言わなければよかったのに日記

 私が見たこと、聞いたこと、感じたこと、頭にきたこと・・・を(ありのまま)に伝えます。

年賀状のこと

2022年12月29日 | 日記

 今年も年末恒例の〝年賀状〟のことです。例年よりちょっと早く28日夕方に投函しました。ここ数年では一番早かったです。

 ところが今年は〝いろいろと〟ありました。そこで年賀状顛末のことを。

まずは年賀状をはじめて郵便局で買い求めました。26日のことです。これまでは郵便局関係者の方から‘売りつけられ’購入していました。局員の方のノルマがなくなったのか郵便局で買うことになったのです。ある意味、面倒なことになりました。

息子が買ってきた〝年賀状作成本〟で図柄を選びながら作りました。さあ、印刷です。昨日(28日)の午前中のことです。ところがプリンタードライバーをインストールせろ!というのです、もうとっくに済ませてあると思って無視して印刷かけました。ところが字もイラストも鮮明でなく何となくにじんで印字されたのです。設定もいろいろと変えたのですが同じことでした。あ!インクを変えた。数日前に純正ではなく安価なものに変えたのでした。そのせいかなと思いました。

そこでカラー部分のイラストを削除して、文面だけ残して白黒印刷をしたら鮮明になりました。もうこれしかない・・空白部分はゴム印を押すことにしました、慌ててニシムタまで買い求めに行きました。見たところ売り場には見当たりませんでした。店員の方に聞いたら〝ちょっと待ってください〟と・・・段ボールに入れたゴム印を持ってこられました。数少なくなっていたものから仕方なしに選んで買ってきました。「あと12年後までとっておくのですか、安くなりませんか」と訊ねましたが定価での販売でした。

それから帰ってゴム印を押しで出来上がり、添え書きをして・・・ようやく夕方に投函できたのです。やれやれ、年賀状って年1回だけどたいへんなことです。年賀状を終活している人が出てきましたが、私はもうしばらくは続けようかなとは思っています。

 今日の天気予報(


天子祭り

2022年12月19日 | 歴史探偵

 昨日は(合戦峰天子祭り)でした。今年は、文化庁の(地域の伝統行事等のための伝承事業)を映像化するための撮影スタッフが来られての撮影もありました。この事業に参加しておられる無形民俗文化財の研究者の先生も来られていました。2台のカメラと空からのドローン撮影もあっていました。

 3日前にも事前に撮影は行われていました。昨日は夜半からの雪で・・・ほぼ一日中の雪交じりの中で祭になりました。寒かったです。

 公民館で大縄つくり(約30m)して、天子のタブノキの所まで運んで(反時計回りに7回半)大縄を巻きつけるのです。そして、みんなで拝礼して・・・そこが終って・・天子池に行ってご幣等を上げて拝礼。

 約3時間の伝統行事でした。

   

                  

 (7回半)が「謎」なのです。「75膳」のことも研究者先生から聞きました。「75」「7半」は何か〝聖数〟(宗教的に意味づけられた数)なのかもしれません。「謎」なこと、何となく気になりながら祭りに参加しました。でも、寒かったです。

 約1か月ほどすると、「まつりと」で検索するとYouTubeで祭の様子が公開されるそうです。私もちょこっと出演するはずです。

 今日の天気(

 


山の神祭に

2022年12月12日 | 歴史探偵

 昨日、情報を聞いて(椎谷、高觸、萩)集落の〝山の神祭り〟を見てきました。

 私のこれまでの記録では(山の神まつり)のトキは(しょう、ご、く)(1月、5月、9月)でしたが、この集落のは(旧11月18日)なのです、昨日12月11日が旧の11月18日でした、ちょうど日曜日と重なったのですが、最近は旧11月18日の近くの日曜日に行っておられるそうです。

     

               

 掛軸を持ち回りにされて、今年のテスの家(Oさん宅)の神棚に掛けてありました。男神さんでした。鉈(ヨキなのか)をもっておられます、これまで私は山の神は〝女神〟だと思っていたのでビックリでした。

       

 供え物は、鯛1尾、豆腐田楽、モチ、お神酒があげてありました。

 掛軸は木の箱に入れてあり、その中に明治28年からの記録が綴られていました。明治28年は15軒、77銭5厘集めておられました。

 大正10年の祭りのときは「豆腐2合、白魚1舛、一人前焼酎2合5勺」とあります。和紙に書かれた記録を(和紙ですがもうずいぶんと破れかかっています)読んでおこうと思って借りてきました。いま、読んでワープロしています。

