センター試験国語(現代文)を極めたい!

センター試験国語の法則を解き明かすのが目標です(『ヘタレ競輪王のトホホ日記』のエントリも恥の記録として残しておきます)。

学校では教えてくれないこと

2006-08-27 23:16:05 | 「国語」ネタ
 詩……。

 なんでこんなものを国語の授業で扱わにゃイカンのだろう……。

 いや、「詩なんて学ぶネウチない」と言っているのではありませんよ。詩というのはあくまでも個人的に楽しむものであって、「学校で学ぶ対象」にはなりにくいんではないか……と思うわけで……。

 「学校では教えてくれないこと」っていうのでイイんではないでしょうかね?

 そういや近頃、

「学校で教えてくれないこと」という領域に学校が踏み込みすぎている

ような気がしますねー。(『総合的な学習の時間』とか、『職業体験』なんつーのはその最たる例じゃござんせんか?)

 「学校で教えてくれないこと」という言葉を、「学校への非難」としか解釈できない懐の狭さによって、たとえば「保健」の授業なんかでは、

セクースの仕方

まで取り扱う始末……。

 「学校で教わること」と「学校では教えてくれないこと」の二種類があるからオモシロイと思うんですけどね……。

 ……な~んてブツブツ言ってても、わが兵庫県では、国体開催地(なんてこと、兵庫県民以下、一般国民のほとんどは知らんでしょうが)である関係上、明日から新学期

授業が始まってしまう

ので、グダグダと泣きごと言っててもしゃあないんです。

 ということで、前向きに考えてみました。

 まず、「詩」って何なのでしょうね? フツーの文章と何が違うんじゃろう?

 一言で言うと、「詩」っていうのは、

(意図的かどうかに関わらぬ)ルール違反の文章

でオケ??

 修辞技巧っていうのは、たいてい

通常の言語ルールからの逸脱

ですもんね。(『たいてい』としたのは、『すべて』と書く自信がないからです。)

 ちょいと例をば。

>>サンドバッグに 浮かんで消える    ……①
>>憎いあんちくしょうの 顔めがけ     ……②
>>叩け 叩け 叩け              ……③
>>おいらにゃ 獣の 血が騒ぐ       ……④
>>だけど                       ……⑤
>>ルルルル ルルル ルルルル      ……⑥
>>明日はきっと 何かある           ……⑦
>>明日はどっちだ?               ……⑧

 これは確か寺山修司の作だったと思いますけど、フツーの日本語の文章だと思って読むと、相当ヘンですね。

 ①~②への流れはまあ普通。でも、そこから③への流れはチョイとヘンですな。

 「叩け」って、誰に命令してるんでしょう?

 まあ、このぐらいなら、

ボクシングを始めた不良少年(矢○ジョー)のトレーナー(丹○段平)が、サンドバッグを前にした少年に向かって、「ホレ、サンドバッグに憎たらしいヤツ(力○徹)の顔が浮かんで来るじゃろう? 叩け! 叩きのめすんじゃー!!!!」みたいなシチュエーション

を仮定すれば、まあクリアできますね。

 ところが、そういう解釈(というより解読。 *a )も、④に突入すると成り立たなくなります。

 ④の「おいら」って誰???

 *a のような解釈の場合、この詩の一人称人物(ってヘンな言い方ですが)はトレーナー氏。

 でも、フツーに考えて「叩く=獣の血が流れる者の行為」ですから、「おいら」というのは少年でないとイカンはずです。

 つまり、①~③と④とでこの詩の主体が変わっているということですね。

 まあ、これも、今度は

「叩け」という命令は少年が自らに向けて発している

と取ればなんとかなります。

 ところが……。

なぜに唐突に逆接???(←⑤)

なぜに唐突に「ルルルル」???(←⑥)

 もはやワケがわかりませんね~!

 しかも、おしまい2行!!!!!!!!

 「明日は きっと 何かある」と、かなり強い確信でもって明日について推量していながら、

「明日はどっちだ?」

ですよ!?

「明日がどっちか分かりもせんのに「きっと」かよー!!!!!!!!

 細かいことですけど、「明日はどっちだ?」ってのもよく分からん疑問文ですよね。

 ……と、ごく大雑把に見渡しただけでもツッコミどころ満載

異常文章

なんですけど、「じゃあお前はこの詩はダメだと言うのか?」と言われたら、

「いや、これでいい。否、こうでなくちゃイカン!」

と即答します。オレッチは詩心のない男ですけども、初めてこの詩を知ったときはマジで魂が震えましたからね。

 「ドヤ街の劣悪な環境から這い上がる少年」というイメージを描き出すにはこれしかない、とさえ思います。(通常の言説で不良少年の境遇を描いたとしても、「ふーん、あっそう」的な白々しいものにしかならないでしょう。)

 こんなふうに、「詩」っていうのは、

「言語の通常のルール」から逸脱することによって意味を生み出すしくみ

だと言えるかもしれませんね。

 じゃあ、その「ルールの逸脱」が、なぜ「意味」を生むのか。

 これはもはや「解釈」の問題であって、「正しい」とか「正しくない」とかの問題じゃなくなってしまうと思うんですよねー。

 さあ、そこで、「詩」について学校で教えられる領域ってどこまでなのか?

 オレッチは次の2点だと思います(現時点では)。

・ 文章のどこが、どのように「通常の言語のルール」から逸脱しているかを指摘、説明すること
・ 「通常の言語のルールからの逸脱」がもたらす効果について、一般論を知り、理解すること


 ひさしぶりにガチで書いたら、徐々に考えがまとまってきたような気がする……(このエントリーはひたすらまとまりのないものになってますが)

 「詩」の授業、なんとかなりそうな気がしてきました……。