言わなければよかったのに日記

 私が見たこと、聞いたこと、感じたこと、頭にきたこと・・・を(ありのまま)に伝えます。

云わんばよかった

2020年09月30日 | 球磨弁

    

 このブログのタイトルは「言わなければよかったのに日記」です。深沢七郎さんの本のタイトルのパクリです。球磨弁で言うと「言わんばよかったて 日記」でしょうか。「のに」があるから、ちょっとニュアンスが違うのかもしれません。

 ふだんの生活で「云わんばよかった」という反省はあんまりありません。歳おってからは(いちおう)言葉には気を使いながら喋っているつもりなので、「云わんばよかった」ということは激減したと思っています。

 ところが若いころは、学校教員で目の前に子どもがいたときは、しょっちゅう「云わんばよかった発言」をしていたと思います。そのときの私の目の前にいた子どもたち、ごめんなさい。ただ、言い訳だけさせてもらうと、“よかれ”と思って言っていた言葉です。「なんばしょっとやー」「さっさ、せんか」「そぎゃんた、ヒマいらんどが」・・・ほとんどが否定形の言葉です。しかし、否定した言葉に励ましの意味合いが含まれていたと思っています。「なんばしょっとやー」→(一生けん命するともっとできるだろうに)というようにです。

 ところが、いまの時代は100%outです。許されない言葉遣いになると思います。ある意味、世の中が優しくなっています。少し首をかしげるところもありますが、世の流れは“人にやさしく”です。

 怖いのは、せからしかで、もう黙ってうっちょこい、なんも云わんほうがよか、と本音を抜きに人と語ったり接したりすることです。表面だけで接する人が増えることです。「云わんばよか」こともありますが、「云うた方がよか」こともあるはずです。

 これからは、けっこう気を使いながら「云わんばよかったて日記」を書き綴っていこうと思っています。(笑)やおいかん、時代の到来です。トランプさんが羨ましい!!

 今日の天気(


9月29日

2020年09月29日 | 日記

     

 午前中に万江小の5,6年生が資料館に訪れました。総合の学習の手がかりをつかむための見学でした。いろんな学習のきっかけや実際の学習に役立てられるように、もう少し事前準備をしておく必要を感じました。思いつくままにヒントは出しましたが食らいついてくれると嬉しいものです。今後はもっと“学習の場”としての活用できる資料館の在り方を考えていきたいものです。

 

  

    ご本尊、あまりにも金ぴかなのでビックリしました。

 10月4日からの企画展準備をしています。ずっと前に被災文化財紹介で(豊光院跡釈迦堂)のことを述べて、台座と光背だけがあって本尊は行方不明としていました。昨日、町内会長さんとお会いしたら、(本尊は町内にある)と聞いてびっくりしました。さっそく今日に出かけていってご本尊(本体)を借りてきました。光背は壊れているので取り付けることはできませんでしたが、台座の上に乗せることはできました。ご本尊さまも久しぶりに台座に座られてホッとされたのではないでしょうか。私も見つかって安心しました。準備も着々中です。ぜひ、ご来館を。

 今日は朝霧でした、人吉盆地もいよいよ秋本番を迎えたようです。

 今日の天気(


ペットのことで思うこと

2020年09月28日 | 日記

    

 7月の水害でヘリコプターで避難されたとき、重量制限のためか、1人1個の荷物だけ、犬、猫の動物同伴はダメだったという話を聞きました。そのあとの大型台風襲来のとき、ペット同伴可の避難所開設のニュースを見ました。犬、猫を飼うことは賛否両論あるようです。動物を飼うと言っても、犬、猫のほかに、ヘビなどの爬虫類を飼っている人もおられるようです、こちらは断ぜん少数派でしょうから避難所に同伴したら拒絶されるでしょう。いまやペットブームで、ペットの葬儀屋さんはあるし、ホームセンターではペット用品はたくさん陳列されています。

 いま、明治初めころの各村の記録(明細記)を読んでいます。当時の村の様子(地勢)がわかります。山田村明細記をみると、「竃数 五百十四軒」とあります、「竃かまど」とはよく表現したものです。今の世帯数のことです。人口も(2583人)とあります。男1317人、女1258人、その他(社人等8人)です。その次に「牛馬七百五十四疋」「内 牛四百十四匹、馬三百四十疋」と書かれてあるのです。「犬〇匹、猫〇匹」ではないのです。150年ほど前は、人の次は家畜(牛馬)なのです。

