言わなければよかったのに日記

 私が見たこと、聞いたこと、感じたこと、頭にきたこと・・・を(ありのまま)に伝えます。

2020球磨川大水害 15 被災文化財 ②

2020年07月31日 | 日記

 昨日から(被災文化財)のことを中心に述べています。これまでも述べてはきたのですが、たいへん気になっていることなのでちょっと集中的に。

   

 熊日新聞に(地域の文化財 建物ごと流失)という記事が掲載されました。Sonoda記者さんと2日ほど一緒に見て廻りました、そのことを記事にしてくれました。国や県の指定を受けている文化財の救出は進んでいます、問題は地域の宝(未指定文化財)なのです。地域の方もわが家が優先で、集落のお堂のことは気になりながら手が付けられないのです。

 そこをどうにかできないかと動いているのです。ところが一般的にも生活優先のボランティア支援ばかりで、まだまだ(文化財)にまでは目が向いていません。ある意味、致し方ないことだと思っています。それなら、できる人だけでもボチボチと思って動いています。明日も、再チャレンジ“朝日権現社”です。Nakayamaさんと息子が応援してくれます。徒労に終わるかもしれない“神像探し”をしてみます。

 

 

 

  

 今日は一人で九日町の(えびす神社)の男女神像2体を収納しました。扉にカギがかかってずっと前にチャレンジしたのですが開きませんでした。今日は扉を壊してえびすさん夫婦像を救出しました。泥まみれで、カビが出ていました。山江の資料館に一時避難です。

 今日の天気(


2020 球磨川大水害 14 被災文化財①

2020年07月30日 | 日記

 今度の水害で多くの文化財も被災しています。川に流されて(流出して)行方が分からないもの、どうも盗難にあったもの、ひょっとしてまだ土に埋もれているものなど、様々なようです。

 水害があったあと、気になったお堂等がありました、しかし、すぐには動けませんでした。災害が起こった場合は、人命第一、生活再建が優先されます、そんなときに(文化財は大丈夫だったですか?)などとは聞けないのです。しばらくしてから動きはじめました。

 人吉市内と球磨村渡地区にはじめに出かけてみました。これまでお知らせしたように惨憺たるものです、しかし、いろんな情報が入ってくるようになって人吉球磨のアチコチで被害が起きています。そんな場所にはまだ行けていません。あとから気づいたのですが、相良村の八田(やつだ)薬師堂もでした。以前に報告していたお堂です。県がレスキューに入ってくれるというので安心していたのですが、なかなかたいへんらしく、相良の教育委員会からのHelpもあって、今日、仏像17体ほどをレスキューしてきました。簡単に掃除して資料館に運び入れました。

  

   

   仏さまの足元 台座の上まで浸水しています。その跡がくっきりと。したがって脇侍や十二神将は流されてバラバラに下の方に落ちていたそうです。

  

    資料館に持ち込んできた仏さんたち

 

 もう少し動いてみて廻る必要を感じています。それにしても、生活再建が最優先とはいえ、文化行政の遅れを痛感しています。いろいろと考えさせられたこともあるので、アチコチに提案しながら今後に生かしていきたいものです。

 今日の天気( 北部九州 梅雨明け)


2020球磨川大水害 13 朝日権現社

2020年07月29日 | 日記

 今日は(朝日権現社の神像捜索)へ。朝から(結局はNakayamaさんと二人で)大柿にある朝日権現社へ。人吉の最西のところに大柿地区はあって、そのいちばん端に権現社はあります。

  

    手前の水が溜まっている所に祠がありました

 応永13年銘の男女神像(市の文化財指定)と狛犬等が安置されていた祠が損失(流失)しているのです。応永13年は1406年です。あと6年で600年なのです。どうにか探したいと思っています。二人でゴソを片付けながら探しましたが、その手掛かりすら見つけることができませんでした。

