かやのなか

あれやこれやと考える

その道を

2017-03-20 00:32:38 | 日々のこと
歩いていけば必ず谷底に落ちて死ぬよ、とわかっている道を、人は(私は)なぜ選んでしまうのか。
なんてことを今日は考えていましたが、そもそもどの道を歩いて行っても必ずどこかで終わるしなぁと。
普通に生きていると忘れてしまいがちですが、人には寿命というものがあるので。

知り合いへのプレゼントを探しに本屋に寄ったところ、「今日で世界が終わると思って生きれば人生が変わる」なんてタイトルの本が平積みされていましたが、今日で終わると意気込んでも世界はなかなか終わらないところが問題なんじゃないかと思います。1999年をあっけなく通り過ぎた我々に怖いものはないはずだったのに。
今日で世界が終わる!がんばろう!あっ終わらなかった!じゃあ今日もまたがんばろう!・・と、短距離走を小刻みに繰り返すような人生は、果たしていつまで心臓が持つんだろうか? 私は飽き性かつ心配性なので、もしこの本に感銘を受けて一念発起したとしても、毎日毎朝一念発起することにたぶん一週間ほどで疲れちゃって、やーめた、となる。やーめた、でも世界は変わらない。終わらない。なんだ、じゃあ何もしなくてよかったじゃん。そして日常へ。

あまのじゃくなので、日常の素晴らしさを描いた漫画や小説やらが世間でもてはやされていると、「はぁ、日常ってそんなに素晴らしいですか?」と言いたくなります。
くだらない日常を大事にしようぜ、その主張には「そうですね」なんですが、そういうものが溢れだすと、なんだか臭いもの(現実)に”日常”で蓋をしているような必死さを嗅ぎ取ってしまって、どうも素直に受け入れられません。日常教とでもいうんでしょうか。ある種の宗教にみえます。

しかし、現実があまりに複雑怪奇であるがゆえに「虚構の世界では単純で平穏な日常を楽しみたい」と願う気持ちも、実はわからなくもない。といっても最近ようやくわかるようになってきたのですが、明らかに年をとったせいだと思います。
ドラマに出てくる、一人暮らしの大学生や会社員の部屋。あんなにきれいなわけがねーよ!いつ掃除してんだ!それにもてない設定の主人公とヒロイン、もてるだろ!スタイルも顔もめちゃくちゃいいわ!リアリティなし・・などとプンスカしていたあの頃の私はまだ若かっただけです。今なら「仕事から帰ってきてやれやれと一息ついてソファに転がってテレビつけたら自分の部屋と同じようなゴミゴミした小汚い部屋で冴えない男とさえない女が好きだの嫌いだのやってるの見せられるとか勘弁してくれ」という心境がわかります。そうか、トレンディなドラマは夢なんだ。と。徹底的に虚構であるべきなんだ。と。祖母が来る日も来る日も再放送の水戸黄門を見ていた心境に近づいているのかもしれません。
思えばあの祖母の日常も、一見穏やかではありましたが、客観的に見れば良いのか悪いのか、どちらかというとあまり良くなかったのではないかと思いますが、かわいい絵で四コマにしてしまえばゆるくまったりした日常マンガになってしまうかもしれません。

軽く日記を再開しようと思ったのに、まったく今日のことを書けていないな、しかし。

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