考えたこと。
あたくし、国語の教師になってまだ10年にもなりませんが、あるときから、
国語って数学に似てるなー
と思ってました。
いまでは確信しています。
で、数学と国語を比べたときにどこが違うか。
それは、
テストのとき、国語は結果(答え)だけ書けばよく、数学は過程も書かねばならん
ということなんです。
一番重視すべき、「論理(思考の筋道)」が、
国語では評価の対象にならず、数学ではそれこそが評価の対象になっとる
わけなんですよ。
国語のテストの場合、「思考の筋道」が蔑ろにされている、という点では、記述式だろうが選択式だろうが同じやと思います。
これじゃあイカン、というわけでチョイと考えて見たのが、
センター試験の問題を利用した演習
です。
たとえば、
《問3の正解が〓であることを示せ》
みたいな問い方をする。
これに対して、たとえば、
《傍線Bより、ここで筆者が注目しているのは「文字」と「人間」の関係である。
また、文中に「……」とある。
これは、○○が~~であることを意味する。
以上より、〓が正解である。》
みたいな形で答えるわけです。
まあ、解説を作るようなもんなんですけどね。
ただ、人工言語を用いる数学と違って自然言語が相手の国語の場合、相当工夫しないと
別解が無数にあるために収拾がつかなくなる
という恐れがあります。
まあ、ある程度の構想はあるんですけど、まだここで発表できるレベルじゃないっす。
ある程度形になったらまたここに書くかも分かりません。
あたくし、国語の教師になってまだ10年にもなりませんが、あるときから、
国語って数学に似てるなー
と思ってました。
いまでは確信しています。
で、数学と国語を比べたときにどこが違うか。
それは、
テストのとき、国語は結果(答え)だけ書けばよく、数学は過程も書かねばならん
ということなんです。
一番重視すべき、「論理(思考の筋道)」が、
国語では評価の対象にならず、数学ではそれこそが評価の対象になっとる
わけなんですよ。
国語のテストの場合、「思考の筋道」が蔑ろにされている、という点では、記述式だろうが選択式だろうが同じやと思います。
これじゃあイカン、というわけでチョイと考えて見たのが、
センター試験の問題を利用した演習
です。
たとえば、
《問3の正解が〓であることを示せ》
みたいな問い方をする。
これに対して、たとえば、
《傍線Bより、ここで筆者が注目しているのは「文字」と「人間」の関係である。
また、文中に「……」とある。
これは、○○が~~であることを意味する。
以上より、〓が正解である。》
みたいな形で答えるわけです。
まあ、解説を作るようなもんなんですけどね。
ただ、人工言語を用いる数学と違って自然言語が相手の国語の場合、相当工夫しないと
別解が無数にあるために収拾がつかなくなる
という恐れがあります。
まあ、ある程度の構想はあるんですけど、まだここで発表できるレベルじゃないっす。
ある程度形になったらまたここに書くかも分かりません。