アルプスオトメの白い花が咲くと
なぜか他の花とは違う喜びを感じる
昔に読んだ「 赤毛のアン」の中の
林檎の並木道の一節が
頭の深い所で思い起こされるせいらしい
大河ドラマ「平清盛」を視聴を楽しみながら
あのあたりの時代にも興味を持つようになりました。
図書館で見つけた絵本の「平家物語」。
絵も楽しいし、清盛以外のいろんな人のこと
その関係もわかってきました。
俊寛や義仲、義経。いろんな人がその時代を
いろいろに生きていたのだなあ、
そんなことがこの絵本でわかったのでした。
あのあたりの時代にも興味を持つようになりました。
図書館で見つけた絵本の「平家物語」。
絵も楽しいし、清盛以外のいろんな人のこと
その関係もわかってきました。
俊寛や義仲、義経。いろんな人がその時代を
いろいろに生きていたのだなあ、
そんなことがこの絵本でわかったのでした。
暑い夏の日、どこか涼しい場所を探し
読書をすることがこんなにも楽しいものか
と、年を取って知ったのでした。
「梅原猛の授業」は高校生に話した内容なので
すごくわかりやすく、大まかに日本の仏教について
つかむことができると思いました。
「かな」の師範も取れたことですし
この夏は日本の歴史に近づいていこう
と思っているのでした。
読書をすることがこんなにも楽しいものか
と、年を取って知ったのでした。
「梅原猛の授業」は高校生に話した内容なので
すごくわかりやすく、大まかに日本の仏教について
つかむことができると思いました。
「かな」の師範も取れたことですし
この夏は日本の歴史に近づいていこう
と思っているのでした。
「名曲の楽しみ」を聞くのが好きでした。
やさしそうな声でゆっくりと話されていました。
新聞の記事も一生懸命読みました。
読む事があまり好きでない私も本を一冊買いました。
講演会にも出かけました。
「セザンヌは何を描いたか?」という
内容だったと記憶しています。
吉田先生(やっぱり先生と記しておきたい)の
「セザンヌは絵を描いたんですねえ。」
という言葉が妙に腑に落ちたのでした。
やさしそうな声でゆっくりと話されていました。
新聞の記事も一生懸命読みました。
読む事があまり好きでない私も本を一冊買いました。
講演会にも出かけました。
「セザンヌは何を描いたか?」という
内容だったと記憶しています。
吉田先生(やっぱり先生と記しておきたい)の
「セザンヌは絵を描いたんですねえ。」
という言葉が妙に腑に落ちたのでした。
先日の日食、私も見ました。
曇っていたので、肉眼でみて、デジカメにて
画像も残す事ができました。
しかし、その後、目が少し痛み
老眼もややすすんだ気がします。
日食で思い出すのはマンガ「火の鳥」です。
卑弥呼が登場し、岩戸に隠れると日食が
起きたように記憶しています。
その時、神話と歴史が重なることを知りました。
相対性理論もこの「火の鳥」で大雑把に
理解できたような気がします。
手塚治の偉大さを思い出した日食の日
でもありました。
曇っていたので、肉眼でみて、デジカメにて
画像も残す事ができました。
しかし、その後、目が少し痛み
老眼もややすすんだ気がします。
日食で思い出すのはマンガ「火の鳥」です。
卑弥呼が登場し、岩戸に隠れると日食が
起きたように記憶しています。
その時、神話と歴史が重なることを知りました。
相対性理論もこの「火の鳥」で大雑把に
理解できたような気がします。
手塚治の偉大さを思い出した日食の日
でもありました。
何十年も前に、言葉によらない思考をしていたらしい私は
「遥かなノートルダム」という本で
思考は言葉によるものらしい、
ということで、とても驚いたのでした。
数十年ぶりに図書館で借りて読んでみると
それらしい部分は見つからず
逆にこんな言葉が見つかりました。
「言葉は思考ではない。」
記憶というのは不思議なものです。
さらにこう続いていたのでした。
「思考がその周囲をめぐり
定義しようとして
それに向うものである。」
あれからずいぶんたっていても
相変わらず、理解できない部分が多く
この本に登場する名著の数々も
読むことはなかったのでした。
ただ頭の部分にあるこの文だけは
何十年も前と同じように
心を強くとらえたのでした。
「時は容赦無く過ぎていく。」
あの頃と同じように、いやあの頃よりも一層
時の流れに追いつけず、流される日々なのでした。
「遥かなノートルダム」という本で
思考は言葉によるものらしい、
ということで、とても驚いたのでした。
数十年ぶりに図書館で借りて読んでみると
それらしい部分は見つからず
逆にこんな言葉が見つかりました。
「言葉は思考ではない。」
記憶というのは不思議なものです。
さらにこう続いていたのでした。
「思考がその周囲をめぐり
定義しようとして
それに向うものである。」
あれからずいぶんたっていても
相変わらず、理解できない部分が多く
この本に登場する名著の数々も
読むことはなかったのでした。
ただ頭の部分にあるこの文だけは
何十年も前と同じように
心を強くとらえたのでした。
「時は容赦無く過ぎていく。」
あの頃と同じように、いやあの頃よりも一層
時の流れに追いつけず、流される日々なのでした。
曇って寒い日、ふと思い出すのが
森有正の「遥かなノートルダム」という本なのでした。
内容ははっきりと思い出せないのですが、
思考は言語によってなされる、というようなことが
書かれていて、そのことに少し驚いたのでした。
それまでずっと私は言語によらない思考を
していたようなのでした。
明るい日差しの本日、気持ちは外へと向かいます。
この本を探しに、図書館や古本屋などあたってみようかな
と思うのでした。
森有正の「遥かなノートルダム」という本なのでした。
内容ははっきりと思い出せないのですが、
思考は言語によってなされる、というようなことが
書かれていて、そのことに少し驚いたのでした。
それまでずっと私は言語によらない思考を
していたようなのでした。
明るい日差しの本日、気持ちは外へと向かいます。
この本を探しに、図書館や古本屋などあたってみようかな
と思うのでした。