 時がたてば、です。いま、各市町村の明細記を作るとすれば、人の次に犬猫は何匹ではないでしょうか。ひょっとすると、次の国勢調査では‘犬猫調査’もあるやもしれません。

 ペットブームは、人の生活が豊かになったことの表われです。ひょっとすると人間の奢りかも。犬猫を飼うことで癒されるのかもしれませんが、やはり人間の奢りのような気がしてならないのですが。こういっている私はペット嫌いな方です。ましてや家の中に犬がいること自体がおかしいと思っています。

 昭和時代やまだ発展途上といわれる国では考えられないことなのです。それがペット同伴でないと!などという国は何かおかしいと思うのです。地球の何処かでは食べるものがなくて痩せおとったり死んでいく子供たちがいるのに、日本の犬猫は糖尿病になって・・・やっぱり何かおかしいと思うのです。

 すっかりと秋らしくなりました。富士山では初冠雪だったとか・・私の嫌いな寒い冬がやってきます。猫はコタツで丸くなる季節がやってきます。

 今日の天気(


9月27日 ~秋のはじまり

2020年09月27日 | 日記

 今日も大柿に行きました。yamagamiさんに朝日権現の神像さん企画展出品のお願いにです。人吉市の文化財指定を受けているので、所有者の承諾印鑑が必要なのです。いま話題の“印鑑行政”ですが、こんな田舎に行き届くのはいつの日やら、です。yamagamiさんは(仮設住宅に当たらん)と嘆いておられました、納屋みたいなところに簡易ベッドを作って暮らしておられるようです、(もう寒かばい)とツイートしておられました。近くの田んぼでは稲刈りもあっていました、田んぼも浸水したのでしょうが稲は育ったのだと思われました。大柿にも秋は訪れていました。

       

 我が家の近くの草むらでも蝶がたくさん飛び交っています。40数年前に五木に勤務していた頃、“蝶”を追いかけた時期がありました。ずいぶんと標本にしていたのですが、保管が悪くてダメになってしまいました。そのときに蝶のことを知ることができて、いまでも飛んでいて(〇〇)と蝶の名を言うことができます。いまは昆虫たちもせっせと冬支度のために精出しています。寒い冬を乗り切るために次世代へのひきつ引き継ぎ作業に大わらわのようです。4か月ほど多くの蝶は姿を消します、見納めです、チョウたち、がんばれ、です。

      

 がんばれ!と云えば、大相撲・正代が頑張りました。初優勝おめでとうです。熊本県出身力士としては「初」・・今日も応援しながら見ていました。でも、最近は上にあがっても怪我をしてダメになる力士さんが多いです、ケガをしないように長く相撲が取れる力士になってほしいものです。まずはオメデトウ!です。

 今日の天気(

 


被災文化財 ⑩ 大柿毘沙門像

2020年09月26日 | 歴史探偵

         

 何度もこのブログに登場している‘毘沙門像’です。1週間ほど前に寝せてあったものを立てました。とても立派な仏さまです。踏みつぶされている邪鬼もいい顔しています。

 “伝”とはいえ気になっているのは“平重盛”の存在です。この毘沙門堂のすぐ横に‘平重盛の墓(供養塔)’があって、この毘沙門さんと深田荒茂の毘沙門と山田(高寺院)の毘沙門は平重盛の建立と伝えられているのです。深田荒茂と高寺院の毘沙門は平安時代のもの、この大柿の黒焦げになっている毘沙門さまもそれと同じような古いものではなかったのでしょうか。

 じつはこのお堂は7月の水害で被災を受け水圧で傾いています。お堂の中を片付けたいのですが倒壊の危険もあって立ち入るのを控えています。地域の方も建て直すことをまだ考慮中です。むろん、この像もお堂から押し流されて堂の外に倒れていました。この毘沙門さんの基壇の下に置いてあった先代の毘沙門さん(黒こげ)を初めて私どもは目にすることができました。写真の毘沙門さんの下に黒く横たわっておられます。毘沙門像のすぐ右にあった童子形立像は行方不明です。

 また、写真左に板書があって「毘沙門焼失ニ付 像立并堂宇建立 文政六未年八月十三日」と書かれています。また、毘沙門像の後ろに「文政七甲四月二日 ▢▢ 奉▢▢ 東肥熊本住 木野喜三治 藤原道▢」と墨書銘が見えました。黒焦げの仏さまと板書、そして墨書とが一致したことが初めてわかりました。

 被災したことで初めて私どもが知りえたこともあった毘沙門堂なのです。160㎝ほどのりっぱな毘沙門さんです。この仏像も一見の価値あり、です。

  

