かやのなか

あれやこれやと考える

三度目の殺人

2019-09-06 01:52:13 | 
 是枝監督作品の「三度目の殺人」を鑑賞。役所広司主演、かと思いきや助演で、福山雅治の方が主演らしい。ヒロインは広瀬すず。是枝作品は「万引き家族」に続き二作目。万引き家族に感じた、リアリティと寓話が奇妙に融合した空気感は健在で、どうやらこの監督の作家性らしい。寓話なのでセリフは直球どストレートを突いてくるスタイルで、セリフの重さでキャラクターが死ぬんじゃないかと勝手に心配になるところだが、その処理が上手くて、ギリギリ不自然にならないところでキャラクターに馴染んでいる。それでも最後は、寓話的な物語の側に比重が寄りすぎてしまって、リアリティがもったいないことになってしまったように思えたが、これは万引き家族のラストでもそうだった。私はあまり好まないが、気にならない人もいるだろうし、むしろこれが好きな観客も多いだろう。
 ある葛藤に対して、全員が観ないフリを決め込んだまま人をさばく、それが日本らしさかもしれない。でもそうはいってもあんた、人が死んでるんやでぇ!(田中邦衛?)福山雅治の最後のセリフでこの映画を完全に救いきれたかというと、怪しいところがあり、人が死んでいるのに、問題提起で終わってしまった感がある。そのおかげで広瀬すずのキャラクターが人間離れしているわけで、彼女はもっと人間らしくて良かったんじゃないかと思う。もちろんその場合、映画はこの結末を迎えないだろうが。また、作家性そのものの評価とは別の次元の話として、全体的に古さを感じたのは、令和になったからだろうか。

バードマンの雑な感想

2016-05-02 22:58:39 | 
バードマンを見たので感想。

テーマ的には特に目新しさは感じなかった。シークエンスの畳み掛け方は面白かった。バードマンが初日前のここぞという場面でしか出て来ない、あの出し惜しみ感は良かったし、その後の戦闘シーンも要点だけ見せてすぐ終っちゃうのがよかった。
だから全体的には面白かったんだけども、途中、「?」が浮かんで仕方なかったのが、Twitterとかyoutubeとかネット関連の台詞のシーン。いくつか感想ブログとか批評サイトとか回ってみた感じあんまり違和感を感じてるような人がいなかったけど、スマホ依存症やネット依存症の人間が登場人物に一人もいない健全でアナログな世界観において、ときどき唐突に出てくる「みんなRT数を伸ばしたいのよ!」とか「何万回再生よ!」みたいな台詞に、びっくりするというか思わず「そうですね、21世紀ですね」と画面に言い返したくなった。主人公が文明の利器に触るのって冒頭でのMacBookProだけだし、なんならそれ関連を一手に引き受けても良さそうなドラッグ娘は、トイレットペーパーに地球の歴史をペンで刻むという筋金入りのアナログ人間。要所要所でしかスマホに触らないので絶対に依存症ではない。むしろスマートに使いこなしていそう。
プレビューのシーン、基本的にスマホやyoutube世代じゃなさそうな白髪のジジババが客席に並んでるのが映っているけど、話の設定上彼らはわりとミーハーなはずなのに、と思うとこれも違和感。ただし、この点はわかりません。ブロードウェイの平常時の客層を知らないので。
初日の一幕目がはけたあとの幕間で客が劇場の外に出てくるシーンでは、誰もケータイやスマホいじったりせず「やはり彼は素晴らしい」とか「こんなにできるなんて思わなかったわ」とか口々に直接言葉に出して主人公を褒め称えるのですが、それ自体はまぁいいんだけど、誰か感想をTwitterに書き込んだらいいのに、スタッフもそれチェックして感想RT合戦とかしたらいいのに、とか思えてしまって。いや、やらなくてもいいんだけど、しないんだったら、なんならネット関連の台詞はごっそり削っても良かったんじゃないかってくらいです。スマホもネットも登場人物の扱う小道具として出て来ないというストイックな設定のもとに本筋の話は進んでいくし、なのにときどき思い出したように「再生数が!」とか言い出す登場人物がどこの時代を生きている人なのかよくわからないのです。愛されたい=認められたい=ほめられたい=ここにいたい、みたいな欲求との闘いは、普遍的なものですし、ネット関連を全削りしても今回伝えようとしていた部分までは伝わったんじゃないかと思います。
しかし結局、プレビュー公演の記事や、批評家のコラムが乗る新聞の影響力が一番(主人公の中でも)高かった。つまり今も昔も新聞が一番、アナログバンザイ、古典最高、血で血を洗え、とハリウッドは言いたいのか。

