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川原繫人氏  

2024-06-14 20:42:44 | 文化

>現代ビジネス   >机上の研究ではなく日常を生きるために「自分事」として実践する哲学と人生の交差点   >川原繁人の意見・   >3か月・   

>「言語学って/哲学って、何の役に立つの?」そんな問いを共通して抱える言語学/哲学者たち。   

>『群像』20243月号より、三木那由他さん『言葉の風景、哲学のレンズ』の書評「自分事としての、あまりに自分事としての哲学」(評者:川原繁人さん)をお届けします。   

>「言語学って何の役に立つの?」   

>私の専門は言語学であるが、もう人生で何度聞かれたか分からない質問がある。   

>「言語学って何の役に立つの?」。   

>この質問の答えを見つけることは、過去20年間、私が言語学者として研究を続けるうえで、大きな課題の1つであったと言える。   

>本書『言葉の風景、哲学のレンズ』の著者、三木那由他氏は言語哲学を専門としているが、彼女もまた、同じような経験をしてきたことは想像に難くない。   

>本書はよく似た問いから始まるのだ。   

>「哲学って何のために勉強するの?」(1頁)。   

 

各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.       

英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。思春期の到来とともに言語能力の発達する頃を待ってこの教育は行われる。英文法の中の時制 (tense) を活用して非現実の内容を文に表現する訓練である。子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。英米流の高等教育は子供から大人に変わる人間に哲学を獲得させようとする仕組みである。すると浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。だからどこの国でも英語の高等教育に力を入れることになる。

日本語は現実の内容だけを表す言語である。哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。日本式の判断だと、見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。だから現実ばかりの言葉 (日本語) を話す人が非現実の内容を語る学習をすると常に失敗する。嘘(きれいごと) ばかりを語っていては学習に力が入らない。だから思考停止になっている。それで日本人は相変わらず無哲学・能天気の民となっている。わが国の有権者はあらかた高等教育の真価を体得していない。だから高等教育の無償化は国民の総意が得られない。わが国は英米流の高等教育の導入に失敗し続けているので、何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する親はいない。  

今の地球はアングロ・サクソンの支配体制の下にある。個人の哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっている。彼等の出世は高等教育の賜物である。

当の日本人の若者はいまもなお国内の序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。これは日本語文法に階称 (hierarchy) がある為である。’上と見るか・下と見るか’ の判断に囚われざるを得ない。 難関出身者が序列社会でどれほど優位に立つているかの話ばかりで持切りである。それで入試地獄が存在する。世界に関する注意力の不足で日本人は井の中の蛙になっている。国際社会で印欧語族の知識人を相手にして苦戦を強いられることになる。   

 

>この問いに対して、著者は本書を通し、言語哲学が提供する数々の洞察によって人生の見方がいかに広がるのかを示してくれる。   

>本書は、著者が人生において実践している哲学的な生き方のケーススタディである。   

>他の哲学書にありがちな、抽象的で実感をもって理解することが難しい思想の解説ではない(もちろん、そのような哲学書の価値を否定しているわけではない)。   

>私も言語学者の端くれとして、本書で紹介されている現代意味論の基礎は学んだことがある。   

>この理論では、数学の一分野である集合論を用いて言語の意味を捉える。   

>著者はその枠組みに基づいて論文を書いた経験があるとし、その有用性を否定しているわけではない。   

>たしかに、学問として数学という基盤が存在することは心強い。   

>しかし、現実世界の意味に関わる現象ーーそして、経験ーーのすべてをその理論の枠組みで捉えることは不可能なのではないか。   

>そんな著者の思いを本書の各所に感じる。   

>著者は、日常生活の中で、ことあるごとに言語哲学的な分析に思いを馳せてしまう。   

>例えば、お気に入りのGLAYの曲を聴いている時も、ついつい歌詞の分析が始まる。   

>「人生の岐路」と聞けば「複数の可能世界」について考えてしまい、「命題」などと聞けば哲学者として心があっちこっちに散歩を始める(127頁)。   

>これには共感しかない。   

>私も好きなラップを聴けば、知らず知らず韻を分析してしまうし、サウナで瞑想をしていても、テレビから「向こう正面」と聞こえてくれば「『正面』は複合語なのに連濁するのか……」と濁点のことが気になり、瞑想どころではなくなる。   