  今日の天気(


被災文化財紹介 ⑨ 平重盛の墓と五輪塔群

2020年09月25日 | 歴史探偵

 めっきりと秋らしくなった人吉盆地になりました。暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言ったものです。

    

   

 被災文化財のこと、どこまで紹介したのか分からなくなってきました。少しダブってのことになるかもしれませんがあしからず。 中神町大柿の毘沙門堂横の五輪塔群を元に戻すボランティア活動をしようと思っています。平重盛の墓もバラバラになっています。お墓のことなら(阿吽の会)だと思って、masudaくんに発起人になってもらいました。

 期日は10月11日(日)9時30分から。毘沙門堂集合(紅取橋を渡って、すぐ左側です)、何時までかかるかわかりません、たぶん一日では終わらないのでは、昼食、飲料水は持参、スコップなどを持って来てもらえればOKです。泥だし作業と五輪塔を小さいものは人力で積みなおす作業の予定です。

 昭和54年に球磨川護岸工事のために五輪塔群は移設されています。83基の五輪塔を移設したと報告書にはあります。そのほとんどが今度の水害で滅茶苦茶になっています。どれだけ元のように復元できるかはわかりませんができうる限りのことはしたいと思っています。今日は土木専門屋の(阿吽の会)iwaiくんに現地を見てもらいました。機材等の手配はお願いしました。あとは人手です。半日でも、見学だけでも構いませんのでお手伝いをよろしくお願いします。みんなで協力しながらすることに意義があると思っています。そんなことが復興への一助になるはずです。

       

 今日の天気(


被災文化財紹介 ⑧ 新町地蔵

2020年09月24日 | 歴史探偵

 今日は資料館勤務でした。非常勤なので、基本的に火曜、木曜日に資料館に行っています。今週の火曜日は祝日だったので、今週は今日だけになってしまいました。週2日なので、やることはたくさんあってハケキレズに困っています。まだ写真整理が終わっていないのです。データ化をして、いまネガの整理をしています。もう少し時間がかかりそうです。

  

 今日は(新町地藏堂)の紹介を。お堂の場所は新町ですが、すぐ南は(寺町)です。たぶん、元は“宗慶寺すうけいじ”があった仏さまです。宗慶寺は鎌倉以前に建立されたといわれ、十三坊があったとされています。寺馬場と呼ばれている、今の寺町のはずです。

 記録によると、明応7年(1498)宗慶寺の地蔵堂再興、永禄3年(1560)宗慶寺の僧が謀叛の企てに参画されたとして処刑、それから無住になった、貞享4年(1687)宗慶寺地藏堂を新町の現在地に移すなどとあります。

 そして、この地蔵像は仏師定朝の作と伝えられています。確かにりっぱな整った仏像です。また、厨子は(後から作られたもののようですが)地蔵さんに似合うような立派な造りです。厨子の中に光背があって、人吉球磨ではあまり見られない造りになっています。

 このお堂も浸水被災してしまって、この地蔵さんも泥水に浸されていました。しばらくは町内会館に避難しておられましたが、2週間ほど前に山江の資料館に預かってきました。宗慶寺とともに謎に包まれている仏さまです。一見の価値がある仏さまです。

 今日の天気()一日中、秋のちょっと冷たい雨が降りました。

  


1/33観音巡り

2020年09月23日 | 人吉球磨の文化財)

 三十三観音巡りも。今年は被災している観音堂もあって(一斉開帳)とはなっていないようです。湯の元観音のように本尊さんが山江に避難されていて観音さん不在のお堂すらあります。この秋は春もでしたが、コロナのこともあって‘接待’もしないということで話し合いもなされたようです。

  

 私もこの秋は気になる観音堂を廻ろうと思っていたのですが、1/33だけにして‘合戦峰観音堂’にお詣りに行ってきました。200mほど先にあるので歩いてちょっと、です。

 開帳はしてありますがお詣りの人は少なかったです。私が行った2時過ぎは私も含めて5名でした。接待は無しでしたが物品販売所ではクリなどが販売してありました。

             

 この合戦峰観音堂のご本尊は(聖観音)です。室町(南北朝か)といわれていた仏像が、5年ほど前の調査で平安末期の作と確認されたものです。少し傷んできてはいますが一見の価値がある仏さまです。村指定文化財ですが、県指定にされてもよいような仏さまです。

 

           

 この隣に(毘沙門像)があったのですが20数年前に盗難にあいました。いまは写真でしか見れない仏さまです。

このお堂は春と秋の一斉開帳のほかは毎月1日と15日は開帳されています。一斉開帳のときは(鰐口)も出ておられます。秋は金曜日までです。時間があられたらぜひに!