 この洞のすぐは堤防です。堤防と球磨川の間には、これまた多くのゴソがあります。この祠の所有者さんはここにあるのではないか?といわれました。その先の球磨川までいかずにそこに留まっていればいいのですが・・・また、折り合いをつけて捜索したいと思っています。しかし、梅雨明けて暑い中での作業です。きつかったです。昼には炊き出しがあって他のボランティアさんと一緒に(ソーメンとおにぎり)をいただきました。とっても美味しかったです。

  

 

   

 ここだけではなく、多くの文化財が損失していると思われます。行政は動くことができずにいるようです。私どもボランティアで一刻も早く救出していきたいものです。しかし、人が足りません。HelPです。

 ようやく郵便物が届きました。7月3日付の社協からの手紙でした。

 今日の天気(


2020球磨川大水害 12

2020年07月28日 | 日記

 今日は資料館勤務、午前中は、(肥後トンネル下の)大川内までどうにか通れるようになったということで、元大川内小学校まで(文化財保護)の観点から見に行きました。被害の様子も見てきました。

 万江地区(淡島から上流)は滅茶苦茶に被害を受けていました。写真で紹介した方がよくわかってもらえると思います。

  

    淡島地区入口 先が人吉 道路が遮断しています 緊急迂回路が作られていました

 足算瀬橋は崩落・・(あしかんぜ)と読みます。写真手前にある民家も床上浸水、写真上にある高速道路橋は頑丈です。当たり前です、国の威信です。国の橋、田舎の橋の違いです。

   

     葛 熊山神社  鳥居が半分近く埋まっていました 奥にある本殿は大丈夫

 

  ちょっと上流の(柚木川内橋)・・・どうにか持ちこたえていました、対岸の家は浸水。

 

  柚木川内のちょっと上流 屋形の入り口  左側は旧県道 もう通れませんでした。

   

    大川内 入口付近 川が変わっています。左側の崩落しているところに大川内小へ行く道路があったのです。緊急迂回路ができていました。でも、電気がまだです、全家族避難中です。

  

    下に見える緑の棒状のものが花立で、その上に庚申塔の頭だけ出ています、埋もれなくて流されなくてよかったです。

  文化財への大きな被害はありませんでした、今回の水害で山江村は大きな被害はありませんでした、人吉と球磨村がいちばん被害が出たようです。

 今夜夕方に‘梅雨明け’したもようです。遅かったです。

 明日に‘朝日権現社’の神像捜索します。呼びかけましたが私を含めて2人です。Help!です。

 我が家にはまだ郵便物が届きません、どっかで留まっているようです。

 今日の天気( のち 一時


コロナと水害と ・・ 田舎からの悲鳴

2020年07月27日 | 日記

  

    東西コミセン 山田川からの様子・・・水が上がった跡がくっきりと。

 今日も朝からの雨でほぼ一日中、家の中でした。私どもの校区にはコミュニティセンター(公民館)がありますが、東校区と西校区合同で(東西コミセン)作られています。両校区の真ん中にあります。山田川の近くです。ここも今回の水害で被災しました。まったく行けていなかったので昨日、今日と用事があったのですが不在・・しばらくは休館状態になると思われます。写真のように1回床上まで浸水しています。はっきりと跡形までついていました。畳なども被害を受けて外に出ていました。ここも職員が少ないのでたいへんです。

 コロナがたいへんなことになっています。Go to といっている場合ではないのではないでしょうか。経済が回らないとこの国はたいへんなことになります。とはいえ、どっちに転んでもたいへんな状態になりそうです。熊本でも(地方でも)多くの人が感染しています。ちょっと止まりそうにもないくらいです。 国も(Go toを止める!)とはいまさら言えなくなっています。(両立)といわれていますが、両立できるはずはないです。私もトラベりたいのですが、しばらくは我慢です。動かない方がいいです。東京ばかりでなくどこの人も動かない方がいいです。まさしく(不要不急の外出はさける)です。

 日本中(世界じゅう)がたいへんなことになっています。まさしく世紀末です。まずは、梅雨明けしてくれることを望みます。

 今日の天気(


今日も何もせず

2020年07月26日 | 日記

 朝6時から、町内の一斉美化活動の日でした。5時半に目覚まし掛けて寝ましたが、5時には起きてしまいました。外は雨がザーザー!ネットで天気予報(アメダス)をみて、5時半頃に、地区委員さんたちに(中止)の連絡をしました。6時ころに町内を見て回りましたが、(雨が降ったせいもあってか)連絡は徹底されていました。2日に延期としました。

