ほぼ衝動☆日記

戦略コンサル修行中~東京の中心でコソコソ暮らすのにはもう飽き飽きです・・・

今年に入って一番驚いたことは

2008年01月30日 18時53分29秒 | 東京の中心で、コソコソ暮らす
昨日うちに年賀状が1通届いたこと。

どうしても出したかったのでしょうね。ある意味とても律儀な方です。
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管仲

2008年01月28日 19時47分45秒 | よみもの
数々の中国歴史小説を書いている著者の本。
春秋時代、斉の宰相となり、同国の覇権獲得に貢献した管仲とその友である鮑叔を追った小説。

管仲〈上〉 (文春文庫)
宮城谷 昌光
文藝春秋

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以前どこかで述べたことがあるかもしれませんが、歴史小説というものは微妙なもので、史実(と言われているもの)をベースに、著者がいろいろと想像をふくらませて肉付けしていくこととなり、そのためどこまでが史実でどこからが著者の創作かが判然としないものです。

本作においては、歴史書に一切登場しない管仲や鮑叔の青年時代を著者がゼロベースから生き生きと描くことに成功している一方、いよいよ斉の宰相として手腕を発揮していくあたり(史実で記述されている時期)の膨らませかたが足りず、駆け足になってしまい、もったいないように思われました。思うに、史実が中途半端に存在する時の膨らませ方の方が難しいのかもしれませんね。

管仲や春秋時代の中国の様子について興味がある場合は、ぜひお勧めします。

ちなみにインプリケーションとしては、「自身が優秀であること以上に、度量大きく優秀な他人を使いこなせることの方がはるかに重要」ということと、「徳や正しい生き方を積むことはいつか大きな成果をもたらす」ということでしょうか。
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休みの衝動買い

2008年01月22日 23時43分34秒 | 衝動買いでストレス解消
今週前半は休暇だったのですが、たまたま立ち寄った秋葉原で、店員の意味不明な言葉を羅列したマニアックなトークに幻惑され、今年最大の衝動買い。5年ぶりにPCを買い換えました。

東芝 TX/67E T7250/2.0G/15.4/1Gx2/160G/SMlt/LAN/VisPrem/Of2007Psl PATX67ELP

東芝

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いやしかし古いPCから乗り換えると、その処理速度の速さと、サイズのデカさと、VISTAの慣れなさに驚くばかりです。
いままで某SHARP社のロイヤルカスタマーだったのですが、なんだか最近全くPCに力が入っていない様子で、ついに乗り換えてしまいました。PC以外はSHARPのを買うからゆるして。
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伸びきったゴム

2008年01月15日 23時00分37秒 | おもに仕事上の愚痴
みたいに疲労が蓄積して元に戻らなくなることって、誰にでもよくあることと思いますが、たとえば僕が今そんな状態です。

寝ても疲れが取れないし(そもそもそんなに眠くもない)、モノを考えるにしても既存の枠組みでしか考えが及ばず、新鮮な視点が持てなくなってきます。言い換えると思考の躍動感がなくなるとでも言うのでしょうか。

こういう時には思い切り逆方向に振り切ったり、弛緩すると良いと聞いたことがありますが、プロジェクトの最中だとなかなかそんなことも出来ないのが世の常というもの。

そこで僕が考えた末に編み出したのが、

。。。。。

というところまで書いたら何か良いアイデアが浮かぶかと思ったのですが、やっぱし浮かんでこないようです。

それではまた。
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バントヒット

2008年01月07日 20時40分23秒 | 東京の中心で、コソコソ暮らす
ミニシアター系の映画、とくにフランス映画というのは、当たればホームラン、外れれば一発退場みたいなイメージがありますが、珍しくバントヒットのようなボーダーラインをただよう映画を見ました。

「ここに幸あり(Jardins en Automne)」

失脚した大臣が下町に戻って友達とノンキに暮らす、という何ということのない映画です。
アメリカ映画だと色んな事件が起こって(起こして)ヒューマニズムあふれる感動作みたいに仕上げるところですが、そうした劇的な側面も全くありません。ただただ平板的に日常が推移していきます。そういう意味でとてもフランスらしい映画と言えます。

フランスに何らかのかかわりがある人や、関心がある人なら、フランスの日常生活そのままの雰囲気を味わうだけでも楽しめると思います。また台詞が少なくかつ単純な会話が多いので、フランス語の聞き取りにも良いかもしれません。
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憎悪の世紀

2008年01月05日 12時26分17秒 | よみもの
本屋で見つけて衝動買いした本。分厚い本って場所は取りますがすごく惹かれるものがあります。

この本は、20世紀になぜ世界的に戦争が頻発し、大量虐殺が行われるようになったのかを解き明かそうと取り組んだものです。
体系だてて論じた本かと思いきや、そうではなく20世紀の歴史を順を追って、そういう殺戮が起こった背景に触れながら詳述しているというものです。

憎悪の世紀 上巻―なぜ20世紀は世界的殺戮の場となったのか (1)
ニーアル・ファーガソン,仙名 紀
早川書房

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著者の基本的な考え方としては、諸民族を束ねてきた帝国が衰退し、経済的なボラティリティが高まり社会が混乱したタイミングで、諸民族が入り混じった地域(特に東ヨーロッパ)で、ある民族が他の民族に対して虐殺を目論む、というのが20世紀型の戦争や殺戮のパターン。新しく登場した全体主義的帝国のぶつかり合いというのも背景にあります。スターリンやナチスに限らず、あらゆる場面でそのような出来事が繰り返されてきました。

昨日まで隣り合って協調して暮らしてきた民族同士(たとえばドイツ人とユダヤ人)が、あるタイミングを境に非人間的な殺戮を開始する、その前提となる人間性(猜疑心とか嫉妬とか麻痺とか)は、21世紀になった今でも抜本的に進歩してはいません。むしろ同じような条件がそろえば、人間はいつでも同じ歴史を繰り返すことに戦慄を覚えます。ですから、20世紀はなぜそんな時代だったのか、と振り返るときには決してそれは遠い昔の他人事ではなく、とても今日的な課題です。

そうして考えたときに、逆説的かもしれませんが、「民族自決」「民主主義」というお題目は理想としてありながらも、今日においてアメリカに代表される「帝国(サステイナブルな民主主義システムを伴った)」という存在は、社会の発展途上期(仮に発展しているとして)においては世界に秩序をもたらすための必要悪(あくまで悪ですが比較的マシな悪という意味で)として機能しているのかもしれないとも思ってしまいます。いわゆるパックスなんとかというヤツです。

いやそれにしてもギリシャ・ローマ時代と比較してみると、人間って進歩してませんね。もろいです、世界。
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初詣

2008年01月02日 20時59分39秒 | 旅行記
年末年始、自宅にいるのも良いのですが、テレビも面白くないし、北向きの寒く暗い部屋で鬱々としているのもアレなので(特にPCを開いて仕事してしまうのを防ぐため)、小旅行に出ていました。

旅行代理店に行ってみてもどこも空いていないし、そもそも高いので、普通の電車で行ってこれる横浜で年越し。

で初詣は鎌倉の鶴岡八幡宮へ。たくさんの人で埋め尽くされていて、一歩も前に進めません(写真)。ここからお参りするまでに1時間。

これこそ日本人の正月ですね。

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