かやのなか

あれやこれやと考える

ルーティン

2022-01-13 01:18:50 | 日々のこと
暗くなるころ帰路につき、最寄駅の隣のスーパーで夕飯の買い出しをして、家に着く時間はもう真っ暗。家に着いたらキッチンの机に食料を置いて、コートを取り替え、再び寒空に飛び出し一時間から二時間の散歩。終わったら夕飯の支度をして、食べるのは十時過ぎ。今夜は洗濯物も溜まっていたので洗濯機を回す。風呂に入り、出たらもう日付が変わっていた。
風呂は毎日たっぷり水を張った湯船に浸かる。土日は昼間から風呂に入る日もある。風呂は夕飯やパフェと並ぶ、自分へのご褒美という扱い。今夜はコンビニで買った百五十円の紫色のバスロマンを投入してみた。肌が弱く、何度か浸かると痒みが出てくるので滅多にやらないが、その懸念よりも温まりたい欲が勝った。
散歩中は、友人のスタンドエフエムのチャンネル放送を聴いていた。彼は何と毎日配信をこなす化け物で、去年の秋に始めてほとんど休みなしで一日一本の7分番組をアップし続けている。1ヶ月以上続けているだけあって、どんどん喋りが上手くなっている。自分は喋るのが下手だし、思っていることを口に出すのも苦手だ。なのに触発されて、ちょっと配信をやってみたくなっている。これといって喋れるようなトピックを特に持ち合わせていないのが問題だ。毎日ほとんど同じルーティンをこなしている。何かにつけて、こなしている、と感じ始めたら要注意だ。今朝観測したTwitterによると、人生は30歳で終わりらしい。そんな事を言われても、私は欲張りに余生も満喫したい。

三連休

2022-01-11 02:08:00 | 映画
正月休みにあまり身体を休められなかったので、三連休初日の土曜日は怠惰に寝て過ごす。U-NEXTで二十年ぶりに初代マトリックスを再生し、その色褪せなさに驚く。とにかく構図がどこを切ってもカッコいい。ネオのイナバウワーポーズなどの一部笑えるところも含めて、毎秒にオリジナリティというか、新しいものを見せてやろうという気概が画に漲っている。勢い、夜は新作のレザレクションを日比谷か亀有のレイトショーで観るという選択肢もあったが感染者数の上がり方をみて流石に自重。

日曜日月曜日で短めの海外ドラマ2作品をマラソン感覚で観る。遅めの正月休みという事でホワイトベルクで一人乾杯。
セブンサイコパスやゾンビランドに出ていて好きだった役者ウディハレルソンと、プロデュース側に立ちながら自らも主演しているマシューマコノヒー*による「トゥルーディテクティブ」、見応えはあるものの全8話はちと長すぎると感じた。冗長な台詞を削って半分の長さにすれば締まって良かったかも。しかしアメリカの犯罪ドラマにありがちなテーマである悪魔信仰、いつまで経っても怖さがピンと来ない。信者は怖いけど、信仰の発想が体感的にわからないので勿体無いと感じる。透明な壁がある。「バリー」は全く前情報なく期待値がゼロだったせいか面白かった。とりあえずシーズン1は。受動的な性格の殺し屋の青年が、仕事先で偶然演劇と出会い、役者になるため暗殺から足を洗おうと四苦八苦するも、どんどん事態が悪くなっていくブラックコメディ。殺し屋の青年が恋に落ちてしまうヒロインの性格が実はそれほど良くない所が笑ってしまう。演劇の稽古場の雰囲気は万国共通らしい。いや、日本が輸入してるのか。
堪えきれず日曜夜、テアトル新宿でドライブマイカーを鑑賞。海外の賞レースを席巻しているせいか、座席は九割埋まっていた。春樹の描く「妻」、絶対夫を残して消えるし絶対ベッドでよく喋るし絶対浮気をしている典型的な春樹の妻が登場する前半は、うへぇ、という気持ちが先行した。文字で読むとそこまで気にならないが、映像化によって破壊力抜群の最終兵器細君が誕生していた。この女の一体何が、どこが良いんだ西島秀俊と岡田将生と小一時間問いたい。西島秀俊と岡田将生もまぁまぁキワモノなので案外破れ鍋にとじ蓋なのか。と一応突っ込みはするが、台詞にも展開にも沢山の隠喩が散りばめられ、一方で冒頭から終始ホラー映画のような緊張感が漂い、三時間の長丁場もほぼ飽きずに見られる。展開は全然違うがゴーンガールを思い出した。終盤の岡田将生の長台詞は聞かせる力があり、村上春樹の文章がそのまま喋っているかのようだった。
書き忘れたが、七草粥は六日に食材を購入し九日の朝に調理して食べた。土鍋でコンロにかけたら吹きこぼれたが上手に出来た。

