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風の子広場

特別な意味はありません。近くの広場です。
考えごとをするのに最適な場所です。
エッセーを中心に書いてゆくつもりです。

小学校時代

2007-04-22 18:02:59 | 足跡
私の小学校時代は、よく遊んだの一言と言えます
ゴム管(パチンコ)、凧上げ、魚つり、ザリガニ
とり、セミとり。何か自然の中で、よく遊んだ。

ゴム管で遊んでは、よくガラスを割って、そのた
びに母親があやまりにいってもらった記憶があり
ます。小さいときに生死をさまよったこともあり
、また長男で甘やかしてもらったようです。

その反面、おとなしく、よくいじめられた記憶が
あります。またよく忘れ物をして、廊下に立たさ
れたり、家まで取りに行ったものです。成績も、
まあ普通で、格別できる子ではありませんが、小
学校高学年になると、理科と社会が得意科目にな
りました。

算数は得意科目にはなりませんでした。記憶を
試されるような科目は、興味は薄かったようです
母親は、小学校一年からの成績表を取っていてく
れました。

ただよく、マンガを読みました。テレビも見まし
た。おとなしく、一人で考え事をするタイプだっ
たようです。

小学校5年か6年のときに、奇妙な体験をしまし
た。以下次回。

 いじめられ 廊下に立たされ 泣いた日々

      くやしなつかし 遠い思いで

腎臓病

2007-04-21 17:22:56 | 足跡
私は幼稚園の頃に、腎臓病をわずらった。生死の
寸前までいったと聞いている。昭和20年代の後
半のことである。

覚えていることは、母親におかゆの味気なさに、
しょうゆかなんかを入れてくれというわがままで
あったのだろう。腎臓病には、塩分を控えめにし
なければならないのは、現代でも変わることはな
い。

でも、父と母は頑として受け付けず、味気ないお
かゆを食べたのだろう。奇跡的に近い状態で、治
癒した。これ以降は、ほとんど病気らしい病気は
していない。腎臓病も悪くなると、人工透析にな
る可能性があった。

今、生きているのは余禄かもしれない。これが、
私の経験する一回目の異常なのかも知れない。

 幼き日 病をえても 回復し

   今日生きている ことに感謝する

 


別れ

2007-04-19 18:40:55 | 足跡
多分、1歳になったばかりの時の記憶です。汽車
のなかから、必死になって手を振って誰かに別れ
を告げている記憶があります。今となっては相手
が誰かはわかりません。

多分、松江駅でのことです。今から58年も前の
話です。想像するしかありませんが、多分H子お
ばさんでしょう。昭和23年のことです。H子お
ばさんは、戦争未亡人になり、子供もありません
でした。

私はかわいがられて育ったようです。亡くなった
父から、H子おばさんにかわいがってもらったと
言う話を聞きたことがあります。

父は尋常小学校卒業で、当時の松江付近では仕事
がないので、大阪に出たようです。そこでも、思
うような仕事がなく、父は実の兄を頼って静岡に
でてきました。静岡が私の第二のふるさとです。

夜汽車の車窓から必死になって、手を振っている
記憶が、現在の自分自身の大きな思い出になって
いることは確かです。相手が誰でも、私の人生の
スタートであることに変わりがないと思っていま
す。

 幼き日 必死に手を振る 別れあり

     一期一会の 淡き出会いも

インターネットとは、小説と同じでペンネームを
使えるところがよいですね。私は、景山真という
名前を使っています。景山は母の旧姓、真は私の
名前の一字を置き換えた(左右対称になる字を選
んで)ものです。

幼い時の記憶(2)

2007-04-10 17:36:35 | 足跡
多分、一歳何ヶ月のとき、母の実家のすぐそばに
小川があり、そこでよく糸とんぼを追いかけて、
遊んだ記憶がある。3,4年前は母方の叔父さん
葬儀に出席したときに、半世紀ぶりにその川を
ながめた。

もうすでに面影はなかった。当たり前の話です。
もうすでに、コンクリートで固められてしまって
いた。映像の記憶はなかなかきえない。昭和23
年のころの話です。

私の記憶には、不思議に病院が絡んでいる。母に
実家のすぐそばには、新築したばかりの大病院が
たっていた。

 糸とんぼ 追い掛け回して 遊んだ日

     遠い昔の 思い駆け巡る


生まれは

2007-04-09 18:09:00 | 足跡
6月になると還暦になってしまう。60年を振り
返ってみようと思っています。気がついたところ
から、ゆっくり振り返ってみようと思います。

私は、何故電気工学を選んだのか、もっと良い金
になる職業があるじゃないか何回も思いました。
息子は高校2年のとき、こんなことを言いました
「電気をやりたいのだが」と。

私は、「もっといいのがあるだろう」と返事をし
ました。息子は化学を選択しました。4月から、
大学院生で、眠い目をこすりながら、がんばって
いるようです。

私は、職業がら病院に出入りすることが多かった
ので、よく小児科医に間違えられました。少なく
とも2回ありました。顔かたちが、小児科医の
雰囲気があるのでしょう。

NICU(新生児ICU)などには何回も入る
機会がありました。病気とたたかっている子供の
姿を何回も見ています。そういう経験が医者にな
れば良かったと思うようになりました。

もうやり直すことはできない。でも今度生まれ
変わったら、やっぱり医者が良いですね?