斎藤学先生のブログさまざまな保護者の間でを読んでの感想
子どもを産んで思うことは、仕事を持たない主婦にとって、特別何かしていない限りは、自分の世界がないということ。
もちろん、それまでに築いた人間関係や友達もあるのだけれど、結婚し、子供を持ち、取り巻く環境が変わってしまうと、それまでと同じように関係を保つことは難しくなっていく。
少しずつ、共通点が減っていくからだ。同じように、結婚し子どもを持っていても、いつでも電話で話せるというものではないし、いつでも会えるという訳でもない。
段々、疎遠になってしまう。
そして、以前話題になった言葉、「公園デビュー」
子どもを通して、新しい世界を持つことになる。
そこでの話題は、当然子どものことと旦那のこと。
共通の趣味があれば、別なのかもしれないが、そうでない限りは、それしか話題が持てない。
せいぜい夕飯のメニューくらいだ。
そこでは、乱さないことが原則となる。
同じような時間に公園に出向き、同じ時間に帰っていく。約束したわけでもないのに。
時に、子どもの洋服の話題になり、しつけの話題になる。
そして成長の話題。
他の子どもとわが子を比較し、同じではないところを見つけ不安になる。
その不安を、旦那にぶつけても、気に止めてもらえもしない。
子どもの世界=母親の世界と変わりゆく。
子どもが少し大きくなれば、どこの幼稚園に進むかが話題になる。
少しでも、いい幼稚園に入ろうものなら、もうその世界には戻れない。
幼稚園に入っても同じだ。
役員会があり、バザーの手作りの集まりがある。
同じように出席することを、お互いが縛りあい、同じように出来ない場合は蚊帳の外に出されてしまう。
今度は、母親の世界が、子どもの世界となる。
母親は子どもをコントロールし、自分の仲のいい母親の子どもと遊ばせようとする。
子供同士は、傷つけあい、泣きあうこと、悲しい経験、マイナスの出来事でも心を豊かにする。
けれども、そんなマイナスの行動すべてを親が取り上げてしまう。
痛みを感じることなく育った子どもは、他人の痛みもわからない。
大人の見ているときの自分と、見ていないときの自分を、器用に使い分けていく。
母親は、自分の子どもを信じて疑わない。
仮に、マイナスの行動を取り上げない親がいれば、激しく非難され、子どもは悪い子としてレッテルを貼られる。
母親は、それを目の当たりにし、そこから脱落しないように必死になる。
脱落しないためには、脱落者を作る必要がある。
誰かを悪者に仕立て上げることで、自分の位置を保持しようとする。
子どもが、小学校に上がり、独自の世界を作り始めてもなお、子どもの世界を監視する。
親が見ている子どもが、子どものすべてでは決してない。
仲間から情報を集め合い、自分達の持つ情報を並び替え、何か悪いことが起こった時は、その情報を元に分析する。
仲間に入っていない、親と子どもがターゲットに祭り上げられる。
その家庭は、上流階級であったり、母子家庭であったり、何か理由を見つけて、非難する。
女性特有の嫉妬心からくるものであったり、理由は様々だ。
何か、自分達の子どもに困ったことが起きたとしても、自分達の仲間ではない、誰か問題のありそうな子どもが主犯格なのだと摩り替える。
自分がその立場にならないように、必死に仲間達の世界で生きている。
集まれば、誰かを誹謗し、同じように過ごすこと、時にお茶会を開き、時に子供達を預け出掛ける。
そこへ行かなければ、もしかしたら自分がターゲットになるかもしれないのだ。
その恐ろしさを知っているから、母親も必死だ。
本当は、そこから救い出すことが出来るのは、父親である旦那であったり、自分自身の世界を持つことなのだが、そこから抜け出すことが出来ない。
女性が徒党を組めば、教師一人、左遷することくらい簡単なのだ。
だから教師も、動けなくなってしまう。
自分の目で見たものを信じ、自分の目の前にいる子どもを守ってやることが出来なくなっている。
自分を守ることで精一杯だから。
守ってもらえなかった子どもは、悲惨だ。
自分が正しいことを主張すればするほど自分の立場を失っていく。
子どもを持ち、そんな母親達と係わらずに、巻き込まれまいとしてきた。
でも、時々苦しくなる。
いや、どこに居たって母親は苦しいのだ。
仲間に入ろうと入るまいと。
気にしないのが一番だと思ってみても、わが子に降りかかる火の粉は近くにあったりする。
男性に、父親に、もっともっと、このことに気が付いて欲しいと思う。
あなたが、女性を家庭に縛り付けることを辞め、子育てに参加し、女性が自分の社会を持つ時、初めて子どもは子どもらしく育つのではないだろうか?
