の名をグラスヒュッテという。過去にガラス工場があったのだろう。
ホテル・ヤークトホフ・グラスヒュッテはきわめて牧歌的なラーン谷にある大きな白黒の木組みの建物で、その内外に鹿の頭部の骨や角および動物のブロンズ像 など、動物(主に鹿)にちなんだ装飾が目立つ。
雪のヤークトホフ (狩猟館) 1 & 2
このホテルは、現在の所有者であるエドムント・ドルンホェーフェル氏の曽祖父に当たるハインリヒ・フリードリヒ・ドルンホェーフェル氏 (1856-1938) が1905年に建てた農家に端を発する。当時から周辺で働く森林労働者の溜まり場であったらしい。そのうちに飲み物やタバコを売るようになり、エドムント氏の祖父と父の時代に小さなレストランになった。1975年にエドムント氏が若くして他界した父親の後を20歳で継いだ跡も、そのレストランを拡張したりグリルレストランを新設したりしていたが、1984年にホテル・ヤークトホフ・グラスヒュッテを立ち上げ、ますます広げたり改装したりして、20の客室と9のスイートルームを持つ今の形に育て上げた。1999年に夕食だけを供するレストラン „Ars Vivendi“ を開業。このレストランは2000年にミシュラン1ッ星を手に入れた。ホテル自体も同じ年に „ドイツのホテル・ベスト5“ に選ばれたそうである。2002年からはルレ・エ・シャトウ・グループのメンバーである。その後も絶えず改装を重ねて今日に至る。元々はコックであったエドムント氏は、今はホテル経営者として高い評価を得ているらしい。
ホテルの玄関
ホテルの建築材料は圧倒的に木が多い為、音響が良すぎて人が歩く音などが良く聞こえる。レセプションのすぐ横が、大きな暖炉がある3階まで吹き抜けの重厚なホールである。静かなジャズヴォーカルが流れる。チェックインする前に、
「こちらでまず、ごゆっくり。腹ごしらえをして下さい。」
と、暖炉の前に案内されたが、疲れていたので素早くカカオを飲んで早くチェックインの手続きをしてもらった。暖炉のホールには、毎日午後飲み物と軽食やお菓子を置いているので利用してくれとのこと。このホールを囲むように階段と廊下があり、木彫りの像が幾つも置いてある。
ホールを見上げる ・ ホールを見下ろす
私の部屋である2階の21号に、鹿の角のキーホルダーが付いた昔ながらの鍵を使って入る。広いダブル部屋のシングルユースだ。ドアの表にかわいい下げ物、内側にヘラジカの縫ぐるみがかかる。壁はクリーム色だが、カーテンやベッドカバーやソファー、そしてスタンドの傘には赤や緑の格子あり、花模様あり、賑やかである。バラとランの鉢植えの他に、いくつかの造花やこまごました装飾を置いてある。少しキッチュな気もするが、素材の質が高いし家具が古いので居心地は悪くない。むしろ楽しい浮き立つ気持ちにさせられる、と言っていいだろう。これほど賑やかな部屋は初めてだ。賑やかさは両面全部鏡である、引き戸を開けて入るバスルームに続く。女性用バスローブとタオルは花模様入り、石鹸入れや歯磨き用コップ、そして洗浄液の容器は大きなバラの絵が入った陶器、そしてスリッパは赤黒緑のタータンチャックだ。
私の部屋 1 & 2
電気器具の一つにCDプレイアーがあり、珍しいことにCDが入っている。“天国からの20のメロディー“ というタイトルのCDはハワイアンの曲である。ハワイ- 天国、なるほど、、、。また、部屋は飲食物で溢れている。ミニバーの飲み物は無料であり、コーヒー・エスプレッソ器械と „ネスプレッソ“ のカプセルが幾つも置いてある。ソファーの前のテーブルにはボウル一杯の胡桃があり、ナイトテーブルには深皿一杯の飴玉、かつ書斎机にはサンドイッチ、お菓子、果物、そしてドイツ風ラッキョウまで置いてある。
全体的に部屋は多少嬉々とした印象だが、気持ちよく滞在してもらおうと一生懸命努力しているのが伝わってくる。日本の高級旅館の „おもてなしの心“ に通じるものを感じる。書斎机の引き出しに大き目のホテルの絵葉書4枚を見つけた。春夏秋冬のモティーフで、それぞれに3枚の白黒写真と短い詩が載せてある。良い 趣味だと思う。ガストロノミーであるが、ミシュラン1ッ星のレストラン „Ars Vivendi“ は今月は休業ということで、別の „Rotisserie Jagdhofstuben“ という、この地方の特色を出したレストランで夕食を取らざるを得ないのは残念である。
レストランの少し雑然とした感じは否めないが、茶色を基調色にした田舎風の暖かい雰囲気で、耳を澄ませばピアノジャズが聞こえる。大きな暖炉に火が弾ける。隅のニッチに私のテーブルをしつらえているのだが、大変に居心地が良い。ここでドイツでは初めてのことが起こる。給仕の女性が、