 したがって今日は何もせずにわが家に、昼からは雨も上がっていい天気(?)になったのでもったいなかったです。自分で撮っていた(フィルムカメラ時代の)写真ネガを引っ張り出してきてデータ化をはじめました。昭和63年頃(人吉東校時代)と平成10年頃(相良北小時代)のが出てきてデータ化しました。しばらく眺めながら懐かしく思い出すことができました。30~40年ほど前のことでした、記憶力が薄い私には(あれ!こんなことが)と思い起こすことが多かったです。こっちもしばらくはかかりそうです。

  

 写真は大柿毘沙門堂の先代仏像と思われます。今回、お堂が被災にあって毘沙門さんが外に放り出されたことで、新たなる発見も出てきました。このお堂は江戸時代に火災にあっています。そのときの先代の毘沙門像がこの黒焦げ仏像のようなのです。(写真の仏像の裏側が焦げていました)。救出した(新)毘沙門像の基壇の下に置いてあったのではないでしょうか。いつもは見えないところにあって、今回の水害で発見されたのです。今回の被災の副産物になりました。

 今日の天気(

 

   大柿地区にかかる天狗橋です。手前の部分だけが流されていて通行不可能です。夏目友人帳の聖地として有名な橋なのです。 


まだまだ

2020年07月25日 | 日記

 7月の25日といえば、もう、とっくに子どもたちは夏休みだし、もう、とっくに梅雨はあけているはずなのに、今年は(まだまだ)なのです。

 そんな中、今日は“梅雨の中休み”なのか、晴れ間も見えた一日でした。“つぼや”の被災にあった靴は、奥さんが水洗いして、社協にお願いして配布するそうです。また、masudaくんから連絡あって(地下タビ)は、まだあるので、どうしようか、という相談でした。預かってきて、少しだけきれいにして、乾かして、明日に、球磨村に持っていくことにしました。(無料)で配布というのにも気が引けますが、本人の希望なのでそのようにします。30足近くありました。いちおう乾かして、バラバラだったので、左右そろえて、1足ずつ袋に入れてサイズを書いて持っていきます。片方だけのが10足?近くありました。もったいないことです。地下タビは明日以降、球磨村で配布されると思います。

 被災受けた方はもう3週間、片付けも少しずつは進んでいるようですが、まだまだゴールが見えない地点です。キツイですね。

 私も今日は孫守りがあったので、ほぼ家にいました。気になっている(文化財を守る支援)はできませんでした。来週火曜日くらいに梅雨明けしそうなので、そこくらいからもう一度仕切り直しをしようと思っています。

 

  人吉水産です、滅茶苦茶、被災されたのに「感謝」「ありがとう」なのです。

 「がんばろう!」です。

 

 今度の水害の写真も多く使いました。ところがどの写真が登場したのか、わかりません。重なって登場していたらゴメンナサイ。

 今日の天気( ちょっとだけ


2020球磨川大水害 11

2020年07月24日 | 日記

 今日は一日中雨だったので、家の中に閉じこもっていました。夜7時から町内会三役会をしました。鬼木町は今回の水害の被害はほぼありませんでした。(一部分の田んぼが浸水、川そばの道路がえぐれて陥没くらい)

 鬼木にはアパートが多いせいか、被災された方が仮住まいにか、一時的転入をされています。名簿等のこともあってその受け入れ等を話し合いました。また、東西コミセンも被災したので、コミセンであっていた講座等ができなくなりました。代替場所として会館の使用の申請がありました。このことも了承することにしました。これから、いろんな対応を取らなければならないようです。

 被災した文化財のことが気になって動きはじめています。はじめの頃は、生活再建が優先なので、(文化財の)というと怒られそうでしたが、少しは落ち着いてこられたので、そろそろ大丈夫かなと思っています。昨日も述べたように朝日権現社の男女神像が気になっています。ひょっとしたら周りのゴソの中に埋もれていないか、と思っています。来週には天気も良くなりそうなので取り掛かろうかなと思っています。人手が必要です、もし、お手伝いができる方は、よろしくお願いします。 

