牧師の読書日記 

読んだ本の感想を中心に書いています。

6月23日(日) 「渡辺善太全集6 <聖書解釈論⑤>」 渡辺善太著

2013-06-23 06:25:52 | 日記

 緒論の第四節は、「聖書解釈史の志向」。まず著者は三解釈学派を批判する。本からの引用。「キリスト教会の二千年にわたる聖書解釈の発達を概観して、そこに三つの異なった解釈の流れのあることを見出した。次にこれら三種の流れに対して、その正邪当否が検討せられ、厳しく批判せられなければならない。これによってはじめてそれぞれの誤れる点が除去せられ、正しき点が生かされる。、、、、第一の寓意的解釈は、一言で言えば、「聖霊の御業を人間が代行せんとした解釈」であるという言うことができる。、、、第二の教義的解釈は、一言に言えば、「神の広さを人の狭さをもって制限する解釈」である。、、、、第三の歴史的聖書解釈は、一言に言えば、「最大の前提を無前提なりと過信した解釈」である。」

 それから三解釈学派の志向について述べる。「この三つの聖書解釈の検討は、いかなる新しき解釈方向を指示するであろうか。これがためにはまずこの三つの解釈の志向してきた正しき目標が見出されなければならない。この三解釈は二つずつ明瞭なる対偶をなし、そこに三つの組み合わせが成り立つ。第一の組み合わせは、寓意的解釈と歴史的解釈との二つである。前者は「現在の声」を求めるものであり、後者は「過去の声」を求めるものである。、、、、第二の対偶は寓意的解釈と教義的解釈との二つである。前者は聖書から「未決定の声」を聞かんとするものであり、後者はそれから「既決定の声」を聞かんとするものである。、、、、第三の待遇は教義的解釈と歴史的解釈との二つである。前者は聖書「一巻の声」を聞くことを求めるものであり、後者は聖書「資料の声」を聞くことを求めるものである。」

 そしてこのようにまとめている。
 「聖書解釈史に現われた三つの解釈の対偶的組み合わせから、叙上の結果を得た。今これらの結果を総合すると、それによって次の二方向の聖書解釈が指示せられる。第一は「過去の声」を聞かんとするものであり、「資料の声」を聞かんとするものであり、「既決定の声」を聞かんとするものである。第二は「現在の声」を聞かんとするものであり、「一巻の声」を聞かんとするものであり、「未決定の声」を聞かんとするものである。前者はこれを聖書の「過去的性格」を、その対象とする解釈方向であるということができる。後者はこれを聖書の「現在的性格」を、その対象とする解釈方向であるということができる。換言すれば、一は聖書を「既知」のものとして取り扱う解釈であって、そこに作り出される世界は、どこまでも「独語」の世界であり、他は聖書を「未知」のものとして取り扱う解釈であって、そこに作り出される世界は、どこまでも「対話」の世界である。」