最近、われわれの業界でも「能力給」的なモノが導入されようとしています。
オレッチは基本的に賛成です。
いや、別に自分の能力に自信があるからではありませんよ。
オレッチのように、大学で留年した上卒業後しばらく「プータロー」状態だったヤツにとっては、「逆転のチャンスがある」ということが重要なんですよ。
今の昇給制度では、オレッチには逆転の目はありません。
ふしだらな学生生活、および卒業後の生活を経てきたオイラの場合、同い年、ヘタすると年下の教員よりも給料が安く、そして何よりこの差は一生埋まることがないわけです。
まあ、別にお金に困ってるワケじゃないし、今のままでも別にいいんですけど、「逆転の目がない状態」よりも、「もしかしたら逆転できるかもしれない状態」の方がオモシロいじゃないですか。
まあ、逆に今以上にぶっちぎられる目もあるってことなんですけど、逆転の可能性がある方がオモシロいと思うんですよね。
しかも、オレッチは国語科の教員。
実は、一番チャンスが大きい教科なんじゃないかと思ってます。
なぜか。
いくつか理由があります。
① 主要教科である
何といっても、「授業で手柄を立てられる」というのが大きい。ここで言う「手柄」というのは、学校の内輪だけで通用する「手柄」ではなくて、「世間の誰もが認める(または、認めざるを得ない)手柄」ということです。
「学年主任を3まわりやりました!」と言ったところで、世間的には「へぇ、それで?」で終わるでしょうが、「国語の学業成績で、上位の○○高校を抜かしました!」と言ったら、世間の人も「へぇ! スゴいじゃん!」となると思います。
コレは、「副教科」と言われる教科ではなかなか難しいコトだと思います(家庭科の先生にはムリでしょう)。
② 国語の教師には大した指導者がいない
国語、特に現代文の分野においては、指導法も、教材も、「コレ!」と言えるものがない。不思議なぐらい未整備な分野だと思います。
国語、特に現代文分野の成績というのは、中学校時代の序列がそのまま維持されていることが多い。
仮に、学区内に3つの高校があるとします。上から順にA高校、B高校、C高校とすると、現代文の成績というのは、高校3年間、ずっとA>B>Cのまま推移することが多い。
まったく逆転の起きない教科・科目なんですね。
要するに国語科にはロクな指導者がいないということなんです。
ということは、付け入る余地がたくさんあるということです。
③ オレッチは効率的な「書く練習」の方法論を見出している
手前味噌ながら、オレッチほど毎時間、しかも数多くの生徒に文を書かせている教師はいないと思います(しかも、単に「書かせっぱなし」ではなく、チェックもしてますし、修正のポイントも教えています)。
誰も見出していないトレーニング法を実践しているというだけで、相当有利だと思っています。
……とまあ、こんなカンジです。ほかにもあるかも知れませんけど、むやみやたらと長くなるのもアレなので……。
英語や数学なんかだと、もう既に指導法も教材もほぼ完成されていると思うんです。だから、相当工夫したり努力したりしないと、顕著な成果は望めない。
だけど、国語に関しては、「事実上何もしていない」というのが現実だと思います(これを読んだ皆さん、ご自分が学生時代、国語、特に現代文の勉強って何をしましたか? たぶん何もやってないでしょ?)。
ということは、付け入る余地がたくさんあるということです。
がんばりますよ!
オレッチは基本的に賛成です。
いや、別に自分の能力に自信があるからではありませんよ。
オレッチのように、大学で留年した上卒業後しばらく「プータロー」状態だったヤツにとっては、「逆転のチャンスがある」ということが重要なんですよ。
今の昇給制度では、オレッチには逆転の目はありません。
ふしだらな学生生活、および卒業後の生活を経てきたオイラの場合、同い年、ヘタすると年下の教員よりも給料が安く、そして何よりこの差は一生埋まることがないわけです。
まあ、別にお金に困ってるワケじゃないし、今のままでも別にいいんですけど、「逆転の目がない状態」よりも、「もしかしたら逆転できるかもしれない状態」の方がオモシロいじゃないですか。
まあ、逆に今以上にぶっちぎられる目もあるってことなんですけど、逆転の可能性がある方がオモシロいと思うんですよね。
しかも、オレッチは国語科の教員。
実は、一番チャンスが大きい教科なんじゃないかと思ってます。
なぜか。
いくつか理由があります。
① 主要教科である
何といっても、「授業で手柄を立てられる」というのが大きい。ここで言う「手柄」というのは、学校の内輪だけで通用する「手柄」ではなくて、「世間の誰もが認める(または、認めざるを得ない)手柄」ということです。
「学年主任を3まわりやりました!」と言ったところで、世間的には「へぇ、それで?」で終わるでしょうが、「国語の学業成績で、上位の○○高校を抜かしました!」と言ったら、世間の人も「へぇ! スゴいじゃん!」となると思います。
コレは、「副教科」と言われる教科ではなかなか難しいコトだと思います(家庭科の先生にはムリでしょう)。
② 国語の教師には大した指導者がいない
国語、特に現代文の分野においては、指導法も、教材も、「コレ!」と言えるものがない。不思議なぐらい未整備な分野だと思います。
国語、特に現代文分野の成績というのは、中学校時代の序列がそのまま維持されていることが多い。
仮に、学区内に3つの高校があるとします。上から順にA高校、B高校、C高校とすると、現代文の成績というのは、高校3年間、ずっとA>B>Cのまま推移することが多い。
まったく逆転の起きない教科・科目なんですね。
要するに国語科にはロクな指導者がいないということなんです。
ということは、付け入る余地がたくさんあるということです。
③ オレッチは効率的な「書く練習」の方法論を見出している
手前味噌ながら、オレッチほど毎時間、しかも数多くの生徒に文を書かせている教師はいないと思います(しかも、単に「書かせっぱなし」ではなく、チェックもしてますし、修正のポイントも教えています)。
誰も見出していないトレーニング法を実践しているというだけで、相当有利だと思っています。
……とまあ、こんなカンジです。ほかにもあるかも知れませんけど、むやみやたらと長くなるのもアレなので……。
英語や数学なんかだと、もう既に指導法も教材もほぼ完成されていると思うんです。だから、相当工夫したり努力したりしないと、顕著な成果は望めない。
だけど、国語に関しては、「事実上何もしていない」というのが現実だと思います(これを読んだ皆さん、ご自分が学生時代、国語、特に現代文の勉強って何をしましたか? たぶん何もやってないでしょ?)。
ということは、付け入る余地がたくさんあるということです。
がんばりますよ!