 今日の天気(


彼岸に

2020年09月22日 | 人吉球磨の文化財)

 今日は彼岸で祝日でした。昨日が敬老の日(むかしは9月15日、いまは、ここいら辺の期日、今年は4連休にするために21日ヵ)・・土日をあわせて4連休になりました。ニュースを見ていたら、都会では‘高速渋滞’・・もう、コロナは忘れ去って?バカンス放題なようです。少しは落ち着いたとはいえ、まだまだ猛威中だと思われます。東京では200人を超えたとか、100人を下回ったと、一喜一憂しすぎな感じがします。まだまだご用心注意報発令中です。

 私は彼岸の三十三観音巡りは、今年は止しておこうと思っています。合戦峰だけはお参りはと思っていますが今日までは止めておきました。明日にはお詣りしてこようと思っています。

 人吉球磨の文化財を紹介しようと思って、新しいカテゴリー(人吉球磨の文化財)を作りました。これまで紹介したことがあって重なりもあるかとは思いますが、人吉球磨の歴史的魅力を紹介していきます。

 今日は(庚申塔)のことを。なぜかしら、人吉球磨には‘庚申塔’がアチコチに建っています。人吉市内だけで120基ほど、人吉盆地内だといくつほど建っているのでしょうか。

 多くは江戸時代に立てられたものです。江戸時代にはかなり庚申信仰が盛んにおこなわれていたのだろうと思われます。仏堂も多いので人吉球磨の人たちは信仰深かったともいえます。(庚 かのえ)(申 さる)は日の場合は60日で一回り、年の場合は60年に一回りします。庚申(かのえさる)の日が‘庚申信仰の日’です。この日の夜は村で集まって一晩中寝ずに過ごすのだそうです。1年に6回廻って来る庚申の日に寝ないで過ごし、記念碑みたいに建てられたのが‘庚申塔’です。庚申塔にもいろいろと種類があって面白いです、この(人吉球磨の文化財)でも紹介していきます。

      

 今日はわが家にすぐ近くにある庚申塔を。普通のノーマルな庚申塔です。「庚申塔 宝永六己丑年 三月吉祥日 當村中」と刻まれています。1709年です。今から300年ほど前に建てられたことになります。庚申信仰も、もう廃れてしまって塔だけが地区の片隅でポツンと立っているだけになっています。わが家の近くの庚申塔も誰が参るでもなく静かに建っています。

 今日の天気(


被災文化財 ⑦ 小松さん

2020年09月21日 | 歴史探偵

 今朝はうんと冷えて12℃くらいだったようです、一気に冷えたので寒くすら感じました。しかし、昼間は28℃くらいまで上がったのではないでしょうか、過ごしやすくはなりましたが寒暖の差が激しく、体調崩さないように気をつけたいものです。

   

 中神町大柿の人たちが(こまつさん)と読んでいる石像です。何時ごろ造られたのかは分かりませんが、そんなに古いものではないようです。(こまつさん)とは、平重盛のことです。平安末期の平清盛の長男です。京都の小松第に屋敷があったので(小松内府)(小松内大臣)とか称されたようです。また、人吉地方は平家の所領として知られ、そのことからも(平重盛の墓)と伝えられている五輪塔があるのではないかと思われます。大きな五輪塔があり、その墓を(小松さん)と呼び、後世に小さな石像を作って石像も(小松さん)と呼ばれたのではないでしょうか。地域に伝わる言い伝えなので、どこまでが真実なのかは分かりませんが、平家一門とは何らかの関りがあったのは間違いないような感じがします。

 また、「人吉繁昌記」には、「山田毘沙門、深田毘沙門、中神毘沙門と大村不動を“三毘沙門一不動”は共に小松内大臣平重盛の建立する所なり」と記されています。古文書等によって裏付けるものはいまだ見つかっていませんが、伝承とは何らかのことがあって伝えられているものです。

  

 そんな“中神毘沙門”と‘平重盛の墓’が今回の水害で被災しました。石像‘小松さん’と毘沙門天像はいまは山江歴史資料館に避難中、重盛の墓とその周りの五輪塔群はばらばら散在してます。10月11日 9時30分から、復元作業をします。興味のあられる方はお手伝いに参加されませんか。

 今日の天気(