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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

岡村進氏 5/5  

2021-05-20 08:55:19 | 文化

 

>日本人の美徳である忍耐力が、我慢を促すことだけに紐づいてしまい、個々人の成長を阻害することになったら、あまりにもったいない。  

 

そうですね。日本人には意思がないから、代わりに恣意 (私意・我儘・身勝手) を利用しますね。恣意は意地・根性・大和魂に鍛えられて忍耐力につながりますね。恣意はバラバラな単語のままで文章にならない。だから意味も無い。説明責任も取れない。残念な努力の仕方ですね。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

 

> 忍耐の呪縛から自らを解放し、知りたい気持ちを高めていくカギは、質問する姿勢にあったのだ。

 

我々日本人には意思の獲得が必要でしょうね。 

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。戦時中は玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)    

 

> まずは疑問を正直に口にすれば、自らの思いを点検することができる。 >それがいつか自己実現へのコミットメントに繋がり、世の中に必要とされる人財に育っていくのだ。 

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

> たかが質問、されど質問。恥を捨てた人間の未来は明るい。 

 

見栄と外聞の世の中に在って、恥はかき捨てということになりますかね。   

 

>岡村 進   

 

 

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岡村進氏 4/5  

2021-05-20 08:33:35 | 文化

 

> 今は違う。 >知りたいことがあるから質問するのだ。 >「この人は何でこんなことを言っているんだろう?」「この話を通じて我々にどうして欲しいんだろう?」と相手の話す真意を真剣に読みにいくようになったのだ。 

 

見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。誰しも嘘つきにはなりたくない。だから、自分の頭の中にある非現実の内容は語らない。これが、日本人の思考停止の原因である。現実の内容は頭の外にある。だから、見ることが可能である。見ればわかる。だから、考える必要はない。これは楽ちんである。正解はただ一つである。これは人とアニマルが共有する非言語の世界である。人間の非現実 (考え) の内容は頭の中にある。だから、見ることができない。それは、ただの話である。その内容を知るには文法に基づいて文章の内容を逐一理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、通常、日本人は理解をしない。忖度 (推察) で代用して済ませている。理解は人間だけが持つ言語の世界である。 なれ合いとか‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませることである。

理解と忖度は似て非なるものであるから注意が必要である。忖度 (推察) は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。たとえ両者の間に齟齬が存在しても議論にもならない。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘しても、'だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' と懸命に反発するので取りつく島がない。かくして、日本人の対話は成立しない。思慮ある人は ’現実直視をしてその解釈をあれこれと吟味するが、凡人は ‘期待したもの’ しか見ようとしない。   

 

> どこかで思考のツボにはまり聞き落す部分がでてくるから、質問に対して「それはさっき説明したでしょ」なんて言われることもあるが、もうへっちゃらになった。>知りたいことがあるから質問し、知りたいことを知れば、それが自らの言動に紐づいていく。 

 

我が国ではそれを厚顔というのですかね。   

 

>■ 「質問のプロ」の作法      

> グローバル企業に勤めて一番驚いたのは、エグゼクティブたちが実に自然に部下たちに質問をし続ける姿勢だった。 > 立場の高い地域ヘッドが「俺はアジアに来てまだ数年だ。 >あなたから聞きたいことはたくさんある」とひたすら質問する。 >時には世界のトップを招いても、彼もまた質問から始める。 

 

世界企業の責任者は情報収集に長けていますね。わが国は先の大戦においても米国に情報戦で敗れました。      

 

>気が付くと日本人のエグゼクティブが一方的に話し続けていることも少なくなかった。 

 

我が国の責任者は説教型ですね。 

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)

 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)      

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官

変わり身の早さは日本人の得意芸ですからね。目先・手先の事柄に神経を集中させていますね。現実があって非現実 (考え) の無い人間の特徴ですね。   

 

> 見識の高い世界的トップは、その知識を披歴するよりも、質問を重視する。>彼らは「もっと変化の様子を知りたい」「知って経営に役立てたい」と極めて純粋なのだ。>また、質問を通じた双方向のやりとりが、互いの理解を深める効果の大きさも分かっている。

 

そうですね。対話の効用を理解しているのですね。   

 

> 質問する姿勢のもたらすパワーは日本人も同じだ。>私の知り合いのIT企業経営者は、かつて大企業に勤め始めて数年後の20代半ばの頃、自分が意見を発信しても物事が変わらないことに業を煮やし、「なぜ自分の意見は採用されないのか?」と上司に質問したそうだ。> すると「企画提案はもう少し偉くなってからやれ」と言われてしまったらしい。 

 

偉くない人は企画の提案には関係ないですね。   

 

>普通ならここであきらめるところだが、彼はその足で人事部に向かい、「自分はどうしたらもっと偉くなれるのか?」と質問した。>その答えに納得がいかなかったことが、独立のエネルギーに繋がったのだ。

 

自主独立の精神が大切ですね。これはアメリカ建国の精神ですね。      

 

>■ 才能とは、「知りたい気持ち」を持ち続けること     

> イノベーションや変革の多くは、何か特別な才能を必要とするわけではなく、「知りたい!」「成長したい!」「進化したい!」という純粋な思いから生まれるもの。 

 

