ほぼ衝動☆日記

戦略コンサル修行中~東京の中心でコソコソ暮らすのにはもう飽き飽きです・・・

帝国ホテルで靴みがき

2006年10月31日 17時22分49秒 | 衝動買いでストレス解消
昼飯食ってるときに同僚から、「帝国ホテルに靴みがき行きません?」と勧誘された。
今日はそれほど忙しくもなかったので、誘いを受けて行ってみた。

靴磨き職人さんが手際良く(10分くらいで)磨き上げた成果が写真の姿。

この写真だとちょっとわからないけれど、新品同様の輝きとなった。自分で磨いてもここまではいかない。

ずーっと手元を観察していたのだが、たぶんマネしようと思ってもできないんだろうな、指先の力加減とか。ちなみに使っている道具は別に特別なものじゃなくてごくふつうのKIWIのクリームと刷毛と布。

これで800円とは結構お得だったので、違う靴のときにまた行ってみようと思いました。
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オマエが言うな~

2006年10月28日 14時39分49秒 | 東京の中心で、コソコソ暮らす
とつっこみたくなることがありました。

先日紹介した、高層マンションの建設現場に貼ってあった、建設業者による貼り紙です(写真をクリック)。

・・・

いやすごいですな、これ。
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自首

2006年10月18日 20時03分40秒 | 東京の中心で、コソコソ暮らす
昨夜、オフィスから家にタクシーで帰るとき、

僕「○○警察署までお願いします」

運転手「ケッ、ケッ、ケイサツショーーー!!!ですかあ?!」

僕「はい。まん前じゃなくて、ちょっと手前でいいですよ。」

運転手「は、はあ・・・」

その後も、僕が降りるまでずっとビクビク。
降りた後も、タクシーを停車させたまま、僕がどこに向かうのかじっと様子を伺っていましたとさ。

何かおかしなことでも言ったのだろうか。
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若者はなぜ3年で辞めるのか

2006年10月09日 17時40分47秒 | よみもの
若手・新入社員がすぐにやめてしまう、ということに対しては、日経新聞でもついこないだ、「若者が無責任で甘えているのだ」論を展開したばかりだが、こちらの本は視点が異なる。で、4年で都銀をやめてしまった僕としては共感する。若者側に非なしとはしないが、基本的には「無責任で甘えている」のは、会社側であり、シニア社員だ。

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来

光文社

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趣旨としては、ほとんどの問題の原因は年功序列とその矛盾の露呈にあるとするもの。いわゆる「成果主義」も年功序列の矛盾点を覆い隠す体のいい装置に過ぎないとする。ところどころ議論が甘いところもあるものの、概ね納得できる。中でも激しく同意したいのは、

「年功序列はネズミ講」
「(若い世代が)人並みの収入を得て結婚して子供を作るかわりに、社会は(シニア世代向けの)リゾートマンションや大型バイクの売上を選んだわけである」

という2点。

僕が入行直後、とある年配の銀行員が面と向かってのたまった
「僕ら世代のために、キミたち若い人たちが稼ぐんだ。がんばってくれたまえ。」
という言葉を今でも思い出すし、そうした言葉が結果的に僕が都銀をやめる決断をさせた。

もはや社会契約は破棄されたのだ。若い世代はそのことを悟っている。
先週の日経ビジネスの特集は、人材が育たないことを取り上げていたが、日本企業の中で人材が育つ絶対的な前提となる「会社と若手社員の相互の信頼」が取り返しのつかないほど毀損されていることを理解していない。

でも、不平不満言っているヒマがあったら、団塊を含めたシニア世代からいかに金を吸い取るかを考えよう。
鉛筆なぞり書き本や大人の塗り絵が売れるなんてすごいマーケットだ。画一的で単純で金を持っている絶好のターゲットだ。

最近、団塊世代の退職がテレビなどでも取り上げられている。彼らなりに大変なことはいろいろあったに違いないが、「大変なこと」の先は豊かな将来に向かっていると無邪気に信じられた「最後の幸せな世代」だったのかもしれない。それが彼らの背負う原罪でもあるのだが。
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日本は経済成長を放棄したのか

2006年10月07日 12時35分46秒 | おもに仕事上の愚痴
今週、最近さかんになっているインドへのオフショアリングやアウトソーシングについて、インド側の専門家にいろいろと話をお伺いする機会があった。

その中で感じているのは、企業価値の中でますます重要さを増している人材やITに関して、日本企業はどれだけマネジメントの能力があり、どれだけレバレッジを利かせられているのだろうかということだ。

多くの日本企業がいまだに内弁慶で、能力のある外国人を登用したり、ITを海外(インドなど)にアウトソースするということに対していまだに抵抗があるのは、実にもったいなく、残念なことだ。

この根底には、ふたつの大きな原因があると思う。
ひとつは、多くの日本企業がいまだに日本的な仕事の進め方の枠組み(日本語や、あいまいな仕事・戦略の要件定義)に固執しているということ。
ふたつめは、自社のバリューチェーンの中で競争力の源泉たるコアにあたる部分(コアコンピタンス)がどこかをはっきりと認識していないためどのように能力を調達したらいいかわかっていない会社が多いということ。そのため、目に見えるコストにフォーカスした打ち手に頼ってしまう。

別にアメリカのやり方が正しくて日本のが間違っているとか、何が何でもインドに仕事を出すべきだとは思わないが、自社の全体的なCapability(能力)を強化するために、日本企業は自ら「強化すべきコア」を認識し、必要なCapabilityが自社で獲得できなければ柔軟に外部から調達するのは真っ当な話だし、ITインフラの進化やプレイヤーの充実によって、そういったことを以前よりも容易に行えるようにはなっている。

そうしたときに、日本的な仕事の進め方が通用する日本国内に限定してしまうのは本当にもったいない。
もちろん、日本国内でうまいこと優秀な人材が採用できていて、うまいことマネジメントできているならそれはそれで結構なことだが、そうした「日本的な」マネジメントさえ満足に行えなくなっているのが現状だと思うし、仮にうまくいっているからといって、外国の人材やITリソースの活用を検討しない理由にはならない。
「国内にあえて仕事を残すことで人材を育てて日本人自身の競争力を高めている」と本当に言えるケースばかりではないだろう。

この点、先進的な韓国企業では自らの文化を変革し、インドなどで優秀な人間を引き立てることで競争力の強化につなげられているのは、注目すべきケースだ。

先日紹介した「フラット化する世界(The world is flat)」でも述べられているように、経済のグローバル化は自然の流れだし、そのために一時的に雇用調整の不利を受ける場合もあってそこは政府としての仕事としてキッチリやってもらわなければならないにしても、グローバリゼーションを敬遠することは、長期的に見て生産性の向上の機会を逃すことであり、経済成長を放棄することだ、と今日のところは結論づけておきたい。
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インドつながり

2006年10月03日 20時40分12秒 | おもに仕事上の愚痴
電車の中でインドのことにあれこれ思いをめぐらせていると、突然、銀行時代の同期とバッタリ出くわした。

ほぼ5年ぶりくらいに再会したのでその間どこでどうしていたものか、さっぱりupdateされていなかったのだが、彼は偶然にもJETROでインド~ベトナムの地域を担当しているとのこと。おかげさまで大変タイムリーで有意義な話を聞けた。

こういうタイミングというか、運というか、って大事ですね。

まわりの世界が急に芋づる式にインドつながりになっていくような気さえします。
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