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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

科挙 3/3  

2021-05-27 17:59:01 | 文化

 

>その結果、19世紀後半、清は欧米列強の軍門に下ることになってしまったのです。>科挙が廃止されたのは、日清戦争に敗れて約10年後の20世紀初頭です。>清朝末期の権力者、西太后の決定によるものでした。>西太后は歴史上、必ずしも称賛される存在ではありませんが、この意思決定については、評価は高いようです。

 

科挙がなくなって良かったですね。でも、中国は中原の鹿を追う伝統的な覇者の国である。覇者の物語は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。これは皇帝の時代も国家主席の時代も漢民族のメンタリティが同じであるから変わらない。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。独断専行に陥りやすい。漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。  

中華 (ちゅうか):  [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる]    東夷 (とうい)  [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した]     南蛮 (なんばん)  [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 西戎 (せいじゅう)  [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。北てき (ほくてき)  [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。        

 

>科挙の廃止を西太后に提案した康有為は、「科挙のない日本にも優秀な人は多い」と言ったとされています。 

 

試験地獄のない英米にも優秀な人は多いと日本人が言うようなものですね。   

 

>こうして科挙は1300年超の歴史に幕を下ろしたのです。>しかし、その影響は、いまでも日本の大学入試や公務員試験に残っていることは皆さんご存知の通りです。  

 

時代遅れの代物を処分する方法が我々日本人の問題になりますね。    

 

>それがいつどのように変わるのかは興味深いところです。

 

他人ごとではない。即刻その解決法を我々自身が明らかにする責任がありますね。ところが 日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。急ぐ必要のあるところで急ぐことができないもどかしさ。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。戦時中は玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)     

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)      

 

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科挙 2/3  

2021-05-27 17:41:24 | 文化

 

>趣が変わったのは明(1368年-1644年)の時代です。>この頃になると朱子学の影響が強くなり、出題範囲は四書五行(論語、孟子、大学、中庸、易経、詩経、書経、礼記、春秋)に限定されます。>ひたすらこれを暗記したものが科挙に合格するようになったのです。

 

古典の内容だけでは、官僚は実社会の要求には答えられないでしょうね。   

 

>では、どのような人間が科挙に合格するかというと、記憶力が良く、親がお金持ちで、子どものころからひたすら科挙合格に時間を使った人間です。>時代によって制度も変わるのですが、科挙にはいくつかのステップがあり、概ね30代後半で最終試験に合格するというのが、合格者の一般的なパターンでした。>子供のころからカウントすると、30年以上ひたすら科挙合格に向けて頑張った人間が合格するわけです。>合格できない人間は、60歳、70歳まで試験を受け続けたとも言われます。  

 

年齢制限のない自由競争でしたね。    

 

>一族からの期待があまりに高かったため、期待に応えられずに発狂したり自死を選んだりした人間も多かったと言います。  

 

受験勉強の悲劇ですね。生きるためには期待に応えない勇気が必要ですね。      

 

>しかし、ひたすら儒学関連の古典を記憶した人間が実務者として優秀かと言えばそんなことはないのは容易に想像がつきます。  

 

そうですね。天下の秀才が実務者として適任かどうかということですからね。   

 

>実際、明代では、科挙に合格したからといって、実務者としては必ずしも優秀ではない人間が数多くいたようです。>それでも明の政治がそれなりに回った背景としては、そうした官僚の限界を補う一群の存在がありました。>それは宦官です。

 

宦官は去勢された男性ですね。去勢は牧畜民族の家畜飼育法に関する一つの大切な技術ですね。それを人間に応用したのでしょう。      

 

>宦官は男性器を切除された、皇帝の世話役、補佐役です。>日本人の感覚からはなかなか理解しにくい存在であり、中国からさまざまな文化を吸収した日本でも、宦官という制度を取り入れようとしたという話は、筆者は寡聞にして知りません。

 

我が国は農耕民族の国ですからね。我々は牧畜民族の習慣をすんなりとは受け入れられませんね。   

 

>宦官は、学(といっても四書五経に限定されたものですが)こそありませんでしたが、世間知に長け、また、科挙合格者にはない度胸や才を持ち合わせていました。>中国史に残るトラブルを解決したのが宦官だったという話も多々あります。>宦官と科挙合格の官僚が絶妙のバランスで牽制しあい、難局においては協力したことが、中国の政治を支えたのです。>しかし、科挙の制度は時代を下るにしたがって、どんどん自己目的化し、優秀な人材の輩出という機能を失っていきます。  

 

宦官も官僚も自己改革には興味が無かったのですね。

 

