有名な船中八策で、五箇条の御誓文の元になったもので、
新しい日本を作るための政治綱領である。
竜馬のオリジナルではないが、脚色は竜馬自身だろう。
原案は、横井小楠の思想である。
土佐藩藩船夕顔丸の中で、後藤象二郎に語ったもので、
竜馬のように、明確な新しい日本像を持った者はいな
かった。竜馬が異例であったといえるだろう。
船中八策は次のように要約される。
1)大政奉還
2)議会開設
3)官制改革
4)条約改正
5)憲法制定
6)海軍設置
7)近衛師団設立
8)関税自主権
以上、八策である。
どれをとっても、斬新な政策綱領である。
竜馬は交際範囲が広く、色んな人と議論をしている。
そんな中で、自分なりに考え、思想を醸成していったもの
だろう。後はタイミングを計っていた、機会を待っていた。
「わけのわからん奴にはものはいわん」と 他藩の同志
にも、本心を言っていない。そうしないと、勤皇倒幕の
同志と言えども、斬られる恐れもあった。
後藤象二郎は船中八策を山内容堂に述べるや、容堂は
「今日、天下を救う策はそれしかない。それを藩論と
するぞ」と狂喜した。
当時は「日本人」という言葉はなかった。みんな○○藩
の域をでていない。竜馬だけが「日本」のために行動し
ていたのかも知れない。
五ヶ条の御誓文が宣布されたのは、竜馬の暗殺後のこと
で、1,968年(慶応4年)のことである。竜馬はつねずね
いっていることだが、仕事は80%は自分でやり、残りの
20%は人に任せてしまい、人にその功を譲る。五ヶ条の
御誓文もくしくも、そのとおりになってしまった。
次回予告 板垣退助