가지다と지니다
まず今日は練習問題からです。
カッコの中から自然な言葉を選んでください。
[어머니가 초등학생 딸에게]
책가방도 안 (갖고|지니고) 학교 가는 애가 어딨니?
[소설의 지문에서]
여자는 남자가 선물한 핸드백을 늘 보물처럼 (갖고|지니고) 다녔다.
[여고생이 친구에게]
이 구두쇠야, 제발 돈 좀 (갖고|지니고) 다녀라!
[전기문에서]
그는 더없이 온화한 품성을 (가진|지닌) 학자였다.
では,解説です。
「所有」「保有」「所持」などを意味する単語の代表的なものは,この가지다と지니다です。
지니다は演説や発表をする時などを除けば,ふだんあまり口語では使われない言葉です。
가지다が日常的に広く使われるのに比べて지니다は年をとった人が格式張って口語で使うほかは,おもに文章で使われる文語体といってもいいでしょう。
ですから20代の若者が親しい友達に言うときには“돈 좀 갖고 다녀라”というのが自然で,また老父が社会に初めて出る息子に父親の権威を示しながら忠告する時には“성인은 늘 돈을 어느 정도 지니고 다녀야 한다”というのがふさわしい表現です。
まったく同じ品物でも,口で言うときには“그 여자는 핸드백을 늘‘갖고’다닌다”と言いますが,文章として書くときには“그 여자는 핸드백을 늘‘지니고’다닌다”と書いてもおかしくありません。
しかし,2つの単語の間には,これよりもっと重要な差が隠れているのです。
가지다の対象は,人が持っていてそれがなくなったり,また逆になかったものが生じたりする「物」だと言うことです。
집을 갖고 있다や차를 갖고 있다は自然ですが,집을 지니고 있다や차를 지니고 있다はぎこちなく聞こえます。
これに反して지니다の対象は「特性」「才能」「権利」「品性」「機運」「優しさ」「美しさ」のように,人が生まれた時,あるいはある瞬間から身につけ,それ以後は重大な変化が起きない限り,一生涯その人からなくならないものです。なくならないのみならず,常にその人に付いている重要な一部になっているものです。
가지다の意味する「所有」が制限的で可変的なら지니다のそれは恒久的で不変的なものです。
ですから,普通は가지다の対象になることでも,まるで身体の一部のように,または人格の一部のように常に所持(あるいは保有)する時には지니다と書く方が自然な時があります。ハンドバッグや身分証,常備のお金などがそうです(もちろん書き言葉や,演説などの特別な論調の時に限ります)。
翻訳文などでは「美貌」「神秘性」「性格」「人格」「才能」「潜在力」「資質」
「特性」「属性」などに가지다が使われているのをよく目にしますが지니다のほうがぴったり来るようです。
まず今日は練習問題からです。
カッコの中から自然な言葉を選んでください。
[어머니가 초등학생 딸에게]
책가방도 안 (갖고|지니고) 학교 가는 애가 어딨니?
[소설의 지문에서]
여자는 남자가 선물한 핸드백을 늘 보물처럼 (갖고|지니고) 다녔다.
[여고생이 친구에게]
이 구두쇠야, 제발 돈 좀 (갖고|지니고) 다녀라!
[전기문에서]
그는 더없이 온화한 품성을 (가진|지닌) 학자였다.
では,解説です。
「所有」「保有」「所持」などを意味する単語の代表的なものは,この가지다と지니다です。
지니다は演説や発表をする時などを除けば,ふだんあまり口語では使われない言葉です。
가지다が日常的に広く使われるのに比べて지니다は年をとった人が格式張って口語で使うほかは,おもに文章で使われる文語体といってもいいでしょう。
ですから20代の若者が親しい友達に言うときには“돈 좀 갖고 다녀라”というのが自然で,また老父が社会に初めて出る息子に父親の権威を示しながら忠告する時には“성인은 늘 돈을 어느 정도 지니고 다녀야 한다”というのがふさわしい表現です。
まったく同じ品物でも,口で言うときには“그 여자는 핸드백을 늘‘갖고’다닌다”と言いますが,文章として書くときには“그 여자는 핸드백을 늘‘지니고’다닌다”と書いてもおかしくありません。
しかし,2つの単語の間には,これよりもっと重要な差が隠れているのです。
가지다の対象は,人が持っていてそれがなくなったり,また逆になかったものが生じたりする「物」だと言うことです。
집을 갖고 있다や차를 갖고 있다は自然ですが,집을 지니고 있다や차를 지니고 있다はぎこちなく聞こえます。
これに反して지니다の対象は「特性」「才能」「権利」「品性」「機運」「優しさ」「美しさ」のように,人が生まれた時,あるいはある瞬間から身につけ,それ以後は重大な変化が起きない限り,一生涯その人からなくならないものです。なくならないのみならず,常にその人に付いている重要な一部になっているものです。
가지다の意味する「所有」が制限的で可変的なら지니다のそれは恒久的で不変的なものです。
ですから,普通は가지다の対象になることでも,まるで身体の一部のように,または人格の一部のように常に所持(あるいは保有)する時には지니다と書く方が自然な時があります。ハンドバッグや身分証,常備のお金などがそうです(もちろん書き言葉や,演説などの特別な論調の時に限ります)。
翻訳文などでは「美貌」「神秘性」「性格」「人格」「才能」「潜在力」「資質」
「特性」「属性」などに가지다が使われているのをよく目にしますが지니다のほうがぴったり来るようです。
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