「責任」とは何か、について「倫理学」(哲学と何が違うのかよく定義がわからないが)の立場から論じたもの。
この本は前半と後半とで大きく異なる。
前半は、因果的決定論(脳内の働きも含めてすべてのできごとは因果関係で決まってしまうのだから人間の自由意思なんてない⇒責任なんてない)という大命題にどのように向き合って、個人の自由意思や責任の存在を認めていくか、といったような論理展開を行っている。日常生活していると「どっちでもええやん」という話だが、純粋に論理パズルとして面白い。
で、後半はそんな興味深い論理パズルがいよいよ盛り上がりかけたところで、中途半端に議論を切り上げ、返す刀でそうした責任論が現実社会においてどのように適応されるかを、いじめ問題や戦争責任問題を例に取り上げて論じている。
後半部分にも、現代日本社会の病理の原因を示唆するような興味深い記述もあったが、事実認識や論理展開が粗雑かつナイーブで、基本的には読む価値はない。
硬質で論理的な前半⇒イデオロギーゴリ押しのナイーブな後半への性急な移行に、もしかしたら後半部分を読ませたいがために前半部分を読まされたのではないかと、背筋に寒いものを感じる。
しかし人間の自由意思があってもなくても、実に哀愁漂うものがありますな。
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この本は前半と後半とで大きく異なる。
前半は、因果的決定論(脳内の働きも含めてすべてのできごとは因果関係で決まってしまうのだから人間の自由意思なんてない⇒責任なんてない)という大命題にどのように向き合って、個人の自由意思や責任の存在を認めていくか、といったような論理展開を行っている。日常生活していると「どっちでもええやん」という話だが、純粋に論理パズルとして面白い。
で、後半はそんな興味深い論理パズルがいよいよ盛り上がりかけたところで、中途半端に議論を切り上げ、返す刀でそうした責任論が現実社会においてどのように適応されるかを、いじめ問題や戦争責任問題を例に取り上げて論じている。
後半部分にも、現代日本社会の病理の原因を示唆するような興味深い記述もあったが、事実認識や論理展開が粗雑かつナイーブで、基本的には読む価値はない。
硬質で論理的な前半⇒イデオロギーゴリ押しのナイーブな後半への性急な移行に、もしかしたら後半部分を読ませたいがために前半部分を読まされたのではないかと、背筋に寒いものを感じる。
しかし人間の自由意思があってもなくても、実に哀愁漂うものがありますな。