 これまで撮っていた写真でブログ未登場のものを紹介します。

 今日の天気(

  

    どこからか流れ着いているクルマ

   

          老神神社

 

   

    九日町 えびす神社

 

   球磨村渡 一王子神社(渡阿蘇神社)

 

 

    人吉 九日町


2020球磨川大水害 10  朝日権現社のこと

2020年07月23日 | 日記

 午後から、熊日S記者を案内して(大柿)と(渡 山口)に行ってみました。S記者は文化部所属で(文化財の被害)についても取材されているようです。地理的に不案内なことと文化財被災等も含めて案内しました。報道によって多くの方に状況を知ってもらう→理解してもらう・・・物心共に手を差し伸べてもらう、といいなと思っています。

 大きなA神社は注目度もあるし、時間と共に復興していくと思います。ところが小さな神社・祠や仏堂の復旧復興はたいへん困難です。氏子さんたちの少子高齢化によって、人がいないのです。少ない人数で建て直すとなると無理なることです。祀っていた仏さますらがいなくなられたら“もういいか!”になりはしないでしょうか。とても心配です。

  

 写真は朝日権現社です。先日行ったときは違う場所を見ていました。ここに間違いありません。市の文化財だった(男女神像2体 文永13年の銘 1406年)がなくなりました。600年前に造られた神像です。すぐ近くには多くのゴソがあります。この下に埋もれてはいないかと思いました。流されているかもしれませんが、ボランティアを募って探してみようと思いました。昨日から、この地区にはボランティアの人が入っています。近くの人は助かった!と云っておられました。生活再建が優先事項です。文化財は二の次ですが、600年を取り戻したいのです。

 天気を見ながら緊急告知します。みんなで探しましょう。お手伝いください。よろしくご協力ください。

 少しずつ復旧復興しています。しかし、まだまだです。masudaくんが被災した商品の靴をすべて洗って‘無料配布’するそうです。「安くして売れば!」と云っています。時間場所が決まったらお知らせします。

 今日の天気( 昼から 夕立のような


2020球磨川大水害 9 救出作戦

2020年07月22日 | 日記

 午後から、たいへん気になっていた(大柿毘沙門堂の毘沙門像)を救出しました。勝手にするわけにはいかず、大柿の町内会長さんの承諾を得ようと思いました。昼頃だったので避難所におられると思って中原小学校体育館に行きました。~初めて避難所に行きました、初めて段ボールベッドを見ました~

 奥さんだけおられて会長さんはわが家へ帰っておられました。自宅を訪れたら片付け中でした。お見舞いを申し上げて(毘沙門さんを救出したい)と話しました。気になっていたのにわが家のことで手いっぱいなので頼む!と言われました。

    

 masudaくん、jyuhukuくん(二人とも同級生)と息子の4人で取り掛かりました。周りのゴソ(流木などのゴミ)を取り除いて、仏さまを軽トラで運びました。残念だったことは脇におられた童子形立像を見つけることができなかったことです。大発見もあって、たぶん江戸時代にこの堂は火災にあっています。そのとき火災に遭ったと思われる黒焦げの仏像が床下にあったのです。いままで目に触れることがなかったことです。新旧2体の仏さまが久しぶりのご対面でした。

     

 再び、大柿へ、観音堂前のおばさんに観音様のことを尋ねました。1体あったので水で洗って堂の中に入れておいた。そしたら無くなった、とのことでした。私も確認しているのですが、このお堂には何体の仏さまが鎮座しておられたのか、ということです。2体だったかもしれません。

 

     

 すぐ近くの方の家に(仏さんが流れてきて庭にある)ということでした。上流から流されてきたようです。どのお堂の仏さまなのか調べることにします。この仏像も歴史館に運んできました。

 そんな活動が今日はできました。人が必要です、たりません。

 今日の天気(梅雨は終わったようなの一日)