そうですね。何よりも率直さが大切ですね。   

 

 

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岡村進氏 3/5  

2021-05-20 08:16:52 | 文化

 

>自信がないから、少しでも自分を賢く見せることに必死になっている私には、気軽な質問など無理な注文だった。 > そんな自分が恥を捨てて質問できるようになるには、それからさらに10年かかった。

 

年齢が低かったら環境への適応ももっと早いでしょうに。  

 

>いまなら、「何が分からないかも、分からない。>でもおっしゃることがどうも理解できない気がするんです」と自分の状態を直接口に出し、質問に結び付けていくこともできる。

 

あなたは進歩しましたね。

 

> 何かきっかけがあったわけではない。>もはや自分を取り繕うことに疲れてしまったのだ。>人生が有限であることを感じ始めると、人からアホだと思われる怖さより、本当に何も知らない怖さのほうが大きくなっていった。

 

 '私は、私が何も知らないということを知っている'。 (ソクラテス)  [無知の知]  'I know that I know nothing'.  

 

>もっと下世話に言えば、人目を気にして賢く振舞ってみても、結局他人にバレる、何の得にもならないことを遂に理解したのかもしれない。 > 「格好つけてどうする? > 昨日の自分より賢くなれればいいじゃないか!」と心から思い実践できるようになってからは、ずいぶん楽に生きられるようになった。 

 

そうですね。良かったですね。肩の荷が下りた感じですね。日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。   

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。これは序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。         

我が国の政治家にも、政治哲学がない人が多い。我々の未来社会の有様を大衆に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っている。上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在を確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことにより仕事にやりがいを感じている。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。 

 

>■ 質問できるようになって芽生えた、相手の真意を汲み取ろうとする思考       

> いまだに少し緊張はするものの、質問できるようになってからは、人の話を聞く姿勢が劇的に変わっていった。 >かつては、話し手の一字一句に神経を研ぎ澄ませていた。 >質問する気もないから、何を言うか、内容だけにフォーカスして、ひたすらメモをとっていた。 

 

それは真面目な学生スタイルですね。   

 

 

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岡村進氏 2/5  

2021-05-20 03:12:48 | 文化

 

>■ 協調性と独創性のアンバランス   

> 少し思い当たる節がある。 >大企業の経営陣が、昨今こぞって「事業構想力の高い人財が不足している」と言い始めた。 >「環境変化に合わせて変革を成し遂げられる人財が欲しい」という。  

 

 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)    

 

> その質問は、私の胸をザワつかせる。> そもそも、あなたたちは、過去、社員にユニークな発想を求めてきましたっけ? >むしろ出る杭は打たれるで、協調性の高い人財を優先的に採用してきましたよね? 

 

出る杭は打たれる。 口は禍のもとですね。  

 

> 入社後も、我慢強く課題と向き合い、改善できる人財こそ評価してきたはずだ。

 

手直し程度の仕事をしていればよいはずでしたね。

 

>何かを変えようとすれば角が立ち、協調性が乱れる。

 

そうですね。何事もお変わりのないことが何よりなことですね。   

 

>日本の経営が自らも、社員にも、長らく許さなかった物事を変えようとする行動。>それをいまさら「人財がいない」と嘆かれても、腑に落ちるはずもない。

 

そうですね。わが国は、人手不足はあっても頭脳不足のない国でしたからね。天下の秀才が大勢いる教育立国ですね。      

 

> かくいう私も、入社して長らく、最も保守的なサラリーマンだった。 >斬新なことを言って周りを驚かせることなどは皆無。 >常に、人目を意識して、嫌われないように気を揉み、賢く見えるように言葉を選んでいた。>協調性は磨かれるが、独創性は失われる。 >というより私自身は、何かユニークなものを生み出す意識などハナから持ち合わせていなかった。 

 

特亜三国 (日本・中国・韓国) の民には、現実 (事実) があって非現実 (考え) がない。現実を内容とする文章はあるが、非現実を内容とする文章が存在しない。だから、技術 (実学) があって、哲学 (考え) がない。考えの内容は人様ざまであるので、個性的になる。だが、哲学のない特亜三国においては、英米流の高等教育が成り立たない。現実の内容を現実の中で再現すれば、それは模倣をしたことになる。非現実の内容を現実の中で実現すれば、それは創造になる。特亜三国の民は、模倣が得意で創造が苦手である。だが、模倣の競争には参入者が多く、創造には少ない。模倣の競争は没個性の競争であり過酷なものになりがちである。これはアニマル風の競争である。個性を伸ばす競争をしよう。創造力をつけよう。そして、ゆとりある人間らしい生活をしよう。   

 

> そんな私が、なぜ40代半ばで外資に転職、50代になってから起業という、独創性なくして生き残れない人生を歩むようになったのか。 > それは、きっと質問の大切さを学んだからだ。 

 

そうかもしれませんね。    

 

