牧師の読書日記 

読んだ本の感想を中心に書いています。

6月11日(火) 「聖書と村上春樹と魂の世界②」 

2013-06-11 17:40:24 | 日記

 三人の対談の後、今度はそれぞれが書いている。まずは雑誌編集者の谷口氏が「村上春樹と霊的世界」というタイトルで書いている。

 聖書には霊的世界のことが多く記されているが、村上春樹の小説でもそのような世界が描かれているという指摘である。本からの引用。「私たちが通常目にしている現実世界とは別に、霊的世界というものがあり、二つは密接につながっている。人間は、霊と体を持つ存在として、この二つの世界にアクセスできる。しかし、通常は、この肉体が活動する「現実世界」で生きている。村上春樹の小説においても、二つの世界が同時進行で進み、その二つがどこかでつながっている。」 「1Q84」では首都高速道路の非常階段が扉となり、現実の1984年と月が二つある1Q84の世界をつないでいるわけである。

 続いて本からの引用。「思想家の内田樹氏は、村上春樹の小説に世界性がある理由を「村上文学には『父』が登場しない。だから、村上文学は世界的になった。」と指摘する。「父」とは、「世界の構造と人々の宿命を熟知しており、世界を享受している存在」のことで、「神」や「王」に代表される。キリスト教や王制を拒絶して「自由」や「民主主義」を選び取ってきた近代の人々が、今後どのようにして生き抜いていけば良いのか、村上春樹はその道しるべを示そうとしているのだろう。」

ジョージ・オーウェルの未来小説『一九八四年』では「ビッグ・ブラザー」という独裁者が描かれているが、それに対して村上春樹の『1Q84』では「リトル・ピープル」という存在が登場する。独裁者には出る幕がなく、神のいない霊的世界には、得体の知れないリトル・ピープルたちがいる。独裁者は減ってきて世界は良くなっているように見えるが、資本主義世界にはリトル・ピープルなる人々が存在し、世界は良くなっていない、ということか。現代(21世紀)はビッグ・ブラザーの時代からリトル・ピープルの時代へと移行しているという指摘なのか。

 谷口氏はこのように書いて文章を終えている。「村上春樹の小説では、あらゆる「システム」の中で苦悩し、そこから何とか脱出しようとする人々が描かれる。現実世界だけではどうにも解決の方法が無くなり、霊的世界に入っていく。私たちキリスト者も、「祈り」という経路を通って霊的世界に入ることができる。そこで「父」に出会い、言葉を受け取り、あるいは悪しき霊と戦い、現実の世界に戻ってくる。そうして現実も変わっていく。私たちは、現実世界だけでは、真に物事を変えることができないのだ。」