かやのなか

あれやこれやと考える

散歩

2022-01-29 23:55:37 | 日々のこと
河原を散歩していると様々な人とすれ違う。
小学生の3人兄弟らしき子供たちが、土手の上と下の二手に分かれて、キャッチボールをしていた。一級河川なので、土手の幅も二、三十メートルある。私は、やれやれ届くわけないだろうに、小学生らしい無茶をするな、と大人の上から目線で様子を見ていたが、彼が腕を大きくふりかぶると、ボールは驚くほどきれいな放物線を描いて、ほとんど相手に届きそうな惜しいところに落ちた。これは遠投のテクニックじゃないか。いわゆる、あの遠投というやつ。野球部なら誰もが取得している、振りかぶった腕の振りをはるかに凌駕する不自然な高さの放物線を描く投球法。わたしは数秒前の己を恥じた。何事も自分の基準で考えてはいけない。
その後、河川敷を南の方に数百メートルほど歩いて戻ってくると、3兄弟は乾いた河原で両親らしき大人2人と5人で草野球をしていた。その向こうの、石畳でベンチがところどころ置いてある広場に、初老の男性が一人でやってきた。河の手前で立ち止まり、何やら手を合わせて拝むような姿勢をしているようにみえる。なんだろう、と思って少し近づいてみると、どうも歌が聞こえてくる。葬式で聞く御詠歌みたいだ。誰かのお弔いだろうか。ちょうど夕日が沈む時間で、空の端はオレンジ色に染まりかけていた。お弔いには最適な空間だ。いや、まだそうと決まったわけではないけど。こういうとき、決してわたしの原体験に御詠歌が深く刻み込まれているわけではないのに、なぜか懐かしい気持ちになるのはなぜだろう。先祖代々のDNAに刻み込まれていると言われた方がまだ納得できるのだが。などと考えているうちに、歌声がぴたっと止む。はっとして見やると、歌っていた人が踵を返し、余韻も残さずスタスタと帰ってゆくところだった。余韻にとらわれたのは私だけらしい。