>■ 恥を捨てた瞬間に急成長が始まった     

> それは20数年前、ニューヨークの米国金融機関に出向させられた直後に、郊外のセミナーハウスに一週間ぶち込まれたときのことだ。 >米国人30人に、日本人が私一人。

 

日本人が一人きりというのは良い環境ですね。  

 

>朝から晩まで講義とディスカッションが続くのだが、英語のやりとりの3割も理解できなかった。>椅子に座っているだけで、胃が痛くなる。 >それなのに、講師はすぐ私に「わからないことがあったら何でも聞いてくれていいんだよ」と語りかけてくる。 > 「そんなことできるか!」> 日本人にとって質問とは、相手の伝えたい内容や真意をしっかり理解した上で、さらに聞きたいことを聞くのが礼儀なのだ。

 

あなたは礼儀正しい日本人でしたね。見栄と外聞、身分と格式の世界ですね。    

 

 

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岡村進氏 1/5  

2021-05-20 02:49:19 | 文化

 

>「恥かいて質問する」こと嫌う日本人、実はこんなに損しています  >5/13() 11:50配信

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>JBpress >「恥かいて質問する」こと嫌う日本人、実はこんなに損しています > (岡村進:人財育成コンサルタント・人財アジア代表取締役) 

 

聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。   

 

> キャリアの半分以上を海外や外資系で過ごし、グローバル・エグゼクティブと仕事をしてきた私が、彼らから学んだ最も重要なことは「恥を捨てて質問する力」だった。

 

聞くは一旦の恥、聞かぬは末代の恥。   

 

>■ 米国名門大学院で学んだ「質問と恥の関係」

> それは日本の大手生保に勤めていた30代のころ、エグゼテクィブ用のMBAコースに通わせていただいたときだった。 >初回の講義で同級生が、ホワイトボードに記された「23」の数字を見て「その小さな3は何だ?」と質問したのだ。 >そこは米国の代表的な大学院のMBAだから、彼の質問は衝撃的だった。 >そこにいる生徒の誰もがこう思ったことだろう。>23 =2×2×22の三乗でしょうが!!」 >教授の表情に、一瞬、戸惑いと憐みが浮かんだように感じた。 >しかし、彼は胸を張って、「そういうことか。 >数学は苦手だからさぁ」と言い放ったのだ。> 内にこもりがちな私は、そのやりとりを20数年経った今も鮮明に覚えている。>人目を気にせず、聞きたいことを聞けるって本当に素晴らしいと深く感動したからだ。

 

アメリカは自由の国ですね。わが国では不自由を常と思えば不足なしですね。

 

>■ 我慢の末に無策になる日本   

> 今回のコロナ対応を見ていると、日本人はつくづく忍耐が強いなぁと感嘆する。 

 

そうですね。コロナの時も忍耐、メルトダウンの時も忍耐、敗戦の時も忍耐でしたね。    

 

> さして強制力のない宣言が出るだけで、さっと自粛する。

 

そうですね。

日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている (ウスビ・サコ)   

 

>自分のせいで人の健康を害したくないと他人への気遣いを忘れない。>もちろん我慢できなくなって、密を作ってしまう人もいるが、どこかで罪悪感を抱いているはずだ。  

 

人と違ったことをするのは日本人にとって恥ずかしいことですからね。人の振り見て我がふり直せ。   

 

> しかし、それとは裏腹にコロナ対策は遅れている。 >欧米の先進国でワクチン接種が進む中、我が国はいまだ2%にとどまっている。 

 

日本人には意思がない。だから意思決定は遅れます。意思決定の必要な場合には、事の次第・成り行きにまかせて自然な決着を待つ。対策は忍耐 (無策) からは生まれませんからね。   

 

>韓国や中国に比べても死者の数が突出しているのが我が国である。> 日本は先進国ではなかったのか。 

 

我が国は後進国でしょうね。恥のかき捨てですね。   

 

>マスクを軽視しコロナの蔓延を招き、あれだけドン底に落ちたはずの米国は経済成長6.4%にまで回復し、マスクなしでレストランでの会食も復活しつつあるという。>我慢できない国民が、うろたえ大騒ぎしながらも、結果的に物事を解決していく。   

 

終り良ければ全て良しですね。All is well that ends well.  

 

>一方で、静かに自律的行動をとってきた我々日本人が、いまだ命の危険にさらされている。

 

そうですね。我が国の政治指導者が国民の生命・財産を守ることに手抜かりがあったからでしょうね。政府は、ABC兵器から国民を守らなくてはならない。A (atomic) は原子爆弾・水素爆弾などの原子兵器、B (biological) は細菌・ウイルスなどの生物兵器、C  (chemical) は毒ガス・焼夷弾などの化学兵器のこと。第一次世界大戦はC兵器の戦争、第二次世界大戦はA兵器の戦争であった。第三次世界大戦はB兵器の戦争になるのかな。用心するに越したことはない。国民の保護を他国に丸投げしていては国の安全は守れませんね。日本人は国際社会において指導性を発揮することが難しい。孤立無縁になるか、相手に従属するかになりやすい。   

 

>この矛盾はなぜ起こっているのだろうか。    

 

 '敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである'  (昭和天皇)      

 

 

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