社会から阻害された女性が、新しい社会を担う子どもを育てることは出来ないのではないだろうか?
それにあなたが気付いた時、初めて、あなた自身も解放されるのではないだろうか?
子どもを産んで思うことは、仕事を持たない主婦にとって、特別何かしていない限りは、自分の世界がないということ。
もちろん、それまでに築いた人間関係や友達もあるのだけれど、結婚し、子供を持ち、取り巻く環境が変わってしまうと、それまでと同じように関係を保つことは難しくなっていく。
少しずつ、共通点が減っていくからだ。同じように、結婚し子どもを持っていても、いつでも電話で話せるというものではないし、いつでも会えるという訳でもない。
段々、疎遠になってしまう。
そして、以前話題になった言葉、「公園デビュー」
子どもを通して、新しい世界を持つことになる。
そこでの話題は、当然子どものことと旦那のこと。
共通の趣味があれば、別なのかもしれないが、そうでない限りは、それしか話題が持てない。
せいぜい夕飯のメニューくらいだ。
そこでは、乱さないことが原則となる。
同じような時間に公園に出向き、同じ時間に帰っていく。約束したわけでもないのに。
時に、子どもの洋服の話題になり、しつけの話題になる。
そして成長の話題。
他の子どもとわが子を比較し、同じではないところを見つけ不安になる。
その不安を、旦那にぶつけても、気に止めてもらえもしない。
子どもの世界=母親の世界と変わりゆく。
子どもが少し大きくなれば、どこの幼稚園に進むかが話題になる。
少しでも、いい幼稚園に入ろうものなら、もうその世界には戻れない。
幼稚園に入っても同じだ。
役員会があり、バザーの手作りの集まりがある。
同じように出席することを、お互いが縛りあい、同じように出来ない場合は蚊帳の外に出されてしまう。
今度は、母親の世界が、子どもの世界となる。
母親は子どもをコントロールし、自分の仲のいい母親の子どもと遊ばせようとする。
子供同士は、傷つけあい、泣きあうこと、悲しい経験、マイナスの出来事でも心を豊かにする。
けれども、そんなマイナスの行動すべてを親が取り上げてしまう。
痛みを感じることなく育った子どもは、他人の痛みもわからない。
大人の見ているときの自分と、見ていないときの自分を、器用に使い分けていく。
母親は、自分の子どもを信じて疑わない。
仮に、マイナスの行動を取り上げない親がいれば、激しく非難され、子どもは悪い子としてレッテルを貼られる。
母親は、それを目の当たりにし、そこから脱落しないように必死になる。
脱落しないためには、脱落者を作る必要がある。
誰かを悪者に仕立て上げることで、自分の位置を保持しようとする。
子どもが、小学校に上がり、独自の世界を作り始めてもなお、子どもの世界を監視する。
親が見ている子どもが、子どものすべてでは決してない。
仲間から情報を集め合い、自分達の持つ情報を並び替え、何か悪いことが起こった時は、その情報を元に分析する。
仲間に入っていない、親と子どもがターゲットに祭り上げられる。
その家庭は、上流階級であったり、母子家庭であったり、何か理由を見つけて、非難する。
女性特有の嫉妬心からくるものであったり、理由は様々だ。
何か、自分達の子どもに困ったことが起きたとしても、自分達の仲間ではない、誰か問題のありそうな子どもが主犯格なのだと摩り替える。
自分がその立場にならないように、必死に仲間達の世界で生きている。