>清代になると、古典を知っていることが最高のことであり、実際の政治は俗事として下に見なすようになったとも言われています。>しかし、科挙の運営が科挙合格者によって運営されているのですから(名目上は皇帝直轄の試験ではありましたが)、その制度は容易には変わりません。   

 

科挙の合格者も自分たちの既得権益の温存に励みましたね。   

 

>それでも中国一国で物事が完結しているうちはよかったのですが、19世紀になると、西洋の列強が科学技術なども武器にして中国に攻め入ってくるようになります。 >1840年のアヘン戦争がそのさきがけです。 >これには当時の科挙合格者は全く対応できず、宦官も役には立ちませんでした。

 

我が国の開国の時の幕府と同じ状態でしたね。   

 

 

 

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科挙 1/3  

2021-05-27 17:15:53 | 文化

 

>20210520  >科挙とは何か―暗記能の無能官僚により衰退した中国

>科挙は6世紀、隋の時代から始まり、清の時代まで続いた中国の官僚登用試験制度です。 >世襲制により身分の無い者には可能が全くなかった西欧と違い、合格さえすれば、一般人でも官僚になれる当時は画期的な制度でしたが、合格のための猛烈な受験勉強により、暗記能となってしまった官僚は現実場面では全く役に立たず、中国は次第に国力を衰退させ、アヘン戦争で西欧諸国に滅ぼされてしまいます。  

 

官僚の思考停止が祟って国が滅亡したのでしょうね。   

 

>日本の試験制度も少なからずこの科挙の影響を受けており、現在の日本の官僚も無能さを見ても試験制度がいかにおろかな制度であるか、中国の歴史から学び直す必要があると思います。  

 

そうですね。暗記力オンリーへの精進が思考力の衰退を招いたのでしょうね。我々はそれを他山の石とすべきですね。    

 

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>今回は中国の官僚登用制度の柱であり、現代日本にも大きな影響を及ぼした試験制度、科挙について見ていきます。>科挙は6世紀の隋の時代に始祖の文帝によって初めて導入され、1904年の清朝末期に廃止されるまで、1300年以上続いた制度です。>優秀な人間を選抜するとともに、皇帝の権力を強化するのが目的でした。>家柄や出自に関係なく、ペーパーテストの成績さえよければ高級官僚として登用するというのは、世界的に見ても画期的なことでした。>事実、18世紀くらいまでのヨーロッパでは、高官は貴族の世襲が当たり前でしたから、中国の科挙は非常に優れた制度として紹介されていたようです。

 

封土を領有する領主様からは優秀な人物は出ないでしょうね。   

 

>この科挙ですが、最も効果的に機能したのは宋(960年-1279年)の時代だったというのが一般的な評価です。>宋に先立つ隋や唐の時代はまだまだ貴族階級の力が強かったのですが、宋代にもなると、彼らの力は衰えます。>宋の時代には、科挙の試験に合格することが、高級官僚へのほぼ唯一の道筋となりました。>中国における高級官僚の地位は、現代の日本のキャリア官僚などに比べると比較にならないくらい強大なものでした。

 

中国は国が大きいから官僚の権限も強大なものになりますね。    

 

>古代の中国では伝統的に公金と私財の区別はありません。>賄賂も当然のものでした。>官僚は、税や付け届けで集めたお金や供物の中から一定額(一説には、集めたお金のたかだか1%以下と言われています)さえ皇帝に上納すれば、あとは私財とすることが可能でした。>時代にもよりますが、今の日本の金銭価値にすると、兆円から数十兆円単位の蓄財をした官僚も数多くいました。  

 

今でも共産党幹部にその体質は受け継がれているのでしょかね。     

 

>百億円程度の蓄財しかしなかった高級官僚が「清廉な人物」とされていたというのですから、あとは推して知るべしでしょう。 

 

私の印象では、今日の中国のエリートにも公私の区別はあまりはっきりとしていないようですね。   

 

>出自を問わず、ペーパーテストに合格すればこの地位を得られるのですから、優秀な人間が科挙合格を狙ったのも当然と言えます。>とは言え科挙は、宋代までは、実際に優秀な実務者を選ぶ機能を果たしました。>科挙の首席合格者が有能な宰相になったという例も少なくありません。>南宋の三忠臣の1人とされる文天祥などがその例です。>その理由には諸説ありますが、宋の頃まではペーパーテストとはいえ出題範囲も広く、また「志」を育むような文章も勉強しなくてはならなかったという説が有力です。

 

思考を停止した人が自分の暗記した内容だけを語っていると受け売りの専門家になりますね。何の進歩も見られませんね。用心が必要ですね。   

イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)  

 

 

 

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逆境の時 2/2  

2021-05-27 02:29:42 | 文化

 

