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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

語り部

2015-01-17 10:57:27 | 国際・政治
> 6434人が亡くなり、3人が行方不明となった阪神・淡路大震災は17日、発生から20年となる。この間、世代交代が進み、被災12市の震災後に生まれた人の割合は18%近くに上る。震災の記憶を伝える「人と防災未来センター」(神戸市中央区)には2002年の開館以来、累計600万人が訪れたが、44人いる「語り部」の3人に2人は70歳以上だ。被災地の経験と教訓を、いかに次代につなぐかが課題になっている。

語り部は、実況放送・現状報告を内容とした事柄を伝える。かれらは、'あるべき姿・理想の世界' を語らない。その、現実からはみ出さない語らいが、聞く者に安心感を与えている。そして、聴衆はもらい泣きをする。
'そんなに悲し事なら、わざわざ聞きに行かなくてもよいではないか' といって幼い私は祖母を止めようとしたが、彼女は金を払っても聞きに行った。

我々日本人には、経験と教訓が役に立つのか。本当に「故きを温ねて新しきを知る」ことができるのか。われわれは、三匹の子豚の大豚か、中豚か、小豚か。たぶん藁の小屋しか建てられない大豚なのであろう。
日本人には、世界観がない。我々はいかなる世界に住みたいか。いかなると世界に移住すべきか、という話し合いがなされていない。ただ、過去の悲惨な内容を繰り言として述べるにすぎない。忘れないことが一番大切なことだと信じて疑わない。虚しきと限りなし。明るく壮大な未来を語り、二度と災害を経験しない計画を世界に提示して、その建設に力を合わせよう。さすれば、世界遺産が出現する。人類の創造力を顕示しよう。被災者のことは決して忘れ去られることはない。

日本語には時制がない。
我々は未来時制をもたない。だから、過不足のない未来の世界を描き出すことはできない。優れた未来構想を著わすことができない。ちゃらんぽらんに発言すれば妄想になる。
我々は過去時制をもたない。だから、過不足のない過去の世界を描き出すことはできない。優れた歴史書を書くことができない。ちゃらんぽらんに発言すれば歌詠みになる。
このようなわけで、日本人には「温故知新」は難しい。ただ、不変・天下の泰平を願うのみ。それでも、自然災害はやってくる。戦争もやってくるのか。








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