集まれば、誰かを誹謗し、同じように過ごすこと、時にお茶会を開き、時に子供達を預け出掛ける。
そこへ行かなければ、もしかしたら自分がターゲットになるかもしれないのだ。
その恐ろしさを知っているから、母親も必死だ。
本当は、そこから救い出すことが出来るのは、父親である旦那であったり、自分自身の世界を持つことなのだが、そこから抜け出すことが出来ない。
女性が徒党を組めば、教師一人、左遷することくらい簡単なのだ。
だから教師も、動けなくなってしまう。
自分の目で見たものを信じ、自分の目の前にいる子どもを守ってやることが出来なくなっている。
自分を守ることで精一杯だから。
守ってもらえなかった子どもは、悲惨だ。
自分が正しいことを主張すればするほど自分の立場を失っていく。
子どもを持ち、そんな母親達と係わらずに、巻き込まれまいとしてきた。
でも、時々苦しくなる。
いや、どこに居たって母親は苦しいのだ。
仲間に入ろうと入るまいと。
気にしないのが一番だと思ってみても、わが子に降りかかる火の粉は近くにあったりする。
男性に、父親に、もっともっと、このことに気が付いて欲しいと思う。
あなたが、女性を家庭に縛り付けることを辞め、子育てに参加し、女性が自分の社会を持つ時、初めて子どもは子どもらしく育つのではないだろうか?
社会から阻害された女性が、新しい社会を担う子どもを育てることは出来ないのではないだろうか?
それにあなたが気付いた時、初めて、あなた自身も解放されるのではないだろうか?
ブログ、拝見させていただきました。
新しい道を歩かれているのですね。
>一番大切な所から目をそらして、外側だけを整えてもそれは結局解決にはなりません。
ニートだとか、ひきこもりだとか、その対象にばかり目が向けられていて、肝心なところは忘れ去られている。
昨日から、読売新聞で、超・少子化を語るという連載が始まりました。
今日の文章の中で
「若者たちは、本当に就業意欲があるのか・・・・」
とコメントされているんです。
母親と子どもがの社会の中で孤立していると、子どもは、母親の窮屈な世界しか見て育っていないように思うのです。
就業意欲はあるけれど、そんな中で、育つと、当然社会は怖い。
何かに属してしまうことは、自分のすべてを奪われてしまうことだと考えてしまってもおかしくないのではないかと思うんです。
母親は、そうだったのですから・・・・
そこに、父親の姿があったり、のびのびと過ごす母親が入れば、社会というものは楽しいものなんだ、何かに属するのは、素敵なことなんだと思えるのではないか、そう思っています。
団魂世代の男性が、いくら頭を尽き合わせても、解決しない。
だって、そんな女性達を助けようとも省みようともしてこなかったんですから・・・・そう思います。
>自分を見つめると、そのまわりもそのままの大きさで見えてくるんだと思います。
そうなんですよね。
男性が、自分の人生を、家族を見つめた時、
社会という組織の中で、男性の役割をしている人たちが、そういう目で、社会を見つめた時、色んなことが見えてきて、本来の姿として機能していくのではないかと思います。
私も、けいこさんのところに寄らせていただきますね♪
どうぞ、これからもよろしくお願いします。
結婚すると女性はいろんなものから縛られてしまいますよね。男性もそうだとは思いますが、仕事と繋がっている分女性とはまた違うような気がします。
>社会から阻害された女性が、新しい社会を担う子どもを育てることは出来ないのではないだろうか?