>■逆境で進化し、高度化へ挑戦する。

>今年度、類設計室は30件以上の建物を完成、コンペ・プロポーザルでは一般的に30%といわれる当選率はなんと58%、高い成果を出すことができました。 >ますます活動領域を拡大し、活力ある社会づくりに挑戦する私たちですが、時にはトラブルもあります。 >私は、逆境に陥ったときこそ、この現実をどう変えるのか?みんなのために何ができるのか?成員が結束し、当事者として追求することで、組織は強くなることを学びました。 

 

日本人は責任の所在があいまいですから、序列による協力しか手段がありませんね。   

「中国人1人では龍であるが、3人集まると虫になる。日本人1人では虫であるが、3人集まると龍になる」 (中国の諺)    

 三人の中国人は、足の引っ張り合いに熱中するが、三人の日本人は、序列協力に熱中すること。 

 

>■逆境の時、あなたはどうするか?

>逆境や危機に面した時、露わになるのは(自らの・集団の)不十分さです。 >それは、真価が問われるとも言えます。 >どうするか? >まずは、逃げない、ごまかさない、諦めないことです。 >それは、言葉で言うのは簡単です、現実逃げずに戦える場面はいくらあるでしょうか? 

 

 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)    

 

>とことん納得がいくところまで追求すれば世界が変わる、社会の人々の期待に応える事ができる、共に追求する仲間になれる。 >そうすることで本物の充足があると私は確認しています。                                                                                                                                             

 

世界を変えるためには世界観が必要ですね。   

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較と言える。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、どっちもどっちだという現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の場合はこれである。非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。       

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

>類グループ   

 

 

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逆境の時 1/2  

2021-05-27 02:07:35 | 文化

 

>逆境の時、あなたの真価が問われる  >2021.3.29

>■君は皆のために、何をしたのか?

>多くのプロジェクトを手掛ける設計室、時に大きなトラブルに直面することもあります。 >あるトラブルに対して、率先して動いたのは、ベテランのKさん。 >Kさんはすぐさま、250枚以上ある設計図のすべて、一つ一つの線、寸法、文字に至るまで徹底的に確認しました。 >「図面ごとに食い違いはないか?これで本当に工事ができるか?」 >数十年の経験と技術が凝縮されたチェック。 >それらの丹念に消し込みチェックされた図面は、社内全体の蓄積となるように公開されました。  

 

すごいですね。会社の宝ですね。   

 

>私はその鬼気迫る背中を見て「すごいな」「大事だな」というレベルで認識していましたが・・・。 >その時、Kさんから出てきた言葉は >「それで、君は皆のために、何をしたのか?」 >「一人一人が少しでも何かを変えようと行動したか? >それが類設計室の将来を決めるのだ」 

 

努力・努力・まさに努力の蓄積ですね。感心しますね。     

 

>私は、先輩が答えを出してくれるとどこかで甘えていました。  

 

それは他力本願・神頼みでしょう。   

 

>トラブルを身を挺して挽回するのみならず、とことん追求して、組織の糧とする。 >これは全員の課題。 

 

まさに一億一心の精神ですね。    

 

>その為に今必要なのは現実を変える行動、その一点。 

 

そうですね。しかし、現実を変えるのは我々日本人には難しいでしようね。      

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。戦時中は玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)     

日本人には意思がない。受動ばかりで能動がなくては全ての事は始まりませんね。   

 

>■全員が自らの課題として追求する。

>その後、月1回行われる全員参加の経営会議の場で、若手15名が声を上げました。 >・「Kさんのモノづくりにかける本気の想いに自身が迫れるか。>私はKさんを真似して図面の徹底チェックをしている。」 >・「【やったつもり】【調整した気がする】といった曖昧さを廃する。 >社内ネットに1カ月で180投稿、言葉で固定する可能性を感じる。 >私はこれをプロジェクト推進のエンジンとしていきたい。」 >・「社内も社外も喜んでほしい想いが一番。 >そのために、自らの追求成果を全て開いていく。」 >それらの発信はどれも「この逆境を変えるために行動した中身」でした。

 

活発な意見発表ですね。   

 

>普通の会社では、トラブルの責任追及に終始するかもしれません。

 

日本人には意思がない。意思の無い人間に責任がない。罪もない。ですから、事柄の意味が曖昧になります。わが国の敗戦のようなものでしょう。    

肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。

徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)     

 

>しかし、共同体では、全員が自らの課題として、集団の仁義信として追求する。>それが逆境を突破する原動力となることを実感しました。

 

日本人は序列人間です。序列人間は序列の中にあって、義理 (序列関係から生まれる義務) を果たす。それが日本人の生き甲斐でしょう。義理が廃ればこの世は闇だと考えられています。       

 

 

 

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