かやのなか

あれやこれやと考える

ハピネス教教祖の誕生

2022-01-24 00:22:00 | 日々のこと
去年の秋から冬にかけて、謎の頭痛とめまい、焼けるような手の痺れ、食後の動悸、目の奥のひどい疲れ、肩こり、みたいな症状が交互に現れる時期があった。内科や脳神経外科なんかにもかかって検査をしてもらったけど原因不明で、そのうち本格的な冬の訪れと共に症状は落ち着き、あれはいわゆる自律神経失調症というやつだったのかな、と振り返っていたのだが、土曜日にふと気になって眼科に行ってみた。目の奥の疲れはもうなくなっていたのだが、あの頃以来視力が一段下がったような気がしていて、メガネの新調の相談くらいしておこうかなと思ったのだ。
行ってから知ったのだが、Google MAPの口コミが近所で一番高いからという安直な理由で選んだその病院は、初診の患者には一通りの眼科検診をやってくれる。検査の結果、メガネは今のもので問題なし、老眼も始まりかけてるけどまだ老眼鏡作るほどじゃない、まぁあと二、三年でがくっと進行するものだからそのときにメガネは変えれば?というくらいで、あとはドライアイがひどいので目薬差しなさいと。それで無事に終わるのかなと思いきや、先生が口調を変えて、「それで、ちょっとね、カヤングさん、気になることがあるんですよ」とカラフルな画像を見せられる。眼球を三次元で切った図で、それによると視神経の層が通常よりかなり薄くなっているらしい。「緑内障の所見なんですよ」ときて、頭が真っ白になる。友人が罹患しているので多少の知識はあった。いずれ失明する不治の病ではないか。明らかに落ち込む私に「そんな落ち込まなくていいですよ。まだ決まったわけじゃないんで、二週間以内に視野検査しましょう」ということで再検査になった。
帰り道、自分がいずれ失明する可能性があるのかと思うとまた落ちこんだ。だが、変な話で私の視神経はもうずっと前から薄かった。今朝、たまたまそれを知っただけで、現実そのものは何も変わっていない地続きだ。それに、人間老いていくのは止められないのに。
自分は子供の頃から変化が苦手で、身近な人が老いたり亡くなったりするのは嫌だし、自分がそうなるのはもっと嫌だったりする。心地よい環境にいるときは特に、今が一生、いつまでも続けば良いのに、と子供のように望む気持ちを捨てる事ができない。
自覚がないので、暇さえあれば片目ずつパチパチ閉じたり開けたりして、視野を確認してしまう。より薄い左目の右上の方に、何だか暗い線が入っているように感じてくる。もし緑内障だったら何か生活面で気をつけないといけないことはありますか、と先生に聞いたら(そのときの自分は絶望の表情をしていたと思う)カヤングさんはタバコも吸わないので、まぁストレスを溜めない事ですかね、と言われたので、こうやって気にしすぎたりするのは逆効果なんだろう。
それでもせめてもの精神的安らぎを得たいので、ネットサーフィンで著名人から一般人までの色んな人の闘病の記録を読んだりして、へぇあの人も、あらこの人も、と知るうちに、大騒ぎする自分がだいぶ滑稽に思えてきた。
「愛がなんだ」の今泉力哉監督の、自叙伝じゃないかと思える筆致の連載小説
でも出てきて、この主人公ほどに達観した気持ちになれれば良いなと思ったが、なかなか難しい。それでも少しは気持ちが落ち着いた。常に今日が一番若いのだ、という気持ちを忘れずにいたい。とやせ我慢で人に言ったら「ハピネス教の教祖みたい」と評された。