この文章に私も同感です。一番大切な所から目をそらして、外側だけを整えてもそれは結局解決にはなりません。自分を見つめると、そのまわりもそのままの大きさで見えてくるんだと思います。
またよらせてくださいね。
息子さんのことでは大変でしたね。
お持ち察します。
>徹底的に母親としての私を否定・非難・評価するものであり、息子の事も否定・非難するものでした。
自分のことは、それで我慢できても、子どものことを非難されると辛いですよね。
それが、自分に係わっていると余計に・・・・
私自身、次女のことでは、
「旦那さんが単身赴任中だから、行き届かないのでしょう」
「お母さんの仕事が忙しすぎるからでしょう」
「ちゃんと抱きしめてあげてね」
と言葉は優しかったけれど、かなり傷付きました。
でも、そこの子どもは、うちに来て発する言葉がいつも
「いいなぁ・・・・」と羨ましがる言葉だったんですよね。
「いいなぁ、帰ったらお母さんがいて」
「いいなぁ、○○習わせてもらって」
「いいなぁ、一緒に○○出来て・・・・」
そして、他の子ども達が公園に行っても、私から離れない。
そして、そのお母さんも、以前は私に、
「いいなぁ、好きなことが仕事になって」
って逢うたびに言っていた。
そして、そのお母さんに、いつの間にか、次女は悪い子として噂を立てられていたんです。
一時は、
「○ちゃん(次女)は、意地悪だから、お母さんが遊んだらいけないって言った」
と仲間はずれにされていました。
クラス替えもあって、大丈夫だと思った矢先に、その噂を本気にしたお母さんが、他の子ともなじめなかったのに、次女にいじめられると言って学校へ。
先生との話の中でも、
「○○さんも、言っていたから・・・・」ということを言い続けられたようでした。
結局は、先生の調査で、その子が我儘で、皆から外れていたようでした。
二人のお母さんは、進学塾に子どもを通わせ、小学校受験に失敗し、躍起になっているお受験ママでした。
子ども達は、塾に行くのを嫌がりながらも、母親の前では言えない、ジレンマを抱えていました。
自分の親に言えない事を、次女や私には話してくれていたんです。
だから、嫉妬心からなのかなって思ったんですけどね。
でも、私自身、自分を認めてやれないところがあって、かなり他人にそう思わせてしまった自分を責めました。
抜け出すまでは、苦しかった。
でも、次々と繫がるように、そんなことが降りかかってきます。
>何故なら夫婦兼業の酪農地帯で小さな小さなコミュニティだからです。
かなり、つらいですね。
仕事柄、こういう社会の利点と難点を聞かされることが多かったです。
友達が、それが嫌で離婚して、その町を逃げ出してしまったり・・・・
それなのに、そこにいて、勉強されるなんてすごい!!
尊敬しちゃいます。
でも、それは少しずつ、自分の世界を持ち、自分の人生を歩まれているからなのですね。
>余談ですが目指すは斎藤先生と西尾先生です
是非、そうなっていただきたいです。
痛みを経験している人が、心理職に就いてくださるほうが安心できます。
私は、どうしても子ども達の心に目が行くので、そういったことを勉強できたらいいななんて漠然として思っています。
短大卒なので、大学院に行くには無理があるのですが・・・・
私も
>私は確かに「子どもの世界=母親の世界」として今は生きていない人間です。
そうです。
でも、仕事をして知り合った方々から、色んなお母さんの話を聞きます。
そこにいるお母さんも、本当に必死です。
子どもの世界ではなく、自分の世界にいるので、安心して話してくださるのですけどね。
>ここのプログを拝見させて頂き、自分の異質ぶりと排除されたんだという事と、悪者に仕立て上げられたのだという事、他のお母さん達は必死なんだという事が分かった気がしました。痛みは残っているけれど、出なかった答えが少しだけ出た気持ちがしています。ありがとうございました。
そんな風に、おっしゃっていただけて嬉しいです。
今の仕事は、カルチャーの講師なのですが、そんなお母さん方に、息を抜いてもらえる仕事なのではないかなと感じています。
何かしら、来ていただく方の、癒しの場所が提供できればいいなと考えています。
お返事が遅くなってしまったこと、前後してしまったこと、ごめんなさい。
私もかなり、~しなければならないと思っていました。