*ウディハレルソンとマシューマコノヒーの名前を逆にしていたので訂正しました。。1/11

エリックマコーマックの世界

2022-01-07 00:41:00 | 
年末から年始にかけて、エリックマコーマックの「隠し部屋を査察して」という短編集を読み進めている。文学フリマで教えてもらうまで知らなかったが、ハヤカワの異色作家短編集にも名を連ねる作家で、SFとホラーと猟奇と幻想の入り混じった奇妙な物語ばかりを書いている。Twitterで誰かが「一話一話が重いので一日に二話が限度」と書いていたが正しくその通りで、短い話でも鉛のような読後感を覚えるのでなかなか次の頁をめくる指が動かない。しかし、決意してひとたびめくってしまえば、続きが気になって次から次へとめくってしまう。そんな中毒性をもつ変な作家だ。
他の特徴といえば、何と言っても人の肉体を痛めつける描写のえげつなさだろう。どの短編でも肉体を損壊するシーンが突如として現れ、しかも無口な料理人が正確に魚の臓腑を切り分けるように淡々と行われるため、我々読者は怖がったり気持ち悪いと思ったりするのを忘れて、ぽかんと口をあけて目の前の光景を目に焼き付けるしかない。そして料理人は使い終わった包丁を水で綺麗に洗い流して流しにカタン、と戻す音まで聞こえて、やっと我に帰り、口を閉じる。見つめる先には自分の手を布巾で拭うマコーマックがいる。そんな光景が浮かんできそうな静寂な筆致だ。
私はどちらかというと、肉体はさておいて精神を追い詰める系の物語に触れる方が多かったが、この短編集によって、どうやら肉体を痛めつけられるのも精神と同等かそれ以上に辛そうだ、ということを発見している。
まだ半分しか読めていないが、週末にラストまで行きたい。区の図書館の返却期限は既に一週間超過している。

2022年始動

2022-01-05 00:15:27 | 日々のこと
明けましておめでとうございます。
去年はあまり更新できなかったけど、今年はまめに書いていこうと思います。

正月は1年半ぶりに帰省して久しぶりに故郷の空気を吸った。長く離れていたために、変わっていたことも多くあり、普段暮らしている都会と故郷である田舎の、時間の流れ方の違いというものを今回は強く意識させられた。というのも、身の回りの草木に川の流れ、雲の色、父母の顔の皺や白髪など、ふるさとではすべてがゆっくりと変化していく大きな大河の流れの中にあって、無意識に自分もその一部なのだと感じて安心感を覚えた。こんな感覚は初めてだ。亡くなった人も新たに生まれた人もいて、その知らせを「ああ、そうなの」と自然に受け止められる自分が、普段東京にいる自分とは別人のような気がした。東京では、変化していくのは自分の体だけであるかのような錯覚を覚える。だからとても不安になる。職場が大学なので、毎年新しい若い人間が入ってきて、少し年を重ねた人は数年で出ていくので、一緒に年をとることができる人が限られている。街もそうで、河川敷はあるものの整備が行き届いているので、ものが少しずつくたびれていったり、新たに芽吹いたりする様子は見て取りにくい。注意してはいるけども。老朽化した一軒家はすぐに取り壊されて新しいマンションが建つ。自分はまだ、老朽化した一軒家みたいになりたくない、と気を張りながら生活しているのかもしれない。あまり意識していなかったけど。
まだこちらに帰ってきて二日目だからふるさとで抱いた気持ちを自分の中に保っていられるけど、数日、数十日と経つにつれて、空中に散っていってしまうんじゃないかと思う。そうならないためには、やっぱり毎日何か書き続けた方が良いのじゃないかと思うのでありました。
今年もよろしくお願いします。