かやのなか

あれやこれやと考える

春分の日

2017-03-20 20:39:18 | 
三連休でしたが、相も変わらずどこにも行かずに過ごした。
といっても、家にこもりきりというわけではなく、お買い物したり気になってた喫茶店にお茶しに行ったりだの、それなりにプラプラした。

日曜の夜に立ち寄った喫茶店は、花遊小路さらさ。京都界隈で有名なコーヒー屋の系列?だと何年か前に聞いていた店で、場所はチェック済だったのですが特に訪れる機会がなく、今回近くを通ったとき存在を思い出したので訪問。(食べログの、いらない1行目みたいな書き出し)
狭い入口にも関わらず、中はひろびろで非常に盛況だった。特に若い女性から。観光客も多いように見えたが、雑誌で紹介でもされたんだろうか。1時間だけという条件つきで席に案内され、タイ風うどんとコーヒーとかぼちゃケーキをよばれる。うどん美味しかった。ケーキで腹いっぱいになってちょうど一時間。こんな連休のど真ん中でなく、平日の夜とか来たら居心地良さそうだった。

月曜日は昼ごはんを自炊したのち、近所のドトールに赴く。六人がけのテーブルの真ん中にガラスのしきりが設けられ、三対三の対面で座るタイプの席の、真ん中に座ると、右隣に就活生と思しき若い女性が座る。パソコンを開いて履歴書かなにかの下書きを始めるも、とちゅう電話がかかってきて、その場で喋りだす。相手はサークルの先輩かなにか。左隣は若い男性で、こっちもパソコンを開いてずっとTwitterやってる。ガラスの衝立を挟んだ向こう側には、ヘッドホンをつけた外国人の兄さんが何事かを手帳に書きつけている。

連休前の金曜日の夜は、疲れもあって、三連休で突発的に雨晴海岸か山中温泉かにでも行きたいなーなどととりとめもなく夢想していたりしたものだが、遠出したところで見出すものはこの就活生や外国人の兄さんなんだろうと思うと、結局目的がはっきりした旅行でないと、どこに行っても自分は同じようなものを見つけてしまうんじゃないかと思った。
近所のドトールで楽しめるのもいいけど、ある意味視点が固定化しているので。それってあまりおもしろくないかも。

5時くらいに切り上げて、徒歩3分の自宅に戻る。米と味噌汁と、新じゃがで作ったサラダと塩鮭の焼いたの。朝ごはんのような夜ごはんを食べて、さっさと風呂に入って、今これを書いている。

その道を

2017-03-20 00:32:38 | 日々のこと
歩いていけば必ず谷底に落ちて死ぬよ、とわかっている道を、人は(私は)なぜ選んでしまうのか。
なんてことを今日は考えていましたが、そもそもどの道を歩いて行っても必ずどこかで終わるしなぁと。
普通に生きていると忘れてしまいがちですが、人には寿命というものがあるので。

知り合いへのプレゼントを探しに本屋に寄ったところ、「今日で世界が終わると思って生きれば人生が変わる」なんてタイトルの本が平積みされていましたが、今日で終わると意気込んでも世界はなかなか終わらないところが問題なんじゃないかと思います。1999年をあっけなく通り過ぎた我々に怖いものはないはずだったのに。
今日で世界が終わる!がんばろう!あっ終わらなかった!じゃあ今日もまたがんばろう!・・と、短距離走を小刻みに繰り返すような人生は、果たしていつまで心臓が持つんだろうか? 私は飽き性かつ心配性なので、もしこの本に感銘を受けて一念発起したとしても、毎日毎朝一念発起することにたぶん一週間ほどで疲れちゃって、やーめた、となる。やーめた、でも世界は変わらない。終わらない。なんだ、じゃあ何もしなくてよかったじゃん。そして日常へ。

あまのじゃくなので、日常の素晴らしさを描いた漫画や小説やらが世間でもてはやされていると、「はぁ、日常ってそんなに素晴らしいですか?」と言いたくなります。
くだらない日常を大事にしようぜ、その主張には「そうですね」なんですが、そういうものが溢れだすと、なんだか臭いもの(現実)に”日常”で蓋をしているような必死さを嗅ぎ取ってしまって、どうも素直に受け入れられません。日常教とでもいうんでしょうか。ある種の宗教にみえます。

しかし、現実があまりに複雑怪奇であるがゆえに「虚構の世界では単純で平穏な日常を楽しみたい」と願う気持ちも、実はわからなくもない。といっても最近ようやくわかるようになってきたのですが、明らかに年をとったせいだと思います。
ドラマに出てくる、一人暮らしの大学生や会社員の部屋。あんなにきれいなわけがねーよ!いつ掃除してんだ!それにもてない設定の主人公とヒロイン、もてるだろ!スタイルも顔もめちゃくちゃいいわ!リアリティなし・・などとプンスカしていたあの頃の私はまだ若かっただけです。今なら「仕事から帰ってきてやれやれと一息ついてソファに転がってテレビつけたら自分の部屋と同じようなゴミゴミした小汚い部屋で冴えない男とさえない女が好きだの嫌いだのやってるの見せられるとか勘弁してくれ」という心境がわかります。そうか、トレンディなドラマは夢なんだ。と。徹底的に虚構であるべきなんだ。と。祖母が来る日も来る日も再放送の水戸黄門を見ていた心境に近づいているのかもしれません。
思えばあの祖母の日常も、一見穏やかではありましたが、客観的に見れば良いのか悪いのか、どちらかというとあまり良くなかったのではないかと思いますが、かわいい絵で四コマにしてしまえばゆるくまったりした日常マンガになってしまうかもしれません。

軽く日記を再開しようと思ったのに、まったく今日のことを書けていないな、しかし。