>本書では、ほのぼのとした日常について語られることもあるが、同時に、それと地続きであるトランスジェンダーとして生きる著者の切実な体験も綴られている。   

>カミングアウトの難しさ、さらには、心ない人たちによるオンラインハラスメントの被害を受けた事実などが言語哲学の道具を用いて考察されていく。   

>とくに後者は、語ることすら辛いであろう著者の実体験に基づいている。   

>それでも、著者はその現実から目をそらすことなく、自分の学問を手に、その背後にある問題を語る。   

>正直、この著者の姿勢には感動を覚えずにいられなかった。   

>本書は「哲学って何の役に立つの?」という問いに、はっきりとした答えを提示する。   

>「自分事」としての哲学   

>言語学者として、とくに感銘をうけた章は「たった一言でこんなにもずるい」である。   

>この章では同性婚に関する裁判の判決要旨が考察されている。   

>その裁判では「同性婚が日本において不可能なことは違憲ではない」という判決がくだされ、その理由の一つとして、「議論が尽くされていない」というものがあげられた(60頁)。   

>著者は、これに対し言語哲学的な観点から異議を唱える。   

>「議論が尽くされていない」という言明は、「議論がすでに始まっている」ことを「前提」とする。   

>厄介なことに、「前提」というものは、しっかりとした知識がないと、それを否定することすら難しい。   

>この例であれば、同性婚に対しての知識があれば「いやいや議論は始まってさえいません」と、その前提を否定できるかもしれないが、そうでない人は「そっか議論は始まっているんだ。   

>そのうえで十分じゃないんだね」と誤解してしまう。   

 

日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え・哲学) がない。だから、現実の事しか頭の中に入らない。     

 

>著者はこの「ずるさ」を言語哲学という道具を用いて鋭く指摘する(6668頁)。   

>友人に実際には貸していないのに「なぜ、貸した100万円返してくれないの?」と問えば、「いやいや借りてないし」とツッコまれるだろうが、何も知らない彼の親に「なぜ、息子さんは貸した100万円返してくれないんでしょうね?」と問えば、「息子は100万円借りたんですね。   

>すみません、お返しします」というような詐欺まがいのメッセージとして伝わる可能性がある。   

 

当事者でない人には正確な説明が必要ですね。   

 

>著者は、件の判決要旨に同様のずるさを感じとっている。   

>言語(哲)学で使われる「前提」という概念が、ここまで現実的で切実な問題として迫ってくる例に私は過去に出会ったことがない。   

>また、同時に本書は二重の意味で「やさしい」。   

>まず、「わかりやすい」。   

>すべての章が著者の実体験に基づいているから、自分事として哲学を理解・堪能できる。   

>しかし、それ以上に本書は「優しさ」にあふれている。   

>人間味があると言ってもいいかもしれない。   

>例えば、ゲームのキャラの「給料日だね!」という言葉に心つかまれ、キュンキュンしている著者の様子が描かれる(71頁)。   

>自分が音痴であることもーーその必要もないのにーー公言する。   

>これらの記述から、著者の人柄が自然と伝わってくる。   

>残念ながら実際にお会いしたことはないので、本当のところは、著者の人柄を知るすべはない。   

>もしかしたら、私は「言葉だけの場所」(20頁)で著者と触れあい、自分でかってに「空欄」(25頁)(=著者の人となり)を埋めているだけかもしれない。   

>それとも、著者の「理性的でない振る舞い」( 110頁)を魅力的に感じているのかもしれない。   

>最後に著者に送りたい言葉がある。   

>「どういたしまして!」。   

>本書を読んでいない方々には、私が一方的に賞賛という名の恩を売りつけている嫌なやつに感じられることだろう。   

>そんな誤解をした読者は、すぐさま本書を購入し、「「どういたしまして!」の正体」の章を熟読することを強く勧める。   

>三木那由他『言葉の風景、哲学のレンズ』   

>言葉のコミュニケーションは、希望と切実さと複雑さに満ちている。   

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