 明治28年は15軒でしたが、昨日は5軒になっていました。記録にしてきちんと残しておこうと思っています。

供え物はいただいてきました。豆腐田楽は美味しかったです。焼酎2号5勺の代わりにノンアルビールをいただきました。

 今日の天気(


大柿毘沙門さん

2022年12月09日 | 日記

 8日に(大柿毘沙門堂の毘沙門さん)と(小松さん)が2年5か月ぶりに地元に還られました。

 日通さんが来られてグルグル巻きに梱包されて運び出されました。先代 焼失仏も一緒にです。

   

 地元 毘沙門堂には町内会長さんはじめ多くの方が集まっておられました。懐かしそうに毘沙門さんを見ておられました。(しっかりと見たこともなかったのでこんな顔をしておられたのか)という感想でした。安置が終って皆さんで手を合わせて還りを祝っておられました。

      

        

 昼から(小松さん)を返しに行きました。供養塔のところに置くのは盗難心配もあるので毘沙門堂中に置かれるようになりました。

          

              小松さん  

 3体の仏像さんも何かしらホッとしたように思われました。

 2年以上も預かっていて私も何かしらホッとしました。数百年も座っておられた場所に還られたのを見て安堵しました。

       ※今日は2つの記事をUPしました。


文化財保護委員会で鹿児島・都城へ

2022年12月09日 | 旅行

 文化財保護委員会で日ごろのご苦労と他所の文化財視察を兼ねて県外研修を行っています。コロナがあったので3年ぶりの事でした。

 6~7日、1泊2日で鹿児島、都城へ。まずは、大口越で薩摩川内/入来町へ。入来では郷土館の方に案内してもらって(武家屋敷群)(清色城址)(郷土館)を見学することができました。清色城址は、山田城に似た山城でした、急坂を登ってちょっとたいへんでした。(郷土館)はいろいろと展示してありました、古文書が本物で展示してあったのがちょっと気になりました。

 それから(花尾隠れ念仏洞)・・・ここも長い階段があってちょっとたいへんでした。➡鹿児島仙厳園を見て鹿児島市内で泊。

    

           仙厳園の薩摩切子と桜島・・切子はやはり高かった! 

2日目は(上野原縄文の森)・・・都城島津邸・・・高城郷土資料館。

     

           上野原縄文の森  

            

               高城 天守閣から街並みと霧島が見えました

 多くが初めて行ったところだったのでよかったです。とくに資料館2ヶ所を見学できて参考になりました。やはり時にはソトを見ることの必要を感じました。

 久しぶりに桜島も観ました。

 今日の天気予想(朝は霧 

 


相良神社へ

2022年12月04日 | 歴史探偵

 2日に宇城市豊野の(相良神社)に行ってきました。この日が(相良神社例大祭)だったのです。〝例大祭〟ですが相良家18代義陽公の命日にもあたる日です。豊野のこの地(響野原)で戦いがあってこの地で戦死し、この場所に神社が作られているのです。それは天正9年(1581年)12月2日のことでした。441年前のことです。

 

       

 この場所で義陽公が打ち取られ、家臣は首は取られまいと八代に首だけは持ち帰ったとあります。響野原に神社が作られ、豊野の人たちが400年以上に渡って守り抜いておられます。長い間、遠い人吉の殿様の弔いを続けてこられたことに驚きです。義陽公が善政をされたからではないのでしょうか。

 祭日の日は多くの地元の人たちが集まっておられました。祭日には人吉からも‘参加しておられ、私どもが着くのを待って神事がはじまりました。コロナのこともあって久しぶりの開催だったようです。

 神事が終って、義陽公の関連史跡を廻って帰ってきました。豊福の長傳寺跡(阿弥陀堂)には16~18代の義慈、晴廣、義陽の供養塔がありました、すぐ近くの豊福城は相良家の北の最前線だった所です。

 それから八代古麓の義陽公の首塚へ。ここまで首を運んで埋めたと伝えられるところです。

 義陽公の命日(例大祭)に参加して弔うこともできてよかったです。朝から寒くなってⅠ2月らしい季節の1日になりました。

 今日の天気(