ただ、仕事をしていたせいもあったせいか、母親同士の係わり合いの恐ろしさを知ったのは、子どもが小学生になってからなのです。
公園デビューや、幼稚園の話は、実体験というより、直接に係わった人から聞いた話を繋ぎ合わせたものです。
なので、子どもが生まれた時、孤独感から、むしろ私は、係わり合いを求めていました。
旦那が仕事でいないと、何日も、誰とも話をしないことがある。
気が狂いそうでした。
取り合えず、公園に行けば、誰かと話が出来る、そんな感じでした。
>異質なものを排除して、同じ者同士連帯感を強め安心したいというのは、職場でも、学校でも、公園でもどこでも同じなのだなあと思いました。
そうなんですよね。
私は、自分自身があいまいなせいか、何が異質なのかちょっと他の人と基準がずれているような気がします。
なので、余計にかみ合わなかったりして・・・・
自分自身が、陰口を叩かれることには、慣れていても、子どもがそうなってしまうと、自分が、その連帯感を持っていないことを責めてしまったり・・・・
男性が、結婚しなくても何にも言われないのに、女性は、結婚しなければしないで、負け犬なんて言われてしまうし、すればしたで、家事を受け持ち、男性とは対等ではなくなってしまうことが多くなってしまう。
どんな生き方を選択するにしても、女性は生きづらい気がします。
逆に、男性も、女性を子どもを守らなければならないという気負いがあって苦しいのだとは思うんですけどね。
男性が、苦しいから、助けて欲しいって口にすれば、女性も楽になれる(笑)
仕事は男、家事育児は女じゃなくてもいいんですよね。
向いているほうが仕事をして、向いているほうが家事をする。
まぁ、お産だけは変われないんですけどね。
その辺りが一番大切なような気がして、そこは女性に感謝して欲しいと思ったりするのは、女性として驕りすぎでしょうか・・・
お返事が、遅れてしまいごめんなさい。
同世代ですね。私は、3月で38になります。
>変な意見ですが、せっかく貯めた「貯金」を
自分で使いたい。
「お金」は大切です。
それだけ「心」に余裕が出来ます。
そのお気持ちわかります。
私は、結局、貯金もすべて手放してしまいました。
今、後悔でいっぱいです。
私自身に、お金があれば、もっと心に余裕も出来たと思うのです。
また、選択肢も増えていると思います。
結構、私はお金にこだわりを持っているようで、母や旦那から注意されることがしばしばでした。
でも、やはり、あって困るものではないし、あれば越したことがないと思っています。
>「結婚」したら出来ないことって
なんですか。
ワタシは「恋愛」だと思ってます。
まさしく、その通りです。
恋愛依存症でありながら、結婚してからは、恋愛は空想の中でしかありませんでした。
恋することは、自由だけれど、そこから先へ進めない・・・・
でも、人生長くなったし、結婚生活も長くなったんだから、斎藤先生の言われるように、結婚制度にこだわっていることに無理があるのでしょうね。
家庭という形を持ちながら、互いに恋愛をするのが、もしかしたら理想の形なのかもしれません。
もちろん、配偶者に恋愛するのが一番なのでしょうが、お互いの同意を得ることが出来たら、もっと幸せに暮らせるのではないかと思っています。
ここの書き込みを拝見させて頂き、その一部の実にタイムリーな内容に一人涙していました。
>仲間から情報を集め合い、自分達の持つ情報を並び替え、何か悪いことが起こった時は、その情報を元に分析する。
仲間に入っていない、親と子どもがターゲットに祭り上げられる。
その家庭は、上流階級であったり、母子家庭であったり、何か理由を見つけて、非難する。
女性特有の嫉妬心からくるものであったり、理由は様々だ。
何か、自分達の子どもに困ったことが起きたとしても、自分達の仲間ではない、誰か問題のありそうな子どもが主犯格なのだと摩り替える。
昨年末に息子のクラスの母親数人からひどい仕打ちを受けました。言っている内容が全く理解できるものではなく、学校の先生も呆れる内容だったのです。でも当人たちは真顔で真剣そのもの。
徹底的に母親としての私を否定・非難・評価するものであり、息子の事も否定・非難するものでした。
