かやのなか

あれやこれやと考える

中野の小劇場と架空の女たち

2021-10-13 11:24:22 | 
先々週の土曜日は中野の小劇場で観劇、先週の土曜日は上野で007の新作を鑑賞、合間の平日に海外ドラマのkilling eveをシーズン1から3まで一気見した暇人。
中野の観劇は、桃唄309という劇団の定期イベントに、知人が作演出主演で参加していたので見に行った。都内の小劇場は今まで数えるほどしか経験していないが、あまり居心地のいい思いをしたことがなかった。内輪のノリが濃すぎるとか悪い意味でこなれて緊張感がないとかで、この2年ほど足が遠のいていたのはコロナのせいだけでもなさそう。しかし今回の舞台は、劇の内容とはあまり関係ない部分の話だけど、劇場の雰囲気がまぁまぁ外向けに開かれていて、かつ常連さんにもサービスを忘れないといった良い意味でのこなれた感があり、肩身が狭く感じずに済んだ。長く活動を続けている劇団ならではの余裕かもしれない。
内容の話。劇作家協会の講義に呼ばれていた講師が主催の劇団だったが、なるほどこういった芝居を書くのかーと思った。2本観たが2本とも女性キャラが妄想の権化として登場する。作者のミューズ的なものがありそう。1本目である村の守り神として登場した彼女は、セリフを発した瞬間に神秘性が薄れてしまったので、喋らない役でも良かったんじゃなかろうかと思った。(喋らない女を登場させがちな私がいうのも何だが)でもあんまり大した話もしてなかった気がするし。2本目の駅前に佇む彼女は、ちょっと気の強そうな感じが果たして役に合っていたのか不明だけど、この気の強そうで謎めいている、という合わせ技がポイントなのかもしれない。知人の2人芝居は技のデパート舞の海といった演目だった。本人が急遽出演することになったらしいので難しい面も多かったろうが、もうちょっと丁寧に作ったらコントでなくお芝居になったろうなと思った。こりゃ負けてられないなという感じ。
007の詳しい感想は某所に書くとして、脚本にkilling eveの脚本家が入っていると後で知って驚いた。直前にドラマを履修していたのはもちろんただの偶然だ。この女性脚本家、日本でいうと根本宗子みたいな存在で合ってますか。killing eveは主要登場人物がほぼ女のドラマ。でも女バンザイ女最強ドラマではなく、みんな自己中だしワガママだし気まぐれだし利己的だし、女なら「わかる〜」の詰め合わせで、聖女は一人も出てこない。そのため劇中でワガママ炸裂させた場合は相応に痛い目にあうし救済もない。なんなら泣きっ面にハチみたいな目にもあう。そのへんのバランスがとても良くて、誰が作ってるの、え? 36歳の女が書いたのこれ?と戦慄していたら、007にもちゃっかり名前が乗っていて、やっぱりこっちの映画でも女の描かれ方がいい。印象に残ったのが(ネタバレします)、マドレーヌに対してサフィンが「お前は勝手に彼の子供を生んだだろ」と言ったセリフ。マドレーヌはボンドに誤解されて別れることになり、子供を宿したことも告げられなかったわけで、このまま彼女を不遇&健気ポジションに置いたまま穏便に映画を終えることもできたろうが、そうはいっても女のマドレーヌにも結局打算というか利己的な部分があったわけで、それを本編の中でしっかりセリフとして出してたのでうまいなぁと思った。架空の女性を描くときは、その子が脇毛を剃っているところを想像できるように、てなところだろうか。
killing eveはシーズン1が最高に面白くて2が次点、3はまぁまぁ。ヴィラネルがトカゲみたいに何考えてるかわからん時代がやっぱり良かった。まぁ、人間らしい彼女も魅力的ではありますが。

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