>日本人が学ばない理由 >By Satoshi Ebitani, Editor at LinkedIn News
>「日本は学ぶ習慣のない国」と日本経済新聞で指摘するのは、パーソル総合研究所の小林祐児上席主任研究員。
>企業が長期安定的なジョブローテーション型の雇用慣習を取った結果、自分のキャリアを戦略的に積み上げる意識の低い社員が多く生まれた。
日本人には意思がない。だから、指示待ち人間になっている。
>社員の学びに対するインセンティブが弱いうえ、個人的にも「学ばない」くせがついていると言う。
日本は序列社会ですね。序列順位昇進の夢が遠のいていますね。日本人の学習は考えることではなくて真似をすることですね。これでは新しいモノは出て来ませんね。
>状況を変えるには、「横断的に学びの共同体化を図り、習慣にするしかない」と小林上席主任研究員は言う。
日本人には個人の観念がない。社会も個人の力を期待していない。考えが個人単位であることを理解していないことに問題があるのでしょうね。 。
>代慶達也 >「日本人は勤勉か?」。
>パーソル総合研究所の調査によると、勤務先以外での学習や自己啓発など自己投資に前向きなビジネスパーソンの割合は日本は4割程度にとどまっています。
>米国は約8割、中国も7割、調査対象の18カ国の中で日本は断トツで、学びの自己投資意欲が低いですね。
日本人は思考を停止していますからね。学びの自己投資は考えられませんね。
>これは日本の場合、社内で学びながら働くという習慣が染み付いているかもしれません。
そうですね。学ぶは真似をすることですね。
>いまだ日本の中高年の大半は、会社人間です。
日本人には意思がない。ですから中高年の大半は社畜ですね。
>実際のリスキリングも会社主導で普及しそうです。
>大企業中心に企業内大学が次々誕生しています。
>ただ、学びのトライをするか否かは、それぞれの個人の意欲次第です。
日本人には意思がない。学びのトライは恣意 (私意・我儘・身勝手) によるものですね。
>先日、大企業からフリーランスとなった女性が「いいわよね、大企業は!勉強代も払ってくれるのだから。
>会社を辞めるのじゃなかった」とボヤいていました。
>確かに「手あげ」した方がお得かもしれませんね。
何に付け、’おんぶにだっこ’ ですね。消極的人生ですね。おとなしい人生ですね。
>島崎由真
>前職で実施していた大企業社員向けに実施していたプロボノプログラム参加者のうち、20%の人がジョブポスティングに応募されていました。
>手挙げによるプログラムでしたが、社外での腕試しを通して自身の強みや弱みに気づき、そこからの学び直しや社内へのチャレンジへと踏み出していかれたのです。
>機会を与えても手を挙げる人が少ないと嘆く人事の方が多いのですが、そのための心理的安全性を担保することと、跳び箱を一段ずつ積むが如く小さな手挙げ機会を刻んで用意することが重要だと思います。
日本人は序列人間である。心理的安定は序列順位の確保によもたらされる。序列順位昇進の待ちが日本人の伝統的な人生ですね。
>川平卓音
>世界的に見ても自己投資に消極的なニッポン この逆境を活かして自己投資に積極的になろう!
>興味深いデータを見ました。
>「勤務先以外での学習や自己啓発への投資について」のアンケートで、日本人は世界的に自己投資をしない人が断然多いという結果になっています。
>具体的なアンケート結果は以下です。
>【日本】
> ■現在は自己投資しておらず、今後もするつもりはない →42.0%
> ■現在は自己投資しておらず、今後はするつもりだ →18.0%
> ■既に自己投資しており、今後増やすつもりだ →15.8%
> ■既に自己投資しており、今後も同程度継続するつもりだ →24.2%
>一方他国を見れば、自己投資に積極的な国は、ベトナム、インドネシア、フィリピンなどの東南アジア諸国と、インド、米国が上位になっているようですね。
>このような国々には今後も投資をする価値がありますね。
そうですね。
>日本は他にも様々な問題を抱えていますが、このようなデータから見ても、国としての成長に今後も期待できないのが本音ですね。
がり勉はもう沢山ですからね。
>ただしミクロ的に考えれば、日本でこれだけ自己投資に消極的なのであれば、自己投資に積極的になることで、他の方と圧倒的に差をつけることが可能という見方もできます。
>ピンチはチャンスです。
ピンチをチャンスに変える的確な方法論が必要ですね。
>今後も積極的に自己投資を続けていきたいですね^^
それは希望的観測ですね。
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)
我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。
国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得には欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。
'為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり' 上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)
.