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日本の哲学者  

2024-06-15 04:43:42 | 文化

>現代ビジネス   >「日本」という国はどへいくのか明治時代、この国の頭脳が取り憑かれた「世界的名著」   >藤田正勝の意見・   >21時間・   

>明治維新以降、日本の哲学者たちは悩み続けてきた。   

>「言葉」や「身体」、「自然」、「社会・国家」とは何かを考え続けてきた。   

 

日本語は写生画の言葉である。日本語は現実 (事実) の世界だけを表す言葉である。だから、具象語だけが意味・意義を持つ。日本語の中の抽象語には意味がない。非現実 (考え・哲学) の世界は日本人にとって意味がない。   

 

>そんな先人たちの知的格闘の延長線上に、今日の私たちは立っている。   

>『日本哲学入門』では、日本人が何を考えてきたのか、その本質を紹介している。   

>※本記事は藤田正勝『日本哲学入門』から抜粋、編集したものです。   

>マルクス主義の登場   

>日本の哲学の歴史のなかでは、すでに見たように、西田幾多郎や、西田のあと京大の哲学講座を引きついだ田辺元、さらに彼らに学んだ三木清や西谷啓治らが大きな役割を演じた。   

>彼らはしばしば京都学派ということばで呼ばれる。   

>その思想上の一つの特色として、彼らの多くが「無」について語ったことが挙げられる。   

>西田はあらゆる存在の根底に「絶対無」を考えたし、田辺も「絶対無」や「無即愛」について語っている。   

 

日本語・日本人の判断によれば、見ることのできる内容は本当のことであり、見ることのできない内容は嘘である。きれいごと (非現実の内容) を語る人は嘘を広める人である。      

 

>しかしそれは、彼らが現実に目を向けなかったということではまったくない。   

>京都学派の特徴の一つとして、現実の社会や国家、歴史への関心を挙げることができる。   

>その点で大きな役割を果たしたのは、三木清や戸坂潤ら、西田や田辺から教えを受けた若い研究者たちであった。   

>彼らは、哲学は実践を離れた単なる観想であってはならず、生活に根ざし、実践に結びついたものでなければならないと考え、マルクス主義の思想に共感を示していった。   

 

日本語では単なる観念を語ることができない。それは日本語文法には時制 (tense) というものが無く、日本人には世界観 (world view) が持てないからである。      

 

>そして観念的な思索に傾きがちな西田や田辺の哲学を批判した。   

>それを承けて彼らもまた現実の社会のなかにあるさまざまな問題について論じるようになっていった。   

>西田や田辺、そして彼らの弟子たちが、そうした関心に基づいて、社会や国家、歴史について何を、またどのように論じたのかを本講で見てみたい。   

>一九一七年のロシア革命、そして一九二二年のソ連邦の成立は世界歴史のなかで大きな意味をもつ出来事であったが、それと並行してマルクス主義の思想もまた多くの人々の注目を集めた。   

>日本でも『貧乏物語』(一九一七年)などを通して社会問題に深い関心を寄せていた河上肇が次第にマルクス主義に接近し、個人雑誌『社会問題研究』(弘文堂書房、一九一九―一九三〇年)を刊行してその研究と普及に努めたりした。   

 

社会問題を語る場合には現実の内容に基づいて自己の非現実を語る必要がありますね。それが科学哲学というものでしょう。        

 

>日本の哲学者も熱に浮かされた   

>一八八三年のマルクス(Karl Marx, 1818-1883)の死以後、マルクス主義の哲学が語られるときに典拠とされてきたのは、多くの場合『反デューリング論』(一八七八年)や『フォイエルバッハ論』(一八八八年)などエンゲルス(Friedrich Engels, 1820-1895)の著作であった。   

>マルクス自身の哲学的な著作が遺稿のなかから公にされたのは、ちょうど一九二〇年代から三〇年代にかけての時期であった。   

>エンゲルスとの共著『ドイツ・イデオロギー』の第一巻第一章「フォイエルバッハ」が刊行されたのは一九二六年であり、『経済学・哲学草稿』がはじめて公にされたのは一九三二年のことであった。   

>マルクス自身の思想を示すものとして、その公開は大きな注目を集めた。   

>日本においてマルクス主義の哲学への関心が高まりを見せたのも、ちょうどこの時期においてであった。   

>その中心にいたのが三木清であった。   

>三木はヨーロッパ留学から帰国したのち、第三高等学校の講師を務めるかたわら、経済学部教授であった河上肇を中心として開かれていた研究会(マルクスの『経済学批判』などをテクストにしたので「経済学批判会」と呼ばれた)に参加したりしたが、この頃からフォイエルバッハの思想や唯物史観の研究に着手したと考えられる。   

>三木は一九二七年に法政大学教授に就任し東京に移ったが、それ以後、矢継ぎ早にその研究の成果を、「人間学のマルクス的形態」や「マルクス主義と唯物論」、「プラグマチズムとマルキシズムの哲学」などの論文を通して発表し、論壇の寵児になっていった。   

 

唯物論は現実に限った内容ですから、現実 (事実) しか知らない日本人には受け入れやすい考えですね。   

 

>三木のこのようなマルクス主義の哲学的な基礎づけの試みは、彼の周りにいた人々に大きな影響を及ぼした。   

>その影響をもっとも強く受けた一人が戸坂潤であった。   

>京都時代にすでに唯物論の研究を始めていたが、三木清が一九三〇年に当時非合法化されていた日本共産党への資金援助容疑で検挙され、法政大学教授の職を辞した翌年に法政大学の講師となり、活動の場を東京に移した。   

>そこで岡邦雄や三枝博音らと唯物論研究会を組織し、『唯物論研究』を発刊して、わが国における唯物論研究を中心的に担い、同時に多彩な評論活動を展開していった。   

>さらに連載記事〈日本でもっとも有名な哲学者はどんな答えに辿りついたのか…私たちの価値観を揺るがす「圧巻の視点」〉では、日本哲学のことをより深く知るための重要ポイントを紹介しています。    

 

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

 

非現実 (考え) の内容は、英語の時制 (tense) のある文章により表される。   

過去の世界の内容は過去時制の文と過去完了時制の文により言い表される。  

現在の世界の内容は現在時制の文と現在完了時制の文により言い表される。 

未来の世界の内容は未来時制の文と未来完了時制の文により言い表される。 

 

非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界の内容は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。これは日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。これは政治に必要である。日本人の場合は、無哲学・能天気にためにノンポリ・政治音痴になっている。これでは冴えた政治は行われない。

 

‘我々は何処から来たのか。’ ‘我々は何者か。’ ‘我々はどこに行くのか。’ などの哲学的命題にわれわれが自分自身の答えを出せるようにしなければならない。    

我々と同じアジア人であってもインド人は印欧語族 (Indo-European) であるから、前世・現世・来世の非現実の三世界の内容を自分自身で持っている。インド教の聖地で人々が瞑想に耽る姿は珍しいものではない。   

 

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。現実対現実の比較によれば全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。

 

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には非現実を内容とする世界観がない。そして、日本人にはあるべき姿に基づく批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

 

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。罪のない者はいない。そこで、不完全な現実に囲まれて無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。 

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

 

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)       

 

 

 

 

 



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