その理由が全く分からず、理解に苦しみ、涙しました。ここでは父親としての理解と協力が言われていますが私のケースは父親たちも加わっています。何故なら夫婦兼業の酪農地帯で小さな小さなコミュニティだからです。私たちは8年前に離農をして夫は今サラリーマンになり、私は自身の心の問題を自覚し様々なセラピーを受け回復途中の身であり、今は専門家を目指し心理系で大学院生をしています(余談ですが目指すは斎藤先生と西尾先生です)
>異質なものを排除して、同じ者同士連帯感を強め安心したいというのは、職場でも、学校でも、公園でもどこでも同じなのだなあと思いました。
どうして今回急にこんなひどい仕打ちや批判・否定を受けるのかが全く分からず、出ない答えを必死に探していました。仲間に相談したら声を揃えて「嫉妬だと思うわ」との事、でもまだしっくり来ない自分がいました。
ある意味私は異質な者だと思います。異質な者は排除されるというのはよ~く分かります。人生の中で何度もそうされてきた経験がありますから。
息子の担任の先生が事実を説明し息子の無実を証明するコメントをしてくれたらしいのですが、お母さん数人最後には私の息子が勉強が出来るから肩を持ってるんだという見解です(--;)
あげくのはてに私の大学院生をしているという人生を徹底的に批判し、子育てのあり方も非難されました。
私は確かに「子どもの世界=母親の世界」として今は生きていない人間です。それは自身の問題に向き合い初め、セラピーを受け始め回復を歩み出したからそう出来たのだと思います。こういう人生を歩み始めてから人生が明るく感じられる様になり、母親としてだけではなく、妻だけではなく「一人の人間」としての人生を歩める様になりました。子育てもとても楽しく余裕を持っていられる様になりました。結婚生活も互いの為に別々の生活スペースを持っています。異質なものの代表みたいなものですね(笑)
ここのプログを拝見させて頂き、自分の異質ぶりと排除されたんだという事と、悪者に仕立て上げられたのだという事、他のお母さん達は必死なんだという事が分かった気がしました。痛みは残っているけれど、出なかった答えが少しだけ出た気持ちがしています。ありがとうございました。
現在、携帯からの通信なので、明日以降、ゆっくりレスさせていただきますね。
独身時代が長くなってしまったので、改めて考えたことがありませんでした。
そうですね。恋愛感情自体は、未婚既婚問わず、抱くことがあるかもしれません。でも、結婚は、ふたりが同じ方向を向いて日々の役割をこなしていくこと、恋愛は向かい合ってそこに居るということ、だとすると、結婚と恋愛は合い交わらないものなのかもしれませんね。
38歳まで生きてきました。
友人などで色んな「結婚」を聞いてきましたが
一生に一度くらい「結婚」なるものをしてみたいと
いう願望もあります。
変な意見ですが、せっかく貯めた「貯金」を
自分で使いたい。
「お金」は大切です。
それだけ「心」に余裕が出来ます。
話はそれましたが「結婚」したら出来ないことって
なんですか。
ワタシは「恋愛」だと思ってます。
斎藤先生のブログからとんできました。
公園デビューの話、カウンセリングの話、など関心をもって読ませていただきました。
今わたしは実家で高校生の子供と暮らしております。子供の小さい時は、母親は~しなくてはいけない、という縛りに随分こだわっていたような気がします。人気のない午前中の時間帯をわざわざ狙って公園に行ったのも、どこかでお母さんたちとかかわりたくない、でも公園には行かなくては行けない、という葛藤があったのだと今では思います。
異質なものを排除して、同じ者同士連帯感を強め安心したいというのは、職場でも、学校でも、公園でもどこでも同じなのだなあと思いました。
両親と同居していると、自分の親が子供の時の自分とどうかかわってきたかというのがわかり、それでまた複雑な思いになったり……。
世代こそ違え、ねこさんの文章を読み、女性が置かれた立場が過渡期にあることを、あらためて考えさせていただきました。
初めまして。こんにちは。
私も、ここ何年間は、旦那と別れたい思いながらも、実際別れたときに、生活していけるのかということが常に、頭の中を渦巻いていました。
結婚や子育てのために、職を失った女性が以下に弱い立場なのか、それに甘んじる男性がいかに多いのかも、見せつけられて来ました。
>高度成長期はそれでも「我慢してれば良かった」のですがね。
そうなんですよね。みんながそうだったら、仕方ないと思えることも、同じ人間として生きているのに、何故、自分だけがこんな思いをし続けるのかというところに不満が生まれてくるのです。