最近みた芝居の感想

2015-12-26 16:38:04 | 
秋から冬にかけて京都(一つは大阪)でみた小劇場のお芝居の感想など。
なんとなく時系列に並べたつもりですが間違っていたらすみません。



・ソノノチ/6人の「これからの宇」@スペースイサン
ハートフルでファンタジーな体を装っているが、設定の暗さと女性らしい情感にぞっとした。
セリフに散りばめられた天文学用語や知識が、雰囲気がいいという理由だけで使われているような感じがあり、積み上がるほどに散漫になっていく感じがあった。


・正直者の会.lab/ともし火が 炎となって 魔女を焼く@アトリエ劇研
とある団地で魔女と呼ばれた女の話。
主人公の少女がふてぶてしすぎて、むしろそっちが魔女に見えてしまった。
なんとなく全体的になまぬるい。効果がよくわからないものが沢山あった。


・何色何番/あたし≒あたし@人間座
夢見る女子(三十代)の頭の中を擬人化した話。
骨組みがシンプルでわかりやすい。
意味のない女子トーク、意味のない仕事、少女漫画を揶揄した自嘲気味のコントも面白い。
しかしヒステリーと自己弁護に終始するクライマックスは嫌だった。ハリセンが欲しかった。
すすり泣きが聞こえたが、客もここで泣いてどうするのかと思った。


・劇団925/家族の家族@independent theatre 1st
大阪の劇場にて。家族の物語二本立て。
1本目は戦後の空気を残したちょっと昔の日本の家庭が舞台。
にも関わらず役者の化粧と髪が中途半端に現代風で雰囲気が作りきられていない。
2本目が未来が舞台の軽めの話で、役者が兼ねているからという理由だろうけど、1本目はテキストが重い。
そのため、役者さんの発するセリフはやたら重いが存在感は軽い、みたいな変なバランスで粛々と舞台が進んだ。
全体に役者のお芝居が丁寧で好感。


・人間座/最果ての地よりさらに遠く@人間座
海外ものの翻訳。
実話が元になっているとあったので、観劇後に色々調べた。おもにwikiでですが。
島民が子殺しの罪に苦しんでいるシーンをみながら、ふと項羽から逃げ切るために自分の子供を馬車から投げ落とした劉邦のことを思い出す。
作る方も見る方も、翻訳調に引きずられてしまうと安易に異国趣味的になりがちだが、日本に置き換えたらどうなるかなと思いながら見た。



・あごうさとし/バベルの塔Ⅱ@アトリエ劇研
無人劇。あるのは役者の声と残像とテキストの文字情報のみ。
そもそもなんでこんな演劇を作っているんだろう。
客席と舞台のしきいが構造的にとっぱらわれてしまっているため、空間から客観性が一旦排除されて客は主体的に観劇せざるを得なくなり、その結果客は自然と自分の中の客観性とは何かを問い直さざるを得なくなる・・・ということのような気がするが自分で言ってて野暮ったい。
役者を情報という部品に解体して再度組み上げていく作業は、バベルの塔の建築に似ている。できあがったそこに生身の人間は生きていない感じはする。そういうことなんだろうか。
もっとこ難しく考えなければならない圧力を感じて嫌だ。逃げたい。
おしゃれな装置なのにラストの音楽のセンスが突然十年古い感じがした。


番外編:片山九郎右衛門/能「通盛」+狂言@観世会館
観世会館の一番前の席で能をみる。人生二回目。
前回は雰囲気しか楽しめなかった。
今回は、人の顔より明らかに小さい能面が、徐々に本当の顔に見えてきた。



並べてみるとなんやかんやで結構観てますね。
今年はもう多分みません。