「今晩は、OO様。」、
と私の名を呼んで挨拶するのである。
「私の名前は〷です。今日貴方の担当になっています。宜しくお願いします。」
10年程前にアメリカに行った時に同じ経験をして、
『なるほど、こうしてチップを弾んでもらうシステムなんだな。』
と思ったが、米国のようなチップの習慣 / 義務がないドイツでこのような丁寧な挨拶をするとは、、、、驚きである。
レストラン ・ 私のテーブル
さて食事であるが、グルメレストランのようなメニューがないのでア・ラ・カルトで注文した。
まず厨房からの挨拶として、クスクスの上に生暖かい „アジアの七面鳥“ のサラダがのっていて全体に黒ゴマをふってある。„アジアの 七面鳥“ とは何のことか判らないが (ゴマをふってあるからか?)、旨い。
前菜として、„牛肉のカルパッチョ・狩猟館スタイル“ を注文。それに黒トリュフをかけてもらう。真ん中にサラダ菜があり、全体にチーズとバルサミコが少しかかっている。カルパッチョの皿の下に少し深めの皿があり、その中にクラッシュ・アイスを敷き詰めている。カルパッチョという料理は、肉なり魚なりを薄切りにするときに冷凍か半冷凍にするとみえて、水っぽくなることが多いのであるが、ここのはおそらく冷凍せずに切ったのだろう、少し厚めだが全く水っぽくなくて美味しく食せた。ただ、ア・ラ・カルトの前菜なので量が多いのは残念だ。
主菜は地産である „ラーン谷の鱒・狩猟館風“ にした。フライパンで焼いた鱒1匹に煮ニンジンと炒めポテトが付いている。サラダ菜が1枚あって、上にイクラをのせてあるのは意外であった。簡単な料理であるが、魚が良質なのか、美味しい。ん? と思って見ると、頭と尻尾を残して骨を全部取ってある。こういう下ごしらえをした鱒の姿焼きは初めてだ。
デザートは簡単に、ミックスアイスクリームの生クリーム抜き、にした。まぁ、普通の美味しいアイスクリームだったが、形の面白い容器に入っていた。
四角いお盆にコーヒー豆を敷き詰めて、その上にエスプレッソのカップと受け皿を置いているのも、他のレストランでは経験したことがない。
全体的に料理その物には特に見新しい点はなかったが、食事を供するスタイルにオリジナリティーを認めた。満足のいく夕食であった。
朝食は明るい宮殿風の空間。BGMでピアノのイージーリスニングの曲が静かに流れる。小さな磁器の立て札に „おはようございます、OOさん“ と、私の名前を書いているテーブルに座る。客を個人的に扱っている印であろう。朝食ビュッフェのハム・ソーセージのところに西洋ワサビとおろし金があり、ワサビのおろしたての香りを楽しめる。ドイツのゼクト (発砲ワイン) ではなくて、シャンペンがあり、生牡蠣まである。いちいち数え上げるときりがないので後は割愛するが、朝食として供される食物の種類、量、質、朝食を供するシステムおよびその仕方において、これ以上のホテルは今までになかった。
朝食場
2日目の夕食は前日と同じテーブル、同じセーヴィス・スタッフの女性であった。
キッチンからの挨拶は皮付きの焼き姫鱒の切り身。レモン・ドレッシングをかけた小さなサラダ菜 3枚の上にのっている。魚肉が少しパサパサしているし、焼き魚の香ばしさに欠ける。
前菜はサラダにした。ノヂシャを中心にラディッシュとキュウリが少し。それにカリカリのパンとゆで卵とベーコンの欠片がそれぞれ少しずつ散布されていて、薄味のクリーム・ドレッシングで食べさせる。胡椒と塩を少しかけると大変良い味になった。
メインディッシュは、Wagyu (和牛) のステーキにした。Wagyuは最近ヨーロッパで、“世界で一番美味しい牛肉” として重宝されているので試食してみたかったのだ。私が望んだように、ウェルダンとメディウムの中間の焼き具合で供された。日本の霜降り牛肉ほど脂っぽくないけれども柔らかく、味は当地で食べられる美味しい牛肉のうちの一つであることは確かだが、飛びぬけて旨い訳でもない。例えばUSAの美味しい牛肉の2倍する値段のことを考えると、少し首を傾げたくなる。軽く胡椒をかけてあり、私は薬味ソースで食し、薬草バターはパスした。付け合せにはカリフラワーとニンジンと煮豆、それと細身四角柱状の揚げポテトが出た。
デザートはとらずに、エスプレッソで締めくくった。
グルメレストランで美味しく食べたときのような高揚感はないが、それなりに満足のいく夕食であった。次回はぜひ、グルメレストラン„Ars Vivendi“ で食事をしたい。
〔2011年1月〕〔2021年7月 加筆・修正〕