もちろん子供は可愛い。
あまりに、少子化対策なんて言われると、私が苦労して生んで育てるのに、支援もないまま、利益だけは山分けなのか?なんて疑問も生まれてきます。
>今の30代~は「良いモデルが側にいない」ので
苦しいですよね。
そうなんですよね。
母は、自分の時代の考えを、そのまま押し付けてきてしまうし、回りに擁護してくれる人間も居ない。
自分だけが、わがままで自分勝手に思えてくる。
その不満をぶつけられる場所は、旦那や子供しかなくなってしまう・・・・
悪循環ですよね。
望さんのブログもゆっくり拝見させてくださいね。
お花きれいですね。
私も、よく生けていたのですが、最近は全くです。
そんな心のゆとりも必要ですね。
望さんも、よいお年をお迎えくださいませ。
どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。
初めまして。ブログ読んでくださってありがとうございます。
結婚して、だんだん自分の存在が薄れていくというか、誰かの付属のような気がしてきて、不安がいつも付きまとってしまいます。
社会の制度そのものが、男性が作ったものであり、政治家も、女性は増えたものの、専業主婦の立場から、制度そのものを見るということが少ないように思います。
私自身、勤めをしながら子育てをしていた時には、気が付かなかった大きな壁にぶつかる事が増えてきました。
少子化問題を取り上げるに当たって、一つの家族として取り上げていくよりも、社会全体で子育てするような形になっていけばいいなと思っています。
いくら育児手当が増えたり、乳児医療が合ったりしても、子育てそのものが楽になるわけでもなく・・・・・
多様化していく社会の中で、子育てをしている女性だけが、身動きを取る事も選択できる事もないまま、戦後直後と変わらぬ生活を強いられているというのは、無理があるような気がします。
子育て支援事業などで、保育制度があるにもかかわらず、周知されていなかったり・・・・
もっと、もっとお母さんが楽しみながら子育て出来たらいいなぁと思っています。
私の場合、保育園に預けているので、他の人よりも自分の時間が沢山有るのですが・・・・
私のブログがどのような方向へ向かっているのか、自分でもよくわかりませんが、また遊びに来ていただけると嬉しいです。
コメント有難うございました。
どうぞ、がらさんも良いお年をお迎えくださいませ。
来年は、素敵な年になりますように!!
ワタシの友人も専業主婦がおります。
健康体ですが、本人の意思で専業をしてるようです。
旦那さんから「別れ」を言い放たれたら生きていかれない立場のようなので「旦那の機嫌を取りながら生きていく」感じです。
高度成長期はそれでも「我慢してれば良かった」のですがね。
今の30代~は「良いモデルが側にいない」ので
苦しいですよね。
気晴らしになるかわかりませんが、ブログに「ママ」という立場の方も遊びにくるんでお時間がありましたらどうぞ。
よいお年を。
ねこさんのブログ読ませて頂きましたが、すごく共感する部分が多く、思わず私が書いたのかと思うほどでした。たぶん実際は全然違うのでしょうが起こってることが似ていて驚くばかりです。
本当に子供が生まれると自分がなくなりますね。旦那が自分から家族や子供をビデオに撮ったことがない等同じです。ビデオとカメラ両方は結構体力的にもきついんですよね、よくわかります。私が空しいのは出来た写真に自分だけが写っていない事に気付いた時だったりします。ビデオの件でのメールのやりとりなど、ねこさんの書いている怒りは、私の旦那への怒りとほとんど一緒です。
私は旦那から離婚したいと言われています。こんなに大変な中私一人で頑張ってきたのに、と怒り心頭な状態ですが色々考えてみると、私の考える父親像を押し付けていたんだろうなとやっと気が付いてきました。でもこちらから道をつけないと何もしない旦那にも不満は募るばかりです。
私も子育てに父親が関わる必要性を強く感じます。それは我が家にとって必要なのか、一般的に必要なのかよくわかりませんが、いずれにせよ母親が強大な力を持って子供に接する悪から母親だけを抜いてもそれを埋める父親の関わりがなければやっぱりバランスが取れないように思います。
あぁ今年もあと1日で終わりですね。よいお年を・・・